記憶の欠片
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この女はいつか、後悔する。
そう思っていたはずなのに、
いつの間にか心を赦す相手だった。
記憶の欠片
目が覚めると四番隊隊舎で治療されていたのか、ベッドで横になっていた。
腕に痛みが走る。
あれからどのくらい時間が経った?
意識を失っていたから、時間の経過が分からない。
ただ周囲は慌ただしいことだけが分かる。
そんなに時間は経っていないはずだ。
「意識が戻ったんですね」
病室に入ってきた松本がそう言った。
酷く窶れた顔だ。
「あれからどうなった」
松本は俺の問いに、小さく息を漏らした。
「愛染、東仙、市丸の三人は虚園に姿を消しました」
「……そうか」
まるで心臓が抉られた感覚だ。
昨日まで仲間だと信じていた奴らに裏切られたこと、そしてそのせいで、大切な雛森が・・・
「雛森は!?」
「彼女は今、特別治療室にいて、まだ意識がありません」
「そう、か」
命が無事だということに、安堵した。
だが、傷付いた心はきっと癒えることはないだろう。
松本は、俺の顔をじっと見つめているのが分かり、「なんだ?」と尋ねる。
言い淀む姿は普段の松本らしくない。
「お前も疲れてるだろ。今は休んどけ」
「隊長は・・・心配じゃないんですか? 詩織のこと」
雪下の名前に、胸の奥に重りが落とされたような感覚が身体にはしる。
目が覚めてから、考えないようにしていた。
必死に目から背けようとしていた。
あのとき、倒れた雛森の傍に立っていた雪下が、雛森を刺したんだと疑ってしまったことに。
今まで信じてきた部下を、あの一瞬で愛染や市丸たちと同じ敵だと認識してしまった自分に、どうしようもなく腹が立つ。
「心配に決まってんだろ」
「なら、体調が戻ったらあの子に会いに行ってください。同じ四番隊の病室にいます。隊長の霊圧に押されただけなので軽傷ですが、酷く落ち込んでいます」
「ああ・・・分かった」
自分に言い聞かせるように、拳を握る。
俺は雪下の顔を見るのが怖いのだと、松本が去った病室で窓の外を眺めながら思った。
どこにこの憤りと悲しみをぶつければいいのか分からないまま過ごした。
旅禍の一護たちが尸魂界に馴染むのに時間は掛からなかった。
雪下の病室を訪れたときには、すでに仕事に復帰していることを花太郎から聞かされた。
「雪下さんと喧嘩でもしたんですか?」
「そんなんじゃねえ」
言った後に失言だと気付いたのか花太郎は慌てて口を塞いだ。
隊首室に戻ると松本と吉良、檜佐木が酒を飲んでぶっ倒れていた。
部屋には他の隊員はいなかった。
寝転んでいた松本がのそっと起き上がる。
「詩織には会えたんですか?」
「まだだ」
「私思い出してました。あの子に初めて会った頃のこと。隊長、休みの度に詩織に会いに行ってましたよね」
よろよろと飲み干した酒瓶を片付けながら、懐かしそうに松本は言う。
「これは私の独断で話すんですが」
「……なんだ」
「詩織、現世の記憶があるんです」
「……それが、どうした。現世の記憶を持ったやつなんて……」
「2年もですか?」
「……」
尸魂界に来たすぐの魂魄は、現世の記憶を鮮明に覚えていることもある。だが、長く住み続けるうちに記憶は薄れていく。それが2年も続くことは、有り得ないのだ。
ふいに市丸の言葉が蘇る。
連れて行きたかったけど断られた、と。
それだけの何かが雪下にあったのか?
「松本……何が言いたい」
「隊長は、何も思い出さないんですか?」
「……どういうことだ?」
胸が静かにざわついた。
知らないうちに出来てしまったカサブタを剥がすような。
「詩織の現世の記憶に隊長がいるんです」
初めて会ったとき、俺の顔を見て
『日番谷くん?』と驚いた雪下の表情が蘇る。
「詩織が身に付けているブレスレットは、隊長が詩織に送ったものだそうです」
初めて会った時に見覚えのあるような気がしたミサンガ。咄嗟に俺が手首に巻き付けたそれ。
「……俺が」
贈ったのか?
