私がトリップしてどうするんだ!
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痛い。頭が痛い。ぼんやりとした意識の中で、私は自分がどこかに横たわっていることが分かった。背中から伝わるのは布団のような柔らかい感触。ゆっくりと瞼を持ち上げると見慣れない天井が視界に入ってきた。ああ、やっぱり夢じゃないんだ、と朧気な頭はそう理解した。天井を見つめていた私の視界に、人影が入り込む。
「目が覚めましたか?」
白い服を纏った優し気な表情をした男性が私に声をかける。うん、見たことあるぞ。けれど名前が分からない。えっと、と言葉を詰まらせていると向こうから状況を説明してくれた。
「私はここの校医をしている新野といいます。林の中にいた貴女を、六年生が誤って襲いそうになり意識を失ったと引率していた土井先生から伺っています。ご気分は如何ですか?」
「あ、はい……運んでいただきありがとうございます」
「ここへはその土井先生が運んでくれたんですよ。そういえば学園長先生に御用があるそうですね。案内する生徒を呼んできますから、しばらく待っていてくださいください」
そう言うと新野先生は医務室から出て行ってしまった。辺りを見渡すも、私が持っていた弓矢も荷物もない。現代人のちょっと時間が余ったからスマホを弄ろうという暇つぶしが消えた。いやその前にアニメなら10分経てば終わるのに、そんな感じでもないようだ。どうしよう。これはいよいよ本当に帰り方が分からないぞ。
私の知っている保健室は消毒液の匂いや、窓から差し込んだ日差しがベッドのカーテンに煌めいていたり、廊下から休み時間の生徒の賑やかな声が響き渡ってくるとか、スピーカーからチャイムや生徒を呼び出すアナウンスとか、そういうものだった。けれどこの医務室にはそんな現代的な物は何一つない。強いて言えばカーテン代わりの衝立だろうか。壁際には薬局で見るような木製の薬棚。包帯を巻くような機械も置かれている。私の知らない昔の時代のものが、当たり前のように目の前にあることが不思議でむしろ私の方が異物に思えてきてしまった。うん、ネガティブになってる。負けるな、と拳を握りしめた。
しばらくして新野先生に呼ばれたと六年生の二人がやって来た。一人はヌンチャク少年。もう一人は「善法寺伊作と言います。私は保健委員なので」と丁寧に説明してくれた。ヌンチャク少年は私をじいっと黙って見つめている。
「留三郎、そんなに睨み付けていたら怖がってしまうだろ?なにか話しかけたらどうだい?」
「伊作、お前は警戒心がないのか?」
「警戒心って……だって彼女も状況が分かっていないみたいだし」
「このまま学園長の所へ連れて行って突然こいつが学園長を襲ったらどうする?」
「え?そんなことしないように見えるけど。土井先生もそう仰っていたじゃないか。留三郎は信じられないのかい?」
「信じられないとかの問題じゃなくてだな、あくまで可能性の話だ」
二人の話に耳を傾けながらウンウンと頷く。ばっちり不審者扱いを受けている。うん変質者じゃなくて良かった。いやそうじゃなくて。とにかく学園長に会って事情を説明しないと私は路頭に迷ってしまうぞ。
「あの、留三郎くん」
何て呼べばいいのか分からないので保健委員くんが呼んでいた名前で呼びかけると、彼は不機嫌そうに眉を米神に寄せる。分かりやすい反応で大変よろしい。
「私は危害を加える気はありません。何なら先生方や留三郎くんたちも同席していただいてもいいですよ?」
「わかりました。そうさせていただきます」
「私が何かしないように手を縛って連れて行ってもいいですよ。その方が安心ですよね?」
保健委員くん――伊作くんが「え、でも」と困惑の表情を浮かべるのを無視して、私は両手を彼らの前に向ける。
「こいつは驚いた。たいした曲者だよ全く」
どこから出したのか分からないが留三郎くんが私の両手を縄でギッチギチに縛る。わお、こんなのテレビとかでしか見たことないよ。縄抜けもできなさそう、できないが。医務室を出る直前、留三郎くんが振り返ると私の縛られた両手に手拭いを被せた。
