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しっぽや(No.225~)

伊古田の作ってくれたサンドイッチはとても美味しかった。
「そっか、見た目が可愛いだけじゃなく、ラップでキッチリ巻けば作り置きしておいても乾かないんだ
 中身もこぼれ出ないから、手を汚さず食べられるのも良いね」
僕の手だと上手く巻ける自信は無いが、伊古田の大きな手なら難なく巻けそうだった。
「野坂に何か作りたいって相談したら、荒木とタケぽんが教えてくれたんだ」
「ふーん」
僕は頷きながらも
『何で荒木はこんなに積極的に応援してくれるんだろう』
そのことを不思議に考えていた。

「ライチ、食べてみる?」
食べ終わった頃合いを見計らい伊古田に聞くと
「うん、どうやって食べればいいか教えて」
好奇心一杯で返事をしてきた。
「服の袖とか果汁でよごさないよう、捲った方が良いかも
 下もラフなものに履き替えるとか
 果汁は落ちにくいから、クリーニング大変でしょ」
僕の言葉で
「この服汚したら久那に怒られる
 果物の汁垂らしたらジョンにも怒られる」
伊古田は大慌てで服を脱ぎだした。
そのスリムな肢体が露わになるが、照れるより先に憐憫の情がわいてしまう。
『体の傷はもうこれ以上どうしようもないけど、心の傷は癒してあげたい』
しんみりする僕を余所に
「えっと、汚しても良い服、洗いやすい服」
伊古田はクローゼットをごそごそと漁り、グレーのスウェットを取り出して着始めた。
1番大きなサイズだろうに、袖も裾も丈が足りず腕と足が出まくっているが幅がダブダブだ。
僕の身長も服のサイズは苦労するものの、伊古田の方が大変そうだった。

伊古田が着替えている間に、冷蔵庫からライチを取り出し皮を入れるお皿と共に持って行く。
「こんなにゴツゴツしてるの?石みたいだよ、割るの大変じゃない?」
ライチを見た伊古田の第一声は驚きに満ちたものだった。
「割と簡単にむけるよ、ほら」
僕はライチを1個手に取り剥いていく。
「種が大きいから、食べるとき気を付けてね」
身を割って中の種を見せるとそれを取り出した。
「はい、最初の1個めは伊古田がどうぞ、口開けて」
僕は伊古田の口にライチを含ませた。
その時に彼の唇に指が触れ、ドキドキしてしまった。

伊古田は暫くライチを咀嚼していたが
「クニクニしてプニプニしてるけど、良い匂いで甘くて美味しい!」
驚きの表情で飲み込んでいた。
「今度は僕が剥いてみるね」
伊古田は大きな手で器用に皮を剥き種を取ったライチを僕に差し出してきた。
僕は先ほどの彼と同じように手から直に口に含む。
その際、意図的に伊古田の指に唇を触れさせた。
「あ…」
その際彼の口から出た吐息が甘い響きを帯びていることに、僕は気が付いていた。

何かを剥いて食べる、という行為は人を無口にさせる。
僕たちは無言でライチを剥いて食べていたが、2人の間に流れる空気が果物よりも甘いことを感じていた。
嵩(かさ)はあるけど皮を剥いてしまえば中身はそれほど多くはない。
食べきるまでに大して時間はかからなかった。
2人とも果汁で手がベトベトになっている。
「美味しいけど、これがやっかいなんだよね」
「着替えといて良かった、あの服着てたら絶対2人に怒られてたよ
 でも美味しかったなー」
伊古田は余韻に浸っているようだった。
小食な彼が半分も食べてくれて、気に入ってくれたことが伺える。
『良かった』
僕はホッと胸をなで下ろしていた。


「手を洗うついでにシャワー使わせてもらおうかな、良い?
 僕もそのまま着替えるよ」
お皿や皮を片づけてテーブルを拭いたが、まだ手がベタベタしている気がしていたので聞くと
「どうぞ、僕もその後浴びようかな」
伊古田がそう答えた。
「なら、その、………い、一緒に入らない?」
僕は思いきって大胆なことを口走ってみた。
まだあの甘い時間の余韻を引きずっていたようだ。
「の、野坂と、一緒に………?良いの?」
伊古田は恐る恐る、と言った感じで問い返してくる。
僕は頬の熱を感じながら頷いた。


