第一章「オッド」

第九話
「…二人部屋?」

香深かふかに連れられ2階に上がり「ここが新しい部屋ね!」と言われた部屋の前。
木製のお洒落な扉には可愛いプレートがかかっていた。

『ヒノリとリクのおへや』

とポップな感じに書かれているそれは、明らかに2人の部屋だと主張している。

「あ、言ってなかったか、ごめんね。…部屋数の問題で氷緑ひのりと同室なんだよね。部屋の希望は特に聞いてなかったから……」

大丈夫かな?と香深がこちらを伺ってくれる。
しかし俺は、そのプレートを見ながらしばし固まった。

……勝手に一人部屋だと思ってた──!

そんな気持ちで凝視していると、心配そうな「理紅りく……?」という香深の声がかかり、俺は慌てて手を横に振る。

「いや、悪い、勝手に一人部屋だと思っててちょっと驚いちゃった。俺は二人部屋でも全然平気だよ!……何なら既にちょっと知ってる人だしそんなに緊張しなくてすむしな。」

心配そうにこちらの様子を伺う香深を安心させる為に俺はニコりと微笑んでそう応えるが。
……正直、不安一杯だ。

氷緑と仲良く私生活を送る俺。

……全く想像出来ない。
しかし、俺の口から出た事を疑うことの無い香深は、俺の返事を聞き、良かったと胸を撫で下ろしている。

「……中、入ってもいいか?」

「もちろん。君の部屋だ。」

穏やかに香深はそういうと、部屋の前から少しズレてどうぞと促してくれた。
一呼吸置いてドアを開けてみる。

「……!!」

美。という感情はこうやって生まれんだな。

そう思う程、室内に置かれた物全て上品で、木造のお陰かよく想像しうる大正ロマンの雰囲気が、品良く醸し出されている。
正面の窓がとにかくでかくて長いのと、端に置かれた机と2段ベッドが学生寮っぽい。

「多分、上の段が理紅になると思う。」

ベッドを見ていた俺の後ろからそう声がかかる。
ついさっきまでの氷緑との相部屋への不安感は何処へやら、俺が目を輝かせながら内装を堪能していると、「荷物はここに置いてあるよ。」と香深がクローゼットをトントンとノックした。
確認しようと振り返ってみれば、両開きのクローゼットもごげ茶色でなんだかお洒落な雰囲気である。

「何か、すげぇ!」

異国感のある雰囲気についテンションが上がった俺を、香深は楽しそうに眺めた。

「フフッ気に入って貰えたようで良かった。ちなみにそっちの扉の先にはトイレと、軽く汗を流せる程度のシャワー室もあるから後で確認してみてね。荷物とかは適当に空いてる所使って大丈夫だと思う。
それと、僕はこの後報告書をまとめなきゃいけないから共同スペースに戻るけど、理紅も疲れただろうし夕飯までゆっくりしてて貰っていいよ。」

「わかった。ちなみに、夕飯って何時頃なんだ?」

そう言いながら俺が携帯の画面を確認すると、画面の数字は19時30分を回っていた。
夕飯の事を考えたら、急に空腹を感じてきたな。

「えっとね、今日は飛鳥あすかさんが奮発してお寿司買ってきてくれるから……ちょっと遅いけど20時半くらいかなぁ。必要であればまた呼びに来るよ。」

「寿司……………!?!!!!」

お寿司と聞いた途端目を輝かせた俺に、香深がクスッと笑った。

「フフッ喜んでくれて良かったよ。他には何か質問ある?」

「いや、多分な……あ、ひのくんはいつ戻ってくるとか分かる?」

「んーそうだな、今オッドピッドの解析頼んでくれてると思うから、まだしばらく帰って来ないかも。」

「何か用事?」と最後に聞かれ、俺は緩く首を振る。

「や、特に何もない、じゃ夕飯まで休んどくわ。ありがとうな、香深。」

俺がそう返せば、香深はニコりと上品に微笑んで、それじゃまた後でと一言残し部屋を出て行った。

「…………ふぅ〜…」

誰もいなくなり、1人になった俺は張り詰めていた緊張が溶け、深いため息を吐きながらフローリングに大の字に寝転ぶ。

「やっぱ変だよなぁ。」

寝転びながら改めて部屋を見渡せば、部屋に入ってから感じている違和感があった。

……この部屋には、生活感が殆ど無いのだ。

ここまで移動してくる時、元々氷緑が1人で使っていた部屋に机やらを付け足したと香深が説明してくれたから、もっと活気があっても良いようなものだがここの部屋にはまるで物が無く、一見するとよく整備された真新しい部屋のようだ。

