24.かけがえのないもの
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目の前でかけがえのない存在の彼女が音も立てず地面に崩れ落ちる。
その光景があまりにもスローモーションに見えた。
「詩織!!!」
咄嗟にそう叫んでいた。
雑渡さんの攻撃をいなし、詩織さんへ駆け付ける。
口の中に残っている毒を吐き出させる。
「実にお嬢さんは面白い」
どこまでも冷血な雑渡さんに殺気を放つ。
詩織さんが倒れ込んだ瞬間、彼がふっと冷たい笑みを浮かべていたのだ。
この男は人の命をなんだと思っている。
「何が面白いって?中身はただの眠り薬ということさ。自分の大事な命まで土井殿のために投げ出すなど愚の骨頂だ」
言葉とは裏腹に、どこか憂いた表情で詩織さんに視線を落とす。
その様子に瞬時に私は理解してしまった。彼もまた、詩織さんに魅せられた人物だと。
そんな人相手に毒など盛れるものか。
同時に、雑渡が口にした眠り薬という言葉を信じて良いのか。心の中に不安が完全には消えない。
首に添えた指先から彼女が脈打つのが伝わり、生きているということが分かる。
「興が冷めた」
先ほどまで私に放っていた殺気が消失した。
雑渡は冷静に苦笑を漏らしながら言葉を続けた。
「お嬢さんを使って土井殿をタソガレドキに組み入れる算段だったが、このお嬢さんは我々タソガレドキにとっても“毒”のような存在だということだ」
雑渡さんはその様子を楽しむように、ちらっと視線を利吉くんへ向けた。
「……ま、暇つぶしにしては十分満足した。お嬢さんにこれ以上の利用価値などない」
そして振り返り、私に一瞥した。
「だが土井殿。肝に銘じておくがいい。お嬢さんのような者を守ろうとするたびに、土井殿は弱くなる。ゆめゆめ忘れるな。私がしたいのは、血生臭い争いじゃない。ただ、どんな状況にあっても忍者として冷静でいられるのかだ」
そう言い残し、闇に溶け込むように立ち去っていった。
雑渡さんの消えたあと、そこへ部下である山本陣内さんと高坂陣内左衛門さんが姿を現した。
「此度の騒動申し訳ない」と謝る一方で、彼らの隣に立ち尽くしている尊奈門くんは、「組頭はこんなことをするお人じゃない」と咄嗟に手近な掃除用モップを握り締めると訴えかけた。その声はどこか震えている。それを意に介さず、二人は会話を続ける。
「詩織殿の存在が、組頭にとっては特別のようにお見受けする」
「土井殿には組頭が付け込む隙のないよう、詩織殿を繋ぎ止めてほしい」
そう言うと二人は姿を消した。
腕の中で静かに寝息を立てる詩織さんは、穏やかな表情をしているが、瞼の下にできているクマに気付いた。
少しでも、今彼女が安心できる時間を与えたい。
そっと彼女を抱き締めた。
「土井先生、無事でなによりです」
「利吉くん」
「雑渡は潮笑ってましたが、結局奴も詩織さんに特別な感情を抱いたということでしょうか」
「うん。そうでなければ眠り薬なんて使わない。初めから、詩織さんが飲むか試したんだ」
「それは…何のためです?」
「おそらく……雑渡さんは、忍者にとって特別な感情は不要なものだと考えているから、それを否定したかったんだと思う。恋愛感情だったかは分からないけどね」
「……雑渡が」
「っはぁ…とりあえず…あとは詩織さんを休ませられる場所に……」
私は詩織さんを腕に抱いたまま、利吉くんと共に出城を抜けることができた。
◇
森の中にある小さな社に私たちは身を潜めた。
詩織さんは静かに眠ったまま。絡ませた手のひらは冷たいけれど、ちゃんと脈はある。
「……詩織」
彼女の額にかかった前髪をそっと撫でる。
長い睫、絹のような柔肌に一筋の血痕が残っている。雑渡さんが放った苦無が彼女の頬をかすめたのだ。
あのとき間に合わなかったら、と思うと恐ろしさで息が詰まりそうだった。
でも、こうして今彼女のそばにいられる。もう、絶対に離したくない。絶対に離さない。
そのとき、傍らにいた利吉くんが、言葉を紡いだ。
「土井先生、私は忍術学園に一足先に戻り、状況を報告してきます。手当てできる要員も必要でしょうから」
「ああ、すまない。ありがとう」
利吉くんが出て行き、詩織さんと二人きりの時間が流れる。
静寂な空気の中、私が見つめていると、彼女の瞼がピクリと動いた。
「……ん」
「気がつきましたか?」
「半助…さん……」
虚ろな眼差しをした彼女が、ゆっくりと口角をあげる。
「…生きてて…よかった……」
自分のことよりも、私の心配をする彼女に、握っていた手のひらをキュッと握った。
詩織さんの頬に水滴が一粒落ち、もう一粒落ちる。
私は自分の流した涙の痕を隠すように、彼女を抱きしめ顔をうずめた。
彼女の微かな微笑みに、不意に涙が溢れてきたのだ。
こんなに無防備な笑顔で私を見上げる彼女を、どうしても守りたい。
その想いが溢れてしまい、言葉にならない。
「半助さん、泣かないでください」
「……泣いて、なんか…いませんっ……」
もはや声は涙声だというのに、虚を張ってしまう。
きっとすでにバレているだろうけど。だろうけど。
「詩織さんが無事で良かった…」
私の肩を震わせる、彼女の微かなすすり泣きが、静かな空間に響いたのだった。
