20.待ってるから
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ピューッと木枯らしが吹いて冷たい風が頬を撫ぜた。
もうそろそろ雪が降ってもおかしくない季節となっていた。
「う〜寒い〜!寒い〜!寒いよ〜〜!」
乱太郎君、しんベヱ君、きり丸君の三人がそう言いながら食堂へ向かうのを、後ろから見守っていた。
すると、彼らの目の前に突然、学園長が姿を現した。
「なんじゃさっきからお前たち、寒い寒いとは!忍者はガッツ!!そうじゃ!!こういうときこそ……!」
振り返った三人の表情はどんよりとしていて、私にも悪い予感がすることだけは分かった。
「よぉ〜し決めた!これより忍術学園でマラソン大会を始める!」
「え〜〜!!!」
◇
昼食を食べ終えた生徒たちが校庭に集まり始めていた。
学園長の思いつきで始まったマラソン大会は、生徒が裏裏山まで行って折り返して戻って来るというものだった。
私は小松田さんとともに、生徒の点呼をしていた。
一年は組の子たちが全員いるのを確認し、用紙に記入していると、乱太郎君たちの会話が耳に届いた。
「なにもこんな寒い日にマラソン大会なんて」
「帰ったら温かいものが食べたいよねぇ」
「じゃあしんベヱは何が食べたい?」
「うーんとね、ビーフシチュー!」
なんとも美味しそうな会話に私も加わる。
「今日の夕食準備、私も手伝うことになってるから、食堂のおばちゃんにお願いしてみよっか?」
「え!いいんですか!?」
「もちろん。あ、でも…土井先生には違うものがいいのかな」
「土井先生は特別に雑炊にしたらどうすか?」
きり丸君の言葉に、なるほどその手があったか!と手をポンと叩いた。
「じゃあそれもおばちゃんに相談してみるね」
そこに半助さんが姿を現した。
「どうしたんです?」と普段通りの眼差しを向ける彼に、昨夜抱いていたもやもやとした気持ちが少しだけ顔をのぞかせる。
「今日の夕食、私もお手伝いするので何がいいか聞いていたんです。土井先生は雑炊お好きですか?」
「先生は練り物が入ってなきゃ何でもいいんだよね?」
しんべヱ君の言葉を受けて苦笑いする彼に、私も口元が緩む。
こんなふうに他愛もない時間が微笑ましかった。
「ふふ、では土井先生は雑炊ですね。先生も走るんですか?」
「私は最後尾の生徒と一緒に走ります」
「先生、僕と走ってくれるの?やったー!」
「しんベヱ…途中までは頑張って走るんだぞ?」
ふと半助さんと視線が交差する。
心配しているようなそんな眼差しだった。
「どうしたんですか?」
「いや、夕べの詩織さんは元気がないように見えたので」
「ああ…もう大丈夫ですよ?」
きっと半助さんなら分かってしまうんだろうなと思いつつ、そう答えた。
そうこうしているうちに、マラソン大会が始まり、生徒たちが勢いよく学園を飛び出して行った。
私は生徒たちを見届けると、食堂へと向かう。
「詩織さん」
半助さんが私を呼ぶ。
「何でも、私に言ってくださいね?」
私の胸中を察しているのか彼は優しい声色でそんなことを言う。
「やっぱり半助さんはずるいです」
「そうかな…」
「そうですよ」
お互いに見つめ合う。
そんな束の間の幸せだと感じた。
半助さんの眼差しは、今晩部屋に行くとでも言いそうなものだった。私もその眼差しに応じるように頷く。
心通わす瞬間に胸が高鳴らないわけがない。
ほら、こんなにお互いのことを分かりあっているのに。
どうして尊奈門さんの言葉を真に受けてしまうの?
