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しっぽや(No.85~101)

すっかり仕事に慣れた俺は、クリーニングの仕方も教わるようになっていた。
最近では午前中は光男氏が配達、奥様が店番、俺と岩月で裏方作業をこなしている。
岩月と一緒にいられる時間がどんどん増えていき幸せではあったが、彼に『飼って欲しい』と伝えられないことがもどかしかった。

「ジョンが居てくれると、助かるよ」
作業中、岩月にそう言われ俺は舞い上がってしまう。
「ジョンはいつかは、自分のお店が持ちたいの?
 それなら本当は、もっと大きいお店で勉強した方が良いと思うけど
 最新の大型機械を揃えてるとことか
 今は資本の大きいチェーン店が増えてるからさ」
岩月はそう聞いてくるが
「俺は、岩月の役に立ちたいんだ」
俺は彼の顔を見ながらきっぱりと言い放った。
岩月は少し顔を赤くして
「ジョンって、変わってるね」
俺から視線を外す。
「岩月は俺のこと嫌い?」
少し不安になった俺が聞くと
「え?いや、嫌いってことはないよ」
彼は慌てて否定する。
「じゃあ、好き?」
俺はドキドキしながら聞いてみた。
「そ、その、うん、友達だし…
 好き、かな…」
真っ赤になった彼が小さな声で答えた言葉を、俺は聞き逃さなかった。
『岩月が、俺のこと好きって言ってくれた!』
嬉しさのあまり、俺は岩月を抱きしめてしまう。
「え?ちょ、ジョン?」
彼は小さくもがいていたが、そのささやかな抵抗が愛おしかった。

「やる気出た!午後も頑張るぜ」
俺が笑うと
「ジョンって不思議な人だね、僕なんかとこんなに仲良くしてくれるなんて」
岩月は少し苦笑して、大人しく俺に身を預けてくる。
岩月と密着しているだけで、甘い痺れが全身に広がっていった。
上がりそうになる息を押さえ
「俺、岩月に飼って欲しいんだ、駄目?」
俺は軽い感じで思い切って聞いてみた。
「えー?何?飼うって」
岩月は俺がフザケていると思ったのだろう、クスクス笑っている。

「ほら、お店には看板犬とか看板猫とか居たほうが受けるだろ?
 こないだテレビで『看板犬のいる八百屋』とか紹介されてたぜ
 俺、犬っぽいってよく言われるんだ
 看板犬のいるクリーニング屋、繁盛しそうじゃない?」
俺の言葉に岩月が吹き出した。
「そう言われると、ジョンって犬っぽいね
 お爺ちゃんが飼ってたジョンって、君みたいな犬かなとかちょっと思ってたんだ」
その言葉に、俺はドキリとする。

「それは、とても光栄だよ」
俺の脳裏にあのお方と過ごした日々が蘇り、胸が締め付けられた。
黙ってしまった俺に焦ったのか
「あ、じゃあさ、僕達の中だけでジョンはうちの看板犬ってことにしようか
 子供の頃は犬って怖かったけど、お爺ちゃんにジョンの話してもらってから犬って良いな、って思うようになったんだ
 ジョンは僕のこと吠えたり噛んだりしないもんね
 ジョンなら飼ってても怖くないよ」
岩月はそう言って、俺の髪をそっと触った。

『岩月が俺のこと飼うと言ってくれた!撫でてくれた!』

飼い主に頭を撫でてもらう、犬だったときは当たり前のようにしてもらっっていたことが、こんなにも素晴らしいことだったなんて。
俺は嬉しさのあまり、少し泣いてしまった。

「ジョンって、いつも朗らかで明るくて元気で格好いいけど
 そっか、色々あるよね
 辛いとき、無理ばかりしてちゃ駄目だって、お爺ちゃんが言ってた
 僕じゃ頼りないと思うけど、たまには、何て言うか…甘えて良いから」
岩月はさらに優しく髪を撫でてくれる。
「僕もね、生まれ育った土地を離れて知り合いが全然いないとこに引っ越してきて、すごく寂しくて辛かったんだ
 でも君みたいな友達が出来て、引っ越して良かったな、って気持ちになれたよ
 明るくなった、ってお父さんにも言われたし
 ジョンと一緒だと、お客さんと話すのも前より緊張しないで済むんだ
 友達になってくれて、ありがとう、ジョン」
俺が側にいることを、岩月が感謝してくれていたなんて思いもしなかった。
岩月のことが愛しくてたまらなくなる。

「俺、看板犬頑張るよ
 『いらっしゃいませ』って看板と風船でも持って、店の前で立ってれば目立つかな」
「それよりも、ジョンは格好良いんだからスーツでも着て近所の奥さんを店にエスコートすれば受けるんじゃない?」
「店の宣伝するなら、そのスーツにシミつけて『このシミがこんなにきれいになります』って実演するとか
 染み抜きは岩月がやってくれるんでしょ?」
「僕の責任、重大すぎるよ」
俺達はたわいもない言葉を交わし、笑いあった。


『飼っていただくには、正体を知らせたほうが良い』

親鼻にそう忠告されていたが、飼い主と過ごす特別な時間に酔いしれていた今の俺には、この関係を壊すのが嫌でとてもそんな気にはなれないのであった。




俺が岩月に飼ってもらえるようになってから数日後、作業に区切りをつけ2人で昼ご飯を食べていた時に居間の電話が鳴った。
居間の電話は自宅用なので、お客からかかってくることはない。
岩月が『こんな時間に誰だろ?』と首を傾げながら電話に出ていた。

