13.不器用、二人
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「詩織さーん!準備できましたかぁー?」
襖の向こうから聞こえる声に、返事をする。
「きり丸君、もう少し待って!」
「こらきり丸、女性の部屋の前でウロウロするな。雪下さん、正門で待ってますから、ゆっくりでいいですからね」
「ったく土井先生は詩織さんに甘いんだから〜」
鏡に映る自分の頬が緩んだ。
今日から土井先生のそばで一緒に過ごせることが、支度をする私を待ってくれていることが、胸が騒いで落ち着かない。
それに、昨夜聞いた大晦日の話。
きり丸君のいない夜を迎えることに、期待しないなんてできなかった。
でも。
怖いと思う私がいる。
色恋の類とは縁もなかった暮らしだったから、昨日のような手遊びくらいであればなんの躊躇いもなく受け入れられるのだが、さらに深い仲となると違ってくる。
だって、きっと土井先生は経験があって当然だし、むしろ今までの手つきからして慣れているに違いないし、だからこそ経験のない私に幻滅してしまうかもしれない。
関係が進むことが怖い。
そしてその関係がいつか終わってしまうのではないかと思うと余計に怖かった。
◇
「町に着いたら、雪下さんの分の布団を買いましょう」
長屋までの道を歩きながら、土井先生がそう言う。
「え〜?三人なら二組の布団で良いじゃないすか」
「な、なにを言ってるんだ!?そんなこと…!」
「先生〜、別に俺は土井先生と詩織さんが同じ布団を使うなんて言ってないっすよ?」
「そ、それはそうだが…」
「あ!じゃあ、二つの掛け布団を縫い合わせて大きな一つの掛け布団にしちゃえばいいんじゃないすか?」
「お前なぁ…」
「ふふ…きり丸君らしい」
「で、どうするんです?布団屋ならあそこですけど」
きり丸君の指差す方には布団屋が。
布団を買ったら、おそらく毎日お米を食べることは難しそうだった。
「みんなで一緒に寝るのは楽しそうですね」
「雪下さん!」と土井先生が大きな声を出して驚く。
「たまにはいいじゃないですか。なんだかお泊りキャンプみたいで」
そう言いながらも頬が熱を持つのを感じた。
「じゃあ決まりっすね!土井先生、ここは心を鬼に!」
「ぐう…!とにかく真ん中はきり丸だからな」
「えー?どうせ俺が寝たら、土井先生は詩織さんと話すんでしょ?俺は端でいいっすよ」
よくないよくなーい!
一人テンパる私を他所に、土井先生が落ち着いた声できり丸君を諭す。
「きり丸、あんまり大人をからかうなよ」
「も〜、俺は先生のためを思って言ってんすよ?でも、隣のおばちゃんになんて説明するんです?さすがに兄妹で誤魔化すことは無理じゃないすか?ここはいっそ夫婦……いったあ!土井先生なにも叩くことないじゃないですかー!」
ふふ、と二人に笑みを向ける。
きり丸君の明るさが、適度に私の緊張を解していく。
「先生、結婚してない男女が、同じ屋根の下で寝泊まりするのは怪しまれますって」
「それもそうだが…」
「許嫁とか婚約者とか、とりあえずの理由でいいんじゃないすか?」
とりあえずの理由。
その響きに少しだけ甘えたくなった。
「そうですね。とりあえず…婚約者でいいんじゃないでしょうか?この冬休みの間だけですし」
一瞬、土井先生の眼差しが私に向けられた気がした。
でも視線をそちらに向けても、先生は違う方角に視線を向けていた。
「詩織さんがいいなら決まりっすね!いやあ、隣のおばちゃん喜ぶだろうなあ」
「ふふ、隣のおばちゃんが優しい人だといいなあ」
◇
「詩織さん!ここが我が家でーす!」
「まずは空気の入れ換えと掃除だな」
「私もお手伝いしますね」
家に入り作業をしていると、誰かが入ってきた。
「なんだい、半助、帰ってたのかい?おや?あんた誰?」
ギロっと眼差しが向けられ思わず蛇に睨まれた蛙のように固まっていると、きり丸君がすかさず間に入ってくれた。
「あ、隣のおばちゃん!こっちの方は土井先生の婚約者の詩織さんです!」
「詩織です!は、はじめまして!」
「あらあ〜半助の婚約者?すっごく美人さん!昔の私にそっくりじゃないの!半助なんかに勿体ないくらい!」
「おばちゃん、それは誇張じゃ…いて!せんせえ!」
「(小声で)いいか?きり丸、ここは喜車の術だ」
「そ、そうっすね…いやあ、おばちゃんは今もお綺麗っすよ〜!」
「やだあ、そう?詩織ちゃん、なにか困ったことがあったらいつでも頼ってちょうだいね?ところで、半助のうちは詩織ちゃんの分の布団はあるの?無いならうちに使ってない布団をあげるわよ?婚約者ができた半助のためにお代は要らないわ」
あれよあれよと、押しの強いおばちゃんに流されるまま、気付けば目の前にはドドンと隣のおばちゃんが使っていた布団が置かれていた。
掃除や夕食の準備を終えて、やっとご飯にありつく。
焼いた魚の香ばしい匂いが鼻をつついた。
「いやぁ、良かったっすね!これでちゃんと一人一つの布団で寝れますよ!土井先生、な〜んかショック受けてません?」
「そんなことはない!」
二人の会話にふふっと笑う。
「今夜はよく眠れそうです」
ご飯を食べ終えると、土井先生は杭瀬村の時のように部屋を衝立で区切った。
「ではこちら側で私たちは寝るので」
「えー仕切っちゃうんですかあ?」
「当たり前だ。雪下さんは女性なんだぞ。仮にも私たちは夫婦じゃないんだ」
「じゃあ夫婦になれば…いってえ!もー!さっきから横暴っすよ!」
「ごめんね、きり丸君」
「詩織さんは一緒に寝たくないんですかあ?」
「うーん…」
土井先生に視線を向けると、首を横に振る彼がいて、思わず意地悪したい気持ちが湧いてしまった。
「ふふ、いずれね」
そう言うと彼は目を見開くので、それが余計におかしかった。
◇
きり丸君の寝息が聞こえてきた頃、衝立の向こうから静寂を壊さないように土井先生の声が聞こえてきた。
「なんでさっきあんな意地悪言ったんです?」
「意地悪、でしたか?」
「はい。いずれ、とか…それに…とりあえず婚約者でいい、とか…」
「それは……」
そこまで言って言葉を止めて考えた。
どうして言えないんだろう。
本当は、ただ関係が進むのが怖いと伝えられれば、それだけでいいはずなのに。
もしこの距離感が壊れてしまったら――。
だから、つい逃げるような、遠回しで、意地悪で、土井先生を困らせるような言い方しかできなかった。
「……嫌、でしたか?」
こんなとき、触れ合える距離にいて、手を繋ぐことができれば、この気持ちは土井先生に届くのだろうか。
「嫌ですね」
その声は静かなのに、胸の奥に重く響いた。
本当に意地悪だったのは私の方だったのかもしれない。
「雪下さんの気持ちが、大事ですから」
彼の声に、微かな優しさを感じた。
けれど、その言葉がもどかしくて、胸が震える。
それはどういう意味ですか?
そう聞きたくても、言葉が喉につかえて出てこない。
瞼を閉じると、瞼の裏に涙が滲むのを感じた。けれど頬に流れ落ちることはなかった。
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