短編
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私の中には鬼がいます。
暗闇の中、半助さんが呟いた。外はまだ夜の帳が降ろされしんと静まり返っている。隣同士に並べた布団を繋ぐように、私たちは手を繋いでいた。
しっかりと伝わる彼のぬくもりに私はすっかり安心してしまっているというのに、彼の胸の内に鬼が住んでいるなどとても思えない。返事をしない私に、半助さんが握っていた手のひらに少しだけ力を込めるので、私はやっと言葉を紡いだ。
「鬼、ですか?」
「……ええ」
彼の表情は見えないけれど、いつもよりだいぶ低い抑揚のない声だった。
この数ヶ月間、半助さんは坂東に出張していると学園長から聞かされていた。最初はそうだと信じていたけれど、一年は組の子どもたちの、特にきり丸君の様子が違っていたことと、半助さんばかりでなく山田先生に五年生、六年生それに一年は組の子どもたちも帰ってこないことに、なにか大事になっているのではないかと感じてはいた。
けれど、一事務員である私は下級生や四年生へのサポートや小松田さんのフォローなど通常事務があるので、無事に帰ってくるのを待つばかりだった。
やっと今日、みんなが一緒に帰ってきたのだ。
何も言わない半助さんへ、私はただ「おかえりなさい」と笑顔で迎えた。
布団に入り、しばらくすると「私の中には鬼がいます」と彼は呟いた。そこで初めて半助さんから聞かされた。
彼の記憶がないことをいいことに、ドクタケ城で悪事を働かせられていたのだと。乱太郎くんたちを切り殺そうとしたことを。
「詩織さんにも随分ご心配おかけしました」
「……今晩はは組の子どもたちと一緒に寝てはどうですか?」
きっとみんな半助さんのぬくもりを感じていたいと思っているに違いない。
「いえ……よい子たちに言われました。詩織さんは何も知らないでずっと待っていたんだからって。私も山田先生もよい子たちも居なくて不安な中、黙々と事務をしていたんだからって。きり丸もそう言うんです」
「……ふふ、そうでしたか」
そうして、布団に潜る前に半助さんは私を抱き締めた。
それはそれは長い抱擁だった。
みんなの前ではいつもの明るさを取り戻しているように見えたけれど、それはまだ彼の心を全て癒しているわけではないのだろう。
抱き締める彼の肩が小刻みに震えるのが伝わり、私は彼の背中をトン、トンと優しく叩いた。
「……っ」
半助さんが私をさらに力強く抱き締める。
彼がひっそりと目に涙を浮かべていることが容易に想像できた。そんな簡単に癒えるわけがない。でもみんなの前では普段通り明るく接してあげたい。そんな彼の不器用な優しさに、心の奥がきゅっとなる。
「半助さん」
トン、トン、と優しく叩きながら彼の名を呼ぶ。
「半助さん、がんばりましたね」
「半助さんたちが無事に帰ってきてくれて嬉しいです」
「半助さん」
そうやって彼の名を呼びながら、背をトントンと叩いていると、次第に半助さんは嗚咽を洩らす。
彼は大人だけれど、その前に人間で、辛いことがあれば泣くのは当たり前なのだ。それを教師だからと、大人だからと、必死に隠そうとするのが私には痛いほど分かってしまう。
私もそうだから。
半助さんがいなくなって辛かった。
でも大人だからと、目の前の仕事を全うしていた。
けれど今は二人きり。私の前ではそんな強がりは無意味なんだと、何も考えずに甘えていいんだと教えてあげたい。
「私はどんな半助さんも好きです」
たとえそれが鬼だとしても。
あなたがあなたであることに変わりはない。
嬉しいことは一緒に笑い合いたいし、
辛いことがあれば分かち合いたい。
私は小さくて力も弱くて戦いには向いていないけれど、それでも貴方の支えにはなれる。それを分かってほしい。
背中を優しく叩きながら、そんなことを呟いていた。