「下級生が見たら驚くからな」
そう言うと、医務室の戸をガラッと開け廊下を歩き出す。たったいま医務室から容疑者の女が出てきました。両手は隠されていますがおそらく拘束されているようにも見受けられます。これ以上抵抗する様子はないということでしょうか。以上、現場からお送りしました。私の脳はいつも通り通常運転をしている。そんな風に楽しく考えないとやってられない。自棄だ。
忍術学園は思いのほか敷地が広かった。学園長のいる庵に着く頃には、私の足はヘトヘトですぐに床へへばり付くように座った。人は土から離れては生きられないのだから仕方ない。
「この程度の距離でへばったんですか、貴女は」
「これで私が不審者だという疑いは晴れそうですか?」
「それはまた別の話です」
チッ。そろそろこんな私を疑うのはやめて頂きたい。襖を開けた先には学園長先生とヘムヘム、土井先生、山田先生、それと六年生四人が鎮座していた。留三郎くんと伊作くんも四人の隣につく。手ぬぐいの下で手が拘束されたまま、学園長先生の手前に正座する。厳かな空気が漂う。忍たまってこんな感じだったっけ?
「まず、お主はどこの手の者じゃ?」
学園長先生の爆発的な垂れ下がった眉がこちらを見つめる。
「あの、私はこの時代より先の…もっと未来から…いや、自分でも何言ってるんだって感じなんですけど、なにより私が戸惑ってまして」
「その割にはふてぶてしい態度のようだが?」と槍少年が口を挟む。
「それは私が弓道部だったからで」
目標が全国大会優勝なんて生ぬるいものじゃない。精神力の向上なんて大それた目標を掲げたイカれた部だった。その目標のとおり、やけに神経だけは図太くなってしまった。大抵のことには動揺しない。ちくしょう。ここで仇になるとは。
「まあまあ、勝手に悪いと思ったがお主の荷物をちと調べさせてもらった」
「はあ」
荷物といっても弓矢と着替えの入ったリュックくらいだ。
それにスマホ。あれがあればこの世界の人じゃないと信じてくれるに違いない。
「ちと尋ねたいんじゃが、この四角い固い物体はなんじゃ?」
「それはスマホといって…遠くにいる人と話すことができたり、写真を撮ることができるんですけど…こっちに来てから使えなくて」
「ほう、こんなもので会話がのう」
しげしげとスマホを眺める学園長先生と、遠巻きに視線を送るみんな。すごい、私いま文明の利器を持ってる。ふふふと得意げになってしまう。
「弓矢もワシらの知ってる形ではないようじゃが?」
「それが私のいる時代の弓矢です。争いではなく競技として使用するので」
「戦で使わないだと!?戯れ言を!!」
またしても槍少年が声を発する。止めろ文次郎、と隣に座るサラッと艶やかな髪をした美少年が彼を制する。
「貴女に聞きたいのですが、未来からということは何年先の未来でしょう?」
「え?」
待って、ここは何時代?鎌倉?江戸?待って選択授業で日本史じゃなくて地理取ってたから分かるはずもない。でもおそらく四百年は余裕で超えている。
「えっと…最低でも四百年は先ですね」
「四百年!?」
「じゃあこの女性は四百歳なのか?」
「なんでそうなる小平太!」
ゲジ眉の元気そのものという感じの少年のボケが程よく私を和ます。四百年という検討もつかない数字に皆の表情は宇宙猫のように虚無を見つめている。
「で、どのようにしてここへ来たんじゃ?」
「それが私にも分からなくて……そのスマホで忍たまを見ながら神社の鳥居を潜ったら、気付かないうちにあの竹林にいて」
「待て、お前いま忍たまと言ったか?」
「はい。私の世界ではここの皆さんがアニメ……えっと絵で見ることができるんです」
「ふざけたことを!!」と文次郎くん。こっちだって大真面目だ。心外ではないか。
「ほう!ワシらがのう!してお嬢さん、ワシの人気はどのくらいじゃ?」
緊迫していた空気が一気に萎んでいくのを感じた。さすが学園長先生。畏れ入る。
