このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

しっぽや(No.85~101)

翌朝、ジョンと店のシャッターを開け開店準備をしている最中に、その人達はやってきた。
全く見覚えがないので、近所の人ではなさそうだ。
それは40代くらいの男性2人連れだった。
「お忙しいところすいません、少々お時間をいただいてよろしいでしょうか」
丁寧な物言いであったが、鋭い目つきで真っ直ぐに僕を見つめてくる。
ジョンは僕の後ろに隠れ、服の裾を握りしめてきた。
その手がかすかに震えていることに、僕は気が付いていた。

「そう警戒なさらずに、私たちは警察の者です
 ちょっと、人を探しておりまして」
1人がそう言いながら、数枚の写真を僕に見せてきた。
それは1人の男の人の写真で、見覚えがあるような無いような漠然とした印象しか感じなかったけれど横を向いている写真を見て
「あ、この人」
僕は思わず声を上げてしまった。
その人物は、右耳の下に黒子が2個並んでいた。
「昨日のお客さんだ」
僕の言葉でジョンも写真を確認する。
「間違いない、あのヤローだ」
彼も苦い顔になった。

僕達の態度に、警察の人が敏感に反応する。
「何をしにきました?何時頃ですか?」
「客として来店を?氏名は何と名乗っていましたか?」
矢継ぎ早の質問が飛んでくる中、僕はしどろもどろに説明する。
「2時過ぎ頃だったでしょうか、上着をクリーニングして欲しいと頼まれまして
 余りに汚れが酷かったので直ぐにお引き渡しは出来ない、と伝えると帰ってしまわれて
 何だか、時間を気にしているように見えました」
取りあえず、ジョンが追い返した形になってしまったことは伏せておいた。

「上着?どのような?」
「生地が良くて、高そうな灰色の上着でした
 あれ、そういえば、あのお客さんの物だとしたら少しサイズが小さいかな」
僕は今更ながら、そのことに気が付いた。
「店を出た後、どこに行ったかわかりますか?」
勢い込んでそう聞かれたけれど、僕もジョンも首を振るしかない。
「あ、ほら」
ジョンが僕をつついて注意を向けさせた先には、スピーカーオバサンがいた。
この近辺では見慣れない人達と店の前で話し込んでいたため、早速偵察に来たようであった。

「あちらの方も、この人と同じ時間に店にいたんです
 この人が帰った後すぐに店を出て行かれたので、もしかしたらどっちに向かったか見ていたかも」
僕が指さした先を見て
「ご協力感謝します」
警察の人達は足早にオバサンの方に移動していった。

僕は気になって成り行きを見守ってしまう。
最初は戸惑い気味だったオバサンは、やがて興奮したように身振り手振りを交え熱心に話し始めていた。
警察の人は頷いたりメモを取ったりしながら聞いていたが、やがてオバサンの指さした方角に小走りで去っていった。
後に残されたオバサンが興奮した顔で、店先に立ち尽くしている僕とジョンに近づいてくる。

「永田の息子さん、大変よ、大変!」
声をひそめると
「昨日、ほら、私がお店に行ったときに居た男
 殺人犯らしいんですって!」
もったいぶってそう言う彼女に、僕もさすがに驚いてしまった。
「まだね容疑者だけど、きっと犯人よ
 だって柄が悪くて、ヤクザみたいな人相だったもの」
サングラスをかけていたので人相はよくわからないと思ったものの、オバサンの中ではそういうことになっているようなので僕は黙って聞いていた。
「現場から血痕の付いた遺留品を持ち出しているんですって
 何でも、自分の物じゃない上着だったとか
 被害者の物かも
 お宅にクリーニング頼もうとしてたの、きっとそれだわ
 断って正解じゃない、気持ち悪い
 もし引き受けてたら、お宅の店で証拠の血痕を洗っちゃったことになって、犯人との関係を疑われたかもよ」
さすがにその言葉にはドキリとした。

「私ね、この店で断られるような汚れ物をこの辺に捨てられたら困ると思って、少し様子を見てたの
 犯人はそのままバスに乗ったからどこに行ったのかはわからないけど、また戻ってくることもあるかしら、怖いわねー
 やだ、大変!
 皆に危険を知らせなくっちゃ」
オバサンは大慌てで去っていった。
彼女は怖いと言いつつ大きな事件と関係した事に興奮を隠せず、水を得た魚のようになっていた。

「お手柄だねジョン、今のでうちの店は『辛(から)くも危機を脱した奇跡のクリーニング屋』ってことになったかもね
 看板犬だけじゃなく、番犬もしてくれたんだ
 ありがとう」
僕は振り返って背後にいるジョンに笑顔を向けた。
彼は何が起こったのか良くわからないようだったけど
「俺、まだ岩月に飼ってもらえてるの?
 警察の人たちに保健所に連れて行かれなくて済むの?」
そんな事を聞いてくる。
彼はそれを危惧して、僕の後ろで震えていたのだ。
子供の戒めで親御さんに変な嘘を教えられて、未だに信じているのだろうか。
僕は少し笑ってしまう。
「大事な飼い犬を保健所になんかやらないよ」
僕が安心させるように頭を撫でると、ジョンはやっといつもの人懐っこい笑顔を見せてくれた。



