私がトリップしてどうするんだ!
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この世界に来て数日が経った。毎朝スマホのアラームが鳴らないことも、顔を洗うのに温水が出てこないことも、慣れ始めてきた。慣れる前に戻りたかったのに。会議資料のことは考えないことにした。もうどうとにでもなれ。
そんな私はこの世界で、事務員として小松田さんのお手伝いをしている。彼が問題を起こすのは不可避なのでせめて自分に災難が降り掛からないように気をつけるのみだ。アーメン。
唯一の楽しみは、食堂のおばちゃんの作る料理と、事務作業の合間に引く弓だ。あの日以来、留三郎くんは私に親しく話しかけてくれる。弦の補強は大丈夫かとか、新しい的に張り替えるかとか、何だか年下だけど頼もしい。そんな彼に反比例するように、文次郎くんは顔を合わせるたびに「不埒な奴め」と蔑むので留三郎くんの株は上がったりだ。その度に隣にいる仙蔵くんが文次郎くんを嗜めるが、煽るような言葉に返って逆効果なのではないかと思う。
今日も今日とて、小松田さんのミスを思い出し息を吐きながら弓を引く。小松田さんのばかやろー!!そう心の中で叫びながら勢いよく離れをする。ズバン、と的中音が心地よく響いた。
「さすが、見事ですね」
不意にかけられた声に、反射的に振り向くと、忍者装束に身を包んだ青年が立っていた。身軽そうな佇まいと、余裕のある笑み。それに、どこか他人の懐へ入り込むのがうまそうな雰囲気。私は彼を知っている。見たことがある。
「初めまして、雪下詩織さん」
山田先生の息子の利吉さんが、私の名を呼んだ。どうして名前を?と驚いた顔をすると、青年は軽く手を振ってみせた。
「土井先生や父から、貴女のことは聞いてますよ」
ああ、そういうことかと納得する。緊張の糸が少し緩み、私も微笑み返す。
「そうなんですね。今日は山田先生のところへ?」
「ええ、まあ……それよりすごく頑張り屋で、弓も得意な人だって聞いていたので、一度お会いしたいと思ってここへ来てみたんです」
飄々とした態度でさらりと言ってしまう姿に絶対プレイボーイに違いないと女の勘が騒ぎ立てる。これまで彼は何人の女性を泣かせてきたのか。というか待て。土井先生が、私のことを頑張り屋と言っていたことに驚いた。ラッキースケベの彼がいつそんな場面に出会したんだ。
「噂よりもお綺麗な方だ」
笑みを浮かべる彼はやはり自信ありげで、整った顔立ちに不覚にもドキッとしてしまった。彼の手が私の肩に触れる。
「弓を引く姿も美しかったですよ。けれどもう少し肩を落として力まずに引くといいです」
そう言って肩に置いた手が肩甲骨に沿って肩から腕を擦る。触れたことで思わずビクッと震えた。だってイケメンだぞ?見た目の柔和な笑みと違って、手のひらは大きくガッシリしている。先日の伊作くんとの出来事を思い出す。唐突に”男の人”であることを意識してしまう。やばいかも、そう思ったとき。
「詩織さん、小松田さんが探してましたよ……て利吉くん。来ていたんだね」
そこに来たのは土井先生だった。
「ええ……ところで先生の仰ってた通り、詩織さんは素敵な方ですね」
利吉さんは私をちらりと見てから、さらりと口にする。
「……え?」
果たしてそれが本当なのか分からないけれど、利吉さんの言葉を少なからず信用している私がいて、その言葉に再び胸がときめくのを感じた。
思わず私は土井先生を振り返る。私のこと、そんなに話していたのか。嬉しいような、恥ずかしいような、くすぐったい感情が胸をよぎる。
「待て待て利吉くん。まだ君には詩織さんのこと何も伝えてないだろう?」
———えっ。
突如として間が生まれる。
私の脳が、利吉さんの言葉と、土井先生の言葉をゆっくりと照らし合わせる。それはつまり――
「はは、バレちゃいました?」
利吉さんはカラッと笑いながら肩を竦める。
「えっ、じゃあ、全部ウソなんですか?」
思わず聞き返すと、利吉は悪びれた様子もなく、余裕の笑みを浮かべたままサラッと口にした。
「まあまあ、土井先生が言っていなくても、私は貴女に興味を持ちました」
———えぇ……
利吉さんの言葉にすっかり安心していたら、最後にひっくり返された気分だった。折角、土井先生に褒められたと思って嬉しかったんだが、ぬか喜びさせられたのだ。悲しい。
土井先生は、眉を寄せて溜め息を吐く。
「利吉くん、あまり彼女を困らせるようなことは言わないでくれ」
「やだなぁ、土井先生。そんなわけないじゃないですか」
「まったく、六年生から詩織さんのことを聞いたんだろうけど」
「さすがですね。ついでに先生が懐に入れている例の物についても聞いています」
「はい!?」
土井先生が胸元を手で押さえる姿に、私が元の世界から持ってきた大人の嗜みがそこに在るのだと知る。やっぱりずっと持ってるんだ。っていうか、利吉さんもそれを知ってるということに驚く。
「詩織さん、例の物の手解きを私に教えてくれませんか?」
「な!なっ……」
何てことをサラリと言うんだ。六年生から何て聞いたんだ。未来の絆創膏じゃないぞ。頬が熱を持っていくのを感じながら、思わず彼とそういう行為をしてしまう様子を想像してしまう。さっき肩を掴んでいた手の平が、服をはだけさせて素肌に触れる。ああ!いかんいかん!
