code.18【それぞれの正義】
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午後六時二十九分、本部を出た頃には空に星が出ていた。
「(カレーの仕込みしておけばよかった……間に合うか?)」
もう少し早く帰るつもりだったが、思っていたより手合わせを楽しんでしまい、こんな時間に。
迅は当初の予定通り、三日後のシュミレーションをしておくと言ったので、途中で別れた。
帰ってきたら食べるから絶対置いといて! と言い残して。
「(ん? あの後ろ姿って……)」
小走りで玉狛に向かい、やっと橋まで差し掛かった時。
暗くて見えにくいが、ガタイがいいことは分かる。
そんな人間など限られてくるため、自然と誰なのか予想がついた。
「……え、レイジ?」
同時に、何故外にいるのか疑問が膨らむ。
前を歩く、真冬に薄着の七分丈を着た筋骨隆々の男、木崎レイジ。
「アユか? なんだ、出かけてたのか」
ボーダー唯一の完璧万能手で、親友の師匠になった彼。
結構な年齢差はあるが、腐れ縁の関係で遠慮はない。
周りに誰もいなかったのもあり、普通に会話している。
「お前……ちかの特訓に付き合ってるんじゃなかったのか?」
「俺は十八時まで防衛任務だったが、そういえば言ってなかったな」
弁当を七つ用意したのは、決して数え間違いではない。
木崎の分を入れていたから、ひとつ多かったのだ。
加えて各々の予定変更や連絡の漏れ、会話中による見逃しなどが重なって、現在に至る。
彼女にしては珍しく、血の気が引いてきた。
「……じゃあ、ちかは何してるんだ」
「雨取か? 防衛任務の前に射撃トレーニングを指示したが、今頃はトリオンが尽きて家に……どうした?」
身長が離れているので、俯く少女の脳天しか見えない。
だがいつもと様子が違うのは、長い付き合いなので察した。
しかも鉄を溶かしたような匂いが一瞬だけして、眉根を寄せる木崎。
「お前に、先に言っておくべきだった……」
秒数は長く、しかし口は小さく、額に手を当て息を吹く鮎。
呆れというより、(自分が)やってしまったという雰囲気で。
レイジを見上げた顔には、少なからず動揺の色が現れていて。
「ちかのトリオン量は、おそらく……にのみやさんより高いはずなんだ」
レプリカに駅で測ってもらった時から分かっていたはずなのに、師匠である彼にも伝え忘れていた。
トリオンの総量が多いからこそ、想定以上の結果になることを。
* * *
あれから三番トレーニングルームに駆け込んだレイジが見たものは、夥しい数の狙撃済みターゲットだった。
お昼休憩は取ったものの、朝からずっと撃ち続けて約八時間。
トリオン切れはなく、集中力も途切れず、結局午後九時ぐらいになるまで手を休めなかったらしい。
生まれ持ったトリオン量が多ければ多いほど、戦闘体の維持や攻撃手段の厚みなど、有利になる部分は多いだろう。
もちろんデメリットもある。実際近界民に狙われやすく、ボーダーができる前から千佳はトリオン兵に遭遇したりしていた。
現在、本部で一番のトリオン量はB級一位、二宮隊の隊長、二宮匡貴。
豊富なトリオン、精密なコントロールを活かし、射手一位の座にも君臨している。
そこまでとは言わないが、彼よりトリオンがあるのだから、これからの訓練次第で強力なチームメイトになるかも。
「……またか」
午後七時三十分、玉狛のリビングにて。
支部に戻ってすぐにカレーを作り始めたが、昼と同じくリビングでゆっくり食べる時間が惜しいとのこと。
なんとなく察してはいたが、少し晴れていた苛立ちが復活しそうになってくる。
だが結局それもお門違いだと結論づけ、今度こそ八人分+αぐらいの量を鍋で用意。
カセットコンロ、炊飯器、紙皿とプラスプーンも準備し、運ぶのは筋肉自慢の男に任せて自室に引っ込む。