「あ、伯母さん、お久しぶりです
 母は店の方なんですがそろそろ昼休みに入ってもらうんで、こちらからかけ直しますか?
 え?あ、はい…はい…少々お待ちください、今呼んできます」
電話にでている岩月の声が、緊迫感を増していく。
そんなタイミングで、配達から帰ってきた光男氏が居間にやってきた。
「お父さん大変、お爺ちゃんとお婆ちゃんが事故にあったって
 お母さん呼んでくるから、電話に出てて」
岩月は店に走って行き、光男氏が緊張した声で電話を代わる。
こんな時、俺は何をして良いかわからずオロオロするばかりだった。

「あなた…」
奥様が青い顔で岩月と一緒に居間に駆け込んできた。
光男氏は奥様を安心させるよう
「命に別状はないそうだが、暫く入院が必要だって
 すぐに向こうに行こう
 お義姉さんが家に泊めてくれるから、看病を手伝おう」
力強くそう言った。
「でも、お店が…」
「1週間くらい閉めてもかまわんさ
 お前には俺のお袋と親父の看病をしてもらったんだ、今度は俺がお前の父母の看病をしないとな
 岩月は出来上がった物の配達をして、店は暫く休むと告知してから来てくれ」
慌ただしく物事が決まっていく中、俺も何か役に立ちたくてしょうがなかった。

「あ、あの!2人がいない間、俺と岩月で店を開けてるのはどうでしょうか
 配達は出来ないから、店頭引き渡しのみの受注になっちゃうけど」
俺の言葉に、皆ビックリした顔を向けてきた。
「確かに、お得意さまも増えてきたから、いきなり1週間も店を閉めない方が良いかも
 お爺ちゃんとお婆ちゃんも心配だけど、僕、ジョンと頑張ってみるよ
 お見舞いは、定休日に行く」
岩月も真剣な顔になり、そう言ってくれた。
光男氏は俺と岩月の顔を見比べていたが
「お前が、そんなことを言い出すなんてな」
岩月のことを優しい顔で見つめた。
「よし、じゃあ、やらせてみるか
 くれぐれも、無茶な注文の受け方だけはするなよ」
光男氏の決断に、俺は胸をなで下ろした。

それから、仕事の引継や急ぎの配達と忙しくなった。
「俺達がいない間、泊まり込みにしてくれると助かるんだが
 親ばかだが、岩月を1人にさせるのが不安でな
 布団や着替えは俺のを使ってかまわないから」
光男氏の頼みは俺にとっても渡りに船だった。
俺も、岩月を1人にしておくのは不安だったからだ。
「任せてください、開店準備からばっちり手伝います!」
俺が頷くと
「2人とも心配性なんだから、僕だってちゃんと出来るよ」
岩月が少しムクレた顔をみせる。
それでも岩月が頼もしそうな視線を向けてきて、俺は飼い主に必要とされている喜びに満たされていた。


光男氏と奥様が出かけて行きお店のシャッターを閉めると、緊張の糸が切れたのか岩月はしゃがみこんだ。
俺は慌てて、そんな岩月を支えてやる。
「大丈夫か?」
足下がおぼつかない岩月は何とか歩きながら
「大見栄切っといて格好悪いね
 ジョンがいてくれて助かった、ありがとう」
そう言ってくれた。
「必要な資材の発注、支払い、機械の点検、やることは色々だ
 やっぱりお父さんは凄いな、全部1人でやってたんだから
 僕、まだまだ子供だったんだって思い知った
 店のことちょっと手伝ったくらいで、一人前になったつもりだったんだから…」
ションボリする岩月に
「岩月だって頑張ってるよ、光男さん、岩月が手伝ってくれるようになって助かったって言ってたんだから」
俺はそう言葉をかける。
岩月は照れくさそうな笑顔をみせた。


簡単な夕飯を済ませ、風呂に入った後は光男氏に借りたパジャマに着替える。
『今夜は岩月と2人っきりなんだ』
そう意識するだけでドキドキしてしまう。
「今日は早めに寝ちゃおう、明日から忙しいもんね
 ジョンはお父さんの布団使って
 どこに敷こうか、居間で寝る?」
岩月の問いかけに
「あの、一緒に寝たら、駄目、かな」
俺はモジモジと答えた。
「そっか、僕の部屋に敷けばいいか」
布団を取りに行こうとする岩月に
「今日ちょっと寒いから、一緒の布団で寝たいなって…」
俺はそうお願いしてみる。
『飼い主と一緒に寝る』
それは俺にとって、特別なことなのだ。
岩月は真っ赤になって俺を見ていたが
「そ、そうだね、ちょっと寒いもんね」
ぎこちなく頷いてくれた。

疲れていたのか、岩月は布団に入るとすぐに寝息を立て始めた。
俺はそんな彼を抱きしめる。

『貴方を、お守りします』

彼を抱きしめたまま俺も眠りに落ちた。

うっかりと彼の額に自分の額を押しつけてしまったのか、俺は記憶の転写をしていた。
しかしそれは夢うつつの出来事で、俺は夢の中であのお方と犬だった自分に混ざり、化生の身でも現れた。
そこには岩月も居てくれて、皆で楽しい時間を過ごしていた。

それは、泣きたくなるほど幸せに輝く夢であった。
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