自分で誘っておきながらまともに伊古田を見れない状態で浴室に入る。
僕に続き伊古田も入ってきた。
そんなに広くない洗い場に2人で立つと体が密着しそうな距離感になる。
「い、伊古田、先に浴びなよ」
「えと、野坂が先で良いよ」
僕たちはぎこちなくコントのように先を譲り合った。

「あ、あの、湯船にお湯を溜める?入浴剤って言うの、白久に色々貰ったんだ
 温泉行ってる気分になれるんだって」
「そ、そうしようか」
湯船にお湯を入れると朦々と湯気が立ち上り、お互いの姿が隠れがちになる。
やっと、まともに伊古田に目を向けることが出来た。

伊古田は何か決意した瞳で撲を見ていたが、それが弱気に揺らいでいく。
唇が動くものの、そこから声が漏れることはなかった。
『これが荒木が言っていたことか
 無理に聞き出したくはない、でも伊古田、辛そう』
苦しそうな彼を見ていられなくなった。

「伊古田、僕は本当に君のことが好きだよ、こんなに誰かを好きになったのは初めてだ
 ひがみっぽい僕を好きになってくれた人も初めてで、本当に嬉しかった
 君のことちゃんと知りたい、君の助けになりたい、これ以上苦しい思いをさせたくないよ」
僕はそう言って彼に抱きつき、伸び上がって唇を合わせた。
伊古田はしっかりと僕を抱きしめて
「野坂を失いたくない、化け物だと思って欲しくない
 でも野坂は頭が良いから、伝えないと後から気が付かれて去ってしまうかも
 何もかもが怖い、こんな弱虫が貴方に触れる資格なんて無いのはわかってます
 それでも『もしかして』と言う希望を捨てきれない未練がましい自分が情けない
 野坂が僕のことを『知りたい』と思ってくれるのなら、僕は今度こそ頑張ってみます」
伊古田は強い決意を瞳にみなぎらせ、僕を見た。

「お見せしまず、僕がどれだけ弱く何の役にも立てないダメな犬だったかを」
伊古田はそう言って自分の額を僕の額に押しつけた。



そして、世界は一変する。









暗い場所を落ちていたような気がする、歩いていたような気がする。
どれだけの時間闇に飲まれていたのかわからない。
一瞬のような永遠のような、ここは全てが曖昧な場所だった。
やがてそこに一条の光が射した。
光に向かい移動すると、知らない町にたどり着いた。
知らないと言っても外国や異世界ではなく、似た光景を教科書に載っている写真で見たような記憶はあった。
『教科書で?』
思考の違和感に気が付くが、自分の体が動かせず傍観者としてその場を見ているしかなかった。



物置のなれの果てのような粗末な木造の建物が気にかかり、気が付くとその中に僕の意識があった。
『ひっ!』
そこには沢山の大きな犬がいる。
しかし恐怖を感じたのは一瞬で、力なく横たわる傷だらけでガリガリの犬達に哀れみを覚えるようになった。
『皆、目に力がない、あそこの犬なんて明らかに死んでいる…』
あばら屋の申し訳程度の木戸が開き、子供が1人入ってきた。
尻尾を振る元気がある犬は半分ほど、近寄る力が残されている犬はさらに少なかった。

白黒斑のひときわ大きな犬がヨロヨロと少年に近寄って頬を舐めた。
「コータ」
少年は優しく犬を撫でてやる。
犬は甘えるように鼻を鳴らしていた。
その犬の顔と伊古田の顔がだぶって見え、僕はごく自然にあの犬が伊古田だと言うことに気が付いた。
『これは伊古田の過去なの?確かにこれは言葉で伝えようが無いや
 彼が常識的なことを何も知らないのは違う時代に生きていたからなのか
 だってこの時代って、まだ戦後って感じだもの
 そもそも彼は人では無かったんだ』
異世界もののラノベも読んだことがあるけど、こんなに悲惨な設定のものは物語にはあり得なかった。

