第二章「ランク戦」

第十一話
「……ん?…」

チュンチュンと鳥のさえずりが聞こえて目を覚ます。
あれ、俺寝てた…?
昨夜は身体中酷い鈍痛に襲われていた気がするが、朧気な記憶に頭を巡らせる。
そう言えば、鈴に看病してもらったんだっけ。
昨日の事が嘘のように体は軽く、恐ろしいくらい快調な目覚めである。
しばらく自宅とは違った、木目のある天井を見つめる。

ふと時計を見ようと殺風景な部屋を見渡してみるも、そういえば無いんだったと思い出して一度2段ベッドを降りる。
窓もカーテンが無いので、さわさわと揺れる木の間から部屋に直接光が入ってきている。
…まあ隣人とかいないからそれでも問題はないのか。

下のベッドには、氷緑ひのりがこちらに背を向けて静かに寝ていた。
時間が知りたくて自分の携帯を探すも、昨日何もせず寝たから充電が切れているようだ。
猛烈な喉の乾きもあるし仕方ない、起こさないように静かに着替え、俺は部屋を出た。

「おおお……!!」

夕方から夜にかけて見た景色とはまた全然違う寮の姿に、俺は思わず感嘆の声を漏らす。
窓から除く太陽の光が、ふきぬけの木造の壁や天井を心地よく照らしていて、柵から下へ覗くリビングは透明感のある空気に包まれている。
ここだけマイナスイオンを感じるような、気持ち良い朝だ。

螺旋階段を挟んで俺らの隣の部屋には洗濯室があるらしく、既に誰か起きているのかゴウンゴウンと洗濯機の動く音が控えめに聞こえてくる。リビングから吹き抜けの2階にまで見えるよう大きく作られた古時計に目を向ければ、針は6時前を指していた。

えぇ、朝、早。
旅行の時くらいしかこんな早く起きた事ないぞ。

そんな事を思いながら、ふわぁと大きな欠伸をひとつ零す。
ちなみに、特に8番隊は学生しかいないと言う若者集団の為任務は基本夜に行っているそうで、出張などない限り日中の行動はほぼ自由に等しいらしい。
つまり休みの日は寝放題って訳だ。
だから今は春休みだし、折角ならガッツリゆっくり寝てようとか思ってたのに。
……なんでかこんな朝早くから気持ち良く目覚めちゃったよな。

まあとりあえず飲み物…と、2度寝を考えつつもリビングへ向かう。
誰かと会うんじゃないかとちょっと挨拶に意気込んだが、こんな早朝に誰かとすれ違うことも無く。
意気込みに反して呆気なくリビングに着いてしまい、ちょっと拍子抜けしながら、ガチャリと扉を開けた。

「……やっぱ誰も居ねぇか。」

小さくそう呟いて、水、水……とぼーっとしながらキッチンへ向かう。
しかし、部屋戻ったら二度寝しようとか呑気に考えながら油断していたら、こっちに先客がいた。
ちょっとふわふわしてただけあって、俺はここで完全に覚醒した。……もう二度寝は無理だな。
キッチンにいたのは、昨日のインパクトの強い美女達とは群れず、少し人離れたところで先に席へ着いていた女の子だった。

「お、おはよう。」

引き返すのも変なので俺がおずおずと挨拶すると、何か作っているような彼女はちらりとこちらを見た。
昨夜伊桜莉いおりと名乗っていたこの人は、おっとりとした二重目と肩くらいで切りそろえられた琥珀色の髪が印象的で、外見が派手な印象の美桜達に比べるとふわっとした柔らかい雰囲気の子だ。
昨日は、話し出した声が意外とハスキーで驚いた上話し方から滲み出る怠惰な雰囲気も相まって、そういや名前も似てるなと思わず隣に座っていた氷緑に「兄妹なのか?」とこっそり聞いてみたらめちゃくちゃ嫌な顔されたので、彼女の事は割と印象強く残っていた。
そして、その時さらに隣に座っていた金髪青眼の知逢ちかが、「伊桜莉は俺らと同じ歳だし美桜みおの妹だよ。」と教えてくれた。
どうやらここには、同じ歳のやつが多いらしい。

そんな伊桜莉からは、おはよ。と素っ気なく返事が返って来た。
俺は邪魔にならないよう静かに台所に並んだコップを一つ手に取って、昨日冷蔵庫から出して自由に飲んでいいよと言われたお茶を取り出す。

