下書き・ボツ
ただやってきてただお話をするだけの話
「きみ」
あともう少しで書き終わるというところで、私は書きかけのレポートから顔をあげた。
開けっぱなしの障子。夏の庭に面しており、濃い青空がよく見えた。遠くには天高く積み上がった入道雲が見える。
青白のコントラストの手前に、ひまわりが一つ。一本のひまわりを抱えた刀剣男士が、私と目が合うとにぱりと笑う。頭の先から羽織の裾まで真っ白な、鶴丸国永だ。
「今日はこいつを持ってきたぜ」
「まあ。大きなひまわりですね」
机の前から立ち上がり、縁側へ移動して、膝をつく。
彼の顔よりも大きなひまわりは、花弁の先まで生き生きしている。きっとまだ採ってきたばかりなのだろう。
「出先で、見事なひまわり畑があってなあ。見渡すかぎりずっとひまわり一色なんだ」
鶴丸国永はひまわりに負けじと生き生きと語る。その首元に汗の滴が浮いているのが見えて、ああこの雪の精霊のような刀剣男士も汗をかくのか、などと場違いなことを思った。
この鶴丸国永は、毎日、私に会いにくる。それも手土産を持って、やってくる。今日は花だが、ときには菓子や装飾品、おもちゃの日もあった。
初めて彼がやってきた日、彼はこう言った。
「きみが好きだ」
しかし私はそれにうんと頷くことはできなかった。なにせ初対面だ。
まだ私の本丸に鶴丸国永は顕現していない。つまり、彼は、どこかよその本丸の刀だった。それに……変異個体、もしくは、亜種、というのだろうか。彼は、白髪の毛先が赤く染まっていた。最初は戦帰りの返り血かと思ったが、血の匂いはしないし、どうやら地毛のようだ。
ろくに知りもしない相手の好意を受け取るわけにはいかない。これが人間相手であればともかく、彼は刀剣男士だ。彼には彼の主がいるだろう。そもそもお互いに色恋にうつつを抜かしていい身分ではない。今は戦時中で、私も彼も戦うためにここにある。そういったわけで彼の好意は丁重にお断りしたのだが、次の日から、彼は私に会いにくるようになった。彼曰く、これは百夜通いなのだと言う。しかしすでに百日は過ぎていたし、彼が来る時間は昼であったり夜であったりまちまちだ。そして百日以上も通われると私もすっかり絆されてしまって、最初は淡々とあしらっていたのに、今では彼が来るのを心待ちにしている自分がいる。
「ひまわり畑ですか。きっと、壮観でしょうね」
「一緒に見にいかないか?」
「それは……」
さすがに、本丸を空けるのは気が進まなかった…というのは建前だ。私の審神者としての良心が許さない。
彼の求めに私が応じてしまうような行いは、戦のために私が励起した刀たちに申し訳が立たない。私の刀と共に外を出かけることは彼らの為の慰安だが、私の物ではない彼と共に出かけることは私の為の行いだ。これは私の中で、越えてはいけない一線だった。
言い淀んだ私を彼はしばらくじっと見据えていたが、やがて諦めたように微笑む。
「せめて、こいつを受け取っちゃあくれないか」
そうして差し出されるひまわり。大きなひまわりはずしりと私の手にのる。
「本当に立派なひまわり。そのひまわり畑はいったい何時代にあるんですか?」
「知りたいなら俺と“でえと”してくれ」
「だめです」
「はははっ、フラれちまった」
すると彼は縁側に腰を下ろして、羽織を脱ぎ始める。
「あああ……暑さで死んじまいそうだ。ちっとばかし、涼ませてくれ」
「かまいませんけれど……、そうだ。冷たい麦茶でも持ってきますね」
ひまわりを畳へ置き、立ちあがろうとしたとき、手首を彼に掴まれた。彼の掌は熱い。雪の精霊は見目だけなのだ。
「いい。時間の許すかぎり、きみといたいんだ。駄目かい?」
彼は言葉では許可をねだったが、私を掴むその手は一向に緩まる気配がない。離さないぞと言わんばかりである。
