Crerk.2【2度目の水辺:前編】
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「なんだ……何なんだよこれはっ!?」
次に目を開けた瞬間、彼女の視界に視えたものは。
叫び声の本人でも、夢の一端でもない。
膨大な情報が頭に叩き込まれる“映像”だった。
「おかしくなる……誰か、助けてくれ――」
人が生まれいずる原理。細胞の構成。
綴られた長い歴史。仲間の姿がある自分の記憶。
既に脳はキャパオーバー。
そして指先から、髪から、頬から、絡みつく黒が触れた所から分解されていく、自らの肉体。
痛みは感じないのに、恐怖と止まらない映像から逃れたくて、目前に見える光の先へ、消えかけた手を伸ばした。
「うわっ!」
すると、景色が切り替わり、突然の空虚。
バランスを崩して、倒れてしまった。
「いっ痛ぅ……今度は何処だ、ここ」
顔からコケたので、ヒリヒリする鼻を押さえながら辺りを見回す。
同時に手の感覚があって、バラバラになったはずの四肢を慌てて視界に入れるが、さっきのがまるで嘘かのように、何ともない。
幻覚か? と疑いつつ、改めて他を見る。
何もかもが真っ白。
唯一色が付いているのは、自分の身体と、背後の黒い扉。
つい最近見たことがあるような、デジャヴを感じる。
「よぉ」
様々な疑問が浮かぶ中、声を掛けられる。
何人も重なっている様な、なんとなく自分と似ている声も混ざっているような。
恐る恐る、その方向へ視線を向けた。
「……何だ、お前は」
予想通りというか、慣れているというか。
輪郭が人の形をしている、透明な存在が声の主で。
正直初めてじゃないので、あまり驚かない。
「いきなり何とは失礼だな。ま、どうみても人間じゃないから仕方ないか」
明らかに怪しい。じとっ、と疑いの眼差しを向けるマリ。
「わたしはおまえ達が世界と呼ぶ存在。あるいは宇宙、あるいは神、あるいは真理、あるいは全、あるいは一。そして、わたしはおまえだ」
向かい合う彼女を指差し、透明人間は言い切った。
自分のことを、神とも述べたのだから。
「……言っている意味が理解出来ないな」
「別に問題ないさ、わたしとしてはどうでもいいし」
自身は神ではないのに、どちらもそうだと言われれば、理解の範疇を超えている。
いや、予想は出来るが、信じられないのもひとつ。
そんなものが、今目の前にいるなどと。
考えるだけ無駄だと思い、追求をやめた。
「にしてもまさか、向こう側から来るもの好きな奴がいるとは思わなかったよ。帰れる保証は無いのに」
「何を言って……」
しかし、更に聞き捨てならない言葉を零した相手。
辛うじて見える口は、弧を描いて。
ふと、後ろへ振り向く。
「扉が、変わってる?」
コナル・クルハで開いてしまった扉。
所謂セフィロトの樹が彫られているものなのだが、そのレリーフがどう見ても違う。
先程は見逃したが、今ここにあるものは、自分にとって馴染み深いクリスタルの彫刻が根元の下にある。
しかも、セルキーとクラヴァットの紋章を添えて。
「そりゃそうだ、それは“おまえの”だからな」
「一体どういう事だ、知ってるなら説明しろ!」
「それは出来ないな、何せ通行料が足りん」
通行料? とまた訳の分からない事を言い出す透明人間に、疑問を投げかけたのが最後。
「うっ……あ、っ!?」
突然、心臓の鼓動が強くなる。
痛い程の速さで、胸を押さえて蹲ってしまうくらいに。
同時に身体から何かが抜けていく感覚。
寄生虫に蝕まれているようにも感じる。
身に起こった異変に、脂汗が頬を伝って落ちた。
「おまえの場合少し特殊だが、払わなきゃいけないものは払ってもらう。それが、等価交換だろ? クリスタルの元錬金術師」
「なん、だっ、と……」
やっと顔を上げれた彼女が見たのは、自分から溢れる黒い粉のようなもの。
掌から、腕から、とめどなく外に出る。
体力も一緒に消えているのか、既に立ち上がることが出来ない。
それだけでは留まらず、視界に入ってしまった。
長い髪からも粉が出て、毛先の茶色が抜けているのを。
「じゃあな。新しい世界で、精々生き延びろ。荷物とかは一緒に置いといてやるから」
「ま、て……っ――」
これはなんだ。等価交換とはどういう事だ。
新しい世界とはいったい。私の色を返せ。
全て問い質したいのに、手は届かない。
細かい黒が、“アイツ”に吸い込まれているのを最後に見て、意識を飛ばした。
*