その後、また店にやってきたスピーカーオバサンの報告により新聞やニュースで知るより早く、犯人が逮捕されたことを知った。
あの上着は動転していた犯人が持ち出したものであり特に深い意味は無く、血痕を隠すために醤油をぶちまけ、証拠隠滅でさっさと洗わせたかったとか。
最終的に、うちの店に預けっぱなしにするつもりでいたらしい。
気が立っていた犯人がジョンの対応にイラついて店を出たので、事なきを得たそうだ。
オバサンの大げさな話だからどこまで本当かわからないけれど、殺人犯を追い払ったジョンの活躍は近所で有名になった。
その日はお客さんが次々にやってきて、ジョンの武勇伝を聞きたがった。
ジョンは愛想良く対応していたし、僕自身もそんなことに巻き込まれたのは初めてだったので興奮していたのか、いつもより饒舌にお客さんと話せていた。


「今日は疲れたね」
店のシャッターを閉め、作業をあらかた終えた僕達は遅めの夕飯を食べることにする。
「せっかくだから、お手柄のジョンにお寿司でもとろうか
 まだ、出前してくれるかな」
僕がメニューを探していると、ジョンがためらいがちに口を開いた。
「俺、お寿司より、岩月の作るお好み焼きが食べたいな
 岩月と半分こしたい」
モジモジしているジョンに僕は笑って頷いた。

1枚では足りないだろうと、色んな具でお好み焼きを作ってみる。
「明日はお店終わったら夜から伯母さん家に行くから、冷蔵庫の大掃除」
僕は舌を出してみせる。
「舞茸とツナのお好み焼きって、美味しい
 タマネギと人参もお好み焼きに合うし、刻んだ沢庵も良いアクセントになってる」
「山芋の代わりに1パックだけ残ってたメカブを入れてみたら、粉っぽさが消えて生地がなめらかになった
 初めての試みにしては上出来だったかも、って、実験につき合わせてごめんね」
僕達はコーラで乾杯しながら楽しくお好み焼きを分け合った。
『ジョンとこんな風に2人で夜を過ごすのは、今夜で最後だ』
そう思うと、寂しさがわいてくる。
僕はジョンのことが好きになっている自分の気持ちに気が付いていた。


同じ布団に入ると、ジョンは当たり前のように僕を抱き寄せた。
そのことを僕は強く意識して鼓動が早くなってしまった。
恥ずかしさを隠すように
「でもジョン、よくあのお客さんを断ってくれたね」
僕は何気なく聞いてみた。
彼は暫くためらった後
「あいつと…あの上着から、血の臭いがしたんだ」
神妙な顔でそう答えた。
「あんなに醤油臭い上着だったのに?鼻が良いんだね」
僕は驚いてしまう。
「俺、犬だもん」
ジョンは力なく笑った。
「そういえば、そうだったね」
僕が彼の頭を撫でると辛そうに考え込んでいたが
「こんなこと言うと気味悪い?俺、本当に犬なんだ
 あのお方に…岩さんに飼っていただいていたジョンなんだ」
彼が余りに真剣な顔で打ち明けてきたので、僕は以前見た夢を思い出していた。

「似たような夢なら、僕も見たよ」
僕がそう言っても
「違う、あれは夢じゃない、俺の過去を岩月に見せたんだ
 あの岩さんと犬の姿は、生きていた頃の俺の記憶
 あのお方の役に立ちたくて、また側に居たくて、死んだ後に化生したけど間に合わなかった」
彼は涙をたたえた目で僕を見つめてきた。
それで、僕はジョンが初めて会った時に優しくしてくれた事を思い出していた。
「じゃあジョンは、本当はお爺ちゃんの側にいたかったの?
 僕に優しくしてくれたのは、お爺ちゃんの孫だったから?
 僕はお爺ちゃんの代わりでしかなかったんだ」
彼の優しさが全てまやかしだったのかと思うと、悲しくて涙が出てくる。
『やっぱり僕みたいに根暗で冴えない奴を気に入ってくれる人なんて居ないんだ』
彼のことを好きになっていた分だけ、絶望感に襲われた。

「そうじゃない!岩月はあのお方の代わりなんかじゃない!
 血の繋がりなんて関係ない、俺は岩月が岩月だから好きなんだ!
 岩月の側に居たい、岩月を守りたい!
 俺を、ずっと岩月だけの飼い犬でいさせてくれ」
僕を強く抱きしめながら、血を絞り出すような声でジョンがそう言った。
「僕が、僕だから…好き?」
その告白に、僕はまた胸がドキドキしてしまう。
「うん、岩月が好きだ、岩月に触れていたい」
彼の手が僕の頬を撫で、端正な顔が近付いてきた。
そのまま、唇を塞がれる。
僕はそれを拒まなかった。

長い口付けの後
「僕だけの飼い犬なの?」
そっと聞いてみると
「貴方だけをお守りします」
彼は熱い眼差しで僕だけを見つめて答えてくれた。
「ジョン…僕の犬」
僕が彼の頬を撫でると、また熱い口付けをしてくれる。
すでに僕の心もジョンのものになっていた。


お互いに対する気持ちが高まりあっていた僕達は、そのまま結ばれた。
彼と繋がるたび解け合うような気がして、2人の欠けた心が満月のように丸くなっていく。
自分のことを必要としてくれる存在がいることに、言いようのない幸福感を感じていた。
僕はお爺ちゃんが残してくれた、最高の犬を手に入れたのだ。

『彼がいれば、きっと前よりマシな自分になれる』

僕は愛しい飼い犬に抱かれながら、そんな前向きな気持ちになるのであった。
11/35ページ
スキ