24.かけがえのないもの
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窓のない牢は時間の経過が分からなかった。
ただひっそりと時間が過ぎていくばかり。
雑渡さんの部下と思われる忍者が、牢の下にある小さな戸を開きご飯ののったお盆を差し入れた。
「詩織さん、ご飯置いておきますね。こんな殺風景な場所で歓迎もできず、すみません」
律儀な物言いをする彼に、言葉をかけていた。
外観の分かる目元だけ見ると、目付きがキツそうに見えたけれど、それは素なのだと感じる。
「ありがとうございます…えっと…」
「高坂陣内左衛門です」
「高坂さんは、雑渡さんの部下なんですか?」
「ええ、まあ。詩織さんはやはり土井殿とは恋仲で?」
答える代わりに頷くと、高坂さんは眉間を掻いた。
「いいなぁ。こんな仕事をしてると中々女性と接する機会もないし。ほとんどが親の決めた相手ですから」
ハハハ、とから笑いする彼のまとう空気はどこか独特で、けれど悪い人では無いと思えるものだった。
「高坂さんってなんだか、他の方と違いますね」
「そうです?歳が近いからじゃないですか?私二十四です」
半助さんと一つしか違わない。
彼も半助さんも忍者として、厳しい世界にいるのだ。
そこへもう一人、高坂さんより年上の人がやってきた。
目尻のシワがそれを語っている。
「詩織殿。此度は組頭が突然申し訳ございません」
「いえ…これは雑渡さんの独断なんですか?」
「ええ、そうです。組頭にも困ったものです」
「ふふ、雑渡さんの部下だから怖い方ばかりなのかと思ってましたが…ちょっとホッとしました」
「そうだ。尊奈門をここに呼んでもいいですか?会わせろって組頭にうるさくて」
「ええ、構いません」
しばらくすると尊奈門さんがドタタタと走ってきた。
「詩織さん!!私に会いたいだなんて!!」
鉄格子を握り、顔をはめ込む姿は相変わらずに見える。
「そんなこと言ってないだろ」と高坂さんが彼の頭を軽く叩く。
「そんなこと分かってますよ。もう高坂さんまで」
いつも半助さんに対する反抗した姿しか見た事のない私にとって、彼が素直に他人の言葉に耳を傾けるあどけない笑顔の姿は意外に映った。
尊奈門くんは眉を弓なりにさせ、舌を伸ばし、フフフと思い出し笑いをする。
「詩織さん!私は土井半助に勝ったんですよ!奴の一瞬の隙を縫って、刀で奴の腕をこう………詩織さん?」
尊奈門くんの言葉に息を吸うを忘れていた。
突然の内容に、耳が幻聴でも聞いているかのように、聞こえていた音がフェードアウトしていく。
膝から崩れ落ち、音もなく涙が頬を伝う。
半助さんが腕を怪我した。
嘘かもしれないという考えと、本当かもしれないという思いが交差する。
「とにかく奴がここに来ることはないし、仮に来たとしても私がやっつけます!安心してください!」
「はい、尊奈門。うるさいから面会終わり」
「な!ひどいですよ!高坂さん!高坂さあああああん!」
嘆きながら山本さんに引き連れられ部屋を出ていった。
窓もない牢からは外の様子も分からない。
半助さんが今どこにいて、どうしているのか、知りたくても分からない。ただ、ただ、無事でいてほしいと強く思った。
◇
どのくらい時間が経ったのだろう。
再び音もなく現れた雑渡さんが静かに言葉を発した。
「お嬢さん、仕事だよ」
慌てて駆け寄ってきた尊奈門くんが、雑渡さんに詰め寄る。
「組頭!詩織さんをどうする気ですか!」
「近くまで土井殿が来ているようなので挨拶に。ついでにお嬢さんに会いたいと思っているだろうし」
冷たい笑みを浮かべる彼に、背筋が冷える。
うそ…半助さんが、近くに?
信じられない気持ちだった。どうして?私は最低なことしかしていないのに。呆れられてるはずなのに。
どうして?どうして?
