16.かんざし
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とある城での任務を終えて、町を歩いていた。
土井先生の長屋に向けてただ何となく足が向いていた。
二年前、詩織さんに助けられたときは天女かと思うほど私にとって彼女は眩しい存在だった。だから再会できたとき、すぐにでも彼女を抱き締めて連れて帰りたくなった。でも人の優しさが溢れる忍術学園に連れて行きたくなった。彼女に人のぬくもりを感じてほしかった。頼ることを覚えてほしかった。
『あの日、私を見つけてくれて、ありがとうございます』
五年生の実習帰りに怪我を負った彼女をおんぶしたとき、彼女のか細い声で呟くのを聞き逃さなかった。
『どこにいたって見つけますよ』
強い風にかき消された本音を彼女が気付くことも無く、そして私も再度伝えることをしなかった。もしあのとき、伝えていたら何か変わっていたんだろうか。
『土井先生、詩織さんが無理しないようお願いします。きっと彼女は無意識に無理をしそうなので』
『利吉くん、心配しすぎじゃないの?』
『そんなことありません!詩織さんは危なっかしい人なんです!』
土井先生は私が大声を出すのを見てクククと笑った。
いつもの冷静さが彼女に関しては皆無になってしまう。
『雪下さんは確かに優しいから、利吉くんが心配するのも分かるよ。じゃあ私の授業を見学させるっていうのはどうだい?』
土井先生の言葉に少しだけ負の感情が芽生えるのを感じた。詩織さんのことを知っているような口振りに、もちろん毎日同じ学園内にいるのだから、彼女のことを知っていて当たり前なのだけれど、それがつまらなかった。
そして彼の穏やかな口調は、いつも通りなのだが上手く言葉にできないが、彼女になにか特別な感情を抱いているのではないかと疑ってしまった。でも彼にお願いするほかないのだ。
『わかりました。無理はさせないでくださいね?』
『うん、分かってるよ』
『詩織さんは本当に手が焼けるんだから』
そう言わないと私のもとから彼女がいなくなってしまう気がしたのだ。
彼女のことが大好きだ。
薄暗闇の中、手当てをしてもらっていた時からずっと。
ひたむきで真っ直ぐで優し過ぎる彼女のことがずっと。でも私は忍だからと、任務中に知り合った彼女と縁を分かち合うことなんて出来ないと思って諦めていた。
河原できり丸君と洗濯をしていた詩織さんを見て、その眼差しに映るのが私ではないと知ったとき、それが私にとって兄だと思って慕っていた土井先生で、複雑な気持ちだった。彼女を盗られたくない気持ちと、私以外に彼女を任せるとしたら土井先生しかいないという気持ちが混濁していた。
『土井先生はどうお考えですか?』
『決めるのは雪下さんですよ』
彼の気持ちは私と同じように彼女に向けられている。その残酷な現実に、何も行動を起こさない彼に苛立ってしまった。もし、彼女が私を選ぶなら彼女を幸せにしてみせる。そう思った。でも彼女の気持ちはすでに決まっていた。
そんな彼女に私ができることは二人を見守ることで、そんなことでしか彼女を幸せにできない。でも、彼女への想いがそう簡単に消えたわけじゃない。
あの日から忘れるように任務続きの日々を過ごし、久々の休暇を過ごしていたときだった。ただ何となく土井先生の家へ行こうと思って歩いていたら、目に留まる女性がいて、それがすぐに彼女だと分かった。
本当に私はいつでも見つけられるんだな、と自嘲気味に笑った。
詩織さんは、一人でお買い物をしている様子だった。
簪などを売る小物屋で足を止め、品物を眺めている。
吸い寄せられるように、彼女のそばへ向かっていた。
「その簪、お似合いじゃないですか?」
私の声に驚いた彼女が振り返る。