特に違和感だったのが、部屋のどこを見渡しても時間や日付を表すようなものが一つも置かれて無い。

いや、まぁ物をあまり置かないタイプの人もいるんだろうけど。
でも、そういうのとはまた違った…ここだけ存在を消したような……なんだか寂しい雰囲気がする。

皆そんなもんなのかなとか、しばらくそんな事を考えていると、1日の疲れが出たのか俺は急に眠くなってきた。

「夕飯まで寝るか……」

そう、うとうとと木製の天井を見ながらぼーっとし始めた頃、


────・・・ドクン


突然、激しい動悸が自身を襲った。

「ぐっ…」

咄嗟に胸を抑えてうずくまる。

なんだ……?

朦朧とする意識の中理紅は、はぁっはぁっと必死に呼吸を繰り返す。

どんどん激しくなっていく動悸に焦りが止まらない。

────カチッ、カチッ、カチッ、カチッ

秒針………?なんだ?
頭が、割れる…

ガンガンと激しく打ち付ける頭痛と、一気に熱くなっていく体内。脳内には秒針を刻む音が段々と迫ってくる奇妙な感覚。
俺は無意識のうち、首に掛かっているネックレスへ震える手を伸ばしぎゅっと握りしめる。

────カチッ…カチッ……

すると、ドクドクと激しく鳴り響いていた動悸がネックレスに吸い取られるかのように、スーッと引いていく。

「っ……はぁっ…はぁ…」

浅かった呼吸も徐々に正常に戻っていき、聞こえていた秒針のような音ももうなくなっていた。

「…………なに…………」

一体なんだったんだと思うより先に力尽きた俺は、そこでパタリと意識を手放した。


『…く…りく………おーい…』

なんか……呼ばれてる…?
ぼんやりと聞こえてくる声を段々と理解しながら、ふっと意識が覚醒する。
木製の見慣れない天井が目に入って、何かが自分の体を優しく揺すっているのを感じる。

「……っ!!」

はっきりしてきた記憶の中で、寝ていた所が家では無い事を明確に認識した俺は、がばっと起き上がった。

「いっ!!」

急に体を起こしたからか、意識を手放す直前に襲っていた痛みの名残っぽいのがズキッと頭に走った。

「?……調子悪いの?」

こめかみを抑えていると、抑揚の無い声が降ってきた。
ゆっくりとその声の主の方を見上げると、眉をひそめる氷緑が立ったままこちらを見下ろしていた。

「あぁ…ごめん、大丈夫。」

呆然と氷緑を見つめながら呟く。

……あれ俺、あのまま寝ちゃってたのか?

状況を把握すると同時に俺は一体どのくらい寝ていたのか心配になってくる。

「今何時だ?」

今の時刻を問えば、氷緑は携帯を取り出した。
21時過ぎと端的な返事が返って来る。

「……え?!遅刻じゃん!」

言われた言葉を飲み込んで、俺の脳内が完全に覚醒した。
確か夕飯は20時半頃って言ってた。

「……飛鳥さん今来た所だから、夕飯これからだよ。」

慌て始めた俺を冷めた目が眺めている。

「…………。」

夕飯まだならまだって早く言って欲しい。

俺はそんな氷緑の態度に、嫌でも落ち着きを取り戻した。
チベットスナギツネみたいにスっとした目をしていると、俺の片手で握りしめるネックレスを一瞥した氷緑が、少しかがんで俺の腕を軽く引っ張った。

「行くよ。皆待ってる。」

「……お、おう。」

思ったよりグイッと、割と性急に促されたので、されるがまま寝起きで重い体を叱咤し俺も立ち上がった。
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