牢の錠を外し、中へ入ってきた雑渡さんは縄を持っていた。
「お嬢さん、手にこれを」
両手が背後に回されて縛られる。
え?と思ったのも束の間、視界が遮られた。
手拭いか何かで視界が奪われたのだと気付く頃には、口にも手拭いが巻かれ、それは首の後ろで結ばれていた。
「…ッ…ンン」
視界も言葉も、動きも封じられ、ただ自由なのは耳だけ。
唐突に無闇に逃げ出せない状態に、恐怖感が身体中を襲った。
「よいしょっと」
身体が宙に浮き、雑渡さんが私を持ち上げたのが分かった。
おそらく肩に担ぐようにして抱えている。それはいつでも私を突き落とすことができるんだと示されているみたいで、余計に怖かった。私の命はこの冷酷な人の手に委ねられているのだと思うと、とてもちっぽけで何の意味もない存在に思えた。
雑渡さんの動きに合わせて、身体が前後左右に揺れる。
階段を登っているのか降りているのかさえも分からない。
扉の開く音が重く響き、日光の温かさに外に出たことが分かった。
◇
冷たい風が吹いている。
視界の奪われた世界には誰もいない。
木々のそよぐ音や枯葉の踏む音に注意深く聞き耳を立てるけれど、全く状況が掴めない。
雑渡さんが立ち止まる。
「やあ、土井殿」
重たい声に、私の身体はビクッと震える。
雑渡さんが声を向けた先に半助さんがいるのだろうか。
見えない、喋れない。ただ耳を澄ますしかできない。
そんな状況が歯痒かった。
「詩織さんは無事なのか!?」
聞こえてきた声は正しく半助さんだった。
その声は悲痛を伴っていて、胸を締め付ける。
「ほらここに」
身体が一瞬浮遊する。
けれど雑渡さんの腕の中のまま。彼の腕が私の腰を掴んで身動きがとれない。
「どうした?声も出ないか?」
「雑渡さんの目的はなんですか?」
「ぜひ土井殿をタソガレドキへ迎えたい。断ったら、この娘は私が貰い受ける」
冷たい声色で彼は言う。
そんなこと、さっき言ってなかったのに!
口が封じられているせいで言い返せない。
「どうした?私とやり合うか?それも興」
聞こえてきた半助さんの声はどことなしか低く気持ちを押さえつけているようだった。やめて、と口を動かすけれど二人の殺気に声がでなかった。
身体に衝撃がはしる。
雑渡さんが急に飛び跳ねたのだ。
「ッンンー!!」
目の前を何かが空を切る。その何かが岩に当たると鋭い音を立てた。
「ご自慢のチョーク攻撃がお嬢さんに当たっちゃうよ?」
「チョークなら…コントロールは慣れてます」
「ふ……痩せ我慢を」
空を切る音が幾度も耳に響き、目隠しされているのに瞼を何度も強く瞑る。それか半助さんのチョーク攻撃なのだろうけど、さっき岩に当たった音だけでも身体に当たったとき怪我だけで済まない気がする。
そんなチョーク攻撃の軌道を読んでいるのか雑渡さんは、私をわざと掠めるところに移動させる。そのたび、半助さんの息を飲む「…っ!」という言葉にならない声が耳に届いていた。
「お見事。だが…これはどうかな?」
首元に冷たい感触が伝わる。
その途端、直感が「やばい」と警報を鳴らした。
微かに鉄の匂いがして、鋭利なものが肌に触れる。
「少しでも動けばこの娘の命はない」
先ほどまでと空気が一変した。
じりじりと雑渡さんに突き付けられる見えない凶器の感触に、恐怖は頂点を極めていた。
「返事はまだ聞いてないぞ」
私が人質なのは理解しているし、足でまといなのも分かっている。
半助さんがタソガレドキに入らないことも。
だから、こんな私のために悩む時間が苦しい。
半助さんがここに来ないでほしかった。
私のことを忘れて欲しい。
突然、目隠しされていた布が外れ、陽の光に一瞬目が眩んだ。
