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しっぽや(No.85~101)

僕が暫く感慨に耽っていると
「あー、イチゴとイチエのパン屋のパンだ!」
匂いを嗅ぎつけた空が、浮かれた声を出しながら控え室から姿を現した。
エコバッグの中のパンをのぞき込む。
空にはあの事件の時、白久を励ますのに協力してもらったし、彼自身も化生してもなお心に闇を抱えて生きてきたことが分かっている。
単なるバカ犬ではないと知ってはいるのだが、先ほど学校で僕のことを『空より格下』だと思っている者達に出会っていたため、また胸の中がモヤモヤとしてきた。

『そりゃ、こいつは大型犬だから僕より身長高くて体格良いけどね
 戦いを知らず、マンションでヌクヌクと可愛がられていたバブリー犬だよ
 武衆(ぶしゅう)のハスキー軍団の中でも1番弱いってのに』
試しに首を締めてやると、空は簡単に捕まって腕1本で釣り上げられた。

空をぶら下げたまま日野の顔を見ると
「うん、凄い凄い、事務所では黒谷が1番強いね」
彼はそう言って誉めてくれた。
それで僕は溜飲(りゅういん)が下がり、空を床に下ろしてやる。
犬であれば尻尾を股の間に挟んだ怯えた状態であろうと思いきや
「旦那、勘弁してくれよ、俺1人で全部食おうとしないからさ」
空は首をさすりながら多少咽せている程度であった。

『この脳天気さには、適わないな』
僕は心の中で苦笑する。
「そうだよ、皆で分け合うために買ってきたんだからね
 とは言え、今日唯一の依頼をこなしたのは空なんだってな
 1番に選ばせてやるよ、カツサンドはどうだ?
 ロースカツ、メンチカツ、ハムカツがあるよ」
「じゃあ、ロースカツにする!甘いパンも貰って良い?」
満面の笑みの空に
「好きなのを選びなよ」
僕はエコバッグごとパンを渡してやった。

「シロも選んで、所長代理お疲れさま」
僕が声をかけるとパンを選び終わった空が、バッグを白久に手渡した。
「私は、焼きそばパンをいただきます
 やはり、懐かしいパンを選んでしまいますね
 最近の物は焼きそばがいっぱい入ってて、豪勢です」
「うん、その気持ちは分かるなー
 僕はコロッケパンにしよう
 ほら、こんなに大きなコロッケが挟まってる」
僕は白久と並んで、控え室のソファーに腰掛けた。

「クロ、あの事件の際は本当にお世話をかけました
 私が消滅する事を防いでくれて、ありがとう
 おかげで、荒木との素晴らしい体験が出来ています」
白久は他の者に聞こえないよう、小声で話しかけてくる。
「消滅しなかったのは、シロの荒木への愛の結果だよ
 シロだって、僕が消滅しかかったのを止めてくれたじゃないか
 あの時、仲間の存在というのも、僕達化生の心の拠り所になっているんだと思ったよ
 僕1人だったら和銅の後を追っていた」
僕も小声でそう返す。
「クロは、親鼻の消滅も防ぎました
 私達には貴方と和銅を見ていたからこそ、知り得た想いがあります
 それに新しい化生が来ると早く馴染めるよう気を配ってくれたこと、皆が知っています
 ブツブツいいながらも、きちんと羽生の世話をしてくれたし
 クロが私たちのリーダーでいてくれて、私達は本当に感謝してますよ」
白久に真顔でそう言われ、柄にもなく照れてしまう。
「僕達のリーダーは三峰様だよ」
コーヒー牛乳を飲みながら、僕は何でもないことのようにそう答えた。

「カズハに飼ってもらうまで、俺のことも泊めてくれたしな
 感謝してるぜ、旦那」
耳ざとく僕達の会話を聞いていたらしい空も、そう呟いてヒヒッと笑う。
「だから、パン、もう1個貰って良い?」
ねだるような視線を向けてくる空に
「好きなだけお食べ
 日野お勧めのクリームパンは食べてみたいから、手を出すなよ」
僕はすっかり軽くなったエコバッグを差し出した。
「空、私にはジャムパンを残しておいてください」
白久もすかさず釘を刺す。
「大丈夫、俺、もっとコジャレたパン食べるから
 お、ニューヨークスタイルのチーズケーキだ
 普通のベイクドチーズケーキより、ずっしりくるのが良いんだよな
 これにしよっと」
空はホクホクしながらチーズケーキを取り出した。
「コジャレたって…、僕達のチョイスが年寄りみたいな扱いを受けるなんて」
「でもまた、懐かしのパンを選んでしまいましたね」
白久がそう言うので、僕達は顔を見合わせて笑ってしまった。

顔ぶれは変わっていくけれど、仲間と共に会話をしながら食事をする楽しみは変わらない。
しっぽやにいると、そんなことを思い出させてくれた。
見ると、日野や荒木、タケぽんも楽しそうに話し込んでパンを食べている。
和銅の提案してくれた場所で日野がくつろいでくれるのは少し不思議な気分になるけれど、しっぽやが皆の憩いの場になっているのは、とても喜ばしい事に感じられた。