か細い弱々しい声で彼が「ありがとう」とぽつりと言った。
半助さんと恋仲になってから初めて見るそんな姿に、胸が締め付けられる。私にできることは傍にいて、こうして背中を擦ることしかできない。もどかしかった。
「……詩織さん」
「はい、なんですか」
「直接、詩織さんのぬくもりに触れてもいいですか」
「…っん……ああっ…半助…さん」
「詩織……さん、」
彼の舌が私の首筋をなぞる。
ツーっと這う舌の感触に、全身が熱を帯びていくのを感じていた。
私の上に覆い被さる彼の眼差しはどこか儚さを漂わせている。憂いた瞼が何を思っているのか。半助さんの瞳には私はどんなふうに映っているのか。
突然、半助さんが動きを止め、唇を離す。
消えるような声で彼は呟いた。
「やっぱり……抱けません。こんな私では詩織さんを傷付けてしまう」
触れる半助さんの手が震えている。手のひらを握り、震えが止まることを祈った。
「半助さん、」
「私の手は、汚れているんです。教師になる前から……だから、私には人を愛する資格など……」
その声は弱々しい声のはずなのに、重く深く、私の胸の奥底へ沈んでいく。半助さんの心の痛みが私にも突き刺さったような鈍い痛みへと変わるのを如実に感じていた。きっとそれは、半助さんにとって一生消えることの無い痛みなのだろう。それでも、私は彼の心の傷が少しでも癒えることを願わずにはいられない。
「……半助さん」
彼の頬に、自分の手のひらを添えた。彼の温もりが指先からじんわりと伝わってくる。
貴方はひとりじゃない。
ひとりで受け止めなくていい。私に半分背負わせて。
頬に添えた手を、半助さんが両手で包み込む。まるで天に何かを懇願するように。大丈夫だから。貴方はもう大丈夫だから。
「貴方の背負っているものを、私にも分けてください」
私がそう言うと、彼は再び小さく嗚咽を洩らした。
貴方はそうやっていつも一人で抱えて、抱え切れなくても耐えるしかなくて、それでも不器用に生きていることを私は知っている。
「また天鬼の自分が出てきたらと思うと怖いんです…容赦なく刀を向けた自分が…もし、貴女にまでその刃を向けていたらと思うと」
掠れた声で背負っていた荷を解くように、半助さんが言葉にする。今まで守るべき人大切な彼らに向けて、刀を向けた。自ら居場所を消そうとしていた。それが彼にとってどれほど怖いことか想像にかたくない。
けれど半助さんは一つ誤解している。
「半助さん、私をそんなヤワな人だと思っているんですか?」
「……それは、どういう?」
「例え貴方がどんなに変わろうと、私のことを忘れていても、私は半助さんを好きなことには変わりません。必ず思い出させてみせます。こうやって」
両の手で、彼の両頬を包み込む。
彼の頬は濡れていた。
薄暗の中、感覚を頼りに彼の唇に自分のそれを重ねる。
今までしてきたキスの中で一番切ない味がした。
「詩織さんが、こんなに強情だと思ってなかったよ」
ふっ、と半助さんが息を零す。
「呆れました?」
そう尋ねると「ううん」と半助さんは首を振った。
「さすが私の見初めた女性だ、と思ってね」
「ふふ、でしょ?」
半助さんが私の上に覆いかぶさり、足を絡める。
お互いに言葉を交わさなまま、触れ合いを深めていった。
彼の指先を身体が敏感に反応していき、深い快楽の底へと堕ちていく。
互いを求め合う時間がまるで光矢のごとく過ぎ去っていった。あとに残るのは、絶頂の余韻と呼吸音だけ。
「…………詩織さん、ありがとう」
瞼を瞑っていた私に、半助さんは小さな声で呟くと、私のおでこに口付けを落とすと、私を優しく包み込んだ。
しばらくすると、半助さんから寝息が聞こえてきて、閉じていた瞼を開いた。薄暗に慣れた目は、眠っている彼を見つける。
どうか、半助さんがこの先もずっと幸せでありますように。そう願いながら、彼の温もりに包まれて私も眠りについた。