「…何か作ってるの?」

黙ったままなのも何となく気まずくて、俺から質問を投げかけると、再び淡々と「サンドイッチ。」と応えが返ってきたので、いいねと俺が在り来りすぎる返事をすれば、

「体調は?」

と、意外にも向こうから質問が返ってきた。

「あ、ああ。めっちゃ快調…昨夜は騒がせて悪かったな。」

どうやらひの君と違ってちゃんと会話してくれるみたいなので、俺も緊張が薄れコップに注いだお茶をごくごくと飲み干した。

「いや、普通に香深かふかと氷緑が悪いと思うけど…たまたますずがいて良かったね。」

サンドイッチが出来たのか、伊桜莉はそう言うと丸いお皿を取り出した。あ、その皿、パン祭りのやつ。
どこから自分で作ってるのかは分からないが、こんがり焼けたパンに卵やら野菜、ベーコンなどが挟んである。どうやらキッチンに入ってからいい匂いがしていたのは、ベーコンを焼いた匂いだったようだ。
家庭的な朝サンドイッチを横目に、俺は使ったコップを洗い始める。

「鈴さんがいたのはたまたまなのか?」

「うん。昨日たまたま用事で来てて、夕飯が寿司って聞いたらそのまま夜まで居座ってた。」

「ほぉ。なるほどねぇ…」

たまたま居座っていたにしては、めちゃめちゃ新入りの俺で楽しんでたような。
まあ何にせよあの痛みが長引かずに済んだんだから、偶然居合わせてたんならラッキーだった。

「……食べたいの?」

「何が??」

顔を上げてそう言うと、「これ。」と伊桜莉がサンドイッチを指さした。
俺も視線も自然とそこへ向く。
唐突な変化球で思考に飛んでいた俺は、ハッと我に返った。

「……え?!」

「違うの?めっちゃ見てるからお腹すいてるのかと思ったんだけど。」

ボッと羞恥で顔が熱くなったのをかんじた。
そういや俺って顔に出るタイプだから、めっちゃ美味そうだなと思ってたら、つい目で追ってしまっていたらしい。

「……や、ごめん、美味しそうで無意識にめっちゃ見てたかも。」

「別にいいけど。……手の込んだやつじゃ無くてもいいならこれ、分けるよ。」

「え、まじで?」

目を白黒させていると、あっという間に「はい。」と切り分けられたサンドイッチが乗った皿を渡される。

「ありがとう。」

昨日は寿司でお米をいっぱい食べたからか、野菜とかパンとか洋風な朝って感じの朝食が、更に食欲をそそってくる。
折角なら温かいうちに食べようと、そのまま伊桜莉の後に続いてキッチンからダイニングテーブルへと移動し、椅子に腰かける。
早速いただきますと手を合わせて、一口かぷりと頬張った。

「……うまぁ〜〜〜〜」

取り分け普通のサンドイッチだろうが、空腹の腹にはめちゃめちゃ染みる。

「……そう?別に一般的なやつだけど。」

正面に座った伊桜莉が、不思議そうに首を傾げた。
そして彼女も、淡々と片手でサンドイッチを食べ始めながら、空いた手で卓上に置いてあったリモコンを持ち、壁に付いたでっかいテレビに向かってポチッとボタンを押した。
回していくチャンネルは、どれもニュースしかやってない。

「ゴクッ……ところで、伊桜莉ちゃんはいつもこんな早いの?」

何か観たい番組があるのか、彼女はチャンネルを回し続けている。

「いや、今日だけ。珍しく目覚めたら寝れなくなった。」

「あー、分かる、俺も。」

そして一通り回した彼女は、「この時間ニュースしかないじゃん。」と文句を言いながら再びテレビを消してしまった。

「何か観たいのがあったのか?」

「…………ニュース以外。」

すると、ガチャリとリビングのドアの開く音が聞こえた。

「おはよう……って、早いわね?2人とも」

サンドイッチを咀嚼しながら振り返ると、とんでもない美女の華純かすみさんが籠いっぱいに積まれた洗濯物を持って、忙しそうに慌ただしく入って来た。
モゴモゴと同じように咀嚼しながら、伊桜莉もそちらを見る。

