第一章「オッド」

第三話 

──────────────────

「……大丈夫なの、二人だけで行かせて。」

バタバタと忙しなく理紅りく氷緑ひのりを見送った香深かふかの背後で、そっと扉が一つ開く。

しかし、声色からは決して心配しているとは思えない、彼女らしい淡々とした調子の問いかけに、香深はふっと微笑する。

「大丈夫。少なくとも数分話をしただけで決定出来たわけだし、大きな問題にはならないと思うよ。」

「……ふぅん」

「あはは、興味無さそうな反応だね。」

「うん…だってたいして興味は……無いし。」

「そんな事言って、皆気づけばきっと彼に絆される事になるんだから。」

「えー、期待できない。」

「どうかな。何せ彼は、僕らの止まったままの時計を動かしに来てくれたようなもの、だからね。」

「……人1人増えたくらいで、そんなに上手くいくとは思えないけど。」

「もちろん……彼は解決をしてくれるわけじゃないよ。あくまでゼンマイを巻き直してくれるだけだからね。動くための歯車が揃っているかどうかは、僕達次第だ。」

そう楽しそうに例え話をする香深とは反対に、扉から除く顔は嫌そうに歪んだ。

「……香深、お節介だね。」

「ふふっ、お節介ね。…残念だけど、僕は皆が大切で仕方がないみたいだ。」

笑みを浮かべる香深は穏やかな顔でそう謳う。

「でもそれ……本人に変わる意思がないなら、意味無いと思うけど。」

それでもやはり素っ気なく返ってきた言葉に、再びふっと柔らかく笑う。

「まぁこれで何か問題があれば、また策を考えるよ。」

「……そうね」

それを皮切りにパタリと扉が閉まる音が聞こえ、香深は自分もまた書類仕事に戻ろうとリビングの方へ振り返りながら、ぐい〜っと両手を上に伸ばした。

そしてふぅと脱力し、今しがた見送った彼らの後ろ姿を思い浮かべる。

──二人は、きっと最高のバディになるよ。

ポツリと呟かれた香深の言葉が、誰もいない廊下に静かに溶けて消えた。


────────────────────


時刻は16:40。
やっとの思いで入寮して早々、バディとなった氷緑と二人で任務へと追い出された状況整理の為俺はしばらくポカンとしながら棒立ちしていたが、バサバサと鳥の飛び立つ音でやっと我に返り、何か行動しなければこのまま日が暮れてしまう…!!と、出掛けに騒がしくもとりあえず渡されていた折りたたんである紙を開いた。

『牛乳2パック、牛肉1.5kg、白菜、豆腐』

「………………………………なんだこれ。」

読んでみたが、意味が分からなすぎて思わず声が出た。
困惑していると、隣からも突然小さくチッと音が聞こえてきた。……え、舌打ち?
別人かとも思ったが、隣に立っているのは眠そうな顔をしていた氷緑の他にいない。
初めて出てきた表情という表情があまりに強烈で驚き、ついそちらをバッと振り向く。
その視線に気がついた氷緑は、同じように渡された紙から顔を上げ、

「……はい」

先程の舌打ち音は幻聴だったのかと疑う程、全くの無表情でこちらに紙を見せてくれた。見ればそこにも玉子やらポテチやら……俺の物とは少し内容が違うが、いかにもな買い物のリストが並んでいる。

「…えーっとこれって、暗号か何か?」

もしかしたらここから解読しなきゃいけないタイプなのか。と思い立ち、一応確認をとる。
しかし氷緑は、とてもけだるそうに少し首を傾げた。

「ただの買い出し班だよ、俺たち。」

あーーーーなるほど?
俺もようやく理解したくなかった意味を少し理解し、そういえば。と紙と一緒に渡された高価そうな巾着袋の中身を開くと、案の定"お金"と呼べる紙が何枚か入っていた。
まぁなんでわざわざこんな高そうな巾着袋に入れて渡したのかは意味不明だが、お金が入っているということは、つまり、そう言う事だろう。

