18.なにしをば乞う
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あっという間の冬休みを終えて、忍術学園へ戻る朝。
井戸で顔を洗っていた私に、隣のおばちゃんが声をかけてきた。
「半助ときり丸はまた居なくなっちゃうみたいだけど、詩織ちゃんは?まだ家には嫁がないのかい?町内会のドブ掃除とか催し物に参加してくれると助かるんだけどねぇ」
「そう…ですね…そのときはぜひ参加させて頂きますね」
「ほんっとに半助は、良い人を見つけたよ。詩織ちゃん、あんな半助だけどよろしくね」
「……はい、ありがとうございます」
隣のおばちゃんは押しが強いけれど、人情に溢れた優しい人だと思う。そんなおばちゃんに、そう言ってもらえるのはやはり嬉しいものがあった。
松の木で乱太郎君、しんベヱ君と合流し、三人の後ろを半助さんと並んで歩く。
忍術学園へ向かう道中、そっと半助さんにおばちゃんとの会話を伝えてみた。
すると彼は頬をかきながら微笑んだ。
「隣のおばちゃんに言われると、ちょっと照れてしまうな」
「そうですね。私も少し照れちゃいました」
冬の雲一つない澄み切った空に、両手を広げて空気を吸う。冷たい空気が肺に流れて心地良い。
「また新学期も楽しんでいきましょうね!」
そう言って半助さんを見つめると、和やかな表情の彼がそこにいた。
◇
忍術学園に着くと、さっそく事務服に着替えて小松田さんのお手伝いや、先生方への挨拶など学園内を駆け回っていた。
「吉野先生、この間はお餞別ありがとうございます」
「いえいえ。楽しく過ごせたようですね。顔に書いてあります」
「へへへ…そうですか?」
「それはそうと、さっそく事務仕事が溜まってますからお願いしますね」
「はい、わかりました!」
そうして、
順調に一日一日が過ぎていき、
新学期が始まって早一週間が経っていた。
時折、
食堂で半助さんに会えば練り物と酢の物を交換したり、
食満君、善法寺君たち六年生や、久々知君たち五年生の課外授業に同行したり、
くのいち教室や戸部先生の剣術指導に参加したりと、すっかり普段の日常が戻っていた。
◇
その日は、出張中の山田先生に代わって授業をする半助さんの補助をしていた。
授業が終わり事務仕事に戻ろうとする私を、団蔵君が引き留める。
「詩織さん」
「どうしたの、団蔵君」
「今日清八が荷物を届けに来るんだけど、清八に話したいことがあるから、来たら食堂で待ってて欲しいって伝えてくれる?」
「うん、いいよ」
清八さん。
一度だけ配達に来て小松田さんが応対しているところを遠目に見ていたくらいで、ちゃんとお話したことはまだなかった。
私を見つめる団蔵君の顔がワクワクしていることに気付き、どうしたの?と問いかける。
「詩織さん、清八は21で、彼女はいないんだ!」
「え?あ、そうなんだ」
「俺が食堂行くまで清八の相手をお願いね!じゃ!」
そう言って団蔵君は虎若君たちのもとへ走って行ってしまった。
昼下がりの事務作業中、蹄の音が聞こえて出てみると、清八さんが馬に跨り塀を飛び越えて来たところだった。
「こんにちは。団蔵君のところの清八さん、ですよね?事務の雪下です」
「はじめまして。加藤村で馬借をしている清八と言います。若旦那から詩織さんのことは伺っています」
「団蔵君が清八さんに伝えたいことがあるらしくて、食堂で待っててほしいとのことです。お茶をいれるので、一息ついていってくださいね」
「若旦那が?お気遣いありがとうございます」
短時間の会話で、清八さんが穏やかで優しい性格なんだということが直ぐに、伝わってきた。
食堂に行くと、おばちゃんは町へ食材の調達に出かけたらしく誰もいなかった。
「今お茶をいれますから」
「ありがとうございます」
テーブルに湯呑みを二つ並べる。
「団蔵君から、清八さんは21だと伺いました。私は22なんですけど、清八さんの方が私より大人びて見えますね」
「そうですか?私も詩織さんのことは若旦那から伺っています。優しくてお綺麗ですごく良い人だと」
「団蔵君がそんなことを?なんだか恥ずかしいな」
「でも実際その通りですから、若旦那の言ってることは正しかったですね」
どう返していいのか分からず、苦笑いを浮かべながら、湯呑みから上がる湯気を見つめていた。
しばらくすると半鐘の音が聞こえ、団蔵君がニコニコ顔で食堂へとやって来たのだった。
