12.月夜の水面
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初めて詩織さんに会ったときの印象は、笑顔が素敵な子だなということだった。くの一教室の教師として、日々おしとやかに時に強くしなやかに忍術や女性としての所作を教えている身としても、彼女の謙虚さや柔和な部分は、くのたまにはお手本にさせるには申し分ない人だった。
「そろそろ詩織さんも、私に気を遣わずゆっくり過ごしてほしいと思ってね」
彼女はなにを勘違いしたのか、私がそう言うとテーブルを移って行ってしまった。土井先生の動揺ぶりは一目瞭然で、そんな彼の姿を見て思わず口元が緩んだ。
「詩織さんを守ってあげてくださいね」
「山本先生、それは・・・どういう・・・」
「あら土井先生、私にはお見通しですよ?ふふ」
根拠は無かったが、そうカマをかけてみた。彼の一瞬の表情の変化、腹に手を当てた仕草を見逃さなかった。それだけ彼女という存在が彼にとって大きなものになっているのだと察した。
詩織さんが泣いていた数日前の夜のことを思い出す。部屋で一緒に過ごしているうちに、彼女の強さと、そしてその裏に隠された弱さを見てきた私にとって、彼女が過去にどれだけ辛い経験をしてきたかが分かる気がしていた。
彼女の優しさや周囲への思いやり、その影を見せない強さは尊敬に値するが、それは彼女自身を傷つけることもある。だからこそ心配だった。
彼女の心を守れるのは、土井先生しかいない。
そう思っていた矢先の涙だった。
詩織さんが紅葉の栞を作っていた夜、私は彼女の中で芽生えた気持ちに気付いていた。なにも言わなかったのは、彼もまた彼女を意識していたからだ。
男女の縁というのは不思議なもので、運命の巡り合わは一生に一度なのだ。
「山本先生はそれを知ってて、雪下さんを一人部屋になさったんですか?」
「ええ、もちろん」
そう言うと彼は席を立ち、彼女のいるテーブルへと進んで行った。大木先生と仲良く話しているのが気に食わない様子だ。
そのとき、詩織さんが度数の高い学園長の愛酒を一口飲んでいるのが見えた。残りのお酒を土井先生が一気に飲み干す。その光景に口角が上がる。不器用な二人を温かく見守っていきたいと乙女の気持ちを私は久々に抱いた。
◇
歓迎会の翌朝、くノ一長屋で見かけた詩織さんの首筋には赤い痕がつけられていた。まさかこれは、と堪らず声をかけると、彼女はその部分を手で押さえて隠した。
「おはよう。その痕はどうされたの?虫刺され?」
「おはようございます…あ、あの、えっと…そうなんです虫刺されなんです。あの、絆創膏って持っていませんか?」
経験がある者からみればそれが口吸いの痕だとすぐに分かってしまうけれど、純朴な彼女は私のわざと言った間違えに気づかない。
「それなら、そのままでいた方が虫除けになるわよ?」
「え、そうなんですか?知らなかったです」
私の言葉を信じたらしく、隠していた手を退けてその痕をしっかりと見せつける。
皮下出血の痕は虫刺されとは全く違うものなのだ。
見る人が見れば、昨日土井先生が彼女を部屋まで送ったことを含めれると言わずもがなのはずである。
それはそうとしても、きっと彼女を想う上級生にはきっといい虫除けになるに違いない。
そのまま何事もなかったように痕をさらけ出し歩く彼女の背中に少しばかり後悔が押し寄せたけれど、まぁ、きっと土井先生がどうにかしてくれるだろうと静かに期待を膨らませた。
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