「……やば……ねむ……――」
朝から働き詰めだったのが祟ったのか、寝転ぶだけで眠くなってきた。
仮眠をとる旨と、自分は先に帰ったことにしてくれと付け足してレイジに連絡し、目を閉じる。
それから三時間ほど、睡眠を取った。
因みに、陽太郎は既におやすみタイム。
午後十時二十一分、鮎の自室にて。
支部内がすっかり静かになってから、シルザードが目覚ましの音を出して起こしてくれた。
十時頃に送られてきていたトーク履歴を見ると、修達を木崎が、小南達を林藤が家に送って行くとのこと。
どうやらそんな時間までトレーニングを続けていたらしい。
千佳や桐絵から、カレー美味しかったという文面も届いており、思わず頬が緩む。
それぞれに返信をした後、リビングに向かった。
「ふぁ……まだ眠いな」
電気を付ける前に、カーテンを全て閉めてからキッチンへ。
余った分のカレーを適切なサイズの小鍋に移し替え、ご飯はタッパーに詰めて冷凍。
汚れた食器を含めて洗い物をしていると、入口のドアが開く。
「おかえりレイジ、りんどうさん」
「ただいま〜、アユ」
「ただいま」
未成年の隊員達を送ってきた、支部長とレイジが帰ってきた。
弁当美味かったぞ、と一言添えて、林藤は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
「もう御飯は食べたんだよな。酒飲むなら適当にアテでも作ろうか?」
「いや、風呂に入ったらすぐ寝る。流石に今日は疲れたからな……」
「……そうか」
いつもなら晩酌していることが多いが、コップを二つ用意した所を見ると、二人共飲酒はしないらしい。
レイジの返答に指が止まるが、すぐに持ち直す。
「そういや宇佐美に聞いたぞ。おまえの弟子、長時間トレーニングしてもトリオンが切れなかったそうだな」
「えぇ。アユが教えてくれなければ、最悪放置していたかもしれません」
「あぁそっか、アユはあの子の友達なんだっけな。元々知ってたのか?」
「……前に色々あって、その時にトリオン量が高い方だろうとは推測してたんです。予想以上だというのは最近知りましたけど」
自然と話題は、今日から特訓を開始した新人の話に。
中でも注目を浴びた、狙撃手ポジションの彼女。
出会った当初はただのクラスメイトだったが、ちょっとしたトリオン兵絡みの揉め事があったのだ。
親友になったのは、その事件からである。
いずれ、語ることになるだろう。
「へぇー……それって、おまえより高いのか?」
話は戻り、ボスは何の気なしにアユに聞いた。
ちょうど蛇口を捻ったタイミングで、今度こそ動きが固まる。
「……私のトリオン量は平均ぐらいですが?」
「またまた〜、俺らしか居ないんだからとぼけなくてもいいだろ〜?」
片方は瞼を下げて視線を合わせず、片方はおちゃらけた態度で会話が続く。
落ち着いた筋肉は静観しつつ、空気が澱んできたのを察知。
水を飲む量が無意識に増えている。
「ボーダー史上最大のトリオン保持者、カリューネアさんよ」
ぽちゃんと、水滴の落ちる音がリビングに響き渡った。
何故なら彼の発言に、肯定も否定もしなかったから。
これは、仮峰鮎が近界民だと知っている者のみでの周知。
詳細は省くが、数値としては軽く二桁はあるらしい。
「それは全盛期の……玄界に来て間もない時の記録でしょう。今は“減らしてる”んで、実質平均値です」
「真面目だなー、ネアさんは。本部に移って頭固くなった?」
とはいえ、ネアの資料はランク戦に必要ないけれど、調べれば閲覧できる。
普通の隊員と比べれば伏せられている部分が圧倒的に多いが、トリオンのパラメーターに関しても話題になったことはない。
方法は割愛するが、理由があっての処置である。
性格の問題と分かっているものの、少々煽る返しをされて眉間が寄るアユ。
目上の人間には低姿勢な彼女が、あからさまな拒否反応を見せたのだ。