「ごめん、清八」
「いえ若旦那なにか親方に伝えておくことでも?」
「ううん、あれ嘘。実は……」
口元に手を添える団蔵君に、
清八さんが腰をかがめて耳を近付ける。
「…ちょっと若旦那!」
「へへ!じゃあな清八!」
そう言うとニコニコ顔で団蔵君は食堂を出ていってしまった。
「団蔵君は何て?」
「あ、いや…そんな大したことじゃなかったみたいです。では私はこれで失礼させてもらいます」
「そしたら見送りまでさせてもらいます」
廊下を歩きながら、どんな話をしたのだろうと私は気になっていた。あの団蔵君の笑顔。うーん……。
するとそこへ、片足を庇いながらぴょんぴょん走りする小松田さんと出くわした。
「あー!詩織さーん!清八さーん!」
「どうしたんですか小松田さん」
「実はさっき学園長に来客があったんですけど、手土産に渡すはずだった饅頭を、間違って賞味期限切れのカビの生えた饅頭を渡してしまったんです〜」
「え!?それって大変では…?」
「今すぐ追いかけないんですけど、足を滑らせちゃって」
どうやら捻ったらしく、それでぴょんぴょん跳んでいたらしい。
「じゃあ私が追いかけます!」
「詩織さん!そしたら私が馬を引くので乗ってください!」
「清八さんありがとうございます!」
小松田さんから、お饅頭の箱を受け取り、清八さんに引っ張ってもらいながら馬に乗った。
それっ!と清八さんが馬を蹴りあげた途端、馬は水を得た魚のごとく勢いよく走り出した。
馬が大きく跳ねるたびに心臓が浮き上がるような感覚がはしり、清八さんの腰に手を回し、落ちないようにしがみつく。
清八さんは手綱をしっかりと握りしめ、軽く声をかけただけで馬は見事に塀を飛び越えた。
なんとか客人に辿り着き、無事に交換を済ませ、再び忍術学園へと戻ろうとしたとき、清八さんが思い出したように呟いた。
「そういえば、忍術学園へ向かう途中に人気の甘味処があったんですが、詩織さんは甘いものはお好きですか?」
「え、はい。好きです」
「じゃあ折角なので寄っていきませんか?」
なんとも美味しそうな誘いを了承し、甘味処へ向かった。
「俺、甘いものが好物なんですけど、男だからこういう店って入りづらくて」
「ふふ、そうなんですね。じゃあ私がいるから丁度良かったですね」
「はい。詩織さんのおかげです。ありがとうございます」
どこまても律儀な清八さんに、本当に彼が私の一つしか歳が違わないことに驚くばかり。
店に入り注文し、再び団蔵君たちの話に戻った。
「ところで、団蔵君は清八さんになんて言ってたんですか?気になっちゃって」
「え、ああ…えっと…若旦那はどうやら、私と詩織さんを引き合わせたいみたいなんです」
「え…ええ?」
団蔵君が?そんなことを?
たしかに、団蔵君は、私と半助さんとの仲を知らないけど、けど…!!
「冬休みに加藤村に戻ってきたとき、親方に『そろそろ良い人でも見つかったか?』と話しかけられて、そこに若が通りかかって『詩織さんは?』となったんです」
ああ、たしかになりそうだな、と頭の中で想像する。
「でも、詩織さんに会って確信しました」
「え?」
「貴女は私にはもったいない方です。若に引き合わされるまでは、正直、そんな素晴らしい方が本当にいるのかと疑っていたんです。でも、実際にお会いして、本当なんだと驚きました。私より相応しい方がいるはずです。若には私から伝えておきます」
「……あ、ありがとう…ございます」
墨汁が、水面に広がっていくような感覚があった。
尊奈門さんの手紙には「貴女のような方に土井半助は相応しくない」と言われ、
かたや、清八さんは「自分よりも相応しい人がいる」と言う。
――私はいま、十分幸せですよ。貴女がここにいる。それだけで満たされているんです――
あの時、半助さんが伝えてくれた言葉を思い出す。私にとって十分すぎる言葉は、胸を熱くさせた。
それでも、胸の中に押し寄せる違和感をなんとか消化しようとするけれど、上手くいかない。
気づけば、あの頃の声が蘇っていた。
つい半年前まで長い間言われ続けていた言葉。
――あんたは災いの元凶だっ!――
――あんたのせいで……!――
――あんたなんかいなくなれば良かったんだ!――
心のどこかで、誰からも求められる存在じゃないんだと、
これまでも、そして、これからも思っている。