目の前に小瓶が差し向けられるのが分かった。
「土井殿が苦しむ姿を見たくないなら、これを飲むがいい」
視線を瓶から周囲に移す。
視線の先に半助さんを見つけた途端、息が止まった。
目の前にいる半助さんは、尊奈門くんの縄鏢で片腕を封じられている。
「毒だ。どうやらお嬢さんは土井殿にとって判断を鈍らせる毒みたいだからね」
「…ンンンンンー!!」
半助さん。
手拭いが咥えられたままでは名前さえ呼べない。
もどかしい想いが募るばかり。
そのとき、耳に微かに聞こえた。
ヒュッみたいな、風の吹くような。
以前聞いたことがある、そう、五年生の実習のあと怪我した私に利吉さんが……そう矢羽音だ。
その瞬間、目と手を封じていた手拭いが取れた。利吉さんが解いたのだ。
同時に目の前に現れた利吉さんは、私の前に立ち、雑渡さんに忍び刀を向けていた。
「詩織さんは土井先生のもとへ!」
「…は…はいっ」
「ここは私が「君の実力で私に敵うとでも?」ッ!」
雑渡さんは苦無で応戦している。
刀を持っているのは利吉さんなのに、優勢に立っているのは雑渡さんに見えてしまうほど、場を仕切っているのは雑渡さんだった。
利吉さんの言葉通り、半助さんのもとへ駆け寄る。
半助さんは片腕を尊奈門くんの縄鏢で封じられ、もう片方の腕は雑渡さんの投げた棒手裏剣によって動きを止めれている。
半助さんの服から血が滲んでいるのが見えた。
「……があっ!」
雑渡さんの足刀が、利吉さんのみぞおちに鋭い一撃を与え、利吉さんがその場に崩れる。
「…利吉さん!!」
なかなか立ち上がらない利吉さんに、どのくらいの衝撃だったか一目瞭然だった。
「さあて、土井殿。返事を聞こうか?」
「……どちらの要求も断らせてもらう」
「ならばやるしかないな」
雑渡さんが手に毒の入った小瓶を持ち、私に向かってくる。
恐怖のあまり足が竦む。
「逃げろ!詩織さん!」
利吉さんの悲痛な声が耳に届く。
逃げられない、と思ったときには目の前に冷徹な眼差しで見下ろす彼がいた。
「やめろ!!」
縄鏢を引っ張り尊奈門くんをねじ伏せ、破れるのも気にせず棒手裏剣の刺さった服を引っ張る。
半助さんは雑渡さんの動きを止めようと俊敏に背後から駆け寄る。
「いいねぇ」
雑渡さんのそんな声が聞こえたかと思えば、二人は木々の間を飛んだり、組手を交えて攻防を繰り返す。
時折見える武器を使った攻防で、鋭い音が響き渡る。きっとこれでは半助さんも雑渡さんも怪我だけではすまない。
もうやめて。
半助さんは忍術学園の先生で、あの子たちに必要な存在で。
なのに私なんかのために助けようと無用な争いをしてて。
ねぇ、半助さん。止めて。
「半助さん!!やめて!!!」
手をギュッと握り、半助さんに向かって叫んだ。もうやめて。
けれど、返ってきた言葉は望んでいたものと違った。
「詩織さんを連れて帰ると約束したんです!それに!まだ私は貴女に何一つ伝えられていない!」
「半助さんに傷付いてほしくありません!!」
「なんだい、痴話喧嘩かい?」
シュッ、と足元に何かが落とされる。
それはさっきまで雑渡さんが持っていた小瓶だった。
「ならばお嬢さん。土井殿が自由になる方法はただ一つ。今のままではお嬢さんはただの重荷だ」
胸がドクン、と脈を打つ。
震える手で地面に膝をつき小瓶を手に取った。
今の私は半助さんの重荷にしかなってなくて、
こんな無用な争いはやめてほしい、
半助さんにはあの子たちの先生でいてほしい。
だから、私のことなんて。
「やめろ詩織さん!!!」
利吉くんの叫び声が聞こえる。
ごめんね。
蓋を開けて一気に飲み干す。
口に含んだ瞬間、意識が朦朧として小瓶を持ったまま倒れ込んだ。
「詩織!!!!!」