終わり
暗闇の中、半助さんが呟いた。外はまだ夜の帳が降ろされしんと静まり返っている。隣同士に並べた布団を繋ぐように、私たちは手を繋いでいた。
しっかりと伝わる彼のぬくもりに私はすっかり安心してしまっているというのに、彼の胸の内に鬼が住んでいるなどとても思えない。返事をしない私に、半助さんが握っていた手のひらに少しだけ力を込めるので、私はやっと言葉を紡いだ。
「鬼、ですか?」
「……ええ」
彼の表情は見えないけれど、いつもよりだいぶ低い抑揚のない声だった。
この数ヶ月間、半助さんは坂東に出張していると学園長から聞かされていた。最初はそうだと信じていたけれど、一年は組の子どもたちの、特にきり丸君の様子が違っていたことと、半助さんばかりでなく山田先生に五年生、六年生それに一年は組の子どもたちも帰ってこないことに、なにか大事になっているのではないかと感じてはいた。
けれど、一事務員である私は下級生や四年生へのサポートや小松田さんのフォローなど通常事務があるので、無事に帰ってくるのを待つばかりだった。
やっと今日、みんなが一緒に帰ってきたのだ。
何も言わない半助さんへ、私はただ「おかえりなさい」と笑顔で迎えた。
布団に入り、しばらくすると「私の中には鬼がいます」と彼は呟いた。そこで初めて半助さんから聞かされた。
彼の記憶がないことをいいことに、ドクタケ城で悪事を働かせられていたのだと。乱太郎くんたちを切り殺そうとしたことを。
「詩織さんにも随分ご心配おかけしました」
「……今晩はは組の子どもたちと一緒に寝てはどうですか?」
きっとみんな半助さんのぬくもりを感じていたいと思っているに違いない。
「いえ……よい子たちに言われました。詩織さんは何も知らないでずっと待っていたんだからって。私も山田先生もよい子たちも居なくて不安な中、黙々と事務をしていたんだからって。きり丸もそう言うんです」
「……ふふ、そうでしたか」
そうして、布団に潜る前に半助さんは私を抱き締めた。
それはそれは長い抱擁だった。
みんなの前ではいつもの明るさを取り戻しているように見えたけれど、それはまだ彼の心を全て癒しているわけではないのだろう。
抱き締める彼の肩が小刻みに震えるのが伝わり、私は彼の背中をトン、トンと優しく叩いた。
「……っ」
半助さんが私をさらに力強く抱き締める。
彼がひっそりと目に涙を浮かべていることが容易に想像できた。そんな簡単に癒えるわけがない。でもみんなの前では普段通り明るく接してあげたい。そんな彼の不器用な優しさに、心の奥がきゅっとなる。
「半助さん」
トン、トン、と優しく叩きながら彼の名を呼ぶ。
「半助さん、がんばりましたね」
「半助さんたちが無事に帰ってきてくれて嬉しいです」
「半助さん」
そうやって彼の名を呼びながら、背をトントンと叩いていると、次第に半助さんは嗚咽を洩らす。
彼は大人だけれど、その前に人間で、辛いことがあれば泣くのは当たり前なのだ。それを教師だからと、大人だからと、必死に隠そうとするのが私には痛いほど分かってしまう。
私もそうだから。
半助さんがいなくなって辛かった。
でも大人だからと、目の前の仕事を全うしていた。
けれど今は二人きり。私の前ではそんな強がりは無意味なんだと、何も考えずに甘えていいんだと教えてあげたい。
「私はどんな半助さんも好きです」
たとえそれが鬼だとしても。
あなたがあなたであることに変わりはない。
嬉しいことは一緒に笑い合いたいし、
辛いことがあれば分かち合いたい。
私は小さくて力も弱くて戦いには向いていないけれど、それでも貴方の支えにはなれる。それを分かってほしい。
背中を優しく叩きながら、そんなことを呟いていた。
か細い弱々しい声で彼が「ありがとう」とぽつりと言った。