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井戸で顔を洗っていた私に、隣のおばちゃんが声をかけてきた。
「半助ときり丸はまた居なくなっちゃうみたいだけど、詩織ちゃんは?まだ家には嫁がないのかい?町内会のドブ掃除とか催し物に参加してくれると助かるんだけどねぇ」
「そう…ですね…そのときはぜひ参加させて頂きますね」
「ほんっとに半助は、良い人を見つけたよ。詩織ちゃん、あんな半助だけどよろしくね」
「……はい、ありがとうございます」
隣のおばちゃんは押しが強いけれど、人情に溢れた優しい人だと思う。そんなおばちゃんに、そう言ってもらえるのはやはり嬉しいものがあった。
松の木で乱太郎君、しんベヱ君と合流し、三人の後ろを半助さんと並んで歩く。
忍術学園へ向かう道中、そっと半助さんにおばちゃんとの会話を伝えてみた。
すると彼は頬をかきながら微笑んだ。
「隣のおばちゃんに言われると、ちょっと照れてしまうな」
「そうですね。私も少し照れちゃいました」
冬の雲一つない澄み切った空に、両手を広げて空気を吸う。冷たい空気が肺に流れて心地良い。
「また新学期も楽しんでいきましょうね!」
そう言って半助さんを見つめると、和やかな表情の彼がそこにいた。
◇
忍術学園に着くと、さっそく事務服に着替えて小松田さんのお手伝いや、先生方への挨拶など学園内を駆け回っていた。
「吉野先生、この間はお餞別ありがとうございます」
「いえいえ。楽しく過ごせたようですね。顔に書いてあります」
「へへへ…そうですか?」
「それはそうと、さっそく事務仕事が溜まってますからお願いしますね」
「はい、わかりました!」
そうして、
順調に一日一日が過ぎていき、
新学期が始まって早一週間が経っていた。
時折、
食堂で半助さんに会えば練り物と酢の物を交換したり、
食満君、善法寺君たち六年生や、久々知君たち五年生の課外授業に同行したり、
くのいち教室や戸部先生の剣術指導に参加したりと、すっかり普段の日常が戻っていた。
◇
その日は、出張中の山田先生に代わって授業をする半助さんの補助をしていた。
授業が終わり事務仕事に戻ろうとする私を、団蔵君が引き留める。
「詩織さん」
「どうしたの、団蔵君」
「今日清八が荷物を届けに来るんだけど、清八に話したいことがあるから、来たら食堂で待ってて欲しいって伝えてくれる?」
「うん、いいよ」
清八さん。
一度だけ配達に来て小松田さんが応対しているところを遠目に見ていたくらいで、ちゃんとお話したことはまだなかった。
私を見つめる団蔵君の顔がワクワクしていることに気付き、どうしたの?と問いかける。
「詩織さん、清八は21で、彼女はいないんだ!」
「え?あ、そうなんだ」
「俺が食堂行くまで清八の相手をお願いね!じゃ!」
そう言って団蔵君は虎若君たちのもとへ走って行ってしまった。
昼下がりの事務作業中、蹄の音が聞こえて出てみると、清八さんが馬に跨り塀を飛び越えて来たところだった。
「こんにちは。団蔵君のところの清八さん、ですよね?事務の雪下です」
「はじめまして。加藤村で馬借をしている清八と言います。若旦那から詩織さんのことは伺っています」
「団蔵君が清八さんに伝えたいことがあるらしくて、食堂で待っててほしいとのことです。お茶をいれるので、一息ついていってくださいね」
「若旦那が?お気遣いありがとうございます」
短時間の会話で、清八さんが穏やかで優しい性格なんだということが直ぐに、伝わってきた。
食堂に行くと、おばちゃんは町へ食材の調達に出かけたらしく誰もいなかった。
「今お茶をいれますから」
「ありがとうございます」
テーブルに湯呑みを二つ並べる。
「団蔵君から、清八さんは21だと伺いました。私は22なんですけど、清八さんの方が私より大人びて見えますね」
「そうですか?私も詩織さんのことは若旦那から伺っています。優しくてお綺麗ですごく良い人だと」
「団蔵君がそんなことを?なんだか恥ずかしいな」
「でも実際その通りですから、若旦那の言ってることは正しかったですね」
どう返していいのか分からず、苦笑いを浮かべながら、湯呑みから上がる湯気を見つめていた。
しばらくすると半鐘の音が聞こえ、団蔵君がニコニコ顔で食堂へとやって来たのだった。
「ごめん、清八」
「いえ若旦那なにか親方に伝えておくことでも?」