『尊奈門くんの言葉を真に受けないでくださいね』
冬休みに彼もそう言っていたじゃない。
一抹の不安を拭うように、食堂まで大きく歩幅を開いて歩いた。
◇
食堂のおばちゃんから、夕食にビーフシチューの許可をもらい、ついでに半助さんの雑炊を作ることを承諾してくれた。
「土井先生もビーフシチューじゃだめかしら?」
「最近、神経性胃炎が重症してるらしくて、胃に優しいものがいいかなと思ったので…」
「あらぁ、土井先生のことになると献身的なのね」
「い、いえ、そんな」
「いいのよ恥ずかしがらなくて。恋人なんでしょ?」
「うーん…そう、なんですかね?」
おばちゃんの優しい人柄に、私は思わず弱音を漏らしていた。
尊奈門さんに言われたこと、半助さんが言ったこと。
おばちゃんは一通り聞き終えると、私の肩にポンと手を置いた。
「詩織ちゃんは考え過ぎよ」
「そうですか?」
「そうよ。カレーを食べるときに、この切り方をしてるからダメだとかないでしょ?好きな食べ物なら多少切り方が悪くても好きでしょ?」
「ええ」
「それと同じよ。お互い好き同士ならそれでいいじゃない」
カラッとした笑顔でおばちゃんは言う。
お互い好きなら、それだけでいい。
そんな考えに少しだけ不安は薄らいだ。
「ちょっとあとをお願いしていいかしら」
おばちゃんはそう言うと、割烹着を脱いで食堂を出て行ってしまった。
あとを任された私は、ぐつぐつと煮ている雑炊を時折かき混ぜながらその鍋を見つめていた。
半助さんのために作る雑炊。
手のひらを広げて鍋に向かってひらひらさせる。
胃が治りますように、と子供みたいなことを。
「やあお嬢さん、久しぶり」
「ぎゃ!!」
無意識に子どもっぽいことをしていたところを話しかけられ、思わず変な声が出てしまった。
振り返ると昨日の曲者、タソガレ忍軍の雑渡さんがそこにいた。
表情の読めない雑渡さんなのに、彼の目がギョッとするのが分かった。
「ざ、雑渡さん…いきなり背後に立たないでください…」
「……お嬢さん、よく無防備と言われるだろう?」
「言われないですよ。それより何の用ですか?」
お玉で雑炊をかき混ぜながら問いかける。
「伊作くんから、ここで雑炊作りをしてると聞いてね。ちょうど竹筒の中身も切れてしまったからね」
彼の穏やかな口調に反して、胸の中で緊張が強まるのを感じた。
やはり尊奈門さんが半助さんに勝負を挑むのを止めてもられるのは、彼しかいない。
「あの……昨日のお話ですが、やっぱり尊奈門さんに土井先生へ勝負を挑むのをやめるよう説得していただけませんか?」
「無理だね」
「……そんな」
「そもそも、お嬢さんは本当に土井先生と恋仲なのかい?」
「……そうですけど」
「『けど?』」
「深い意味はないですよ……言葉にしてないだけで想い合ってます」
「ほう?……土井殿が?」
何かを含んだ物言いに、やはり雑渡さんは苦手だなと思った。
「組頭!ここにいましたか!あわわ…詩織さん!」
勝手口から姿を現したのは尊奈門さんだった。
「昨日ならず今日も会えるなんて!これは運命!」
恥ずかしげも無く言う彼に、半助さんとの違いを嫌でも感じてしまう。
半助さんはあまり感情を言葉にしないけれど、少ない言葉や眼差しでどのくらい私を想ってくれているのか分かる。
立て掛けていた護身用の棒を手に取り、中段構えをして彼らに棒先を向ける。
「お嬢さん、そんなもので私たちに立ち向かうつもりかい?」
「尊奈門さんが半助さんにこれ以上無用な戦いを挑まないなら、こんなことはしません」
「詩織さん!私はあなたの為を思ってですね…」
彼が話してるのも構わず棒を振り上げる。
「おっと」
けれど彼らは容易く躱す。
「お嬢さんは土井殿に聞いてみたのかい?ちゃんと将来の契りをすると」
返事をしない私に、雑渡さんはフンと嘲笑うかのように肩を竦めた。
「お嬢さんのその想いは、彼にとったらただの重荷だというのが分からないのか?」
冷たい言葉が重く響く。
悔しかった。
苛立った。
だって、重荷だなんて。
でも、同時に、目の前の冷たい眼差しを向ける雑渡さんには何を言っても通じないのだという絶望があった。
これ以上何を言っても無意味だと。
私は、棒を壁に立てかけ、彼に手のひらを差し向けた。
「なんだ、その手は」
雑渡さんが警戒する眼差しを手のひらに向ける。
「……竹筒の中、空なんですよね?いま、入れますよ」
どんなに悔しくても。
簡単に負けたくなかった。
きっと、半助さんならそうするから。
―子曰、怨みに報いるに徳を以てす―
そんなせめてもの対抗だった。
包帯を巻いた彼は、見えている片目を一瞬見開くと、弧を描いて微笑む。
「お嬢さん、面白いね」
そう言うと、私の手のひらに竹筒を差し出した。
中身の入った竹筒を受け取った雑渡さんは、「帰るぞ」と尊奈門さんに言うと、二人は姿を消した。
姿が見えなくなった途端、張り詰めていた緊張が一気に解け、膝が笑いだす。
私は、しばらくテーブルに手をついて倒れそうになるのを堪えていた。
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