オッドルーク

序章
「僕、ヒーローになるよ。」

幼い子供特有のまっすぐとした瞳がこちらを捉える。
小さい声とは裏腹にハッキリと意志を持ったその言葉は、自分の中の柔い部分にぐさりと突き刺さった。

発端は、単なる気まぐれ。
しゃがみこむ小さな背に、「それ好きなのか?」と声をかけたことからだった。
ゲームセンターの隅、誰も寄り付かない古びたガチャガチャコーナーの中の一台。
とっくの昔に終わったこの特撮シリーズなんて、こんな小さな子はもう知らないであろうに、この子はさっきからずっとそれを熱心に眺めていたのだ。

子供の目線に合わせ屈んだ事で、ジャラ…と首の飾りが音を立てる。
決して世間的に良いとは言えない身なりをした自分に突然声を掛けられたら、こんな小さな子供はおびえて逃げてしまうだろうか。
と、そんな結末が脳裏をよぎっていたが、ビクリと肩を揺らした子供は大きな目をして振り返り、意外にも物怖じせずにはっきりとそう答えた。

ヒーローになる。

好きかと問うたのに、子供らしい陳腐な回答が返ってきて口からハッと乾いた笑いが出る。

少年、そんな大層なものになれる奴なんて、選ばれた人間だけなんだよ。

しかし、そう嘲笑いながらこの時自分は、その応えに少しばかり興が湧いた。

「……一回だけ、やらせてやろうか。」

ガチャガチャには、もちろんヒーローだけが入っているわけではない。
中にはいかにもな敵の姿も何体か混じっていて、一回で目当ての物が出るかは運だった。

丁度良い。
これで出てきた玩具が、こいつの"運命"ってことにしよう。

面白いことを思いついてしまって、自分の口角が上がっていくのがわかる。
退屈な日々のちょっとしたお遊びに、この子供を使ってやることにした。

「えっ!」と驚く子供の手を強引に引き寄せ、お金を手渡す。
彼はおどおどしつつもしっかりとそれを受け取り、一度こちらの目を見ると沢山のカプセルが入る箱の前へと向き直り、緊張した面持ちでチャリンとそれを入れていった。
そして、ギギギギと堅そうな取っ手の部分を小さな両手が掴み、回す。
ガコン!という音と共にカプセルが一つ出てきた。

早く中身が見たいのか、子供はすぐに手を伸ばしてカプセルを手に取ると、せっせとふたを開けた。
パカッと軽い音がして、中から透明な袋が飛び出す。
一体何が出たのかと、自分も上から覗き込んで忙しなく動く子供の手元を盗み見た。

「わ!怪物だ!」

そう声を上げた少年の手の平には、どす黒い色をした”悪役”がころんと転がった。

「……ぶはっ、残念だったなぁお前!ヒーローじゃなくってさ。」

隣でかがんでいた自分は、それを見て思わず吹き出してしまった。
同時に、内心で期待してしまった自分にも毒づく。
ひとしきり笑えば、しゃがみこんだまま手元を見て黙り込むその背に気づき、あ。と己の口を手で塞いだ。

──もしや、笑い過ぎたか?

ああ、やってしまったと、頭を抱えた。
どこが沸点になるかわかんねぇから、こうなった子供の扱いは苦手だ。
しかも、もしここで大声で泣かれようものなら、かなりやばい状況だ。
いざとなったらこの場からさっさとずらかろう。とも考え始めながらその様子を苦い顔で見守っていると、俯いていた子供は急にぱっと顔を上げ、こちらを見た。

「お兄ちゃん、ありがとう!僕、ずっと大事にするね!」

きらきらとした目をこちらに向けた子供に、今度は自分が目を丸くする番だった。

「え、これを?」

狼狽える俺に、子供はぶんぶん首を縦に振った。

「うん。僕ね、これね、全部好き!」

「はあ?!全部って……それじゃあお前、ヒーローになるのにこんな悪者まで好きなのか?何か変じゃね?」

我ながら子供にするような言い方じゃないとわかっていながら、つい素直な疑問が口をついて出た。
首を傾げた子供が、え〜?と言って目を瞬く。

「僕、みんなだーい好きだけど、ヒーローになるよ!」

しかし、直ぐにまた嬉しそうに笑った少年に、もう返す言葉が見当たらなかった。

こいつ……全然話分かってねぇだろ。

すると、遠くから大きく何かを呼ぶ声が聞こえ、それを聞いた子供が「お父さんだ!」とすくっと立ち上がった。

「お兄ちゃん、バイバイ!」

大事そうに小さな手にキーホルダーを抱えた男の子は、そう言って手を振ると、タタッと勢いよく走り去って行った。
遠くなる無邪気な背中を、やるせない気持ちで見送る。

悪者もみんな好きだけどヒーローになる、なんてそんなの無理だろ。
何とも子供らしい矛盾に、大きな溜息がこぼれた。

「あーあ。これじゃ賭けた意味がねぇや。」

そう呟く俺は、
何故だかどこかすっきりした自分がいることに、気づかないふりをした。
立ち上がり、再び騒がしいゲーセンの中へと消える。



──本当はあの時、嬉しかった。
最後まで、ヒーローになると言ってくれた事が。



君が今どうなっているかは知らないが、
自分はかつて憧れた人間に、今でも焦がれている。
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