「こら利吉くん!揶揄わない!」
「ハハ、すみません。でもまあ、詩織さん。先ほどの話、前向きに考えてくださいね。土井先生こそ、本当は使ってみたいと思ってるんですよね?」
「だあああ!利吉くんまで!ちがーう!これは六年生が勝手に使用しないために……!」
「まあまあ、落ち着いて。先生の方こそ、油断しないでくださいよ?」
何かを企むような不適な笑みを浮かべる利吉さんとは正反対に、まるで練り物が目の前にあるかのように脇腹を押さえる土井先生。そこに半鐘の音が響く。
「おっと、父上への用事を忘れるところでした。では土井先生、詩織さん、またあとで」
そう言って利吉さんは姿を消してしまった。先生と二人だけになり、私は先生の名を呼んだ。
「土井先生」
「どうしました?」
「あの、ちょっと手を肩に置いてくれます?」
「え?あ、はい……こうですか?」
「はい。それで、その手をぐーっと腕の方まで……そうそう、そうです」
先ほど利吉さんがしていたように、先生の手のひらが肩をなぞっていく。それは利吉さんよりも大きくて温かい手のひらだった。
「なんですか? いきなり」
「いや、ちょっとさっき利吉さんが同じ所に触れてたものですから」
だからどうしたと内心思ったけれど、そうしたくなってしまったのだから仕方ない。別に利吉さんの手が汚いとかそういうことじゃないけれど。上手く言葉にできない。
「そう、ですか」
「あ、先生!今日の夕食は練り物が出るみたいですよ!さ!行きましょ行きましょ!」
食堂へ向かって先生の背をぐいぐいと押す。今は上手く先生の顔が見れない気がした。食堂に着くまでは何とかこの逸る気持ちを抑えなければ、と思いながら背を押して歩いた。
そんな私はこの世界で、事務員として小松田さんのお手伝いをしている。彼が問題を起こすのは不可避なのでせめて自分に災難が降り掛からないように気をつけるのみだ。アーメン。
唯一の楽しみは、食堂のおばちゃんの作る料理と、事務作業の合間に引く弓だ。あの日以来、留三郎くんは私に親しく話しかけてくれる。弦の補強は大丈夫かとか、新しい的に張り替えるかとか、何だか年下だけど頼もしい。そんな彼に反比例するように、文次郎くんは顔を合わせるたびに「不埒な奴め」と蔑むので留三郎くんの株は上がったりだ。その度に隣にいる仙蔵くんが文次郎くんを嗜めるが、煽るような言葉に返って逆効果なのではないかと思う。
今日も今日とて、小松田さんのミスを思い出し息を吐きながら弓を引く。小松田さんのばかやろー!!そう心の中で叫びながら勢いよく離れをする。ズバン、と的中音が心地よく響いた。
「さすが、見事ですね」
不意にかけられた声に、反射的に振り向くと、忍者装束に身を包んだ青年が立っていた。身軽そうな佇まいと、余裕のある笑み。それに、どこか他人の懐へ入り込むのがうまそうな雰囲気。私は彼を知っている。見たことがある。
「初めまして、雪下詩織さん」
山田先生の息子の利吉さんが、私の名を呼んだ。どうして名前を?と驚いた顔をすると、青年は軽く手を振ってみせた。
「土井先生や父から、貴女のことは聞いてますよ」
ああ、そういうことかと納得する。緊張の糸が少し緩み、私も微笑み返す。
「そうなんですね。今日は山田先生のところへ?」
「ええ、まあ……それよりすごく頑張り屋で、弓も得意な人だって聞いていたので、一度お会いしたいと思ってここへ来てみたんです」
飄々とした態度でさらりと言ってしまう姿に絶対プレイボーイに違いないと女の勘が騒ぎ立てる。これまで彼は何人の女性を泣かせてきたのか。というか待て。土井先生が、私のことを頑張り屋と言っていたことに驚いた。ラッキースケベの彼がいつそんな場面に出会したんだ。
「噂よりもお綺麗な方だ」
笑みを浮かべる彼はやはり自信ありげで、整った顔立ちに不覚にもドキッとしてしまった。彼の手が私の肩に触れる。
「弓を引く姿も美しかったですよ。けれどもう少し肩を落として力まずに引くといいです」
そう言って肩に置いた手が肩甲骨に沿って肩から腕を擦る。触れたことで思わずビクッと震えた。だってイケメンだぞ?見た目の柔和な笑みと違って、手のひらは大きくガッシリしている。先日の伊作くんとの出来事を思い出す。唐突に”男の人”であることを意識してしまう。やばいかも、そう思ったとき。