この鶴丸国永には、少々強引なところがあった。いや他の鶴丸国永を知っているわけではないから、特別に彼がというわけではなく、これがもともとの性質なのかもしれない。
「……鶴丸様がそうなさりたいのであれば」
結局はこちらが折れて、彼の隣に正座する。彼はしたり顔でにやりと目を細め、空を眺めた。
「嬉しいなあ。きみとこうして二人きりで過ごせるのは」
「鶴丸様はいつもここで長らく油を売っていますが、あなたの主は心配なされないのですか?」
「なあに、俺の主は俺がどこで何をしていようがまったく気にしないたちなのさ。放任主義というべきか。ちょいと嫉妬の一つでもしてもらいたいもんだが……」
「主を嫉妬させるために、ここに通ってる?」
「そいつは違うな。きみに会いたいから通ってる。きみが好きだから」
彼は淡々と言った。まっすぐ、淡々と、何に臆するでもなく、トンと彼の口からはそんな言葉が出てくる。飾らない性格なのだろうか。それともナンパな性格なのだろうか。百日が過ぎても、その判別は未だにつかない。本気で言ってるのかそれとも常套句だから心などこもっていないのか、それを知るべくジッと彼の瞳を見つめる。
すると、彼が先に目を背けた。その白い頬が、彼の毛先色に染まっている気がした。
「きみ、俺が好きだと言っても顔色ひとつ変えないよなあ……」
「こうも毎日言われると、おはようとかこんにちわに似てきますからね」
「おいおい、俺の好きはそんなに軽いのか? どうやらきみには俺がとんでもない軟派野郎に見えているようだな……。ひと目見たときから、本気できみが好きなんだぜ?」
「そうやってぽんぽんと好き好き言ってしまえるところが、実に軽いですよね」
「ああもう……きみを落とすには、いったいあと何百日通えばいいんだ?」
冗談でも、下手に何日と言うわけにはいかない。相手は半分神様だ。彼の受け取り方次第では、約束になってしまう。かと言って、何日来たって無駄ですよ、と突っぱねることもできなかった。彼と会えなくなってしまうのは寂しかった。私は卑怯な人間だ。
「頑張ってくださいね」
「ぬう」
彼がいじけたように口を尖らせ、眉間に深いしわを刻む。せっかく美しい顔をしているのに、そんな変顔をしないでほしい。
「ああ、でも、これから半月ほどは忙しくなるので、あまり鶴丸様のお話のお相手はできないかもしれません」
「ん? なにかあるのかい?」
「政府からの任務ですよ。おそらく任務期間中はずっと出陣通しだと思います。うちはまだそんなに戦力が整っていませんから、休んでいたらノルマが達成できないんです。鶴丸様の本丸も、しばらくお忙しくなるでしょう?」
「…………」
「鶴丸様?」
「いや……すまん。俺はきみに嘘をついていた」
「嘘、ですか?」
「ああ。俺に主はいない」
私が言葉の意味をすぐに飲め込めずにいると見て、彼がそれを噛み砕く。
「主はずいぶん昔に死んだ。帰るべき本丸ももうない」
淡々と告げられた。彼の表情に、悲しみや苦しみといった感情はなかった。ただ、私が何を返せばいいか分からずにいると、それを見て眉根を寄せる。
「すまんなあ。優しいきみは困ってしまうと思って、言わなんだ」
よいしょ、と彼は立ち上がって、そばに丸めていた羽織へ袖を通していく。
「そろそろおいとまするか。また来るぜ」
「もっ……、もうお帰りになるのですか」
「おお? 俺が恋しくなってきたか?」
にやにや。羽織の前を飾り鎖で慣れた手付きで留めながら、彼は面白いものを見つけたと言わんばかりににやつく。
人恋しいのだろう彼を思っての言葉だったが、彼は、私が彼を恋しく思っていますと受け取ったようだった。そうなると途端に恥ずかしくなって、頬が熱くなる。
「そういうわけではっ」
「ははは、照れるな照れるな。主人と同胞を失った慰みに、俺がここへ通っていると思ったんだな、きみは」
