夕凪の彼方
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○孤独と再会○
秋の終わり、冷たい風が吹き荒れる夕暮れ。
私は人気のない街道を歩いていた。行く宛てもなく、寒さに耐えるしかない体がこわばっている。背中には風が吹き付け、薄手の着物ではとても耐えきれそうになかった。家も、家族も、すべて失い、心細さが胸に重くのしかかる。
「このままじゃ、どこにも辿り着けない…」
独り言が自然と口から漏れた。街道沿いにぽつぽつと並ぶ民家の明かりが、遠くからぼんやりと見えてくる。しかし、そのどれもが自分にとっては遠いものに感じられた。
昨日まであった、当たり前の生活が当たり前ではないのだと、両親が亡くなったときに分かっていたはずだった。遠い親戚宅に引き取られたものの、そこの息子が結婚するからと、「これ以上養えない」と家を追い出されたのだ。
誰かに助けを求めたいと思う反面、誰に頼っていいのかもわからない。ふと、立ち止まって空を見上げる。灰色の雲が広がり、まるで自分の心情を映しているかのようだった。
その時、不意に背後から声がかかった。
「こんなところで、何をしている?」
振り返ると、そこには見覚えのある男性が立っていた。黒い装束をまとい、鋭い眼差しをしているが、どこか懐かしさを感じるその顔。すぐに思い出した。彼は、かつて私のいた屋敷に出入りしていた利吉さんだった。
彼に会うのは2年ぶりくらいだろうか。
でも声と面影に彼だと分かった。
「利吉さん…」
「……もしかして、詩織さん?」
彼だと分かった途端、これまで溜めていた不安と寂しさが一気に押し寄せ、自然と涙がこぼれ落ちた。利吉さんは驚いたような表情を見せたが、すぐに優しく微笑んで言った。
「大丈夫です。あなたを安全な場所に連れて行きます。私が約束するので、信じてついて来てくれませんか」
私は黙って頷き、利吉さんの後を歩いた。
◇
利吉さんに連れて行かれた先は、広い敷地があるであろう屋敷だった。『忍術学園』と書かれた正門を目にして初めて聞いた響きに、戸惑いが生まれる。
「ここは忍の学校のようなものです」と、利吉さんは説明をすると躊躇いもなく門を開いた。開いた先に頭巾を被った忍者らしき姿の男の人が出てくると、彼に向かって「入門票にサインをお願いします」と入門票と筆を差し出した。
「利吉さん、こちらの女性は?」
「ああ、その件で学園長先生にお会いしたくて」
利吉さんの言葉に「事務」と胸元に書かれた男性は、私と利吉さんを敷地の奥に案内してくれた。
通された庵には白髪のお爺さんと頭巾を被った犬が正座していて、その状況に内心驚きながらも、利吉さんと同じように正座した。
「それでかくかくしかじかでして…以前こちらで事務員募集の案内があったことを思い出して連れて来てみたのですが、こちらで彼女を雇ってもらうことはできますか?」
利吉さんは手短に、私の説明と連れてきた経緯を説明してくれた。学園長と呼ばれたお爺さんは俯きながら静かに聞いている。
「……ふむ。して、お嬢さんの名前は?」
「雪下詩織です」
「では、雪下くんを忍術学園の事務員補助として採用しよう。当面はくノ一教室の山本シナ先生と同室で過ごしてもらってもいいかのう?」
「あ、ありがとうございますっ……本当にいいんですか?」
あまりの決断の早さに言葉が漏れる。
そのとき先ほどの小松田さんがお茶を運んできてくれた。
「学園長、お茶をお持ちしまし…あ!」
バシャン、という音とともに学園長は豪快に頭から熱々であろうお茶を被った。
「す、すいません〜っ」
「大丈夫ですか!?」
私は咄嗟に懐に入れていた手拭いを取り出して、学園長の頭にこぼれてしまったお茶を拭いていく。
小松田さんは謝りながら、湯呑みを取ろうとしたが、今度は手が滑って割ってしまった。
「小松田くん!!」
学園長が怒りの声を張り上げる。
その様子を見ていた利吉さんが、まあまあ学園長、と宥めた。
「今度から詩織さんが事務員補助として働くわけですから、小松田さんの失敗も気にしなくなりますよ」
