第一章「オッド」

第六話 
18:15。
日が落ちると商店街の人も大分疎らになっており、GPSの印も商店街のある一点から殆ど移動していなくなっていた。

フードを被っているターゲットは、やはり何かを探しているようで、先程から地面の方をキョロキョロとしている。

「…で、どうするんだ?」

場所を移し、再び商店街の路地裏から様子を伺う俺は尋ねる。
先刻とは打って変わって今度は食い入るようにターゲットを凝視している氷緑ひのりは、しばらくするとこちらに手を差し出した。

「…さっきのピアス、貸して。」

「あ、ああ、これね、はい。」

戸惑いながらもその手に赤紫色に輝いたピアスをのせる。

「これ、どうするんだ?」

それに、俺は一体どう立ち回ればいいんだろうか。
氷緑はピアスを持ったままの手を握りこみ、俯いたまま口を開く。

「…今からこの落し物を拾ったフリをする。」

「……………………はい?」

「………君はあいつが行く先を追って、先回りして対象を捕まえる。わかった?」

俺は何も分からんくて、目をパチクリさせた。
作戦を教えてくれたのは分かったけど、どうしてそうなったのか謎すぎる。
俺は、遠慮がちに首を傾げる。

「すみません、もうちょい詳しく。」

「……」

間が空いて、氷緑は少し苛立たしげにふぅと小さくため息を吐いた。
そして、言いたくなさそうに早口で話し出した。

「……あいつが探してるのは多分このピアス。片耳に同じのをつけてる。恐らく普段盗みを働く時はこの辺の建物の屋上から引力系の能力を使って瞬時に引っ張ってる。」

「……なんで?」

このなんで?は、もう俺にもよく分からない。
色んな意味を含めて絞り出した、なんで?である。

「盗まれる時、持ってた巾着が急に消えたように見えた事と、人の多い商店街の売り場から誰にもバレずに能力を使って物を引き寄せるなら、上が1番安全。」

それらしい説明に俺は悩ましげな顔をしたまま、ほぅ。と間抜けな返事を返す。
その間抜け面にだるそうに、氷緑は視線を商店街の方へと外した。

「実際、最初君は巾着を手のひらにのせてたでしょ。財布なんかも大抵下から持つし。」

「あー……まあ、確かに。」

納得したようなしないような、曖昧な感覚で頷く。

「ちなみに上から盗むにしても、本人はどうやって上まで登ってるんだ?」

「……物に引力を使えるなら、建物自体に能力を使って自分を建物に引き上げてもらう。」

…まぁ、出来る、か。
俺はちょっと考え込む。氷緑の視線は商店街へと向いたままだ。
とりあえず、ここでうじうじしてても進まないし、かと言って俺が別の案を立てられるかと言われればてんで浮かばないので、現状俺には氷緑の提案にのってみる事くらいしか出来ない。

「……わかった。つまり俺は、"上で"あいつの行く先を追えばいいんだな?」

人差し指を立て、立ち並んだ建物の屋上の方を指さしながら、俺はようやくしっかりとした返事を返す。
もうなんでも良いからやるしかねぇ……!と決めた事でちょっと気が引き締まり、段々と覚悟も決まってきた。

「うん。」

しかし、その割に氷緑から返ってきた頷きは至極当然と言ったようにサラッとしたもので、直ぐに何かを思い出したようにさっと携帯を取り出してしまい、もう俺の様子なんて全く気にしていないようだった。

……なんかこう、絆が深まるとか、無いんか。

ちょっと切なくなりながらも、静かに氷緑の端末操作が終わるのを待つ。
そして、手早く操作を終えた彼は持っていた端末をそのままを俺に手渡した。
俺は驚きながら氷緑の顔を見る。