「さあ?実は私あまり知らなくて……友人ならここにいる皆さんの名前が分かるんでしょうけど、私が知ってるのは学園長先生、ヘムヘム、山田先生、土井先生、それに乱太郎くんたち一年は組の生徒くらいですから。あと滝夜叉丸」
「滝夜叉丸!?アイツ四百年後の世界でも目立とうとしてんのか!」
「体育委員長の私を差し置いて!」
「しかも記憶に残ってるのが一年だと!?」
「こら六年生何処へ行く!?」
一斉に立ち上がる六年生を土井先生が止める。ナイスフォロー。しかし六年生は止まらない。槍少年もとい文次郎くんが言う。
「土井先生、止めないでください。我ら、少しばかり頭を冷やして参ります」
「主にバカ文次ですが」
「うるさい留三郎!」
あーだこーだ言いながら六年生が庵を出ていく。
残された私は学園長先生とヘムヘム、山田先生、土井先生で再び向き合う。
「とりあえず言い分は分かった。知らぬうちにここへ来てしまったなら帰り方も分かるまい」
「では学園長、どうなさるおつもりで?」と山田先生が尋ねる。
「うむ。一年は組の生徒の事は知ってるようじゃし、弓矢を扱えるのもこの時代に来た何かの縁。しばらくの間ここで生活してもらって構わんじゃろ」
「しかし学園長」
困惑を浮かべる土井先生に、私は予てから考えていた言葉を口にする。
「あの、迷惑はかけませんから……練り物でも何でも食べますから……だから……」
「ぜひよろしくお願いします!!」
矢の如く頭を垂れる彼に、おいおいおい、本当にいいんですかい?とこっちまで心配になってしまった。それを見てやれやれ、と首を振る山田先生と、「上手く取り入るとはのう」と関心する学園長。よかった。なんとか生活拠点は守られた。封じ手を用意していて助かった。あっぱれ私。
「して、お嬢さんの名前はなんと言うんじゃ?」
「雪下詩織です」
「歳は?」
「二十五です」
「ほう、土井先生と同い年かのう。ではもう所帯もあるんじゃろ?家族に会えぬのは辛かろう」
「いえ、結婚はしてません。私の時代では25歳で結婚していない人は多いですよ」
「ほーう?」と山田先生が長い溜息をつく。この時代とはやはり感覚が違うんだろう。まあ致し方ない。
「では詩織君の諸々の世話は土井先生に頼むとするかのう?」
「え?私ですか?」
あからさまに米神に皺を作る彼に「練り物」と小さく呟くと「よろこんで!」とすっ飛んで返ってくる。しめしめ、これは強力な言霊ではないか。大事に使わせていただこう。
そこへ襖が開き、伊作くんが顔を覗かせた。
「あのう、詩織さんにお聞きしたいことがあるのですが」
「私に?」
「詩織さんの荷物でそれぞれどんな使い方をするのか教えて頂きたいのです」
ああ確かに。未来の道具って興味あるもんね。私もドラえもんの道具気になるもん。山田先生が口を開く。
「では土井先生、一緒に行ってあげなさい」
「わ、わかりました」
庵近くの倉庫にいた。流石に縛られていた縄は土井先生によって解かれた。手首にはくっきりと赤い痕がついている。そんな趣味はないんだけどなあ。
「こちらに並べさせて頂きました」
「あ、はい。わかりまし………!?」
見ちゃいけないものが視界に入り言葉を失くす。おい誰だ。まじで勘弁しろ。おい。なんでアハンな時にしか使わない代物があるんだバカ。よりによってそれを初手で手に取る伊作くん。不運だ。
「これはどういった用途なんですか?南蛮文字が書いてあるようで読めないですけど」
「や、それは、その、えーっと……そう、衛生用品!絆創膏とかと同じ衛生用品!」
「へぇ、これが未来の絆創膏!」
いや違うんだ!ごめん!だけど体を守る意味では同じか。うん相違なし。いざ箱をよく見ればあれは元彼と付き合っていたときの物だと記憶が蘇る。デート中にお盛んになった元彼がコンビニで買ってホテルで使ってその時にアイツが私のリュックに勝手にしまったに違いない。別れてから存在感出さなくていいんだよタコ。
興味津々に箱を開けようとする伊作くんに声を荒らげる。
「ステイステーーーイ!!!」
ステイなんて通じる訳もなく伊作くんは四角い袋をキラキラとした眼差しで見つめる姿に罪悪感が滲む。君が数百年後に生まれればそれにお世話になるだろうよ。