「利吉さん酷いですよ!僕だって一応やるときはやるんですから!詩織さん、いつでも僕を頼って下さいね!」
事務員募集の案内があったことに妙に納得してしまうのと同時に、人の良さそうな小松田さんの笑顔に、緊張が解いていくのを感じた。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
外は夕陽が沈み切っていて、先生方への私の紹介は明日に持ち越すことになった。
「私も今晩はこちらに泊まらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「よかろう。山田先生のとこかな?」
「ええ」
利吉さんは笑顔を学園長に返すと、私にもその笑顔を向けた。
「そうだ、詩織さんにも紹介したいので来てくれますか」
「え…?はい」
庵を出た私は、利吉さんに案内されるまま通路を進んだ。
時折すれ違う生徒らしき子どもたちが「利吉さん、こんにちは!」と声をかけて通り過ぎるので、ここでの利吉さんの存在の大きさを改めて知った。
◇
ある部屋の前で利吉さんは立ち止り、中に声をかけた。
「父上」
「利吉か」
声が聞こえ、利吉さんが戸を開くと、髭を生やした男性が書き物をしていた。利吉さんと同様、忍者の姿をしている。
この方が、利吉さんのお父さんなのだろうか。さっき、学園長が山田先生と言っていたことも思い出す。
利吉さんのあとに続き、私も部屋に入り正座する。
行燈と書机だけのさっぱりとした部屋だった。
「こちらが私の父、山田伝蔵です」
「は、はじめまして。雪下詩織と申します」
私は慌てて頭を下げた。
そのとき、傍らにもう一つ書机が置かれていたことに気付く。視線を向けると私と同じくらいの若い男性がこちらを見ていた。パチッと目が合ってしまい、一瞬ドキッとしてしまったけれど、すぐに視線を山田先生に戻す。
ドキッと鼓動が打ち付けるのを堪え、平静を装った。
「実は、父上に紹介したい方でして…」
「わしに?」
目を見開く山田先生に、何を考えたのか私にも分かってしまった。
確かに、利吉さんの今の言い方は勘違いをしてしまいそうだ。
「もしかして、利吉くんのお嫁さんかい?」
さっき目が合った男性の声が横から飛ぶ。
柔らかい声で少し冗談交じりな口調に、優しそうな人だと思った。
「土井先生!ちがいますよ!」
利吉さんは声を張り上げて否定する。
ううん、今の言い振りはたぶん勘違いしちゃうよ?
土井先生と呼ばれた男性は「違った?」とカラッと笑った。
利吉さんはわざとらしく咳払いをしてみせる。
「この方は・・・以前、私が任務に失敗続きだったときに助けていただいた方です」
利吉さんの説明に、山田先生が言葉を続けた。
「ああ・・・前にスランプに陥ってたときの……その節はどうもうちの倅がお世話になりまして」
「いえいえ…私は何も…手当てをしただけですし…」
初めて利吉さんに会ったのは、遠い親戚の家で家政婦として働いていたときのことだ。普段誰も立ち寄らない気味悪がられている蔵に、彼が流血して倒れていたのを、私が手当てしたのだ。深い傷を負っていた彼を一週間ほど蔵に匿わせて世話する間に、彼が信頼できる人だと思うようになっていた。
「利吉くん。それで、なんでこちらの…雪下さんがここに?」
「実は色々とありまして、ここの事務員補助として働いてもらうことになったんです。先ほど学園から許可もいただきました」
「あ、えっと・・・山田先生、土井先生、これからよろしくお願いします」
頭を下げると、二人も会釈を返してくれた。
「こちらこそ」
「よろしくお願いします」
挨拶を済ませると、山田先生がおどけた口調で土井先生に向けて言う。
「半助が利吉のお嫁さんなんて言うから、肝っ玉が冷えちゃったじゃない」
「はは…すみません…ほら、利吉くんもいい年だし」と土井先生が反論すると、利吉さんも「それは土井先生も同じじゃないですか!」と言い返した。
三人の明るい雰囲気に、秋風で冷えていた胸の中が温かさに包まれたようだった。
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