いざそう言われてしまうと。居心地が悪かった。
「そんな顔しないでくれ。俺はべつになんとも思ってないんだぜ? 仲間が折れようが、主が死んでしまおうが。だって、俺にはきみがいる。きみがいてくれれば、俺はそれだけで満ち足りるのさ」
酷い言い草だと思った。けれどもそうして吐き捨てることで、彼は彼自身の孤独や悲しみから目を逸らしているのかもしれない。
すると、彼がまた眉を寄せる。
「優しいなあ、きみは。ではこの孤独な鶴を哀れんでくれるというならば、どうか俺の嫁に来てくれないかい?」
嫁に。
それは再三にわたって彼から言われた言葉だ。これまでは吹けば飛ぶような軽い言葉だったのに、今はずしりと重たい。
どう答えればいいだろう。これまではのらりくらりとかわせたが、主も仲間も失った孤独な彼に、軽口だとしても突き放すような言葉はもう返せなかった。
「ふふ、駄目か。また来るぜ」
私が言葉を探したまま固まっていれば、痺れを切らしたのだろう。彼はいつものように微笑んで、背を向けて、ふらふらと手を振る。音もなく跳ねあがり、その白い姿が塀の向こうへ消える。
胸の中が、冷える。もう彼がここに来ないような気がした。恐怖にも似た感覚が、胸の中を這っていた。
とはいえそんなのはまったくの杞憂で、彼は任務が終わった次の日にはひょこりと顔を出した。この日もまたひどい日照りで、彼は羽織と一続きになった被りを深くかぶって、日光から逃れていた。しかし暑さは逃してくれないのか、首元には汗の滴が浮いている。
「よっ。今日もあちぃなあ」
彼は当然のように縁側にどすんと腰を下ろして、手で顔を扇いでいる。
私は、机上から、魔法瓶とグラスを持って、彼のそばに正座した。
「麦茶、飲まれますか?」
「ああ是非に」
「どうぞ」
瓶からグラスへこくこくと注いで渡してやれば、彼はすぐさま口をつけてこくこくと飲み干していく。
「……っ、はあ、生き返る」
「暑い中、無理してこなくてもかまいませんのに」
「そうは言ってもなあ。この二週間ずーっと、きみから、会いたい会いたいという思念が、俺の脳内に直接届いてなあ」
「そうでしたか。それはご迷惑をおかけ致しました」
「ははは、信じてないな? んく……、ごちそうさま」
最後の一滴まで麦茶を飲み干して、彼のグラスが差し出される。私はそこにさらに魔法瓶を傾けた。
「おかわりもどうぞ」
「おっ、いいねえ。これが酒で、今が夜で、ついでにきみが嫁になってくれたら、尚のことよかったんだが」
「はいはい。ところで、今日は手土産はないのですね」
私が尋ねれば、彼は二杯目の麦茶を飲みながら、にやりと目を細める。
「期待してくれていたのかい? すまんすまん。二週間ぶりの逢瀬は何がいいかと悩んでいたんだがな、たまには形の無い物も趣きがあっていいのではないかとな」
「形の無い物、ですか?」
「ああ。今日はきみに、都市伝説、とやらを聞かせてやろうと思ってな」
「と、」
またおかしなことを言い出したものだと、私はぽかんとして彼を見つめ返してしまった。
「はははっ、いいねえ、その顔! いつも冷静なきみが、そんな驚いた顔してくれるとは、もう腹いっぱいになっちまう」
「貴方の口から都市伝説なんて言葉が出てきて、私ももうお腹いっぱいですよ」
「ふははっ、いいなあ、実にいい。そうやって驚いてくれると話し甲斐もあるってもんだ。これから話すのはなあ、おかしな鶴丸国永の話さ」
「おかしな鶴丸国永」
「ああ、そうだとも。きみは、『白無垢の鶴丸国永』の存在を聞いたことはあるかい?」
ただやってきてただお話をするだけの話
(2023.02.15執筆|4527字)
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