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「雪下さんってプロ棋士の和谷さんと同じ中学だったよね?」
✦ 通過点 ✦
高校に入学してクラスメイトが部活動の仮入部を終えた頃、私は見知らぬ女の子に呼び止められそう聞かれた。彼女は同じ1年生で、囲碁部らしい。
「同じ中学だったよ」
そう返すと彼女の表情はパッと花が咲いたみたいに明るくなった。
「連絡先って分かったりしますか?実は和谷さんに指導碁をしてもらいたくて」
「連絡先は知らないけど、本人に聞いてみるよ」
和谷義高。
他の女の子からその名前を聞いたことに胸が少し痛かった。
理由なんて簡単で、私は和谷に惚れている。
中学三年生で同じクラスになって、すぐに仲良くなった和谷を、私は気付いたら好きになっていた。
なんも淡い思い出なんて無くて、連絡先も知らないまま卒業したのだ。
高校の入学祝いで買ってもらった携帯電話に彼の連絡先はない。
でも幸い、彼の自宅は知っている。
プロ試験で学校を休んだ日のプリントを持っていっていたのだから。
その帰り道、和谷の家に立ち寄った。
彼は近所で一人暮らしを始めていたことを知った。そして丁度、彼が洗濯物を持ち帰って来たところに出会した。
「久しぶりじゃん。まあ部屋に上がれよ」
初めて上がった和谷の部屋は、一人暮らしをしているからか物が少なかった。
「学校の囲碁部の子がプロの指導を受けたいんだって」
「指導碁は構わないけどさ、お前も一緒にいてくれんだろ?」
「え、どうして?」
「場所は俺のアパートしかねぇし、流石に女の子と二人きりにはなれねぇって。それにお前がいれば安心だし。な?」
その「な?」に私が弱いことを知っているのだろうか。
「仕方ないわねえ」
気持ちがバレないように溜め息を吐く。
和谷にまた会える。しかも一人暮らししているアパートだ。
「あ、お前携帯持ったんだ? じゃあ連絡先交換しようぜ」
「う…うん!」
携帯を近づけた拍子に手の甲に触れてしまい、思わず携帯が落ちる。
「あ、わりい!大丈夫だったか?」
「うん、畳の上だし大丈夫だよ」
「あれ? お前の携帯、赤外線どこ?」
「え、ここだよ。頭のとこ」
「うまく行かねえな。ちょっと貸してみ」
私の手から携帯を抜き取ると、両手で携帯の角度を変えながら感度の良いところを探してるようだ。
ピロンと機械音が連絡先を受信したことを伝える。
確認のためにメアドに目を通すと、不意に笑みが溢れた。
「和谷。あんたメアドにもゼルダって使ってるの?」
「適当に考えたんだから仕方ねえじゃん。お前こそアドレス初期設定のままかよ」
「いいでしょ別に」
love_forever とかメアドにしていた友人をみて、慎重に考えたかったのだから仕方ない。
「じゃあ、来る日決まったら連絡しろよな」
「うん。ありがと」
家を出てもなお胸の高鳴りは止まらなくて、その日は眠りに就くまで何度も連絡先を開いては表示される彼の名前を眺めているだけで幸せな気持ちになれた。
メアドと一緒にゲットした電話番号。
ボタンを押せば受話器越しに彼の声が聞こえるのだ。
だからといって告白する勇気なんかない。
だけど同級生の誰よりも私が1番和谷と仲が良かったのだ。
和谷が私のことを嫌ってないのは確かで、でも意識してるのかなんて分からなくて、結局一歩も踏み出せないでいる。
***
「え!ほんとに指導碁してもらえるの!?」
囲碁部の彼女に伝えると、とても嬉しがっていた。
「行くときって制服じゃなくてもいいよね?」
そう聞いてくる彼女の頬は赤く染まっていて、私にも彼女の気持ちに嫌でも気付いてしまった。
その夜、和谷あてに行く日をメールすると、すぐに返事は来た。
和谷だけに設定した恋愛ソングの着メロは、クラスメイトから聞いた愛とか恋などの単語が入った着メロを設定すると両想いになれるという噂話に少しだけ望みを託したものだった。
***
約束の日、私は囲碁部の子を待ち合わせ場所で来るのを待っていた。
ついつい彼から送られてきたメールを何気なく開いてしまう。
『俺は碁打ってるからいつでも来いよ。
あと絶対途中で帰んじゃねえぞ!!』
最後の言葉にトクンと胸が高鳴った。
私と一緒にいたいのかななんて変に期待してしまう。
「雪下さん、お待たせ」
やって来た囲碁部の子は、清楚系のワンピースを身に纏っていて可愛しかった。
私でも可愛いと思うのだから、きっと和谷もそう思うに違いない。
私も可愛い服着てくれば良かったかな…。
後悔しても仕方ないのに。
女の子と話をしながら和谷の住むアパートへと向かう。
一人で碁盤に向かって私たちを待っていると思うと、ドキドキが止まらなかった。
古いアパートの呼び鈴は押すとブザー音が鳴った。
ガチャリと開いた扉から顔を覗かせたのは和谷ではなかった。
「あら、お客さん? 和谷!お客さんが来たわよ!」
「……え?」
目の前の知らない女性に私は戸惑っていた。
誰?この人?