私だと分かり優しい眼差しを向けた。それだけで私の鼓動は静かに高鳴る。
「利吉さん…!」
「お久しぶりです。こちらもお似合いですね。詩織さんはどちらが好みですか?」
詩織さんが見ていたのは装飾の凝った一輪挿し用の簪だった。その中で似合いそうな、二つを目の前に向ける。
「うーん、こっちかな?」
詩織さんが指差したのは、紅葉の金細工が施された簪だった。簪を彼女の髪にあててみる。うん、綺麗で似合っている。店主にお金を払い、それを彼女に手渡した。
「私からのプレゼントです」
「え!でも、悪いですよ!」
「もう代金は払ってしまいましたし、きっと詩織さんにしか似合わないですよ」
すでに代金を払っていては断りづらいだろう。
彼女は私に向けていた簪をさげた。
「……ありがとう、ございます」
「ちょっと髪を結い上げてみませんか?」
「え?あっ…」
彼女の後ろ髪を優しく持ち上げる。白い柔肌に日光があたる。綺麗だなと見惚れたのも束の間、首筋に赤い蕾がついているのに気付いた。瞬間、それが誰がつけたものでどうしてなのかも分かってしまった。
持ち上げた艶やかな髪をそっと下ろし、彼女に笑顔を向ける。
「土井先生とは随分親睦を深められているようですね」
そう言うと顔中を真っ赤にさせた詩織さんがいた。
初めてそんな表情を見たと思う。
「……はい」
私の知らないところで彼女はささやかな幸せを手に入れたのだということが、嬉しくもあり悲しくもあった。
「今、半助さんは家で、きり丸君の内職のアルバイトを手伝っている最中なので寄って行きますか?」
「あ、でも……いえ、行きます」
折角の彼女の誘いに乗らない私ではない。たとえ恋敵がいたとしても。まあ、もはや恋敵というべきではないのだろうけれど、それでも少しでも彼女といたい私もたいがいだと思った。
彼女が『半助さん』なんて呼び方を変えたことが、胸に鈍い痛みを与えた。
◇
「ただいま戻りました。途中で利吉さんにお会いしました」
家に入ると、土井先生は造花の内職をしていた。
「やあ利吉くん」
「ご無沙汰しております」
「いまお茶を入れますね」
詩織さんはそう言うと、釜戸でお茶の用意を始めた。
座敷にあがり、内職の花作りを眺めていると、土井先生が言葉を投げかけた。
「最近休みないんじゃないの?」
「ええまあ、ちょっと仕事に集中したかったので」
「たまには顔を見せてくれると助かるんだ。詩織さんも利吉くんが怪我とかしていないか心配していたから」
詩織さん。以前まで雪下さんと呼んでいた彼が。
「名前で呼ばれるようになったんですね」
「あ、いや、まあ…ははは…利吉くんに言われると照れるな」
「私はまだ諦めてません」
「うん、分かってる。利吉くんならそう言うと思ってた」
土井先生は、いつもの善良で優しげで温かみのある眼差しを私に向けた。そんな先生のことを私は心底羨ましいと思ってしまった。
「なんの話ですか?」と詩織さんがお茶を運んでくる。
「利吉くんは仕事続きで大変だなって話です」
土井先生はそう言って誤魔化す。
彼とは違う意味で善良な彼女に、彼の意図を剥がした。
「詩織さんの話ですよ。貴女が可愛いらしいと先生が惚気けています。ところで土井先生、女性に簪をプレゼントする意味はご存知ですか?」
「知らないな。意味なんてあるの?」
「ええ、ありますよ」
詩織さんに視線を向けて言う。
「あなたを護るという意味があります」
彼女が驚くような恥ずかしがるような仕草をしたのが可愛かった。ああ、土井先生じゃなくて私がそんなあなたの全部を見てみたかった。
だからこれが私の精一杯の抵抗なんだと思う。
「土井先生で物足りない時はいつでもお相手しますから」
ぽっと火照った顔をさせる彼女にクスリと微笑みが零れる。こんな冗談でしか彼女に誘うことしかできないなんてフリーの売れっ子忍者が聞いて呆れる。