拭いた食器を重ねる度に擦れる音が、耳障りになるくらいなのが証拠。
一触即発の事態かと一汗かき始めた所に、突然ドアが開く。
「支部長、あんまりアユちゃんをイジメないでくれる? でないとおれが怒るよ」
入ってきたのは、自称実力派エリートの迅。
挨拶をすっ飛ばして、喋りながらもキッチンへ真っ直ぐ向かう。
固まっているのを他所に、少女の肩へ優しく手を乗せた。
口元は笑っている、けれど目は笑っていない。
個人的には見たことがなく、呆然としてしまうアユ。
「トリオン量をいじってるのは、余計な混乱を招かないためだって知ってるくせに。今度の御飯減らされてもおれ知らないからね」
「げっ、それは困るな〜! 悪い悪い、冗談が過ぎたわ」
林藤の快活な笑いで、重い空気は破られる。
冗談という言葉が聞こえて我に返った彼女は、まず自分に触れている部分をぺいっと跳ね除けた。
「……いえ、実際私が隠している所為で、あの子のトリオン量が今後注目を浴びることになるはずです。だったらせめて、ちか達のために何か出来ればって思ってるのに……結局私は、何もできてない」
気持ちは落ち着いてきたものの、巡り巡って親友の足枷になるのがずっと引っ掛かっていた。
誰かに相談するたまでもなく、本人に言える訳もなく、心に燻っていて。
冷静な印象の彼女にしては、弱々しい姿だった。
「何もできていないなんて事はないと思うぞ、アユ」
だからといって、彼らが失望するわけがない。
そう代表するかのように、水を飲み干したレイジが静寂を変える。
「車で話をした時に、雨取が言っていた。いつも自分を助けてくれる親友に、恩返しがしたいと。強くなって、今度は自分がアユを守りたいってな」
「……ちか、が?」
先程家に送る途中、仮峰のことをどう思っているのか、(表面上は他人として)聞いてみたのだ。
あまりに二人の性格が違うし、もしかしたら無理をしているのではないかと。
しかし、心配は無用だった。
お互い大切に思っているし、感謝しているし、何より仲が良いのが見てとれる。
なので彼は師匠として、前向きに励ましておいた。
ふと、数時間前に届いていたトーク内容を思い出す。
カレーの感想以外に、わたし、頑張るから、という文面もあったことを。
「レイジさんの言う通りだよ。今日の手伝いだって充分助かってるだろうし、それに千佳ちゃんが入隊したら、同じ隊員としてサポートできる機会が増えるはず」
ハッとして、まだ隣にいる迅を見上げる彼女。
入る前のことばかりで、入った後のことは完全に盲点だったのだ。
「だから大丈夫だよ、アユちゃん。おれ達もいるから」
自分に向けられた彼の表情は、いつもの作り笑いではなくて。
慈しみを感じる、優しい微笑みだった。
思わずどきっとした胸に手を当て首を傾げるが、林藤や木崎も同じく笑みを浮かべている。
「……そうだな。ありがとう、みんな」
これは仲間がくれる温かさからだと自己完結し、自然と口元が綻ぶ。
どうやらやっと、本調子を取り戻したようだ。
「あ、遅くなったけどアユちゃんただいま! お腹空いた〜、カレー残してくれてる!?」
「おかえり、じん。今温め直すから待ってろ」
コンロのノブを回し、中火くらいに調節する。
焦げ付かないようかき混ぜると、独特の食欲を唆る香りがリビングに広がった。
「あー、腹減ってきたなー……アユ、俺にもくれー」
「じゃあ俺も」
「え、さっきも食べたんじゃ?」
すんすんと鼻を鳴らし、お腹をさする支部長に続いて、右手を挙げて賛同した第一隊長。
よく食うなコイツら……と心中呆れながらも、不快な気分には一切ならなかった。
――こうして、一日お手伝いは幕を閉じた。
次の幕開けは、決戦前の下準備。
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