半助さんの叫び声が聞こえ、そのまま意識を手放した。
→
ただひっそりと時間が過ぎていくばかり。
雑渡さんの部下と思われる忍者が、牢の下にある小さな戸を開きご飯ののったお盆を差し入れた。
「詩織さん、ご飯置いておきますね。こんな殺風景な場所で歓迎もできず、すみません」
律儀な物言いをする彼に、言葉をかけていた。
外観の分かる目元だけ見ると、目付きがキツそうに見えたけれど、それは素なのだと感じる。
「ありがとうございます…えっと…」
「高坂陣内左衛門です」
「高坂さんは、雑渡さんの部下なんですか?」
「ええ、まあ。詩織さんはやはり土井殿とは恋仲で?」
答える代わりに頷くと、高坂さんは眉間を掻いた。
「いいなぁ。こんな仕事をしてると中々女性と接する機会もないし。ほとんどが親の決めた相手ですから」
ハハハ、とから笑いする彼のまとう空気はどこか独特で、けれど悪い人では無いと思えるものだった。
「高坂さんってなんだか、他の方と違いますね」
「そうです?歳が近いからじゃないですか?私二十四です」
半助さんと一つしか違わない。
彼も半助さんも忍者として、厳しい世界にいるのだ。
そこへもう一人、高坂さんより年上の人がやってきた。
目尻のシワがそれを語っている。
「詩織殿。此度は組頭が突然申し訳ございません」
「いえ…これは雑渡さんの独断なんですか?」
「ええ、そうです。組頭にも困ったものです」
「ふふ、雑渡さんの部下だから怖い方ばかりなのかと思ってましたが…ちょっとホッとしました」
「そうだ。尊奈門をここに呼んでもいいですか?会わせろって組頭にうるさくて」
「ええ、構いません」
しばらくすると尊奈門さんがドタタタと走ってきた。
「詩織さん!!私に会いたいだなんて!!」
鉄格子を握り、顔をはめ込む姿は相変わらずに見える。
「そんなこと言ってないだろ」と高坂さんが彼の頭を軽く叩く。
「そんなこと分かってますよ。もう高坂さんまで」
いつも半助さんに対する反抗した姿しか見た事のない私にとって、彼が素直に他人の言葉に耳を傾けるあどけない笑顔の姿は意外に映った。
尊奈門くんは眉を弓なりにさせ、舌を伸ばし、フフフと思い出し笑いをする。
「詩織さん!私は土井半助に勝ったんですよ!奴の一瞬の隙を縫って、刀で奴の腕をこう………詩織さん?」
尊奈門くんの言葉に息を吸うを忘れていた。
突然の内容に、耳が幻聴でも聞いているかのように、聞こえていた音がフェードアウトしていく。
膝から崩れ落ち、音もなく涙が頬を伝う。
半助さんが腕を怪我した。
嘘かもしれないという考えと、本当かもしれないという思いが交差する。
「とにかく奴がここに来ることはないし、仮に来たとしても私がやっつけます!安心してください!」
「はい、尊奈門。うるさいから面会終わり」
「な!ひどいですよ!高坂さん!高坂さあああああん!」
嘆きながら山本さんに引き連れられ部屋を出ていった。
窓もない牢からは外の様子も分からない。
半助さんが今どこにいて、どうしているのか、知りたくても分からない。ただ、ただ、無事でいてほしいと強く思った。
◇
どのくらい時間が経ったのだろう。
再び音もなく現れた雑渡さんが静かに言葉を発した。
「お嬢さん、仕事だよ」
慌てて駆け寄ってきた尊奈門くんが、雑渡さんに詰め寄る。
「組頭!詩織さんをどうする気ですか!」
「近くまで土井殿が来ているようなので挨拶に。ついでにお嬢さんに会いたいと思っているだろうし」
冷たい笑みを浮かべる彼に、背筋が冷える。
うそ…半助さんが、近くに?
信じられない気持ちだった。どうして?私は最低なことしかしていないのに。呆れられてるはずなのに。
どうして?どうして?