俺たちは任務と称して買い物を押し付けられたのだ。

初めて任された仕事が夕飯の買い出しという事実に、一気に気が抜けてはぁ…とため息が出る。
何だかしてやられた気持ちになって、2人黙って棒立ちしていたが、ついに諦観したような氷緑がこちらに問いかけてきた。

「…ねぇ、ここから能力で下まで降りれる?」

突然能力と言う単語を聞き、俺はビクッと肩を揺らす。
そしてちょっと言葉に詰まりつつ口を開く。

「俺……実はまだ自分家で3回…くらいしか能力使った事ないから、なんて言うか……この高さを一気に降りれるかは分からない。」

俺の言葉に氷緑は言葉なく数度瞬き、また少しの間沈黙が空を舞った。

「…い、言いづらかったんだけど、俺13の時に能力発現させてからここ3年ほとんど…いや、ほぼ全く能力開放してなかったっていうか…隠して生活してたから、あんまり使い方分からないっていうか……わ、悪い。」

理由を説明しようと思ったが、なんて言えば良いか分からなくなってきてしりすぼみに目をそらす。

「……──入団か…」

黙っていた氷緑が何かを小さく呟いた。

「何入団?」

顔を上げ聞き取れなかった言葉を聞き返すと、下に向いていた凪いだ視線がこちらへ戻ってきた。

「……いや、なんでもない。早く行こう。」

俺の能力についてはもういいらしい。
そう言った氷緑は、歩き出して俺の横をすり抜けた。
登って来た時の階段の辛さを、嫌でも思い出す。
ただでさえ30分程かかった階段だ……"普通に"降りたら時間かかるよな。
氷緑はめんどくさそうな様子が滲み出たままだるそうに歩いている。

「……」

何となく申し訳なさを引きずったまま俺も後に続いた。

つい先程通ったルートをこんなにすぐ引き返すとは思わなかったが、戻ってみると呆気なく古びた神社が再び姿を現した。
奮闘した階段は、やはりいかにも永続的に続いていたが、上から見下ろすと下から見た時よりも割とはっきりと情景が見え、僅かに鳥居の上の部分がちらついていた。

すると、先に着いてじっと動かずに階段下を眺めていた氷緑が、俺が到着したのを感じ取ったのかそっと口を開いた。

「あのさ…………やっぱり使ってみてよ。跳躍。」

「…………え?!」

突如出された提案に、バッと氷緑の方を見る。
氷緑は変わらぬ表情で静かに下を見つめている。

「い、いやでも、俺こんな高いとこから能力使って降りた事ないし、着地とかちゃんと出来る保証全くないからな?!」

「……着地は俺がどうとでもできる。ここ人目ないし広いし、知らない能力計るには丁度いいでしょ。」

「まぁそれは……確かにそうだけど……」

大真面目に話す氷緑にしどろもどろになる。
そして、人目は無いけど……とか何とか俺がうじうじとしていれば、痺れを切らしたのか氷緑がふと俺の手を引いて何故か階段を背にして歩き出した。

「お、おい?」

唐突に手を引かれたまま俺は慌てる。
どんどん遠のく階段を後ろ目に、一体何をしようとしてるのか不安になっていくが、俺の握られた手首はビクともしない。

……こいつ、こんな見た目しながらめっちゃ握力あるな。

そして、ある程度離れた所でくるっと階段の方に向き直ると、氷緑は静かに俺に忠告した。

「……飛ぶ瞬間意識しといて。」

「はぁ?」

気の抜けた俺の返事なんか全く意に介さず、途端に彼は俺の手を引いたままものすごいスピードで駆け出した。

「ぉおわぁぁぁぁあ!!?!」

俺の手を掴みながらビュンっとあまりのスピードで走り出した氷緑に足が絡まりそうになりながら、迫り来る階段が視界に入りさっき言われた事をはっと思い出す。

……飛ぶ瞬間意識、飛ぶ瞬間意識、飛ぶ瞬間…

すると、徐々に理紅の瞳が淡く光りだした。

──どうか落ちませんように……!!

そしてついに、スピードに任せて二人は階段を蹴りあげた。
3/10ページ
スキ