「利吉くん。詩織さんをからかってはいけないよ」
「やだなぁ土井先生の方こそ、たくさんからかってるんじゃないんですか?」
別に下世話な会話をしたい訳じゃない。だけどせめてもの抵抗だった。そんな私の浅はかさを目の前の彼は理解していた。鋭い視線が突き刺さる。
「利吉くん」
私はコホン、とわざとらしく咳払いをした。
「それ以上聞くなら私は黙っておかないよ?」
「……さすが土井先生、その鋭い眼差しが私には怖いです」
「詩織さんが顔を真っ赤にさせてる。君はこんな話をする人じゃないだろう?」
「そう、なんですけど…はは、やっぱり恋は人を惑わせますね」
「君なら忍者の三禁は心得ているだろ?」
「ええ…先ほどは失言すみません」
少しして詩織さんが思い出したように言った。
「利吉さん、任務続きで疲れてるんじゃないですか?今日はこちらにお泊まりになっていかれては?」
「え?いいんですか?」
思わず頬が綻ぶ。けれど、いくら私が彼女を好いていると言っても、そのくらい弁えているつもりだ。それに目の前で人知れず殺気を放っている彼にも悪い。
「けど遠慮しておきます。年末年始は家に戻ると伝えてますから」
私の家は山奥なんで、と付け加える。
彼女がどのくらいの山奥を想像したのかは分からないが、「ではおにぎりでも握りましょうか?」と言うので、その言葉は素直に受け取ることにした。
◇
山道を登りながら、小川のほとりで休息を取った。
詩織さんが握ってくれたおにぎりは塩がきいてて疲れを癒してくれる気がする。
ああ、私だけ見てくれればいいのに。
どうしようもない望みを抱きながら空を仰いだ。
遠くの空はどんよりと曇り空で今にも雨が降り出しそうだ。手に残ったおにぎりを一口で平らげ、帰路を急いだ。
脳裏には、まだ、簪を買った時の頬を染めた彼女の微笑みが残っていた。
→
土井先生の長屋に向けてただ何となく足が向いていた。
二年前、詩織さんに助けられたときは天女かと思うほど私にとって彼女は眩しい存在だった。だから再会できたとき、すぐにでも彼女を抱き締めて連れて帰りたくなった。でも人の優しさが溢れる忍術学園に連れて行きたくなった。彼女に人のぬくもりを感じてほしかった。頼ることを覚えてほしかった。
『あの日、私を見つけてくれて、ありがとうございます』
五年生の実習帰りに怪我を負った彼女をおんぶしたとき、彼女のか細い声で呟くのを聞き逃さなかった。
『どこにいたって見つけますよ』
強い風にかき消された本音を彼女が気付くことも無く、そして私も再度伝えることをしなかった。もしあのとき、伝えていたら何か変わっていたんだろうか。
『土井先生、詩織さんが無理しないようお願いします。きっと彼女は無意識に無理をしそうなので』
『利吉くん、心配しすぎじゃないの?』
『そんなことありません!詩織さんは危なっかしい人なんです!』
土井先生は私が大声を出すのを見てクククと笑った。
いつもの冷静さが彼女に関しては皆無になってしまう。
『雪下さんは確かに優しいから、利吉くんが心配するのも分かるよ。じゃあ私の授業を見学させるっていうのはどうだい?』
土井先生の言葉に少しだけ負の感情が芽生えるのを感じた。詩織さんのことを知っているような口振りに、もちろん毎日同じ学園内にいるのだから、彼女のことを知っていて当たり前なのだけれど、それがつまらなかった。
そして彼の穏やかな口調は、いつも通りなのだが上手く言葉にできないが、彼女になにか特別な感情を抱いているのではないかと疑ってしまった。でも彼にお願いするほかないのだ。
『わかりました。無理はさせないでくださいね?』
『うん、分かってるよ』
『詩織さんは本当に手が焼けるんだから』