「……5分後に始める。最悪上に行く想定が外れても、このピアスは絶対盗りに来るだろうから隙ができた時に取り押さえて。」

「……はい。」

「…じゃあ、行ってくる。」

氷緑はそういうと、呆けている俺を置いて、粛然と商店街の明かりに消えた。

……何だか氷緑が居なくなった途端、俺の中を妙に不安が襲って来て、心臓が脈打ち始める。

いやいや、こんなことで怖くなっていたらこの先どうすんだ。

不安をかき消すように一度頭を振り、俺はターゲットを追うことに意識を集中させた。

「5分後……」

ちらりと先程手渡された携帯を見ると、18:27と表示された。
改めて商店街の方へ視線を向けてみると、人がまだ疎らに行き交っていて、ここからではいまいちターゲットがはっきりと見えない。

「…先に上にいくか。」

先程屋根の上を伝って来る際に、散々屋根を飛び越えて移動してきたお陰で、異能力の使い方がちょっとずつ分かってきた俺だ。
自分のいる路地の壁になっている建物を見上げ、壁の凹凸や足場に出来そうな位置をじっと確認した。
普通の家より少し高さはあるが……路地裏らしいあらゆる壁のでっぱり部分を上手く使えば、何とか上まで登る事ができそうだ。

最後にもう一度、脳内でどこにどう足を置くかシュミレーションし、俺は今日何度目かの異能力を解放した。
力を込めれば、膝から下にずっしりとしたまだ慣れない不思議な感覚が集まってくる。

──飛び過ぎないように、飛びすぎないように……

「よっ!」

勢いが出過ぎないよう心で念じながら、最初の着地点に意識を集中させ飛び上がる。

そして、常人では不可能な高さにある足場へトンッと足を置けば、次の着地点を目指し方向を変えてまたリズム良く飛び上がった。

「………おっしゃ!!」

そうして見事、建物の屋上に着地する事が出来た俺は、1人心を弾ませた。

無事にたどり着いた屋上は、賑やかな商店街とは裏腹に全く人気が無く、陽の落ちた事で暗澹とした空気が漂っていた。
喜びで浮ついた気持ちを若干引き摺りながらもざっと辺りを見渡すと、隣接して立ち並ぶ建物の高さや屋上に置かれている物が結構でこぼこしているので、暗さも相まって万一下から見られても全くの死角になってくれそうな場所が多くて、隠密行動はやりやすそうだ。
パッと手元の携帯をつけると時刻は18:30。
ターゲットを追うGPSの印もまだ動きはない。

「そろそろ持ち場に付いとかないと。」

と、屋上のへりに近づきそっと下を覗くと、フードを被ったターゲットは直ぐに目に入った。

「氷緑くんは……」

目を走らせ確認すると、少し離れたところからしゃがみこむターゲットに向かって段々と距離を縮めていた。

…時間丁度にすれ違おうとしてるのか。

そう感じ取った俺は、近づいていく距離にゴクリと息を飲む。
ターゲットから目を離さないよう携帯のGPSを片手に黒のフードを凝視する。

18:32。
氷緑がターゲットの斜め前に来たところででピタリと止まり、何かを拾い上げる仕草をした。

「は、始まった……!」

それを合図に作戦が始まったことを察することができた。
本当に氷緑の立てた作戦通りに計画が進むのか、まだ全く確信が持てていない俺は、ただただ緊張しながら成り行きを見守る。
手に汗握っていると、"落としたフリ"という演技は終わったのか氷緑は再び歩き出した。去り際に何かを言っていたのかもしれないが、距離が遠くて全く何が起こっていたのか分からない。

ひとつ確かなのは、今までキョロキョロと辺りを見渡していたターゲットが、拾った仕草をした氷緑をじっと見ていた事だ。

──さて、どう来る…?

