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しっぽや(No.85~101)

岩月さんとジョンには、夏休みが終わってからも機会があれば会いに行っていた。
専門学校を卒業し近所のペットショップに就職が決まると、岩月さんはお祝いにお寿司をごちそうしてくれた。
岩月さんが髪を染めるときは、僕も姉の働いている美容院に付き添った。
年は一回り以上離れているが、岩月さんは僕にとって『大事な友達』になったのであった。


やがて僕は働いているペットショップで空と知り合い、彼の飼い主になる。
初めは戸惑うことも多かったけど、空は僕にとって愛おしく掛け替えのない唯一の存在になってくれた。
岩月さんの言うとおり働き続けていて良かった、と僕は彼のアドバイスに感謝の思いでいっぱいだった。


「空、こっちの服はクリーニングに出した方が良いよ」
僕は時々、空の部屋のクローゼットをチェックする。
空に、どの服なら洗濯機で洗っていいか教えて欲しいと頼まれたからだ。
「じゃあ、こっちはしっぽやに持ってって、事務所の服と一緒にクリーニング頼もうっと」
空は鼻歌交じりで服を鞄に入れていく。
しっぽやには出入りのクリーニング業者がいるらしい。
うかつな店には頼めないから、きっと関係者がやっている店なのだろう。
「あの、僕の友達がクリーニング屋やってるんだ
 よかったら、こっちの服はその店にお願いしてみない?」
僕は思いきってそんなことを言ってみる。
岩月さんのことを『友達』と言うのは、照れくさいけど嬉しかった。
「カズハの友達?うん、じゃあお願いする!」
空は素直に頷いてくれた。


移動クリーニングが来てくれる日に、僕と空は休みをとった。
このところ休みのタイミングが合わなくて岩月さんとは会えていなかったので、空を紹介しそびれていたのだ。
岩月さんなら空の事を『大事な人』と紹介しても、僕達を変な目で見ることはないだろう。
空のことを普通に紹介できる人がいることが、嬉しかった。

移動クリーニングの客足が疎(まば)らになる頃合いを見計らい、僕と空はエントランスを抜けワゴンに近付いていく。
配達する服の束を抱えたジョンが僕達に目を向け
「おう、新入り!こんな時間までマンションに居るなんて、重役出勤か?」
そう、声をかけてくる。
「ジョンの兄貴、俺、今日は休みですよー
 飼い主とデートで、クリーニング屋に行くんだ」
空はジョンに手を振って、親しげに答えていた。
「え?あれ?空、ジョンと知り合いなの?」
僕は思考が現実に追いついてこず、ポカンとしてしまう。
「ん?そっちはカズハじゃないか、久しぶりー
 って、あれ?新入りは飼い主とデートって…?」
「何々?カズハ、ジョンの兄貴のこと知ってるの?」
僕達はお互い、ほうけた顔で見つめ合っていた。
そこにワゴンから出てきた岩月さんが
「おや、カズハ君久しぶりだね、お店、忙しい?
 たまにはお昼でも一緒に食べに行こうよ
 あれ?空、事務所にいないと思ったら、まだマンションに居たのか
 寝坊でもした?
 黒谷は何も言ってなかったけど、急いで行った方が良いんじゃない?」
そんなことを言うので、僕は混乱が増すのであった。


僕達はワゴン車に乗り込んで、現状の確認を始めた。
「岩月さんもジョンも、空やしっぽやを知ってるんですね
 ってことは、しっぽやに出入りしてるクリーニング業者って永田クリーニング店なのか
 ジョンは化生…?看板犬って、何かの例えかと思ってた」
通りでジョンの頭を撫でたとき、犬を触っているような感覚になったはずだと僕は深く納得した。
「カズハ君、空の飼い主になってくれたんだ
 じゃあ、僕の後輩だね
 カズハ君を支えてくれる化生が居るなんて嬉しいな
 きっと、僕とジョンみたいに色々と良い方向に変わって行けるよ」
岩月さんは僕と空に懐かしそうな目を向けていた。
「人間の知り合いが化生の飼い主になるなんて、不思議なこともあるもんだ
 そうか『知ってる犬が化生するなんて不思議だ』って、散々黒谷達に言われたけど、こんな感じなのか
 カズハは良い人間だぜ、新入り、カズハを選ぶなんて見る目あるな」
ジョンは腕を組んで頷いている。
「えと、何がどうなってんの?俺の服、誰に洗ってもらえば良いの?」
空だけが未だに訳が分からない、といった感じで首を捻っていた。

「よし!お祝いに今日のお昼は、僕が奢るよ
 何が良い?焼き肉?ウナギ?お寿司?って、我ながらご馳走の発想が昭和だね
 イタリアンとかフレンチとか、よく分からなくてさ」
岩月さんが笑いながら頭をかいた。
「肉?」
空がその言葉に敏感に反応する。
「あ、でも、就職祝いでも奢ってくれたのに悪いですよ」
僕が慌てて言うと
「岩月は後輩が出来て嬉しいんだよ、好きにさせてあげて」
ジョンは微笑んで岩月さんを抱き寄せた。
それを見た空が、甘えて僕に抱きついてくる。
「じゃあ、焼き肉にしようかな」
僕は空の頭を撫でながら、そう答えるのであった。


