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まさか当時の私はこうなることなど想像もしていなかっただろう。
✦ 合縁奇縁 ✦
「和谷義高?」
電話口から聞こえた名前を私は繰り返した。
中学校からのこの旧友は、二十歳を過ぎてもなおお互い連絡を取り合う仲の良さ。そんな旧友から、突然その名前が飛び出してきた。
「いたっけ?そんな人」
中学時代に思いを馳せるような、いい出会いも何も無かった気がするんだけど。けれど旧友は覚えているようで。
「なんで覚えてないのよ?中三の冬、高校進学しないってちょっと有名だったじゃん」
「あー・・・いたね。そういえば」
遙か遠い記憶を手繰り寄せて、微かに思い出す。ほんと微か。顔も思い浮かばないが、たしかに話題になった人がいた。
「で、いきなり何なの」
彼女の話によると、最近その和谷義高に会ったというのだ。彼女は長年の夢だった出版社に就職して、女性向け雑誌に携わっている。新しい企画で、若手のイケメン棋士という題で取材した際に、和谷と再会したのだそうだ。
そのとき、和谷は彼女に『B組だった雪下さんって知ってますか?』と尋ねたそうだ。
「何故に」
「いや私こそ何故にだったから」
和谷曰く、実家の荷物を整理したときに中学校の卒業アルバムの寄書きに私の名前が書いてあったのだそうだ。全く記憶にないな、と思っていると、旧友が「実は」と打ち明ける。
「その寄書きの内容は、和谷あてじゃなくて戸田くんあてだったんだって。出だしに”戸田くんへ”て書いてあったみたいだし」
あんたって昔からそそっかしいのよ、と笑いながら話す旧友。言われてみればそうだったかも知れない、と妙に納得した。なんせ覚えていないのだから。
「話ってそれだけ?」
「んーとね、実はお願いがあってさ」
少し間を置いて話す旧友に、何やら面倒なお願いではないかと予感がして、それは本当に現実のものとなった。
***
仕事着と大差ない服装で私は旧友を待つ。
膝下丈のスカートに、七分袖のジャケット、ほぼオフィスカジュアルで決めた服。強いて言えば違いはお出かけ用の鞄だろうか。
「ごめん詩織、待った?」
「少しね」
「もう一人の子ももうすぐ来るって」
先日の、旧友からの電話の本題は『社さんが超絶かっこよくて、和谷くんに合コンに誘ってってお願いしちゃったんだ』ということだった。
『私と詩織と、もう一人大学の子でさ』
『ねえ、それ私いる必要ある?』
『ああああお願い神様仏様!みんな彼氏いるんだってだから!』
『悪かったわね、どうせ私は仕事一辺倒よ』
『よっ!キャリアウーマン!』
そんなやり取りのあと、旧友がすべてセッティングしてくれたらしく、スムーズに当日を迎えた。最初こそ乗り気で無かったものの、お店に向かう私の足取りは軽やかだった。
女性陣がお店に入ると、すでに男性陣は来ていて談笑しているのが見えた。その中の一人の顔が、何となく見覚えがある気がして、彼が和谷義高なのだと理解した。
「俺たち、みんな囲碁仲間なんすよ」
乾杯後、和谷くんは一人一人を紹介した。社さんと伊角さん、それに和谷くん。私の目の前に座る和谷くんに、気まずさが遅れてやってくる。なんせ他人の卒アルに別の人へのメッセージを書いたわけだからね。
「詩織さんは何のお仕事してるの?」
旧友は社さんにアタックしまくっているようで、見かねた伊角さんが私ともう一人の子に声を掛けてくれる。
「私は経理関係の仕事です」
伊角さんがもう一人の子に話しかけると、目の前に座る和谷くんが私に視線を向けて口を開いた。
「卒業アルバムって覚えてる?」
「あーえっと、間違って書いてたんだっけ?ごめんね」