だって、和谷言ってたじゃん。
『流石に女の子と二人きりにはなれねぇって』
思っていた矢先、部屋の奥から和谷の叫び声とも言えぬ大声が聞こえてきた。
「ああああああ奈瀬!お前起こせよな!」
「何言ってんのよ。勝手に寝ておいて」
「んなもん仕方ねえじゃん!わ、わりい…2人とも部屋上がってくれよな」
和谷は碁盤の前に座ると、囲碁部の子に「んじゃ指導碁ってほどじゃないけど、打ってみようぜ?」と言って静かな時間は始まった。
2人が碁を打ち始めて数分。
私はすでに暇を持て余していた。
碁なんて全く知らないのは、この中できっと私だけ。
奈瀬さんと呼ばれていた女性は盤上に目を向けていて、視線は真剣そのもの。
碁石を握る音が部屋に響くばかり。
和谷の真剣な表情にドキッとするのに、私には全く碁がわからないのがもどかしい。
かと言って、和谷からのメールを無視して勝手に帰るのもあれだし。
ふう、と溜め息が漏れる。
和谷はあんなこと言っておきながら、女の子と部屋に2人きりでいたんじゃない…。
それって付き合ってるから?
そう思うと苦しくて、辛くて、この場から逃げ出したくなった。
でも和谷からのメールがそうさせてくれない。
「この辺りまでかな。んじゃあ、このへんで奈瀬に代わってもらって俺は雪下とアイスでも買ってくっから!」
「へ?」
和谷の手は私の手首を掴んでいた。
「ほら! 行こうぜ!」
「わ、和谷さん!?」
ほら、あの子だって驚いてる。
というか急になんなのよ?
「ほらほら、あなたは私と今の碁の検討よ?2人とも行ってらっしゃい」
奈瀬さんに促されるまま、私は気付けば玄関を出ていた。
5月になったばかりなのに、真夏のような青空に目が眩んだ。
「ねえ、和谷。一体どういうつもり?」
あの子はあんたのこと好きなのよ?
ほったらかしにするなんて。
「だって仕方ないじゃん。俺、好きなやついるんだから」
熱を帯びたアスファルトはとても暑くて、幻聴が聞こえたのかと思った。
和谷に…好きな人…
和谷の頬が赤いのは暑さのせいなのだろうか。それとも。
「お前はいないのかよ。好きなやつ」
「……いるよ」
でもきっと叶わない。
もう一歩踏み出せればいいのに。
「和谷はさっきの…奈瀬さんが好きなんでしょ?」
「は? 俺が奈瀬を?」
この場から逃れればいいのに。
和谷の口から別の人の名前なんか聞きたくないのに。
知らないうちに自分の中で芽生えていたそんな感情。
「俺はなあ! お、俺は…!」
途中で言葉を止めた和谷は深呼吸するように大きく息を吐いた。
「お前こそ、好きなやついたのかよ」
和谷、あんただよ。
でも和谷は違うんでしょ?
何も言わない私に和谷は痺れを切らしたのか、言葉を続けた。
「俺は後悔してんの」
「後悔?」
いったい何の話?
「俺、中学卒業なんてさただの通過点だと思ってた。プロへの通過点。だけど卒業して気付いたんだよ。仲の良い友達だと思ってたけど、それ以上になりたいって。会えなくなって気付いたんだよ」
「和谷?」
「そんなときに、そいつから俺を訪ねてきて連絡先も交換できて、めっちゃ嬉しかったんだぜ?なのに、そいつ。俺が違うやつ好きとか言い出すし、今日だってこうやって抜け出すために奈瀬呼び出したのに勘違いされるしよ」
和谷が赤いのは暑いから?それとも。
「なあ、お前の好きなやつって誰?」
私が勘違いしてるだけ…?
「和谷は誰が好きなの?」
胸が騒がしい。
一秒がとても長く感じる。
「俺が好きなのはお前だよ」
やっと言えた、と吹っ切れた表情を向ける和谷。
「そんで、お前の返事は?」
「わたしも、和谷が好き」
「良かった…実はフラれるんじゃないかって思ってたんだぜ?」
「フラれるって……どうしてよ」
でもなんだか分かる気がした。
卒業してから全く会えなくて連絡先も知らなくて。
ただ気持ちばかりを募らせて。
「ねえ。待ってる2人に早くアイス買って帰ろうよ」
「そうだな!」
私たちを再び巡り合わせてくれた彼女のために、とびきり美味しいアイスを選んだ。
おわり