僕達は永田クリーニングのワゴンに乗って、岩月さんの店に行く。
そこで軽に乗り換えて、焼き肉屋に行くことになったのだ。
「そういえば、岩月さんのお店に行くのは初めてです」
車外の風景を見ながら僕が言うと
「そうだね、洗濯物持ってわざわざ電車で行く店じゃないし
 車で行けば、存外近いんだよ
 ほら、こっちを通るとこの道に出るだろ?
 で、こう行くと直ぐなんだ」
岩月さんはナビを見ながら説明してくれた。
「本当だ、免許取った後、ほとんど運転してなかったから道が全然分からなくて
 ペーパードライバーなんですよ」
僕はモジモジと説明する。

「カズハ君の勤め先、マンションから近くて車必要ないもんね
 良かったら、そのうち化生達を連れて、旅行にでも行ってあげて
 彼ら、免許とか取れないからさ
 車だと化生と気兼ねなく移動出来て良いよ
 僕とゲンちゃんも車出せば、皆で行けるかな
 あ、でも、しっぽやって正月三が日以外無休だっけ
 そうだ、仕事の後に近場で花見なんかでも良いんじゃない?
 夜桜もキレイだよ」
岩月さんが笑うと
「満月なんて出てたら、月と桜のコントラストが最高だぜ
 って、俺達と新郷達みたいだな」
ジョンもヘヘッと得意げに笑った。
「頑張ってみます」
僕は緊張しながら答えるのであった。

その後、ランチ営業をしている焼き肉屋に移動する。
個室っぽい作りになっている、ちょっと高級そうなお店だった。
「こーゆー店の方が、周りを気にせず話せるでしょ
 ここ高そうだけど、ランチはけっこうリーズナブルなんだよ
 ディナーは…ちょっと勇気がいるかな」
岩月さんは苦笑いして頭をかいた。
注文を終え料理が運ばれ始めると、ジョンと岩月さんが手際よく肉を焼いていった。

「ジョンの兄貴、すげー!」
肉を頬張りながら、空が次々と肉を焼いているジョンの手元を見つめていた。
「お前も、これくらい出来るようにならねーとな
 飼い主にバランス良い食事をさせなきゃダメだぞ
 長瀞とゲンを見てて、つくづく思ったぜ」
ジョンの言葉に、空はコクコクと頷いている。
「肉だけじゃなく、野菜も食べろ
 ほら、カズハも食べて」
ジョンは僕の皿にも焼けた肉や野菜を積んでくれた。

「僕がジョンの飼い主になった後、先輩の化生飼いが色々食べさせてくれたんだ
 だから僕も後輩が出来たら奢ってあげたいな、って思ってた
 カズハ君が後輩になってくれるなんて嬉しいな
 ゲンちゃんも後輩だけど、彼は僕なんかよりずっとシッカリしててね
 発想のスケールが違うんだよ
 あんな大きなマンション建てちゃうんだもんなー
 先輩風を吹かせ辛いこと、この上ない
 僕は皆の服を洗ってあげるくらいが関の山だったから」
そんな岩月さんに
「岩月のお陰で、白久も長瀞も身綺麗(みぎれい)にしてられるんだぜ
 岩月がいなかったら、あいつらジャージで仕事する羽目になってたんじゃねーの?
 そんな怪しいペット探偵なんて、利用する人いないって
 岩月だって、しっぽやの恩人だ」
ジョンは愛おしそうな目を向けてそう言った。

「僕も、何かしっぽやの役に立てることを出来れば良いけど」
2人を見ていると自然とそんな気持ちになってくる。
「まずは、空を可愛がってあげて
 それだって十分、しっぽやの役に立つと思うよ」
「そうそう、こいつをやる気にさせて、しっぽやのためにバリバリ働かせるんだ」
そんな2人の言葉を受け
「そうですね
 空、ほら、もっとお肉食べて」
僕は空のお皿に焼き上がった肉を積んでいく。
「カズハも、これどうぞ
 エリンギ好きだったよね」
空が自分の好物を覚えていてくれたことが嬉しくて、顔が笑ってしまう。
岩月さんとジョンは、そんな僕達をニコニコしながら見ていてくれた。


その後、岩月さんが影森マンションまで車で送ってくれた。
「今日は2人とも休みなんでしょ?
 服にも髪にも焼き肉の臭いが付いてるから、洗濯してシャワー浴びた方が良いよ
 それから、ゆっくり過ごしなね」
岩月さんは僕達に意味ありげな視線を寄越し微笑むと、ジョンと一緒に帰って行った。

僕と空は顔を見合わせる。
「これから、空の部屋に行って良い?」
「うん!俺ん家の洗濯機もカズハのとこみたいに乾燥機付きだから、今着てる服洗っちゃおう」
僕達は揃ってエントランスに向かい歩いていく。
「それで、その…
 シャワー浴びた後、して…くれる…?」
僕は俯きながら囁くような小声で、そんな言葉を言っていた。
顔が赤くなってしまっているのが自分でも分かった。
空は小さなその言葉を聞き逃さず
「もちろんだよ
 そのまま、泊まってくれても構わないからね」
僕の手を握って、嬉しそうに返事をする。

「じゃあ、泊まっていこうかな」
僕達は手を繋いでエレベーターに移動していく。

僕達が岩月さんとジョンのように自然に寄り添えるようになるまでに、そんなに時間はかからないかもしれないな、と僕は空の手の熱を感じながら思うのであった。
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