8.残滓
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
静かで暗い洞窟内を進むうち、前方を進む行冥が突如足を止めた。
こちらの視界はそれを捉える事が出来ない為にそのことに気付かず、私は彼の背中にどんとぶつかる。
「むぐっ…な、何かあった?」
「…静かに。話し声がする」
何も見えない中で、行冥は私の顔の横に口を寄せていたのだろう。
いきなり耳元で彼の小さく囁く声がして、不覚にもどきりとしてしまった。
(いけない、今は鬼に集中しろ…!)
恋愛感情が一瞬顔を覗かせたが、私はすぐさま気持ちを切り替えて足音を立てないように行冥の後をついて行く。
すると前方の岩陰が黒い輪郭となっており、その奥には橙色の灯りが周囲を照らしている光景が目に映った。
その岩陰に私達は潜み、聞き耳を立てる。
鎖が地面を擦れる音と共に、男性の声がした。
「……よし、外れた!百合子、よく聞いてくれ。今集落には鬼狩りという連中が来ているらしい。俺が此処に向かうのを見られたから…じきにこの場所もバレるだろう。そうなればキミはそいつらに殺される…」
男の言葉からして、鬼というのはその百合子という女性なのだろう。
私はそっと岩陰からその方を覗き見た。
そこにいたのは、男のしゃがんだ後ろ姿と地面に座る鬼女の姿だった。
その鬼女の足元には、彼女を繋いでいたであろう足枷の鎖が落ちていた。
そして彼女の着物は、男の着物とは対照的にランタンの灯りに照らされ艶やかな光沢をしている所からして、かなりの上質な着物のようだ。
それを確認して再び陰に隠れたが、その一目垣間見た様子で私は
資産家の失踪した娘というのがあの鬼女で、男はその彼女を匿っていたのだ。
そして男は自らの意思で、あの辰彦という少年を捕え此処に運ぼうとしていたのだろう。
男の様子からして血鬼術で操られている気配が無いのも、そう考えると納得が行く。
"鬼に自ら進んで協力する人間"という状態にどう対処すべきかと考えていると、男の話し声は続いた。
「だから百合子。今此処で俺を喰って、そしてどうにか鬼狩りの奴らから逃げて生き延びてくれ」
ひどく優しい声で話す男のその言葉に、私の頭は混乱してしまった。
その声は恍惚ともとれる程、ただ相手への愛おしさに満ちているものだった。
鬼に自らの身体を差し出し食らうように懇願するなど、今まで見た事も聞いた事も無かった。
一般市民の人命救助が優先される鬼殺隊として、今どうすべきか。
行冥の方に視線を向けると、向こうにあるランタンの灯りで微かに見えた彼の表情は私の心情と同じなのか、困惑の色をありありと滲ませていた。
男が鬼に食われる前に、ここから飛び出し戦闘に入るか否か。
私達は猶予の無い選択に迫られていたが、それはこちらで選ぶ必要は無くなった。
鬼女はこちらの気配に気付いたのか、獣の唸り声のような声を出して威嚇してきた。
「どうした百合子?…ま、まさか……」
男の緊張を帯びた声がする。
最早ここに隠れる必要は無くなり、私達は各々日輪刀を手に岩陰から姿を現した。
武器を構えているこちら見て、男は鬼女を庇うようにして睨みつけてきた。
「……お前らが、鬼狩りの…」
「…そう。これ以上人間に被害を及ぼさないよう、そこの鬼の頚を斬らせてもらうよ」
私がそう言うと、男は威勢よく返してきた。
「確かに彼女は女中を襲ったが、集落の人間達は俺が殺して彼女に食わせた!俺も同罪だ、彼女を殺すなら俺も殺せ!!」
その言葉に、隣にいる行冥は少なからず衝撃を受けたようで、涙をぼろぼろと流しながら呟くように話す。
「憐れな…鬼に心酔し人を殺めるとは…」
「…私達鬼殺隊は、人間は殺さない。だから貴方は大人しく下がってて」
私は三節刀を構え、一歩前に踏み出す。
追い詰められる鬼女と男の目には、私達が恋仲を引き裂く敵のように映っていることだろう。
不意に、男の方が懐に手を入れ何かを取り出すと同時に、私の方に向かって突進して来た。
殺意を宿した瞳と彼の手には
これが鬼相手ならば、容易く腕を斬り落とし対処しただろう。
しかし相手は殺意があるとはいえ、一般人である。
相手を傷付けない為には攻撃を躱すか、それとも匕首を弾いて落とすか。
一瞬判断が遅れてしまい、身体が硬直した。
「真尋!」
私の迷いに気付いたのか、行冥は焦りを帯びた声で名を呼び、こちらが動くよりも先に男の方へと飛び出していた。
匕首の刃が私に届く寸前、その腕を横から掴み勢いのまま男を地面へと抑えつける。
