12.月夜の水面
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「お〜い兵助ぇ、大丈夫かあ?」
同室の尾浜勘右衛門の声が右から左へと流れていく。俺は文机に突っ伏していた。なぜかって?それは、さっき食堂で見かけた詩織さんの首筋に真っ赤な痕、まるで花が咲いたかのような接吻の痕を見てしまったからだ。
「その首のアザ、どうしたんですか?」と尋ねたら、詩織さんは顔を真っ赤にしながら、「ちょっと虫にね」と笑って答えた。だが、その様子で僕はすぐに理解してしまった。そういうことなのだ、と。
昨日、学園長から強いお酒をもらった詩織さんを部屋まで送ろうとしたけど、六年生の善法寺伊作先輩に止められ、そうこうしているうちに土井先生がやってきて、詩織さんを介抱してしまったのだ。
「教師だからって、ずるい!」
僕は思わず声を上げた。
すると、勘右衛門が苦笑しながら口を開く。
「おい、兵助。さっきからそれ何回目だよ?」
「勘右衛門だってあの痕見ただろ?なんとも思わないのか?」
「いや、別に俺は詩織さんのこと意識してねえし…そんなに好きなら、いっそ告白しちゃえば?」
「なっ!? い、言えるわけないだろ!」
「どうして?」
「だって、あの痕をつけたのが土井先生だってわかってるんだぞ?そんなことしたら、絶対に殺されるに決まってる…」
「さすがにそれはないだろ?」
「いや、土井先生はタソガレドキや他所の城からも引く手数多のプロ忍者なんだぞ?戦術や兵法に長けた先生に、五年の俺が太刀打ちできるはずがない」
そんな話をしていると、善法寺伊作先輩がやってきた。
表情は僕と同じで暗い。
「兵助ちょっといいか?」
「どうしましたか、伊作先輩」
「実は、詩織さんの首のアザの件なんだが…その表情を見る限り、やっぱりあの痕は土井先生…なんだよな?」
「はい。私と伊作先輩は、昨日詩織さんを送ろうとして、土井先生に止められましたから」
「やはり…まあ、土井先生が相手だと勝ち目はないよな」
「はい、私もそう思っていました」
「それと、乱太郎から聞いたんだが、冬休みの間、詩織さんは土井先生の長屋で過ごすらしい」
「ええっ!?」
もうそれって、二人の関係が進んでいるということじゃないか…と焦りが生まれる。けれど、土井先生はいつから詩織さんのことを狙っていたんだろうか。
目の前に伊作先輩の指が突きつけられる。
「そこでだ。これ以上二人の仲が進展しないように、僕たちで冬休みに土井先生の邪魔をしようと思うんだ。兵助も手伝ってくれるかい?ちなみに六年生は全員参加する予定だ」
これは渡りに船ではないか。
自分一人だと心細いが、六年生全員とあればなんて心強い…!
「わかりました!勘右衛門!お前も今の話聞いてただろ?」
「いや、俺は遠慮するよ。絶対後で土井先生に睨まれる気がするもん!」
◇
そんな話をしたあと、詩織さんが冬休みの連絡事項が書かれた配布用紙を持って現れた。
詩織の首元は、朝には見かけなかった手ぬぐいが巻かれている。そしてその手ぬぐいは何処かで見覚えがあった。
「詩織さん、その首に巻いてるのって…」
「あ、これ?ちょっと肌寒くなってきたから手ぬぐいを巻いてるんだ」
嬉しそうに答える姿に、悪い予感がした。
「もしかして、それって土井先生のですか?」
「え?よくわかったね!すごい!」
詩織さんがにっこりと笑いながら答える。
すると、勘右衛門がふいに詩織さんに質問をぶつけた。
「あの〜、詩織さんって土井先生とどんな関係なんですか?」
「え?」
内心、でかした勘右衛門!と叫ぶ。
詩織さんは戸惑った表情をするけど、その姿も可愛らしいと思ってしまう。
「もう俺兵助が豆腐メンタルになってるの無理すぎて!詩織さんお願い!教えてください!」
「え?久々知君が?」
詩織さんが俺を見る。
一瞬重なった視線に心臓が張り裂けそうになり、かぁ〜っと顔が熱くなるのが分かった。
こんなに緊張を感じるのは、前に二人きりで硝煙庫の掃除をしたとき以来かもしれない。
詩織さんは少し考えてから、ふふっと微笑んで言った。
「それは…尾浜君たちの想像に任せるね」
いたずらっぽく笑う詩織さんに、俺では敵わないんだと改めて思った。
そして、この会話を土井先生が陰から聞いて微笑んでいたことも、詩織さんが亡き弟の姿を重ねて面白がっていたことも、この時の俺は知らなかったのだ。
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