「もぐ…もはよ。今日何かあるの?」

伊桜莉に続いて俺もおはようございますと挨拶すると、天女のような微笑みが返ってきて、危うく倒れかけた。

「昨日飛鳥あすかさんから、香深君と一緒に本部で8時~の定期報告会に出席してくれって言われたのよ〜。」

言いながらガラガラと庭へ続くドアを開ける音に次いで、バサバサと洗濯物の音が聞こえてくる。
入ってきた時は洗濯物で見えなかったが、よく見れば華純の服は軍服みたいにものすごくかっちりしていた。

……その格好で洗濯物干すの、ちょっとミスマッチでおもろい。

俺は会議とかよく分からんので、2人の話を聞きながら無言でサンドイッチを頬張る。

「会議、朝はや。」

「本当にね〜!なんでも、3番隊の人が午前中に日本を発つことになったらしくって!」

「あー…3番隊がいるの。」

「……荒れそうよね。」

3番隊ってやばいのか。とか思いながら会話を盗み聞きしていると、「おはよ〜」と華純と同じように軍服ぽい服を身にまとった香深がリビングに現れた。
伊桜莉と二人だったさっきの静かな時間とは一変、リビングが途端に活気づいていく。

「あれ、理紅りくも伊桜莉も早いね。あ、華純!報告書は僕が持ったよ。」

おっけ〜と庭の方から大きく声が返って来る。
そして香深はソファに荷物を置くと、キッチンでお湯を沸かし始めた。

「そうだ理紅!体調は平気?昨日は無理に能力使わせちゃって本当にごめんね…。」

キッチンからダイニングへの壁は、食事を手渡し出来るようにする為か大きくくり抜かれていて、香深が身を乗り出しながら申し訳なさそうにこちらを伺ってくれる。

「いやいや、俺の能力値の問題だから香深が謝ることじゃねぇよ、むしろ騒がせて悪かったくらいだし…てか、鈴さんのお陰でむしろ前より元気になったかも!」

俺はそう応え、片腕で力こぶを作るポーズをとった。
身を乗り出していた香深は良かった……と心底安心したようにフゥーと胸を撫下ろして、元の体勢に戻っていった。

「ところで、今日って任務とかある?」

昨日は今日の予定とか全然聞かないまま寝てしまったので聞いてみると、意外にも香深はうーんと首を捻った。

「理紅は今日1日、特に何も予定入ってない?」

そう聞かれ、特に何も無いので俺はコクコクと頷く。

「それなら、誰かに訓練場案内して貰うとかはどうだろう。これから頻繁に使う事になるだろうし。誰か暇な人いないかなぁ……」

香深がそう手を打ちながら、キッチンの横にかかっていた予定ボードを眺める。
すると、サンドイッチを食べ終え指をペロリとひと舐めした伊桜莉が、ゆったりとした調子で声を上げた。

「あー、多分知逢ちかは1日空いてると思う。どうせ行くんだろうし同行させてもらえば?」

ああ、あのハーフの少年!

「ふーむ……」

「?」

一瞬悩んだ香深の目に、不安げな色が写った気がしたが気の所為だったのかすぐに元の表情に戻り、彼は笑顔を見せて賛同した。

「うん、いいね!じゃあ一応僕からもお願いしとくけど、理紅からも後で声掛けてみて。」

「お、おう。ありがとう」

あの一瞬の表情はなんだったんだろう。

「はぁ間に合った〜!」

そんな疑問もよぎったが、丁度洗濯物を干し終えた華純が戻ってきた事で、直ぐに霧散してしまった。

「いつもありがとうね、華純。」

「気にしないで。私がしたくてやってる事だもの。」

香深の言葉にそう言いながらパッパッと軽く服を払う彼女の姿は、初対面の時の汚いものに一切触れてなさそうなお嬢様な雰囲気とは違い、少しだけ母親を連想させた。

「……さ、行きましょうか。」

しかし、バサッとその上にマントを羽織るとすぐさま母親から軍師になり、キッチンから出てきた香深と並ぶ姿は、何だかとても様になっていてかっこいい。

「了解。じゃあ2人とも、行ってくるね。」

同じようにマントを羽織り、深めに帽子を被った香深が華麗な仕草でこちらに一礼する。
伊桜莉と行ってらっしゃいと手を振ると、踵を返して二人は颯爽とリビングを出て行った。

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