4.ふがいない優しさ
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そんなこんなで、私たち五年生一行と利吉さんは実習を終えて忍術学園に戻ってきたのは夕食時だった。
私はすぐに保健室に連れられ、新野先生の手当てを受けた。
「一週間は安静にしててくださいね。六尺棒の練習?もちろんダメですからね」
「…わ、わかりました」
新野先生の圧のあるお言葉に、頷くしかなかった。
保健委員長の善法寺伊作君の隣に座っていた乱太郎君が弱々しい声で尋ねる。
「伊作先輩、詩織さんは大丈夫なんですか?」
「うん。大丈夫だよ。新野先生の言うとおり安静にしていればね。詩織さん、この軟膏を毎日塗って見てくださいね」
「ありがとう。乱太郎君、心配かけちゃってごめんね?久々知君や木下先生たちがいなかったら危なかったけど大丈夫!帰りは利吉さんにおんぶしてもらったし」
「え!利吉さん来てるんですか?」
「うん。今は山田先生のところだと思うけど……」
「私ならここですよ」と障子の向こうから利吉さんが姿を現した。
「用が済んだので、私は帰ります。そうだ、最後に詩織さん__」
利吉さんが耳打ちするように、息を吹きかけた。
ヒュッみたいな声のような。
それが何を言ってるのか、なんなのか全く知らない私を他所に、善法寺君が顔を真っ赤にさせていたので、なにか忍的なことをしたのだろうか。
利吉さんの去った医務室に、乱太郎君が「今のが矢羽音ですか!?」と叫んだ。
「や、ばね?」
「忍者同士が意思疎通するための連絡手段です。さっすが利吉さん〜!ところで、利吉さんはなんて言ってたんですか?」
乱太郎君の質問に、善法寺君は「う、うん…」と言いにくそうにする。もしや、利吉さんは私に悪口を言ったのだろうか。
「善法寺君、私も知りたい!まさか悪口?」
「い、いえ!違います!」
善法寺君は口元に手を当てて、こそっと教えてくれた。
「『あなたのような可愛い人に怪我は似合いません』」
「えっ」
「詩織さん!利吉さんはなんて言ってたんですか!?」
「き、きっと、善法寺君は利吉さんにからかわれたのよ」
そう言う私の胸はドキドキしていた。
2回も助けられるだけでなく、利吉さんに可愛いと言われることが驚きだったからだ。彼はさらっとそういう言葉を言いそうな気はしていたけれど、それはもっと顔立ちが整っている女性に対して言うもんだとばかり。そう思ったところで、きっとからかわれたのだと思うと合点がいった。
六年生の善法寺君が矢羽音を聞き取れるか、きっと試したのよ。
手当てをしてもらい、私は食堂へ向かった。
すでに生徒はおらず、新野先生や他の先生方ばかりだった。
厨房にいた食堂のおばちゃんに、空のお弁当箱を手渡す。
「わざわざ作っていただきありがとうございます。とても美味しかったです。先生方にはいつも作ってらっしゃるんですか?」
「いいえ?しないわよ。昨夜突然、土井先生に頼まれて」
「え?土井先生に?」
「そうよ。初めての実習で心細いだろうからって。怪我しちゃったって聞いたから心配してたのよ」
おばちゃんの視線が足元に向けられる。
「そう、だったんですね…」
「詩織ちゃん、若くて綺麗だから土井先生も心配なのよ」
「え?…そ、そんなこと…おばちゃん、からかわないでくださいよっ」
突然そんなことを言われ、鼓動が大きく高鳴った。
「そうよ。土井先生はともかく、五年生や六年生はよく食事中に詩織ちゃんの話で盛り上がってるわよ〜。モテモテね」
「も〜!おばちゃんっ」
嬉し恥ずかしなのか、利吉さんの矢羽音に続き、食堂でも可愛いなんて言われて胸がドキドキしっぱなしの私は、なにか手を動かしていないと落ち着かなかった。
「残りの皿洗い、私がやってもいいですか?」
「足の怪我は平気?」
「ええ!大丈夫です」
「ならお言葉に甘えようかしら。今朝早起きだったから」
「ええ!ぜひ!」
◇
皿洗いをしていると、誰かが食堂にやって来る気配があった。厨房からは姿が見えないが、足音で一人なのは分かった。
「雪下さんが皿洗いしてるんですか?」
のれんから顔を出したのは土井先生だった。
「お弁当のお返しに私が手伝ってるんです」
「そうでしたか。帰り道に襲われそうになったと聞き、心配していました」
「ええ、なんとか。木下先生もいましたし、久々知君のおかげで助かりました。土井先生は夕食まだなんですか?」
「いえ、私もおばちゃんにお礼を言おうと思って来たんです」