「ちょっと開けてみてもいいですか?」
「ぜったいだめ!!」
「おい貴様!俺たちを出し抜こうと考えてんだな?やましい事がないなら開けたっていいだろ」
そんなわけあるか。だからって疑う目で見るのはやめろ。
「あーもうこの際だからハッキリ言いますけどそれ、卑猥なものですから!そういう時に男性のあそこにつけるやつですから!なんで持ってるかは聞かないでください!」
勢い任せに言ったことに冷や汗が背筋に流れる。女としての尊厳を失くした。ああ穴があったら入りたい。文次郎くんは見る見る間に赤面に染まっていく。見た目と違う年相応の反応にお姉さんは嬉しいよ。
「な、な、な!破廉恥なっ!」
「そっちが勝手に疑うから説明したんです!」
「なぜ男が使うものを貴様が!」
「前に付き合ってた人が勝手に入れてて」
「なに?縁談を破談にしたのか」
「私のいる時代じゃ結婚を前提に付き合ったりしないわよ」
「なっ……!!なんたる破廉恥!」
言い争うのは止めよう。時代が違うから価値観が全くもって違うのだ。歩み寄れても理解はできない。ふうと深呼吸して気を持ち直す。
「へえ、未来ではこういうものが常備されているんですね。わあ確かにこれなら伸縮性もあって耐久性もありますね。たしかに衛生用品だ!すごいです詩織さん!」
「ぬああああ!!!こんな人前で出さないでください!!!」
穏やかになった気持ちを返せ。袋を破った伊作くんはゴム本体に指先を入れて伸び縮みさせて楽しんでいる。なんなんだ。時代が追いつかなすぎて恥ずかしいって感覚さえないのか?アダムとイブか?そんなことより、さっきから此方を見つめている私と同年代の彼は、口元を手のひらで隠しているがニヤケているのが分かるぞ。先生、むっつりなんですね。
なんとか伊作くんからゴムを回収し、他の荷物の説明をさっと終える。学園長先生が許可を取ったことに未だに納得していないのが文次郎くんと留三郎くんだった。
「おい文次郎、俺と意見を合わせるな!」
「お前こそ俺と被るな!」
「まあ二人ともそう啀み合うな。私はこの詩織を信用するぞ!」
「小平太?」
元気なゲジ眉くんが二人の間に割って入る。ムードメーカーに安心したのも束の間。
「それに私もこれを使ってみたい!土井先生、房中術の実習相手は詩織でもよろしいのですか?」
「なっ!?」
房中術という響きが申し訳ないが私の生きてきた二十五年で初めて聞いた単語で何のことか分からない。友人ならすぐに分かるのだろうが。
「先生、房中術というのは?」
「い、いえ!なんでもありません!小平太!そういう話を公にするな!」
頬を赤くして怒鳴る彼の姿に、ああ…と察してあげる。私だって大人だ。なるほど意外と忍たまの世界も奥が深いのかと関心してしまう。
「とりあえず!」と土井先生が場を仕切り直す。
「これは私が保管しておきます。六年生なら勝手に部屋に忍び込んで奪うことも簡単なので」
そう言って私の手から大人の嗜みの箱を抜き取る。たしかに先生が持っていた方が安心かも知れない。それなのに彼を見つめる六年生の視線はジトっと疑っている眼差しではないか。
「こおらお前たちの考えてることが分かるぞおおおお!!!私が使うわけないだろ!!!なんだその目は!!!」
こうして、土井先生の叫び声で一日の幕が閉じたのだった。
「目が覚めましたか?」
白い服を纏った優し気な表情をした男性が私に声をかける。うん、見たことあるぞ。けれど名前が分からない。えっと、と言葉を詰まらせていると向こうから状況を説明してくれた。
「私はここの校医をしている新野といいます。林の中にいた貴女を、六年生が誤って襲いそうになり意識を失ったと引率していた土井先生から伺っています。ご気分は如何ですか?」
「あ、はい……運んでいただきありがとうございます」
「ここへはその土井先生が運んでくれたんですよ。そういえば学園長先生に御用があるそうですね。案内する生徒を呼んできますから、しばらく待っていてくださいください」