半助さんと恋仲になってから初めて見るそんな姿に、胸が締め付けられる。私にできることは傍にいて、こうして背中を擦ることしかできない。もどかしかった。
「……詩織さん」
「はい、なんですか」
「直接、詩織さんのぬくもりに触れてもいいですか」
「…っん……ああっ…半助…さん」
「詩織……さん、」
彼の舌が私の首筋をなぞる。
ツーっと這う舌の感触に、全身が熱を帯びていくのを感じていた。
私の上に覆い被さる彼の眼差しはどこか儚さを漂わせている。憂いた瞼が何を思っているのか。半助さんの瞳には私はどんなふうに映っているのか。
突然、半助さんが動きを止め、唇を離す。
消えるような声で彼は呟いた。
「やっぱり……抱けません。こんな私では詩織さんを傷付けてしまう」
触れる半助さんの手が震えている。手のひらを握り、震えが止まることを祈った。
「半助さん、」
「私の手は、汚れているんです。教師になる前から……だから、私には人を愛する資格など……」
その声は弱々しい声のはずなのに、重く深く、私の胸の奥底へ沈んでいく。半助さんの心の痛みが私にも突き刺さったような鈍い痛みへと変わるのを如実に感じていた。きっとそれは、半助さんにとって一生消えることの無い痛みなのだろう。それでも、私は彼の心の傷が少しでも癒えることを願わずにはいられない。
「……半助さん」
彼の頬に、自分の手のひらを添えた。彼の温もりが指先からじんわりと伝わってくる。
貴方はひとりじゃない。
ひとりで受け止めなくていい。私に半分背負わせて。
頬に添えた手を、半助さんが両手で包み込む。まるで天に何かを懇願するように。大丈夫だから。貴方はもう大丈夫だから。
「貴方の背負っているものを、私にも分けてください」
私がそう言うと、彼は再び小さく嗚咽を洩らした。
貴方はそうやっていつも一人で抱えて、抱え切れなくても耐えるしかなくて、それでも不器用に生きていることを私は知っている。
「また天鬼の自分が出てきたらと思うと怖いんです…容赦なく刀を向けた自分が…もし、貴女にまでその刃を向けていたらと思うと」
掠れた声で背負っていた荷を解くように、半助さんが言葉にする。今まで守るべき人大切な彼らに向けて、刀を向けた。自ら居場所を消そうとしていた。それが彼にとってどれほど怖いことか想像にかたくない。
けれど半助さんは一つ誤解している。
「半助さん、私をそんなヤワな人だと思っているんですか?」
「……それは、どういう?」
「例え貴方がどんなに変わろうと、私のことを忘れていても、私は半助さんを好きなことには変わりません。必ず思い出させてみせます。こうやって」
両の手で、彼の両頬を包み込む。
彼の頬は濡れていた。
薄暗の中、感覚を頼りに彼の唇に自分のそれを重ねる。
今までしてきたキスの中で一番切ない味がした。
「詩織さんが、こんなに強情だと思ってなかったよ」
ふっ、と半助さんが息を零す。
「呆れました?」
そう尋ねると「ううん」と半助さんは首を振った。
「さすが私の見初めた女性だ、と思ってね」
「ふふ、でしょ?」
半助さんが私の上に覆いかぶさり、足を絡める。
お互いに言葉を交わさなまま、触れ合いを深めていった。
彼の指先を身体が敏感に反応していき、深い快楽の底へと堕ちていく。
互いを求め合う時間がまるで光矢のごとく過ぎ去っていった。あとに残るのは、絶頂の余韻と呼吸音だけ。
「…………詩織さん、ありがとう」
瞼を瞑っていた私に、半助さんは小さな声で呟くと、私のおでこに口付けを落とすと、私を優しく包み込んだ。
しばらくすると、半助さんから寝息が聞こえてきて、閉じていた瞼を開いた。薄暗に慣れた目は、眠っている彼を見つける。
どうか、半助さんがこの先もずっと幸せでありますように。そう願いながら、彼の温もりに包まれて私も眠りについた。
終わり
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