「……本当に…覚えてないんですか…?」
松本の促しにも一向に記憶は思い出せなかった。
ただ知りたくなった。
俺は雪下とどんな、現世を生きてきたのか。
静かに、はっきりと胸の鼓動を感じる。
「……生きてた頃の俺は……あいつの何だった…?」
贈り物をするような間柄だった、
つまり、そういう……
「詩織の同級生だった……つまり、幼なじみってことです。本当に覚えてないんですか?」
同級生、という響きに安堵した。
恋人や家族だったら、忘れられた方はさぞ辛いだろう。
同時に胸の奥でチクリと何かが滲むような痛みが広がった。それがどういうことなのか分からないが。
「今の話を聞いたら、思い出したくても…なにもな」
それ以上松本は言葉を続けなかった。
俺が詩織と出会ったとき、もっと知りたいと思った。
けれど、その時以上にもっと知らなければならない気がした。
「ところで雪下はどうした?」
「それが……私も知らなくて……」
「なに?」
「入院のときに話したきりで、てっきりここに来ると思ってましたから」
そりゃそうだろう。
「あれ?雪下さん探してます?」
声のしたほうへ振り向くと六番隊の阿散井と部下がいた。今の声はその部下だった。
「六番隊隊員の行木理吉と申します」
松本が一歩近づいて尋ねる。
「詩織の行方知ってるの?」
「はい。自室で作業すると言ってましたけど、聞いてませんか?」
「あんた、詩織のなに?」
「同期です!先を越されてしまいましたが、切磋琢磨し合った大事な同期です!」
「ふ〜ん」
松本は訝しげな視線を向けると、阿散井に視線を移した。
「で、うちに何の用?」
「あーいや、こいつが雪下に期日が迫った書類を渡してたみたいでして、それを回収しに」
「恋次さんすみませんっ」
行木が涙を流しながら阿散井の死覇装を掴むが、阿散井は鬱陶しそうに剥いだ。
「それでひとまずこっちに寄ったんですが、この様子じゃ自室でずっと作業してるみたいですね」
「ああ、悪いな。俺から雪下にあたってみる」
「すいませんね、日番谷隊長」
「で? いつ行くんですか隊長」
「い、いつでもいいだろっ」
心を取り乱された俺は筆を置いた。
阿散井たちがいなくなったあと、すぐに雪下の部屋に行くのを躊躇ってしまったがために二の足を踏んでいるのだ。
「もしかして隊長、雪下のこと意識してきちゃったんですか?」
松本のいちいち腹立つ言動に、肯定する気持ちになれずに黙っていると、「え? 図星?」と吹き出した。
「松本ぉおおお!」
「すみませんって…っふ、はははは、そんなに気になるなら早く行ったらどうですか」
あーおっかしい、と笑う松本を睨みつけるが効果はなかった。
松本のいうとおり、山になっている書類をそのままに執務室を出た。背後から「フラれないといいですねぇ」と茶化す声が届いた。
***
雪下の部屋は隊員宿舎にある。
非番の隊員たちを横目に、雪下の部屋へ向かう。
静かな緊張が身体を支配していく。
思わず指先をピクリと動かす。
『もしかして隊長、雪下のこと意識しちゃったんですか?』
そんなはずない。
そんなことはない。
けれど加速した鼓動を抑えることに俺は必死だった。
なぜ、雪下が気になる。
たかが現世のころの話じゃないか。
雪下の部屋の前で立ち止まる。
雪下の霊圧が感じられ、中にいることは間違いなかった。俺は霊圧を消して戸を開けた。
「雪下、具合はどうだ」
ガラッと乾いた戸の音と自分の声が反響する。
「雪下?」
返事のない空間に、草履のまま上がり込んだ。
長屋の縁側に置かれた長机に顔を埋めて眠っている雪下の姿があった。
脇には溜め込んでいた書類の山がある。
これをここで、たった一人で……。
声をかけるのをためらった俺は、縁側に腰掛け空を仰いだ。遠くから鳥の鳴き声が微かに届く。
あまりののどかな風景に、数日前まで精霊邸が戦場と化していたなんて思えないほどだ。
振り返って雪下の顔を覗き込んだ。
白肌のすっとした頬に、長い睫毛がより肌の白さを際立たせている。
見た目でいえば、雪下は俺よりも歳上に見えるだろう。けれど、松本の話が本当ならば同い年だった。
この2年間、ちっともそんな片鱗見せなかっただろうが。
ただ、真面目にがむしゃらに死神になりたい変に努力家な奴だと最初は思っていた。
そうやって儚げに命を落としていく隊員を何度も見てきた。
どうせ、こいつも同じ運命を辿るんだと思っていた。
けれど、
死んでほしくない。
そう強く思った。
雛森とは違うその強い気持ちがなんなのか、
分からないまま、
確かめるように俺は雪下の手のひらを握っていた。
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