そう言うと新野先生は医務室から出て行ってしまった。辺りを見渡すも、私が持っていた弓矢も荷物もない。現代人のちょっと時間が余ったからスマホを弄ろうという暇つぶしが消えた。いやその前にアニメなら10分経てば終わるのに、そんな感じでもないようだ。どうしよう。これはいよいよ本当に帰り方が分からないぞ。
私の知っている保健室は消毒液の匂いや、窓から差し込んだ日差しがベッドのカーテンに煌めいていたり、廊下から休み時間の生徒の賑やかな声が響き渡ってくるとか、スピーカーからチャイムや生徒を呼び出すアナウンスとか、そういうものだった。けれどこの医務室にはそんな現代的な物は何一つない。強いて言えばカーテン代わりの衝立だろうか。壁際には薬局で見るような木製の薬棚。包帯を巻くような機械も置かれている。私の知らない昔の時代のものが、当たり前のように目の前にあることが不思議でむしろ私の方が異物に思えてきてしまった。うん、ネガティブになってる。負けるな、と拳を握りしめた。
しばらくして新野先生に呼ばれたと六年生の二人がやって来た。一人はヌンチャク少年。もう一人は「善法寺伊作と言います。私は保健委員なので」と丁寧に説明してくれた。ヌンチャク少年は私をじいっと黙って見つめている。
「留三郎、そんなに睨み付けていたら怖がってしまうだろ?なにか話しかけたらどうだい?」
「伊作、お前は警戒心がないのか?」
「警戒心って……だって彼女も状況が分かっていないみたいだし」
「このまま学園長の所へ連れて行って突然こいつが学園長を襲ったらどうする?」
「え?そんなことしないように見えるけど。土井先生もそう仰っていたじゃないか。留三郎は信じられないのかい?」
「信じられないとかの問題じゃなくてだな、あくまで可能性の話だ」
二人の話に耳を傾けながらウンウンと頷く。ばっちり不審者扱いを受けている。うん変質者じゃなくて良かった。いやそうじゃなくて。とにかく学園長に会って事情を説明しないと私は路頭に迷ってしまうぞ。
「あの、留三郎くん」
何て呼べばいいのか分からないので保健委員くんが呼んでいた名前で呼びかけると、彼は不機嫌そうに眉を米神に寄せる。分かりやすい反応で大変よろしい。
「私は危害を加える気はありません。何なら先生方や留三郎くんたちも同席していただいてもいいですよ?」
「わかりました。そうさせていただきます」
「私が何かしないように手を縛って連れて行ってもいいですよ。その方が安心ですよね?」
保健委員くん――伊作くんが「え、でも」と困惑の表情を浮かべるのを無視して、私は両手を彼らの前に向ける。
「こいつは驚いた。たいした曲者だよ全く」
どこから出したのか分からないが留三郎くんが私の両手を縄でギッチギチに縛る。わお、こんなのテレビとかでしか見たことないよ。縄抜けもできなさそう、できないが。医務室を出る直前、留三郎くんが振り返ると私の縛られた両手に手拭いを被せた。
「下級生が見たら驚くからな」
そう言うと、医務室の戸をガラッと開け廊下を歩き出す。たったいま医務室から容疑者の女が出てきました。両手は隠されていますがおそらく拘束されているようにも見受けられます。これ以上抵抗する様子はないということでしょうか。以上、現場からお送りしました。私の脳はいつも通り通常運転をしている。そんな風に楽しく考えないとやってられない。自棄だ。
忍術学園は思いのほか敷地が広かった。学園長のいる庵に着く頃には、私の足はヘトヘトですぐに床へへばり付くように座った。人は土から離れては生きられないのだから仕方ない。
「この程度の距離でへばったんですか、貴女は」
「これで私が不審者だという疑いは晴れそうですか?」
「それはまた別の話です」
チッ。そろそろこんな私を疑うのはやめて頂きたい。襖を開けた先には学園長先生とヘムヘム、土井先生、山田先生、それと六年生四人が鎮座していた。留三郎くんと伊作くんも四人の隣につく。手ぬぐいの下で手が拘束されたまま、学園長先生の手前に正座する。厳かな空気が漂う。忍たまってこんな感じだったっけ?