「ううん、あれ嘘。実は……」
口元に手を添える団蔵君に、
清八さんが腰をかがめて耳を近付ける。
「…ちょっと若旦那!」
「へへ!じゃあな清八!」
そう言うとニコニコ顔で団蔵君は食堂を出ていってしまった。
「団蔵君は何て?」
「あ、いや…そんな大したことじゃなかったみたいです。では私はこれで失礼させてもらいます」
「そしたら見送りまでさせてもらいます」
廊下を歩きながら、どんな話をしたのだろうと私は気になっていた。あの団蔵君の笑顔。うーん……。
するとそこへ、片足を庇いながらぴょんぴょん走りする小松田さんと出くわした。
「あー!詩織さーん!清八さーん!」
「どうしたんですか小松田さん」
「実はさっき学園長に来客があったんですけど、手土産に渡すはずだった饅頭を、間違って賞味期限切れのカビの生えた饅頭を渡してしまったんです〜」
「え!?それって大変では…?」
「今すぐ追いかけないんですけど、足を滑らせちゃって」
どうやら捻ったらしく、それでぴょんぴょん跳んでいたらしい。
「じゃあ私が追いかけます!」
「詩織さん!そしたら私が馬を引くので乗ってください!」
「清八さんありがとうございます!」
小松田さんから、お饅頭の箱を受け取り、清八さんに引っ張ってもらいながら馬に乗った。
それっ!と清八さんが馬を蹴りあげた途端、馬は水を得た魚のごとく勢いよく走り出した。
馬が大きく跳ねるたびに心臓が浮き上がるような感覚がはしり、清八さんの腰に手を回し、落ちないようにしがみつく。
清八さんは手綱をしっかりと握りしめ、軽く声をかけただけで馬は見事に塀を飛び越えた。
なんとか客人に辿り着き、無事に交換を済ませ、再び忍術学園へと戻ろうとしたとき、清八さんが思い出したように呟いた。
「そういえば、忍術学園へ向かう途中に人気の甘味処があったんですが、詩織さんは甘いものはお好きですか?」
「え、はい。好きです」
「じゃあ折角なので寄っていきませんか?」
なんとも美味しそうな誘いを了承し、甘味処へ向かった。
「俺、甘いものが好物なんですけど、男だからこういう店って入りづらくて」
「ふふ、そうなんですね。じゃあ私がいるから丁度良かったですね」
「はい。詩織さんのおかげです。ありがとうございます」
どこまても律儀な清八さんに、本当に彼が私の一つしか歳が違わないことに驚くばかり。
店に入り注文し、再び団蔵君たちの話に戻った。
「ところで、団蔵君は清八さんになんて言ってたんですか?気になっちゃって」
「え、ああ…えっと…若旦那はどうやら、私と詩織さんを引き合わせたいみたいなんです」
「え…ええ?」
団蔵君が?そんなことを?
たしかに、団蔵君は、私と半助さんとの仲を知らないけど、けど…!!
「冬休みに加藤村に戻ってきたとき、親方に『そろそろ良い人でも見つかったか?』と話しかけられて、そこに若が通りかかって『詩織さんは?』となったんです」
ああ、たしかになりそうだな、と頭の中で想像する。
「でも、詩織さんに会って確信しました」
「え?」
「貴女は私にはもったいない方です。若に引き合わされるまでは、正直、そんな素晴らしい方が本当にいるのかと疑っていたんです。でも、実際にお会いして、本当なんだと驚きました。私より相応しい方がいるはずです。若には私から伝えておきます」
「……あ、ありがとう…ございます」
墨汁が、水面に広がっていくような感覚があった。
尊奈門さんの手紙には「貴女のような方に土井半助は相応しくない」と言われ、
かたや、清八さんは「自分よりも相応しい人がいる」と言う。
――私はいま、十分幸せですよ。貴女がここにいる。それだけで満たされているんです――
あの時、半助さんが伝えてくれた言葉を思い出す。私にとって十分すぎる言葉は、胸を熱くさせた。
それでも、胸の中に押し寄せる違和感をなんとか消化しようとするけれど、上手くいかない。
気づけば、あの頃の声が蘇っていた。
つい半年前まで長い間言われ続けていた言葉。
――あんたは災いの元凶だっ!――
――あんたのせいで……!――
――あんたなんかいなくなれば良かったんだ!――
心のどこかで、誰からも求められる存在じゃないんだと、
これまでも、そして、これからも思っている。
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