牢の錠を外し、中へ入ってきた雑渡さんは縄を持っていた。
「お嬢さん、手にこれを」
両手が背後に回されて縛られる。
え?と思ったのも束の間、視界が遮られた。
手拭いか何かで視界が奪われたのだと気付く頃には、口にも手拭いが巻かれ、それは首の後ろで結ばれていた。
「…ッ…ンン」
視界も言葉も、動きも封じられ、ただ自由なのは耳だけ。
唐突に無闇に逃げ出せない状態に、恐怖感が身体中を襲った。
「よいしょっと」
身体が宙に浮き、雑渡さんが私を持ち上げたのが分かった。
おそらく肩に担ぐようにして抱えている。それはいつでも私を突き落とすことができるんだと示されているみたいで、余計に怖かった。私の命はこの冷酷な人の手に委ねられているのだと思うと、とてもちっぽけで何の意味もない存在に思えた。
雑渡さんの動きに合わせて、身体が前後左右に揺れる。
階段を登っているのか降りているのかさえも分からない。
扉の開く音が重く響き、日光の温かさに外に出たことが分かった。
◇
冷たい風が吹いている。
視界の奪われた世界には誰もいない。
木々のそよぐ音や枯葉の踏む音に注意深く聞き耳を立てるけれど、全く状況が掴めない。
雑渡さんが立ち止まる。
「やあ、土井殿」
重たい声に、私の身体はビクッと震える。
雑渡さんが声を向けた先に半助さんがいるのだろうか。
見えない、喋れない。ただ耳を澄ますしかできない。
そんな状況が歯痒かった。
「詩織さんは無事なのか!?」
聞こえてきた声は正しく半助さんだった。
その声は悲痛を伴っていて、胸を締め付ける。
「ほらここに」
身体が一瞬浮遊する。
けれど雑渡さんの腕の中のまま。彼の腕が私の腰を掴んで身動きがとれない。
「どうした?声も出ないか?」
「雑渡さんの目的はなんですか?」
「ぜひ土井殿をタソガレドキへ迎えたい。断ったら、この娘は私が貰い受ける」
冷たい声色で彼は言う。
そんなこと、さっき言ってなかったのに!
口が封じられているせいで言い返せない。
「どうした?私とやり合うか?それも興」
聞こえてきた半助さんの声はどことなしか低く気持ちを押さえつけているようだった。やめて、と口を動かすけれど二人の殺気に声がでなかった。
身体に衝撃がはしる。
雑渡さんが急に飛び跳ねたのだ。
「ッンンー!!」
目の前を何かが空を切る。その何かが岩に当たると鋭い音を立てた。
「ご自慢のチョーク攻撃がお嬢さんに当たっちゃうよ?」
「チョークなら…コントロールは慣れてます」
「ふ……痩せ我慢を」
空を切る音が幾度も耳に響き、目隠しされているのに瞼を何度も強く瞑る。それか半助さんのチョーク攻撃なのだろうけど、さっき岩に当たった音だけでも身体に当たったとき怪我だけで済まない気がする。
そんなチョーク攻撃の軌道を読んでいるのか雑渡さんは、私をわざと掠めるところに移動させる。そのたび、半助さんの息を飲む「…っ!」という言葉にならない声が耳に届いていた。
「お見事。だが…これはどうかな?」
首元に冷たい感触が伝わる。
その途端、直感が「やばい」と警報を鳴らした。
微かに鉄の匂いがして、鋭利なものが肌に触れる。
「少しでも動けばこの娘の命はない」
先ほどまでと空気が一変した。
じりじりと雑渡さんに突き付けられる見えない凶器の感触に、恐怖は頂点を極めていた。
「返事はまだ聞いてないぞ」
私が人質なのは理解しているし、足でまといなのも分かっている。
半助さんがタソガレドキに入らないことも。
だから、こんな私のために悩む時間が苦しい。
半助さんがここに来ないでほしかった。
私のことを忘れて欲しい。
突然、目隠しされていた布が外れ、陽の光に一瞬目が眩んだ。
目の前に小瓶が差し向けられるのが分かった。
「土井殿が苦しむ姿を見たくないなら、これを飲むがいい」