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その光景があまりにもスローモーションに見えた。
「詩織!!!」
咄嗟にそう叫んでいた。
雑渡さんの攻撃をいなし、詩織さんへ駆け付ける。
口の中に残っている毒を吐き出させる。
「実にお嬢さんは面白い」
どこまでも冷血な雑渡さんに殺気を放つ。
詩織さんが倒れ込んだ瞬間、彼がふっと冷たい笑みを浮かべていたのだ。
この男は人の命をなんだと思っている。
「何が面白いって?中身はただの眠り薬ということさ。自分の大事な命まで土井殿のために投げ出すなど愚の骨頂だ」
言葉とは裏腹に、どこか憂いた表情で詩織さんに視線を落とす。
その様子に瞬時に私は理解してしまった。彼もまた、詩織さんに魅せられた人物だと。
そんな人相手に毒など盛れるものか。
同時に、雑渡が口にした眠り薬という言葉を信じて良いのか。心の中に不安が完全には消えない。
首に添えた指先から彼女が脈打つのが伝わり、生きているということが分かる。
「興が冷めた」
先ほどまで私に放っていた殺気が消失した。
雑渡は冷静に苦笑を漏らしながら言葉を続けた。
「お嬢さんを使って土井殿をタソガレドキに組み入れる算段だったが、このお嬢さんは我々タソガレドキにとっても“毒”のような存在だということだ」
雑渡さんはその様子を楽しむように、ちらっと視線を利吉くんへ向けた。
「……ま、暇つぶしにしては十分満足した。お嬢さんにこれ以上の利用価値などない」
そして振り返り、私に一瞥した。
「だが土井殿。肝に銘じておくがいい。お嬢さんのような者を守ろうとするたびに、土井殿は弱くなる。ゆめゆめ忘れるな。私がしたいのは、血生臭い争いじゃない。ただ、どんな状況にあっても忍者として冷静でいられるのかだ」
そう言い残し、闇に溶け込むように立ち去っていった。
雑渡さんの消えたあと、そこへ部下である山本陣内さんと高坂陣内左衛門さんが姿を現した。
「此度の騒動申し訳ない」と謝る一方で、彼らの隣に立ち尽くしている尊奈門くんは、「組頭はこんなことをするお人じゃない」と咄嗟に手近な掃除用モップを握り締めると訴えかけた。その声はどこか震えている。それを意に介さず、二人は会話を続ける。
「詩織殿の存在が、組頭にとっては特別のようにお見受けする」
「土井殿には組頭が付け込む隙のないよう、詩織殿を繋ぎ止めてほしい」
そう言うと二人は姿を消した。
腕の中で静かに寝息を立てる詩織さんは、穏やかな表情をしているが、瞼の下にできているクマに気付いた。
少しでも、今彼女が安心できる時間を与えたい。
そっと彼女を抱き締めた。
「土井先生、無事でなによりです」
「利吉くん」
「雑渡は潮笑ってましたが、結局奴も詩織さんに特別な感情を抱いたということでしょうか」
「うん。そうでなければ眠り薬なんて使わない。初めから、詩織さんが飲むか試したんだ」
「それは…何のためです?」
「おそらく……雑渡さんは、忍者にとって特別な感情は不要なものだと考えているから、それを否定したかったんだと思う。恋愛感情だったかは分からないけどね」
「……雑渡が」
「っはぁ…とりあえず…あとは詩織さんを休ませられる場所に……」
私は詩織さんを腕に抱いたまま、利吉くんと共に出城を抜けることができた。
◇
森の中にある小さな社に私たちは身を潜めた。
詩織さんは静かに眠ったまま。絡ませた手のひらは冷たいけれど、ちゃんと脈はある。
「……詩織」
彼女の額にかかった前髪をそっと撫でる。
長い睫、絹のような柔肌に一筋の血痕が残っている。雑渡さんが放った苦無が彼女の頬をかすめたのだ。
あのとき間に合わなかったら、と思うと恐ろしさで息が詰まりそうだった。
でも、こうして今彼女のそばにいられる。もう、絶対に離したくない。絶対に離さない。
そのとき、傍らにいた利吉くんが、言葉を紡いだ。
「土井先生、私は忍術学園に一足先に戻り、状況を報告してきます。手当てできる要員も必要でしょうから」
「ああ、すまない。ありがとう」
利吉くんが出て行き、詩織さんと二人きりの時間が流れる。
静寂な空気の中、私が見つめていると、彼女の瞼がピクリと動いた。
「……ん」
「気がつきましたか?」
「半助…さん……」
虚ろな眼差しをした彼女が、ゆっくりと口角をあげる。
「…生きてて…よかった……」
自分のことよりも、私の心配をする彼女に、握っていた手のひらをキュッと握った。
詩織さんの頬に水滴が一粒落ち、もう一粒落ちる。
私は自分の流した涙の痕を隠すように、彼女を抱きしめ顔をうずめた。
彼女の微かな微笑みに、不意に涙が溢れてきたのだ。
こんなに無防備な笑顔で私を見上げる彼女を、どうしても守りたい。
その想いが溢れてしまい、言葉にならない。
「半助さん、泣かないでください」
「……泣いて、なんか…いませんっ……」
もはや声は涙声だというのに、虚を張ってしまう。
きっとすでにバレているだろうけど。だろうけど。
「詩織さんが無事で良かった…」
私の肩を震わせる、彼女の微かなすすり泣きが、静かな空間に響いたのだった。
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