すると、歩き出した氷緑をピクリとも動かず見送っていたターゲットが、突然踵を返して俺がいる建物の方にバッと走り出した。

「え!?」

まさか俺の居場所がバレた……?!
い、いやいや落ち着け…!!
奴の能力が、本当に引力だとしたら……。

俺は急いで頭をフル回転させた。

──次は上に登って取り返そうとする筈だ。

確かに周りの建物からも死角になりやすく移動しやすいここが、絶好の壁登りスポットになるだろう。

「本当に、言う通りになってるじゃねえか……!」

半信半疑だった俺はちょっと感心しつつ、そんな場合じゃないと慌てて隠れられそうな所を探す。

……このままじゃガッツリ鉢合わせてすぐ逃げられる…下も見渡せてなおかつ隠れられるとこ…

ふと、商店街側に少し張り出した床が目に入った。
人が立ち入るような所では無いだろうが、人ひとりが寝れるスペース分はある上に、ちょっとだけ段になって高くなっている為、そこに乗ればかなり広範囲を見渡せそうである。

「……ふ〜ん?」

俺はニヤリと口角を上げる。
直勘ではあるが、何故かその出っ張りがいかにも懐疑的に見える。
すっかり探偵気取りの俺は、丁度その部分が見えるように、近くにあった給水タンクの裏に上手いこと隠れた。

じっと身を潜めて、登ってくるであろうターゲットを待つ。

……………………中々上がって来ないな。

今更になって、追うつもりが待ち構える形になり、更にはここに来るだろうと根拠のない当たりをつけて待ち伏せるという、よく考えれてみれば脈略のない作戦にちょっと不味かったか……?とドキドキして心臓が張り裂けそうになる。

──ドンッ

すると突然、下の喧騒から逃れたこの空間に、何か重い音が響いた。
俺の喉が、ヒュっと音を立てる。
街灯が届かない高さなので辺りが暗くてよく見えないが、確かに黒い影が横切ったのが目に入る。

「……チッ…あのガキ、持ち逃げやがって」

影が横切った少し後から、次いでイライラしてそうな声が耳に届いた。
そしてそいつは、そのままブツブツと文句を言いながら、俺の思惑通りに例の出っ張りの方へ足を進めていく。
俺は確認のためコソッとGPSを見ると、対象の印はほぼ現在地と重なって付いていた。

……本当に来た。

心拍数がどっと上がる。
ターゲットは思ったより小柄だが、どうやら男のようなので、捉えるなら上手くやらないと力で押し返されてしまうかもしれない。

盗んでる所を狙うか…

俺は、焦る気持ちを落ち着かせながら動きをじっと観察した。
柵の縁のところギリギリに立つ対象のフードが風によってパサッと落ちる。

……まじで上手くやらないとあいつを抱えたまま下に落ちかねないな。

必死に捕獲の算段を考えていると、奴が商店街の方に手を掲げ始めた。

……ん?

彼の目が光り出すのと同時に、何故か左耳のあたりも淡く光っている。

ピアスが連動してる……?

新たな疑問に若干思考を取られていると、

「う、うわぁあ!?」

突然男が腕を抑えながら悲鳴をあげた。
何事かと思った俺は慌てて男の動きへと集中を戻す。

ひ、左腕が凍ってる……?!

見ればターゲットの掲げた腕が、指先からピキピキと音を立てて凍っている。
人の腕が凍るという非現実的な光景に俺もかなり驚いた。が、

これは……捉えるなら今しかないよな。

俺は腹を括ってバッと一気に走り出し、悲鳴をあげて軽く興奮状態のターゲットをガシッと捕まえた。
暴れながらこちらを振り向いた男は、目を見開いて威勢よく怒鳴る。

「だ、誰だテメェ!?早くこれはずせ!!ぐっ…このままじゃ、使えねぇ!!!!早く!!早く外せぇ!!クソが!!!!」

男はそう喚きながらバタバタと暴れまくるので、仕方なく俺は力任せに床に抑え込んだ。
そうして、思ったより上手く抑え込めた事にかなりの安堵と少しばかりの愉悦感に浸った刹那、はたと思い留まる。


あれ、俺、こっからどうすればいんだろ──?


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