そう言わないと私のもとから彼女がいなくなってしまう気がしたのだ。
彼女のことが大好きだ。
薄暗闇の中、手当てをしてもらっていた時からずっと。
ひたむきで真っ直ぐで優し過ぎる彼女のことがずっと。でも私は忍だからと、任務中に知り合った彼女と縁を分かち合うことなんて出来ないと思って諦めていた。
河原できり丸君と洗濯をしていた詩織さんを見て、その眼差しに映るのが私ではないと知ったとき、それが私にとって兄だと思って慕っていた土井先生で、複雑な気持ちだった。彼女を盗られたくない気持ちと、私以外に彼女を任せるとしたら土井先生しかいないという気持ちが混濁していた。
『土井先生はどうお考えですか?』
『決めるのは雪下さんですよ』
彼の気持ちは私と同じように彼女に向けられている。その残酷な現実に、何も行動を起こさない彼に苛立ってしまった。もし、彼女が私を選ぶなら彼女を幸せにしてみせる。そう思った。でも彼女の気持ちはすでに決まっていた。
そんな彼女に私ができることは二人を見守ることで、そんなことでしか彼女を幸せにできない。でも、彼女への想いがそう簡単に消えたわけじゃない。
あの日から忘れるように任務続きの日々を過ごし、久々の休暇を過ごしていたときだった。ただ何となく土井先生の家へ行こうと思って歩いていたら、目に留まる女性がいて、それがすぐに彼女だと分かった。
本当に私はいつでも見つけられるんだな、と自嘲気味に笑った。
詩織さんは、一人でお買い物をしている様子だった。
簪などを売る小物屋で足を止め、品物を眺めている。
吸い寄せられるように、彼女のそばへ向かっていた。
「その簪、お似合いじゃないですか?」
私の声に驚いた彼女が振り返る。
私だと分かり優しい眼差しを向けた。それだけで私の鼓動は静かに高鳴る。
「利吉さん…!」
「お久しぶりです。こちらもお似合いですね。詩織さんはどちらが好みですか?」
詩織さんが見ていたのは装飾の凝った一輪挿し用の簪だった。その中で似合いそうな、二つを目の前に向ける。
「うーん、こっちかな?」
詩織さんが指差したのは、紅葉の金細工が施された簪だった。簪を彼女の髪にあててみる。うん、綺麗で似合っている。店主にお金を払い、それを彼女に手渡した。
「私からのプレゼントです」
「え!でも、悪いですよ!」
「もう代金は払ってしまいましたし、きっと詩織さんにしか似合わないですよ」
すでに代金を払っていては断りづらいだろう。
彼女は私に向けていた簪をさげた。
「……ありがとう、ございます」
「ちょっと髪を結い上げてみませんか?」
「え?あっ…」
彼女の後ろ髪を優しく持ち上げる。白い柔肌に日光があたる。綺麗だなと見惚れたのも束の間、首筋に赤い蕾がついているのに気付いた。瞬間、それが誰がつけたものでどうしてなのかも分かってしまった。
持ち上げた艶やかな髪をそっと下ろし、彼女に笑顔を向ける。
「土井先生とは随分親睦を深められているようですね」
そう言うと顔中を真っ赤にさせた詩織さんがいた。
初めてそんな表情を見たと思う。
「……はい」
私の知らないところで彼女はささやかな幸せを手に入れたのだということが、嬉しくもあり悲しくもあった。
「今、半助さんは家で、きり丸君の内職のアルバイトを手伝っている最中なので寄って行きますか?」
「あ、でも……いえ、行きます」
折角の彼女の誘いに乗らない私ではない。たとえ恋敵がいたとしても。まあ、もはや恋敵というべきではないのだろうけれど、それでも少しでも彼女といたい私もたいがいだと思った。
彼女が『半助さん』なんて呼び方を変えたことが、胸に鈍い痛みを与えた。
◇
「ただいま戻りました。途中で利吉さんにお会いしました」
家に入ると、土井先生は造花の内職をしていた。
「やあ利吉くん」