視線を瓶から周囲に移す。
視線の先に半助さんを見つけた途端、息が止まった。
目の前にいる半助さんは、尊奈門くんの縄鏢で片腕を封じられている。
「毒だ。どうやらお嬢さんは土井殿にとって判断を鈍らせる毒みたいだからね」
「…ンンンンンー!!」
半助さん。
手拭いが咥えられたままでは名前さえ呼べない。
もどかしい想いが募るばかり。
そのとき、耳に微かに聞こえた。
ヒュッみたいな、風の吹くような。
以前聞いたことがある、そう、五年生の実習のあと怪我した私に利吉さんが……そう矢羽音だ。
その瞬間、目と手を封じていた手拭いが取れた。利吉さんが解いたのだ。
同時に目の前に現れた利吉さんは、私の前に立ち、雑渡さんに忍び刀を向けていた。
「詩織さんは土井先生のもとへ!」
「…は…はいっ」
「ここは私が「君の実力で私に敵うとでも?」ッ!」
雑渡さんは苦無で応戦している。
刀を持っているのは利吉さんなのに、優勢に立っているのは雑渡さんに見えてしまうほど、場を仕切っているのは雑渡さんだった。
利吉さんの言葉通り、半助さんのもとへ駆け寄る。
半助さんは片腕を尊奈門くんの縄鏢で封じられ、もう片方の腕は雑渡さんの投げた棒手裏剣によって動きを止めれている。
半助さんの服から血が滲んでいるのが見えた。
「……があっ!」
雑渡さんの足刀が、利吉さんのみぞおちに鋭い一撃を与え、利吉さんがその場に崩れる。
「…利吉さん!!」
なかなか立ち上がらない利吉さんに、どのくらいの衝撃だったか一目瞭然だった。
「さあて、土井殿。返事を聞こうか?」
「……どちらの要求も断らせてもらう」
「ならばやるしかないな」
雑渡さんが手に毒の入った小瓶を持ち、私に向かってくる。
恐怖のあまり足が竦む。
「逃げろ!詩織さん!」
利吉さんの悲痛な声が耳に届く。
逃げられない、と思ったときには目の前に冷徹な眼差しで見下ろす彼がいた。
「やめろ!!」
縄鏢を引っ張り尊奈門くんをねじ伏せ、破れるのも気にせず棒手裏剣の刺さった服を引っ張る。
半助さんは雑渡さんの動きを止めようと俊敏に背後から駆け寄る。
「いいねぇ」
雑渡さんのそんな声が聞こえたかと思えば、二人は木々の間を飛んだり、組手を交えて攻防を繰り返す。
時折見える武器を使った攻防で、鋭い音が響き渡る。きっとこれでは半助さんも雑渡さんも怪我だけではすまない。
もうやめて。
半助さんは忍術学園の先生で、あの子たちに必要な存在で。
なのに私なんかのために助けようと無用な争いをしてて。
ねぇ、半助さん。止めて。
「半助さん!!やめて!!!」
手をギュッと握り、半助さんに向かって叫んだ。もうやめて。
けれど、返ってきた言葉は望んでいたものと違った。
「詩織さんを連れて帰ると約束したんです!それに!まだ私は貴女に何一つ伝えられていない!」
「半助さんに傷付いてほしくありません!!」
「なんだい、痴話喧嘩かい?」
シュッ、と足元に何かが落とされる。
それはさっきまで雑渡さんが持っていた小瓶だった。
「ならばお嬢さん。土井殿が自由になる方法はただ一つ。今のままではお嬢さんはただの重荷だ」
胸がドクン、と脈を打つ。
震える手で地面に膝をつき小瓶を手に取った。
今の私は半助さんの重荷にしかなってなくて、
こんな無用な争いはやめてほしい、
半助さんにはあの子たちの先生でいてほしい。
だから、私のことなんて。
「やめろ詩織さん!!!」
利吉くんの叫び声が聞こえる。
ごめんね。
蓋を開けて一気に飲み干す。
口に含んだ瞬間、意識が朦朧として小瓶を持ったまま倒れ込んだ。
「詩織!!!!!」
半助さんの叫び声が聞こえ、そのまま意識を手放した。
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