成人男性とはいえ、行冥相手だと身動ぎすら出来ないだろう。
「くそ、離せ…!!」
悔しげな声を上げる男を尻目に、私は奥にいる鬼女を見据えた。
角を有した彼女は牙を剥き出しこちらを睨み付けているが、男よりも殺気はあまり感じられなかった。
逃亡するような気配も無くどこか諦めたような様子で立ち尽くしているようだったが、それでも私達鬼殺隊は関係は無い。
鬼とあらば、皆等しく頚を斬るのみだ。
私は三節刀を構え、地面を蹴り一気に距離を詰めた。
─鳥の呼吸・壱ノ型
両手の刀を薙ぎ払うと同時に、翼となった斬撃が鬼女を襲う。
しかしその攻撃は当たらず、相手は上方の岩壁に張り付くようにして回避していた。
鬼女の背中からは、人間のものではない腕が四本生えている。
それは歪な形をしており、関節部はまるで球体人形のものの様だった。
しかし私は相手からの反撃の隙を与えず、跳躍し追撃する。
─鳥の呼吸・伍ノ型
縦方向の斬撃を双刃から二つ繰り出し、鬼女の両肩と支えていた背中の人外の腕とを裂いた。
岩壁から離れ落下する鬼女。
それを見た男の悲痛な声が洞窟内に木霊する。
「百合子!!」
鬼女の名前を叫ぶ男は、行冥に取り押さえられて地面に伏したままだった。
…恐らく、彼はこの後見たくない光景を目の当たりにするのだろう。
しかし私は鬼殺隊、鳥柱だ。
鬼を前にして、絆され見逃すという例外は有り得ない。
空中に滞空する一瞬で、側の岩壁を蹴り体勢を整えて敵を見据える。
そして落下する鬼女目掛けて、刀を振るった。
─鳥の呼吸・肆ノ型
三節刀の乱撃は、鬼女の身体と頚を目掛けて飛んだ。
その斬撃が当たる刹那、私はその彼女と目が合ってしまった。
"終わりにして"
諦観の眼差しは、そう語っていた。
自らの身を差し出す男を喰らうことも、全て投げ出し逃げることも出来ずにいた百合子という鬼。
鬼になったその経緯は分からないが、人に戻ることも叶わず残された"死"だけが彼女の心の救いだというのか。
…表情で相手の心情が読める事を今だけは恨めしく感じた私は、奥歯をぎりと噛み締めた。
斬撃は鬼女の身体を切り刻み、頚を切断した。
私が地面に降り立つよりも先に、彼女の身体は地面に叩きつけられ頚が転がった。
途端、鬼女の身体と頭部は崩壊が始まる。
塵になり始めるそれらを
「…その人、もう離して良いよ」
「……しかし…」
「もう殺意は無いみたいだから。せめて最期に、あの百合子さんの所に行かせてあげて」
「………」
私の言葉に行冥はやや訝しむ様子があったが、言葉通りに彼を解放した。
男は鬼の身体がある方を見つめたまま茫然自失といった表情で、手にはまだ匕首を持っていたが、腕はだらりと下げており私達に向けて振るう素振りは皆無だった。
ふらふらとした足取りで鬼女の頭が転がっている方へと歩みを進める。
「……百合子」
震える手でその頭を拾い、腕の中に抱き締める男の目尻からは、一筋の涙が頬を伝っていたのがランタンの灯りに反射して光っていた。
それを見守っていた私は、彼らから背を向けてこの場を離れようとした。
「…あの男は良いのか」
「後は隠に任せよう。…今はそっとしておこうか」
そうして行冥と共に、元きた道を戻ろうとした時だった。
「……キミを、独りにはさせないから」
男のその独り言に、背筋にぞわりと悪寒が走った。
彼の言葉が意味する事は、まさか─慌てて振り返ったが、既に遅かった。
男は手にしていた匕首を自身の首に押し当て、今正しくそれで頸動脈を掻き切った場面を目の当たりにした。
刹那、赤い液体がぱっと飛沫を上げて辺りの地面と岩壁に飛び散る。
そして男の身体は鬼女の頚を抱いたまま、その場に崩れ落ちた。
「くそ…!!」
何故気づかなかったのか。
鬼に自身の身を喰わせようとした男が、恋人の死を目の前にして自死を図るくらい、容易に想像出来ただろうに。
自身の判断を誤り、私は己に苛立ち舌打ちをしつつ、男の方へと駆け寄った。
傷口に手を当てて止血しようとしたが、吹き出す血の勢いは既に弱まってきており、男の息は事切れる寸前だった。
その僅かな意識で、男は切れ切れに言葉を発する。
「頼む……百合子と、一緒に………埋葬、を…」
「……それは、」
出来ない頼み事だ。私はその言葉の続きを呑み込んだ。
鬼となれば、身体は全て塵となり最期には何も残さない。
骨も髪も、存在した証は何一つ遺さないのだ。
それを知ってか知らずか、男は半分以上塵となった鬼女の頚を抱いたまま、息を引き取った。
その顔は何処か安堵し満足したように、微かに微笑んで見えた。