「ご無沙汰しております」
「いまお茶を入れますね」
詩織さんはそう言うと、釜戸でお茶の用意を始めた。
座敷にあがり、内職の花作りを眺めていると、土井先生が言葉を投げかけた。
「最近休みないんじゃないの?」
「ええまあ、ちょっと仕事に集中したかったので」
「たまには顔を見せてくれると助かるんだ。詩織さんも利吉くんが怪我とかしていないか心配していたから」
詩織さん。以前まで雪下さんと呼んでいた彼が。
「名前で呼ばれるようになったんですね」
「あ、いや、まあ…ははは…利吉くんに言われると照れるな」
「私はまだ諦めてません」
「うん、分かってる。利吉くんならそう言うと思ってた」
土井先生は、いつもの善良で優しげで温かみのある眼差しを私に向けた。そんな先生のことを私は心底羨ましいと思ってしまった。
「なんの話ですか?」と詩織さんがお茶を運んでくる。
「利吉くんは仕事続きで大変だなって話です」
土井先生はそう言って誤魔化す。
彼とは違う意味で善良な彼女に、彼の意図を剥がした。
「詩織さんの話ですよ。貴女が可愛いらしいと先生が惚気けています。ところで土井先生、女性に簪をプレゼントする意味はご存知ですか?」
「知らないな。意味なんてあるの?」
「ええ、ありますよ」
詩織さんに視線を向けて言う。
「あなたを護るという意味があります」
彼女が驚くような恥ずかしがるような仕草をしたのが可愛かった。ああ、土井先生じゃなくて私がそんなあなたの全部を見てみたかった。
だからこれが私の精一杯の抵抗なんだと思う。
「土井先生で物足りない時はいつでもお相手しますから」
ぽっと火照った顔をさせる彼女にクスリと微笑みが零れる。こんな冗談でしか彼女に誘うことしかできないなんてフリーの売れっ子忍者が聞いて呆れる。
「利吉くん。詩織さんをからかってはいけないよ」
「やだなぁ土井先生の方こそ、たくさんからかってるんじゃないんですか?」
別に下世話な会話をしたい訳じゃない。だけどせめてもの抵抗だった。そんな私の浅はかさを目の前の彼は理解していた。鋭い視線が突き刺さる。
「利吉くん」
私はコホン、とわざとらしく咳払いをした。
「それ以上聞くなら私は黙っておかないよ?」
「……さすが土井先生、その鋭い眼差しが私には怖いです」
「詩織さんが顔を真っ赤にさせてる。君はこんな話をする人じゃないだろう?」
「そう、なんですけど…はは、やっぱり恋は人を惑わせますね」
「君なら忍者の三禁は心得ているだろ?」
「ええ…先ほどは失言すみません」
少しして詩織さんが思い出したように言った。
「利吉さん、任務続きで疲れてるんじゃないですか?今日はこちらにお泊まりになっていかれては?」
「え?いいんですか?」
思わず頬が綻ぶ。けれど、いくら私が彼女を好いていると言っても、そのくらい弁えているつもりだ。それに目の前で人知れず殺気を放っている彼にも悪い。
「けど遠慮しておきます。年末年始は家に戻ると伝えてますから」
私の家は山奥なんで、と付け加える。
彼女がどのくらいの山奥を想像したのかは分からないが、「ではおにぎりでも握りましょうか?」と言うので、その言葉は素直に受け取ることにした。
◇
山道を登りながら、小川のほとりで休息を取った。
詩織さんが握ってくれたおにぎりは塩がきいてて疲れを癒してくれる気がする。
ああ、私だけ見てくれればいいのに。
どうしようもない望みを抱きながら空を仰いだ。
遠くの空はどんよりと曇り空で今にも雨が降り出しそうだ。手に残ったおにぎりを一口で平らげ、帰路を急いだ。
脳裏には、まだ、簪を買った時の頬を染めた彼女の微笑みが残っていた。
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