「詩織さん、小松田さんが探してましたよ……て利吉くん。来ていたんだね」
そこに来たのは土井先生だった。
「ええ……ところで先生の仰ってた通り、詩織さんは素敵な方ですね」
利吉さんは私をちらりと見てから、さらりと口にする。
「……え?」
果たしてそれが本当なのか分からないけれど、利吉さんの言葉を少なからず信用している私がいて、その言葉に再び胸がときめくのを感じた。
思わず私は土井先生を振り返る。私のこと、そんなに話していたのか。嬉しいような、恥ずかしいような、くすぐったい感情が胸をよぎる。
「待て待て利吉くん。まだ君には詩織さんのこと何も伝えてないだろう?」
———えっ。
突如として間が生まれる。
私の脳が、利吉さんの言葉と、土井先生の言葉をゆっくりと照らし合わせる。それはつまり――
「はは、バレちゃいました?」
利吉さんはカラッと笑いながら肩を竦める。
「えっ、じゃあ、全部ウソなんですか?」
思わず聞き返すと、利吉は悪びれた様子もなく、余裕の笑みを浮かべたままサラッと口にした。
「まあまあ、土井先生が言っていなくても、私は貴女に興味を持ちました」
———えぇ……
利吉さんの言葉にすっかり安心していたら、最後にひっくり返された気分だった。折角、土井先生に褒められたと思って嬉しかったんだが、ぬか喜びさせられたのだ。悲しい。
土井先生は、眉を寄せて溜め息を吐く。
「利吉くん、あまり彼女を困らせるようなことは言わないでくれ」
「やだなぁ、土井先生。そんなわけないじゃないですか」
「まったく、六年生から詩織さんのことを聞いたんだろうけど」
「さすがですね。ついでに先生が懐に入れている例の物についても聞いています」
「はい!?」
土井先生が胸元を手で押さえる姿に、私が元の世界から持ってきた大人の嗜みがそこに在るのだと知る。やっぱりずっと持ってるんだ。っていうか、利吉さんもそれを知ってるということに驚く。
「詩織さん、例の物の手解きを私に教えてくれませんか?」
「な!なっ……」
何てことをサラリと言うんだ。六年生から何て聞いたんだ。未来の絆創膏じゃないぞ。頬が熱を持っていくのを感じながら、思わず彼とそういう行為をしてしまう様子を想像してしまう。さっき肩を掴んでいた手の平が、服をはだけさせて素肌に触れる。ああ!いかんいかん!
「こら利吉くん!揶揄わない!」
「ハハ、すみません。でもまあ、詩織さん。先ほどの話、前向きに考えてくださいね。土井先生こそ、本当は使ってみたいと思ってるんですよね?」
「だあああ!利吉くんまで!ちがーう!これは六年生が勝手に使用しないために……!」
「まあまあ、落ち着いて。先生の方こそ、油断しないでくださいよ?」
何かを企むような不適な笑みを浮かべる利吉さんとは正反対に、まるで練り物が目の前にあるかのように脇腹を押さえる土井先生。そこに半鐘の音が響く。
「おっと、父上への用事を忘れるところでした。では土井先生、詩織さん、またあとで」
そう言って利吉さんは姿を消してしまった。先生と二人だけになり、私は先生の名を呼んだ。
「土井先生」
「どうしました?」
「あの、ちょっと手を肩に置いてくれます?」
「え?あ、はい……こうですか?」
「はい。それで、その手をぐーっと腕の方まで……そうそう、そうです」
先ほど利吉さんがしていたように、先生の手のひらが肩をなぞっていく。それは利吉さんよりも大きくて温かい手のひらだった。
「なんですか? いきなり」
「いや、ちょっとさっき利吉さんが同じ所に触れてたものですから」
だからどうしたと内心思ったけれど、そうしたくなってしまったのだから仕方ない。別に利吉さんの手が汚いとかそういうことじゃないけれど。上手く言葉にできない。
「そう、ですか」
「あ、先生!今日の夕食は練り物が出るみたいですよ!さ!行きましょ行きましょ!」
食堂へ向かって先生の背をぐいぐいと押す。今は上手く先生の顔が見れない気がした。食堂に着くまでは何とかこの逸る気持ちを抑えなければ、と思いながら背を押して歩いた。