場面は変換しながら先へと続いていく。
ここの犬達が闘犬の練習用の『噛ませ犬』であること、幼い少年が貧しい中必死で犬達の世話をしていること、犬達は次々にかみ殺されていくことを知った。
助けたくても傍観者でしかない意識だけの僕には何もしてあげられなかった。
あの白黒斑の大型犬だけが何とか少年の元に留まり、それによって2人の間に強い絆が結ばれていくが、嫉妬する気にもなれないほど彼らの生活は凄惨を極めていた。

伊古田だけが薬を塗ってもらえ、餓死しないギリギリの糧を貰っていたのは少年の叔父の計らいだった。
伊古田と少年に対する憐憫からではない。
自分の所持する特別な闘犬の噛ませ犬として利用するためだ。
少年はそれに気が付かず、優しくしてくれる叔父に懐いていた。
叔父も少年には多少の愛情を感じていたのか、それは少年が学校に行っている間に起こった。


『ケン坊は学校か?今日はついにあいつを使わせて貰うぜ』
叔父は子牛程もあるのではという大きな闘犬を連れて来た。
『兄貴スゲーな、これが向かうところ敵なしの「輝龍(きりゅう)号」か』
『ああ、しかしこないだ当たった相手も凄くてな、勝てはしたんだがちょっとヤバかったのが自分でも気にくわないらしく、イライラしっぱなしなんよ
 早々に自信をとりもどしてやらんと、使い物にならなくなるわ』
『そりゃ大変じゃ、まっとれ、ほら、こっちこい』
少年の父親がコータの首に縄を巻いて無理矢理引きずってきた。
コータは闘犬の気迫に気が付いていて必死で抵抗している。
しかし抵抗空しく引きずられ、練習場へと消えていった。

『伊古田に酷いことしないで、伊古田を殺さないで』
僕の祈りが届くはずもなく、犬のうなり声、犬の悲鳴が辺りに響きわたった。
断末魔の悲鳴が響くこともなく、犬の勝利の雄叫びだけが響きわたった。

優しく弱虫な大きな犬は、最後に大好きな飼い主に会うこともなく唐突に理不尽に命を奪われた。
犬が怖くても人に対して友好的なのは、あの優しい少年が飼い主だったからだ。
あんな目にあってなお人を好いていてくれる伊古田の存在が、切なく愛しかった。


再び世界は闇に閉ざされる。
伊古田は長い間ずっとこの闇の中を彷徨(さまよ)っていたのだ。
永遠に続くかと思われた闇の中に再び光が射し込んだ。
払われた闇の先には人が立っている。
『僕だ…!』
辺りが明るくなると共に暖かな風が吹いてきた。
それで初めて自分の体が冷え切っていたことに気が付いた。
何故僕なのかはわからない。
でも、僕でなければダメなのだ。
伊古田を暖めてあげられるのは僕だけだ。
自分がこんなにも必要とされている存在なのだということに、僕の方こそ救われたような思いを感じていた。




気が付けばそこは浴室で、湯船から溢れたお湯が先ほどよりも濃い湯気を吐き出している。
僕を抱きしめながら怯えている大きな犬に
「伊古田、君を温められるのは僕だけだって知った、君が犬だって変わりなく愛してるよ」
そう告げると唇を合わせた。
伊古田は小さく頷きながら自分からも積極的に唇を合わせてきた。
シャワーの滴のように暖かな水滴が僕の顔に降り注ぐ。
薄く目を開けると、それは伊古田の涙だった。

「野坂、愛してます、今度こそ飼い主の役に立つ強い犬になります」
僕はその誓いに満足し全てを彼に委ねることにした。
僕も彼も身体は限界まで相手を求めている。
欲望が尽きるまで、僕たちはその場で何度もつながり合った。
初めての行為が浴室、だなんて今までの僕は考えたこともない大胆な行動だ。
でも、伊古田と一緒なら僕も変われるはずだと思った。

大きくて厳つい弱虫と、理屈っぽくひねくれたひがみ虫の物語はもう終わりにしよう。


これから僕たち2人には、幸せに満ちた新たな物語が始まっていくのだから。
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