「まず、お主はどこの手の者じゃ?」
学園長先生の爆発的な垂れ下がった眉がこちらを見つめる。
「あの、私はこの時代より先の…もっと未来から…いや、自分でも何言ってるんだって感じなんですけど、なにより私が戸惑ってまして」
「その割にはふてぶてしい態度のようだが?」と槍少年が口を挟む。
「それは私が弓道部だったからで」
目標が全国大会優勝なんて生ぬるいものじゃない。精神力の向上なんて大それた目標を掲げたイカれた部だった。その目標のとおり、やけに神経だけは図太くなってしまった。大抵のことには動揺しない。ちくしょう。ここで仇になるとは。
「まあまあ、勝手に悪いと思ったがお主の荷物をちと調べさせてもらった」
「はあ」
荷物といっても弓矢と着替えの入ったリュックくらいだ。
それにスマホ。あれがあればこの世界の人じゃないと信じてくれるに違いない。
「ちと尋ねたいんじゃが、この四角い固い物体はなんじゃ?」
「それはスマホといって…遠くにいる人と話すことができたり、写真を撮ることができるんですけど…こっちに来てから使えなくて」
「ほう、こんなもので会話がのう」
しげしげとスマホを眺める学園長先生と、遠巻きに視線を送るみんな。すごい、私いま文明の利器を持ってる。ふふふと得意げになってしまう。
「弓矢もワシらの知ってる形ではないようじゃが?」
「それが私のいる時代の弓矢です。争いではなく競技として使用するので」
「戦で使わないだと!?戯れ言を!!」
またしても槍少年が声を発する。止めろ文次郎、と隣に座るサラッと艶やかな髪をした美少年が彼を制する。
「貴女に聞きたいのですが、未来からということは何年先の未来でしょう?」
「え?」
待って、ここは何時代?鎌倉?江戸?待って選択授業で日本史じゃなくて地理取ってたから分かるはずもない。でもおそらく四百年は余裕で超えている。
「えっと…最低でも四百年は先ですね」
「四百年!?」
「じゃあこの女性は四百歳なのか?」
「なんでそうなる小平太!」
ゲジ眉の元気そのものという感じの少年のボケが程よく私を和ます。四百年という検討もつかない数字に皆の表情は宇宙猫のように虚無を見つめている。
「で、どのようにしてここへ来たんじゃ?」
「それが私にも分からなくて……そのスマホで忍たまを見ながら神社の鳥居を潜ったら、気付かないうちにあの竹林にいて」
「待て、お前いま忍たまと言ったか?」
「はい。私の世界ではここの皆さんがアニメ……えっと絵で見ることができるんです」
「ふざけたことを!!」と文次郎くん。こっちだって大真面目だ。心外ではないか。
「ほう!ワシらがのう!してお嬢さん、ワシの人気はどのくらいじゃ?」
緊迫していた空気が一気に萎んでいくのを感じた。さすが学園長先生。畏れ入る。
「さあ?実は私あまり知らなくて……友人ならここにいる皆さんの名前が分かるんでしょうけど、私が知ってるのは学園長先生、ヘムヘム、山田先生、土井先生、それに乱太郎くんたち一年は組の生徒くらいですから。あと滝夜叉丸」
「滝夜叉丸!?アイツ四百年後の世界でも目立とうとしてんのか!」
「体育委員長の私を差し置いて!」
「しかも記憶に残ってるのが一年だと!?」
「こら六年生何処へ行く!?」
一斉に立ち上がる六年生を土井先生が止める。ナイスフォロー。しかし六年生は止まらない。槍少年もとい文次郎くんが言う。
「土井先生、止めないでください。我ら、少しばかり頭を冷やして参ります」
