短編
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「そういえば行冥って、色彩感覚はあるの?」
鍛錬を終えて地区巡回に赴く前の昼下がり、私は行冥の屋敷の縁側に座りながら、ふと浮かんだその疑問を口にした。
傍らに座していたその人物は、こちらの投げ掛けたその質問の意図を汲み取ろうとしているのか、少し眉を顰めて確認する。
「…それは"色を理解しているのか"という意味だろうか…?」
「うん、物心着く前に目が見えなくなったって聞いたから…例えば、白とか赤とかの彩りがどんな色なのか知ってるのかなって」
「……残念ながら、自我が芽生える前に視力を失っている故…万物の色彩がどのような色をしているのかは解っていない…」
そう答えながら、行冥は少し悲しげな表情になると、白の双眸からは雫がぽろぽろと零れ落ちた。
「うーん、そっかぁ…」
静かに涙を流すその人物を見て、気心知れた仲と言えども無神経な質問をしてしまったかなと思い、申し訳なさの気持ちを抱くと共にちくりと胸が痛んだ。
…しかし、彩りの無い世界とはどんなものなのだろう?
行冥の脳裏には、この世界がどんな風に描かれているのだろう。
もしかしたら、目を閉ざした時のように黒一色の漆黒なのかもしれない。
物心ついた時から、視界に映る景色に色があるのは当たり前だった身からしてみれば、"色彩が無い"とはどのようなものなのか、全く想像が付かなかった。
そう考えていると、何だか寂しいようないたたまれない気持ちになってきてしまった。
何か彼を励ますような事は出来ないだろうか、と一人内心思い悩んでいると、不意にぱっと名案が浮かんだ。
「そうだ!色の印象を私が伝えようか!」
「……というと…?」
「例えば"白"は雲や雪の色で、無垢で綺麗で清廉潔白を思わせる色…とか、その色から受ける印象を私が教えるってこと。昔から小説を読んだりしてたから、語彙力にはちょっと自信があるよ?」
小説というのは、今は亡き父親から妾である母との逢い引きの際に、幼かった私の厄介払いで貰った本の事だ。
分類は見事にバラバラではあったが、様々な言葉や知識を得るには、今思えば非常に有益な物だった。
その事に気付いたのは、鬼殺隊に入隊してから徐々に実感するようになったのだが、父から半ば釣り餌のように貰った物がこんな所でも役立つとは、何とも皮肉なものである。
とにかく、役立つものならば何でも利用するべきだ。
そう思い、私はその培った知識と語彙力をここで動員することにした。
「…そうか。では、真尋の思う様々な色の印象を聴くとしよう」
「よし、任せろっ!」
…などと意気込んでいたのだが。
世の中にある数多の色を言語化するのは、思った以上に困難を極めるものだった。
青色と言っても、紺碧の海と群青の空の違い、緑ならば新緑の葉や翡翠の石…といった微妙な色の違いを表現するのは、これ以上無いほど難しいものだった。
更にそれらの表現は全て、私の感性に委ねられている。
私の言葉選び一つで、行冥の感じる色の印象までも影響してしまうと気付いた時、益々難易度が上がった気がした。
そうして四苦八苦しながらも、どうにか紅葉の赤の色合いを伝えた時には限界を感じて、私はとうとう音を上げた。
「ごめん、もう無理…」
「何も強要はしていない、真尋が限界だと思ったのならば何時でも止めにして良い…」
私は縁側に座っていた状態から、仰向けに倒れるように寝転んで天井を眺めていた。
そんな私に対し、行冥は優しい言葉を投げ掛けてくれる。
しかしその優しさが余計心苦しく感じられた。
先程まで"語彙力には自信がある"と豪語していたというのに、今や大の字に伸びるこの体たらくである。
「私は無力です…」
「そう卑下するな…」
恐らく今の私は完全に死んだ目をしているだろう。
隣にいる人物に、この世界を彩る様々な色をどうにかして伝えたいというのに、その術が無くてやきもきしてしまう。
「せめて最後に金色の稲穂の、あの美しさを伝えたいというのにっ…!」
私が悔しげにそう呟いていると、行冥はふと思い出したように私に訊ねてきた。
「…金色ならば、仏具も大概は金があしらわれているが…その色とは違うのか」
「違う違う、全然違う!収穫前の稲穂が夕陽に照らされた時の色はもう…何て言うのかな、正に筆舌に尽くし難い絶景、とでも言うか…!」
上手く言語化出来ないもどかしさに、仰向けながらも思わず両手をわきわきと動かしてしまう。
そんなひっくり返った虫みたいな事になっている私を余所に、行冥はまるで中庭を眺めるかのように顔をそちらに向けながらも、穏やかな表情で黙してこちらの言葉に耳を傾けてくれていた。
「…君がそう言うのならば、さぞかし美しい景色なのだろう」
不意に、隣にいた人物はそんな事をぽつりと呟いた。
しかしその言葉を発した表情は悲しげなものでは無く、どこか柔らかなもので、口元には微かに笑みすら
「…うん、すっごく綺麗な景色だよ。でもそれが上手く伝えられないのがもどかしくって」
私はそう話しながら、寝転んでいた体勢から起き上がって再び座り直す。
すると行冥は、前方に向けていた面を私の方に移しながら返答した。
「何も真尋が苦慮することは無い…君の話す声色からして、世の中の景色は数多の色に彩られているという事は十分に理解した」
「……ん。それなら良かった」
もしかすると気遣ってくれているのかもしれないけれど、何となくでも傍らの人物にこの世界の鮮やかさが伝わった旨の言葉に、嬉しさでつい口角が上がってしまう。
そうして少しばかりニヤついていると、隣の人物は静かな声色で言葉を続けた。
「…今後も君の視界に様々な景色を映し、それを私に伝えてくれるだろうか」
「…えっ!?」
「……君が世の中のどんな景色を見て、そしてどう思うのかを知りたくなった…」
そう話す彼の表情は、非常に穏やかで優しいものだった。
その言葉はまるで"私のことを深く理解したい"と言われたようで、それと同時に私が彼の目の役割を担っているようにすら思えた。
その言葉に、嬉しさと照れくささが混じった気持ちがじわじわと込み上げてくる。
「…うん、いいよ。じゃあ私も頑張って語彙力もっとつけなきゃだね」
言いながら笑うと、隣の人物も釣られたように少しだけ笑ってみせてくれた。
そうして雑談に興じていると、日の傾き具合からしてそろそろ地区巡回へと繰り出さなければならない頃合になっていたのに気が付いた。
私は座っていた縁側から立ち上がると、両腕を空に突き上げてぐっと伸びをした。
「さて、そろそろ行かなきゃかなー」
「私も支度をして、担当区域に赴くとしよう…」
「あ、その前に」
「…?」
行冥も立ち上がろうとしていたが、私はそれを制止した。
するとその人物は、不思議そうな顔をこちらに向ける。
それに構わず私は彼に近付くと、相手の肩辺りに手を添えて、不意打ちの口付けを交わした。
「…!?」
突然唇を重ねられた方は、焦った様子と共にひどく驚いた表情を浮かべた。
油断し切っていたのか、その頬はほんのりと赤が滲んでいる。
「…ふふ、行ってきます」
愛おしい色に染まるその様子に、私はつい自身の目が細まるのを感じながら踵を返し、巡回の地区へ向けて歩き出した。
ふと見上げた茜色に染まり始めていた空は、初なその人物の頬の色を彷彿とさせて、また笑みが零れてしまった。