『しっぽやがあって良かった』
僕は心からそう思うのであった。


ランチを食べ終わり細々とした雑用を片付け、僕と日野はマンションに戻った。
日野はとてもすっきりとした良い顔をしていた。
クッションに座る日野の肩に、僕は頭を軽くのせる。
「皆、パンを喜んでくれましたね」
「うん」
僕の言葉に日野は嬉しそうに頷いた。
「付き合ってくれてありがと
 明日は黒谷の誕生日だから、今度は俺が付き合うよ
 それとも今からどこかに行く?そろそろ日が傾いて、暑さがマシになってきてるからさ」
日野は僕を撫でながら聞いてくれた。
今日の体験だけでも、僕には十分素晴らしく楽しいものであった。
新たな発見と、居場所の確認が出来たのだ。
日野と一緒にいなければ気付けなかったことだろう。

「もう少し涼しい時間になったら、少し走りに行きませんか?
 飼い主と一緒に走るのは、とても気持ちが良いから」
優しく髪を撫でてくれる日野の手の感触にうっとりとしながら、僕はそうねだってみる。
「そうだね、こっちの方でもランニングできそうな場所がないか、探しながら走ろうか」
日野は微笑んで答えてくれた。
「走りがてら、どこかで夕飯でも食べましょう
 帰ってきたらシャワーを浴びて、してもよろしいですか?」
昨日は1日中イチャイチャしていたというのに、僕はまた彼に触れたくなっていた。
「もちろん」
日野は艶やかに笑ってくれる。
僕達は唇を合わせるとランニングの準備を始め、その後は予定通りの素晴らしい夜を過ごすのであった。



夏休み3日目
長いと思っていた夏休みだけど、過ごしてしまうとあっという間に最終日になっていた。
テレビを見ながら、僕と日野は朝食を食べていた。
終戦記念日の今日、テレビでは多くのチャンネルが太平洋戦争の特集を組んでいる。
しかしそれらを見ても、以前ほど胸が張り裂けそうな絶望的な感覚は襲ってこなかった。
『あの戦で失ったものを、再び手に入れられたからだろうか』
愛しい飼い主の顔を見ながら、僕はそんなことを考える。

「今って、日本は平和だよな」
日野がポツリと、そんなことを呟いた。
「平和な時代に黒谷を飼えて幸せだなって、最近つくづく思うんだ
 ご飯もいっぱい食べられるし」
切ない日野の呟きが胸に刺さる。
「今日も美味しいものを食べに行きましょうか
 食べ放題のお店とか
 それと、僕に似合う首輪、と言うかアクセサリーを選んでいただけると嬉しいのですが」
僕はそうお願いしてみた。
昨日、日野にシルバーが似合うと言われ嬉しくなっていたからだ。

「うん、アクセは俺が誕生日プレゼントに買ってあげるよ
 昨日、先生には虎毛に黒は目立たないって言ったけど、今の黒谷なら黒も似合うと思うんだ
 レザーとシルバーの組み合わせで、何か探してみよう
 チェーンも良いんだけど、やっぱチョーカーが良いかな」
日野は僕の首元を見ながら悩み出す。
彼に誉めてもらえる物を身に付けるのは、嬉しいことだった。


「ワンパターンだけど、やっぱ買い物はここだよな
 お盆でも店が閉まってるってことないし」
僕達はショッピングモールにやってきた。
今日も日野の希望で少し着崩した服装をしているが、やはり他の人に奇異の目で見られることは無かった。
「ランチは空お勧めの、洋食食べ放題のお店にでも行きますか?」
「そうだね、そこは俺もまだ入ったことないんだ、楽しみ!」
僕達はたわいない会話を楽しみながら移動した。

「うーん、どれにしよう」
店に着くと日野はアクセサリーを見ながら、真剣に考え込み始める。
「こっちの方が似合うかな、いや、少しゴツい方が目立って良いか」
僕にはどちらが自分に似合うのか、判断が付かなかった。
店内を見回すと、銀を使ったアクセサリーの他に天然石も売っている。
「あっ」
僕は思わず、声を上げてしまった。
店内のケースの中に、日野と話していたタイガーアイとオニキスを使ったブレスが飾られていたのだ。
気が付いた日野も視線を向けハッとした顔になる。
ブレスは石の状態も悪くなく、後から三峰様に調整してもらえば十分お守りとして使えそうだ。
「飼っていただいて1年の記念として、僕からはあれを贈らせてください」
そう頼むと
「プレゼント交換みたいだね」
日野は嬉しそうに笑ってくれた。

僕達は買い物を済ませ、他の店を冷やかした後、食べ放題の店に移動する。
店内で先ほど買ったプレゼントを相手に渡し合い、早速身に付けてみた。
「凄く似合う、格好いいよ黒谷」
僕を見て、少し頬を染める日野が可愛らしい。
「日野も、お似合いですよ
 三峰様のように強力な物には出来ませんが、悪い物が寄り付かないよう僕の想いを込めておきました」
「黒谷が、守ってくれてるんだ」
日野は慈しむような視線をブレスに向け
「これ付けてると、良いことがおこりそう」
そう言ってニッコリ笑った。

そんなタイミングで
「限定のローストビーフが焼き上がりました
 おひとり様1枚限りですが、是非お楽しみください」
店内にシェフの声が響き渡る。
「ほら、早速良いことあった!
 取りに行こう、黒谷」
「はい」
僕は彼と共に席を立ちその後を追いながら、混雑する店内を歩き出す。

『誕生日か…』
僕は改めて1年前の今日、日野の犬として生まれ変わった自分に気が付くのであった。
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