「主にバカ文次ですが」
「うるさい留三郎!」
あーだこーだ言いながら六年生が庵を出ていく。
残された私は学園長先生とヘムヘム、山田先生、土井先生で再び向き合う。
「とりあえず言い分は分かった。知らぬうちにここへ来てしまったなら帰り方も分かるまい」
「では学園長、どうなさるおつもりで?」と山田先生が尋ねる。
「うむ。一年は組の生徒の事は知ってるようじゃし、弓矢を扱えるのもこの時代に来た何かの縁。しばらくの間ここで生活してもらって構わんじゃろ」
「しかし学園長」
困惑を浮かべる土井先生に、私は予てから考えていた言葉を口にする。
「あの、迷惑はかけませんから……練り物でも何でも食べますから……だから……」
「ぜひよろしくお願いします!!」
矢の如く頭を垂れる彼に、おいおいおい、本当にいいんですかい?とこっちまで心配になってしまった。それを見てやれやれ、と首を振る山田先生と、「上手く取り入るとはのう」と関心する学園長。よかった。なんとか生活拠点は守られた。封じ手を用意していて助かった。あっぱれ私。
「して、お嬢さんの名前はなんと言うんじゃ?」
「雪下詩織です」
「歳は?」
「二十五です」
「ほう、土井先生と同い年かのう。ではもう所帯もあるんじゃろ?家族に会えぬのは辛かろう」
「いえ、結婚はしてません。私の時代では25歳で結婚していない人は多いですよ」
「ほーう?」と山田先生が長い溜息をつく。この時代とはやはり感覚が違うんだろう。まあ致し方ない。
「では詩織君の諸々の世話は土井先生に頼むとするかのう?」
「え?私ですか?」
あからさまに米神に皺を作る彼に「練り物」と小さく呟くと「よろこんで!」とすっ飛んで返ってくる。しめしめ、これは強力な言霊ではないか。大事に使わせていただこう。
そこへ襖が開き、伊作くんが顔を覗かせた。
「あのう、詩織さんにお聞きしたいことがあるのですが」
「私に?」
「詩織さんの荷物でそれぞれどんな使い方をするのか教えて頂きたいのです」
ああ確かに。未来の道具って興味あるもんね。私もドラえもんの道具気になるもん。山田先生が口を開く。
「では土井先生、一緒に行ってあげなさい」
「わ、わかりました」
庵近くの倉庫にいた。流石に縛られていた縄は土井先生によって解かれた。手首にはくっきりと赤い痕がついている。そんな趣味はないんだけどなあ。
「こちらに並べさせて頂きました」
「あ、はい。わかりまし………!?」
見ちゃいけないものが視界に入り言葉を失くす。おい誰だ。まじで勘弁しろ。おい。なんでアハンな時にしか使わない代物があるんだバカ。よりによってそれを初手で手に取る伊作くん。不運だ。
「これはどういった用途なんですか?南蛮文字が書いてあるようで読めないですけど」
「や、それは、その、えーっと……そう、衛生用品!絆創膏とかと同じ衛生用品!」
「へぇ、これが未来の絆創膏!」
いや違うんだ!ごめん!だけど体を守る意味では同じか。うん相違なし。いざ箱をよく見ればあれは元彼と付き合っていたときの物だと記憶が蘇る。デート中にお盛んになった元彼がコンビニで買ってホテルで使ってその時にアイツが私のリュックに勝手にしまったに違いない。別れてから存在感出さなくていいんだよタコ。
興味津々に箱を開けようとする伊作くんに声を荒らげる。
「ステイステーーーイ!!!」