和谷くんはバツの悪そうな顔を浮かべてお酒を口に含むと、ジャケットの胸ポケットに入れていた携帯を開いて私に渡してきた。
画面には卒アルの寄せ書きがあって、その中に私のメッセージがある。
― 戸田くんへ 好きだよー! 雪下詩織 ―
懐かしい丸文字に、かつての記憶が鮮やかに思い出された。
「うわ、なつかしい!書いた書いた!」
「やっぱりこれって戸田あてだったやつ?」
「うん、そう!なつかしいなぁ。彼、もう結婚しちゃったけどね」
淡い思い出を懐かしみながら、私もお酒を口に含む。うん、うまい。
「これ見つけたとき、もしかしたら俺のことかなーってちょっと期待してたんだけど」
「そりゃ失敬」
そりゃそうだよなぁ、と心の中で私は懺悔した。私だって同じことされてたら、期待してしまうだろう。
「そういえば、和谷くんって囲碁やってたんだね」
「まあな。雪下も囲碁やってみろよ」
「あー、私には難しいかな」
でも取引先のお爺ちゃんとかなら囲碁好きそう、と言うと和谷くんは笑ってくれた。
グラスに口を付けながら、和谷くんに眼差しを向ける。栗色のくせっ毛な髪は触ってみたくなる。シャツにジャケットを羽織った姿は清潔感があって女子受けしそうだ。もちろん私もこういう服装は好きだ。
そのあとも和谷くんとは中学時代の思い出話に花が咲いた。成人式のあと中学時代の同級生で行われた同窓会に彼は来れなかったことを知った。
「人が多くてさ、店貸し切りだったんだよ」
「うわ、行きたかったなあ」
「あの問題児だった子がさ、みんなにあの頃はすみませんでしたって謝ってたのが一番のハイライト」
「あいつが? まじで? 見たかったー」
和谷くんの声は、落ち着いた音色なのに自分の芯が通ったような、それでいて聞き心地のよい声だった。お酒も入って、その心地の良い声に酔いしれそうになる私がいた。
「和谷くんは、期待してたっていうけど私のこと覚えてなかったでしょ?」
「まあな」
もう、まったく。罪な男だ。
私の方こそ期待してしまうじゃないか。
「そうだ、雪下の連絡先教えろよ。取引先の爺ちゃんたち、俺が手合わせしてやるって」
和谷くんの言葉に一瞬どきりとして、「いいよ」と返事をする私の携帯を持つ手は少し緊張しているようだった。
そういうところだよ、和谷くん。
期待してしまうではないか。
お開きとなって、店を出た私たちは駅へと目指して進む。私の隣を平然と和谷くんが歩く。私の歩幅に合わせてくれているのが分かり、彼の優しさに胸が高鳴るのを感じた。
「さっきの話だけどさ」
さっきのとはどのことでしょう。
ピンとこない私に和谷くんは言葉を続ける。
「雪下のこと覚えてなかったのはホント。でも今日会ってみて、雪下に一目惚れしたんだ。だから実は俺あてのメッセージだったのかなって期待した」
ストレートな言葉に、胸が詰まる。
だって、こんなの反則だ。
「雪下と話すのけっこう好きだなって思えたし、単純に雪下のこともっと知りたいって思ったしな」
和谷くんは今日一番の笑顔を向ける。
「だからさ、俺と付き合わねえ?」
和谷くんの告白はすぐに街を行き交う人々の足音に掻き消されていく。
「うん、いいよ」
私の言葉も雑踏へ溶け込んでいく。
こちらを見つめる和谷くんの表情はやはり太陽のような笑顔で、どちらともなく繋いだ手のひらから伝わる彼の温かさに、また胸が締め付けられる。
どうして、中学時代に彼を知らなかったのだろう。
当時の間違えて書いてしまった私はこうなることなど全く想像もしていなかっただろう。
その夜、和谷くんから送られてきたメールは、碁会所の誘いではなくデートの誘いだった。クローゼットを開けて、今度の休みに洋服を買いに行こうと私は決意した。
end