皿洗いを終えて、温かいお茶を淹れてテーブルに二つ並べた。私の向かいに土井先生が腰掛ける。
朝と同じで、二人だけの空間がそこにはあった。
土井先生の優しい視線が、ふと私の足元に向けられるのが分かった。
「本当に心配していました。足は大丈夫なんですか?」
胸がきゅっと締め付けられるような感覚が走った。
土井先生がこんなに私のことを気にかけてくれていたことが、なんだか嬉しかった。
「大丈夫です」と言いたかったけれど、少し痛む足を隠すのは難しかった。でも、こんなにも気を配ってくれる彼の前で、強がるのは無意味だと思った。
「ご心配をおかけしました」
そう伝えたとき、土井先生の目に見えない緊張がふっと解けたのがわかった。
「無理はしてないですか?」
「ええ、途中まで利吉さんにおぶってもらいましたし、新野先生から手当ても受けたので。ご心配おかけしました」
「その足だとしばらく上級生の授業や、小松田さんのフォローは難しそうですね」
「そう、ですね」
「良ければは組の授業を見学してみますか?」
「ええ…いいですけど、どうしたんですか」
そう尋ねると彼は困ったように笑った。
「実は利吉くんにとっつかれまして」
「利吉さんに?」
「雪下さんはきっと無理するなと言っても無意識に無理しそうですから、土井先生が付きっきりで監視してください、と……さすがに私も授業がありますから、ずっとは無理ですけど」
「そう、なんですね…」
ため息混じりに呟くが、なんとも言えないこのモヤモヤを目の前の土井先生に言いたくなってしまった。
「私のほうが年上なのに、利吉さんったら子ども扱いするんですよ??」
「そ、そうなんですか?」
明らかに困惑している先生を他所に、私は続ける。
「矢羽音って知ってますか?」
「ええ」
「利吉さんったら、わざわざ矢羽音で『あなたに怪我は似合いません』て伝えてきたんですよ?もう!私の方が年上なのに!」
「まぁ、まぁ…利吉くんはそれだけ雪下さんを心配してるということですよ。とにかく、私も心配ですから。は組の授業を見学してくれますね?」
「わ、わかりました……」
私はそう返事をしてお茶を啜った。
沈黙が流れるけれど、嫌な沈黙ではなかった。むしろ落ち着くような。不意に、残兵に襲われそうになったときのことが脳裏をよぎった。刃こぼれした刀を向けて襲いかかって来ようとした侍の、絶望し切った表情、怒声、すべてが脳内でフラッシュバックする。
怖かった。
けれど今、私はこうして生きてお茶を飲んでいる。
視界がどんどん歪んでいき、気付いたら涙を流していた。
「……土井先生」
「どうしましたか?」
目の前の彼は、私の気持ちを察したのか、
あたたかな口調だった。
「少し……私の話を聞いてくれますか」
なんてことの無い身の上話だ。物心がついた頃に母親が亡くなり、父と兄弟で楽しく慎ましやかに暮らしていたけれど十になってすぐに家は焼かれ、遠い親戚の家で暮らすことになったという、これまでの生い立ちだった。
どうしてこんな話をしようと思ったのか、自分でも分からなかった。ただ、土井先生なら何も言わずに聞いてくれるような気がしたからだ。
「今日、襲われそうになって、初めて死を意識しました。正直怖かったです……でも、土井先生や…ここの忍たまたちは、そういうのに向き合わなければならないんですよね。もちろん私も」
黙って聞いていた先生は、口付けていた湯呑みを静かに置いた。
「死が怖いのは当たり前のことです。私も怖いですよ」
土井先生も怖いと思っている。その言葉に、え?と感嘆を漏らすと、彼は少しだけ気まずそうに微笑んだ。
「私は一度忍びをやめたいと思ったことがあります。でも、あるきっかけがあって、ここで教師をしています。たまに学園長先生に頼まれて隠密任務をしたりもね。でも、やっぱり死は怖いですよ。無用な争いはないに越したことはないです」
ゆっくりと優しい口調で話すのに、その一言一言が重く私の心に響いていく気がした。
「土井先生は強いですね」
「雪下さんも十分強いですよ」
優しいだけじゃない土井先生を初めて見た気がした。
真っ直ぐな眼差しが私に向けられ、身体の奥が熱を持つのを感じた。
「少し喋り過ぎてしまいましたね。今の話は……内密でお願いします」
そして彼はいつものように、おどけた笑顔を向けるので、私は頷くことしかできなかった。
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