ステイなんて通じる訳もなく伊作くんは四角い袋をキラキラとした眼差しで見つめる姿に罪悪感が滲む。君が数百年後に生まれればそれにお世話になるだろうよ。
「ちょっと開けてみてもいいですか?」
「ぜったいだめ!!」
「おい貴様!俺たちを出し抜こうと考えてんだな?やましい事がないなら開けたっていいだろ」
そんなわけあるか。だからって疑う目で見るのはやめろ。
「あーもうこの際だからハッキリ言いますけどそれ、卑猥なものですから!そういう時に男性のあそこにつけるやつですから!なんで持ってるかは聞かないでください!」
勢い任せに言ったことに冷や汗が背筋に流れる。女としての尊厳を失くした。ああ穴があったら入りたい。文次郎くんは見る見る間に赤面に染まっていく。見た目と違う年相応の反応にお姉さんは嬉しいよ。
「な、な、な!破廉恥なっ!」
「そっちが勝手に疑うから説明したんです!」
「なぜ男が使うものを貴様が!」
「前に付き合ってた人が勝手に入れてて」
「なに?縁談を破談にしたのか」
「私のいる時代じゃ結婚を前提に付き合ったりしないわよ」
「なっ……!!なんたる破廉恥!」
言い争うのは止めよう。時代が違うから価値観が全くもって違うのだ。歩み寄れても理解はできない。ふうと深呼吸して気を持ち直す。
「へえ、未来ではこういうものが常備されているんですね。わあ確かにこれなら伸縮性もあって耐久性もありますね。たしかに衛生用品だ!すごいです詩織さん!」
「ぬああああ!!!こんな人前で出さないでください!!!」
穏やかになった気持ちを返せ。袋を破った伊作くんはゴム本体に指先を入れて伸び縮みさせて楽しんでいる。なんなんだ。時代が追いつかなすぎて恥ずかしいって感覚さえないのか?アダムとイブか?そんなことより、さっきから此方を見つめている私と同年代の彼は、口元を手のひらで隠しているがニヤケているのが分かるぞ。先生、むっつりなんですね。
なんとか伊作くんからゴムを回収し、他の荷物の説明をさっと終える。学園長先生が許可を取ったことに未だに納得していないのが文次郎くんと留三郎くんだった。
「おい文次郎、俺と意見を合わせるな!」
「お前こそ俺と被るな!」
「まあ二人ともそう啀み合うな。私はこの詩織を信用するぞ!」
「小平太?」
元気なゲジ眉くんが二人の間に割って入る。ムードメーカーに安心したのも束の間。
「それに私もこれを使ってみたい!土井先生、房中術の実習相手は詩織でもよろしいのですか?」
「なっ!?」
房中術という響きが申し訳ないが私の生きてきた二十五年で初めて聞いた単語で何のことか分からない。友人ならすぐに分かるのだろうが。
「先生、房中術というのは?」
「い、いえ!なんでもありません!小平太!そういう話を公にするな!」
頬を赤くして怒鳴る彼の姿に、ああ…と察してあげる。私だって大人だ。なるほど意外と忍たまの世界も奥が深いのかと関心してしまう。
「とりあえず!」と土井先生が場を仕切り直す。
「これは私が保管しておきます。六年生なら勝手に部屋に忍び込んで奪うことも簡単なので」
そう言って私の手から大人の嗜みの箱を抜き取る。たしかに先生が持っていた方が安心かも知れない。それなのに彼を見つめる六年生の視線はジトっと疑っている眼差しではないか。
「こおらお前たちの考えてることが分かるぞおおおお!!!私が使うわけないだろ!!!なんだその目は!!!」
こうして、土井先生の叫び声で一日の幕が閉じたのだった。