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しっぽや(No.225~)

脱水症状は水分を取れば快復するから軽く見られがちだけど、かかっている本人は本当に辛い状態なのだ。
特に出先だと水分を取るタイミングが難しく、かかる確率が高い気がする。
『って、僕は本に夢中になりすぎてかかったけど
 7時間、飲まず食わずで一気読みは我ながらバカだった
 脱水症状を警戒して対応できるような飲み物を選んで買ってきた自分、グッジョブ!』
僕は彼に塩分入りのペットボトルを勧め、飲み方を指南した。
彼は素直に従ってくれた。

ライチの香りが気に入ったようでその効果もあったのか、みるみる顔色が良くなって表情が明るくなり震えも止まっていった。
彼は僕に感謝して、物知りだと感心してくれる。
それは見事に僕の自尊心をくすぐってくれた。
『何か世間知らずでほっとけない感じ』
僕は初見であれだけ怖いと思っていた伊古田さんのことを、気にかけるようになっていた。


最後のデザートのアップルパイを切る段になり、伊古田さんの皿が未使用なことに気がついた。
人のことを気にして自分が損をするタイプなのかと思ったが、アップルパイを食べるために自粛したと言っている。
『背は高いけどガリガリだし、小食なのかな』
せめてと思い、僕は蒔田に大きめに切った物を紙皿に入れてもらい伊古田さんに手渡した。
彼の顔はまたドンヨリしたものになっている。
『今度は低血糖?さっきのドリンク糖分も入ってたけど、彼、大きいからなあ
 養分が行き渡るのに時間がかかるのかも
 僕のこと頼り切った目で見てくれるし、放っとけない感じ』
僕は彼の世話を焼くのが楽しくなっていた。

彼のことを世話していると久長に『仕切ってる』と突っ込まれたが、聞けば皆、伊古田さんのことを自然と気にかけているようだった。
荒木によれば、彼はとんでもなく田舎の出身らしい。
地元と違うことが多すぎて戸惑っているとしたら、色々教えてあげることに異論はなかった。


デザートを食べ終えた皆は、それぞれの持ち場に帰っていく。
また荒木が強引に、僕に伊古田さんを案内するように頼んできた。
1人の方が気楽ではあるけれど、せっかくだから伊古田さんともう少し居たい気持ちもあったので、渋々と入った体(てい)で同意する。
でも頭の中ではどこを案内しようか、早くも考え始めていた。

彼に見たい場所を聞いても、何があるか分からないしパンフも貰っていないとのことだった。
方向音痴の僕は地図を見ただけで案内できる気がしなかったので、心底ホッとする。
適当にブラブラして気になる展示や模擬店を見かけたら入ってみる、くらいで済みそうだ。
先に立って歩き出そうとした僕に
「貴方について行きます」
なんて、物語みたいな言葉をかけてくれる。
「伊古田さんてオーバーだなー」
恥ずかしいやら嬉しいやら、僕は頬が熱くなるのを感じて慌てて顔をそらした。
『伊古田さんって、変な人』
でもその『変』さは心地よい『変』だった。


それから2人で構内を見て回り、気になる場所に適当に入って行った。
主に僕の好みで立ち寄っているのに彼は嫌な顔をせず素直に付いてきてくれる。
展示について色々説明しても、感心しながら聞いてくれた。
上の空になっているときもあったので、全てを理解している訳ではなさそうだったが、彼が今までいた環境を考えると無理もないことに思われた。
動物は飼ったことがないけど、この状況はアニメとかにある大型犬を従える主人公じみていて、彼と居ることが楽しかった。



歩き回って疲れてきた僕達は、カフェテリアでお茶をすることにした。
いつも学食でランチを取っているので今一場所が分からなかったが、展示を見ながら歩いていたら運良く発見できたのだ。
アイスカフェオレをストローでかき混ぜると、氷がカランと涼しげな音を立てた。
そろそろ待ち合わせの5時が近づいている。
氷の音は寂しい気持ちも感じさせた。

伊古田さんはまだ興奮冷めやらぬ顔をしていた。
『連絡先は分かってるけど、ペット飼ってないから、この先会うこともないだろうな』
せっかく知り合って親しくなれたのに、味気ない別れになりそうなのが嫌だった。
そこで僕は思いきって招待券をあげる提案を持ちかけてみた。
仕事があるし、どうせ断られるだろうと諦め半分での誘いだったのに、彼は仕事を休んで来ると言ってくれた。
新人なのが幸いして、彼1人抜けたところで業務に影響は出ないようだ。
「じゃあ、招待券渡すから校門の所で待ち合わせしよう
 明日も荒木達と来るの?」
「日野と黒谷と双子が一緒かも
 でも1人でも来れるよう、帰りに白久に乗り換えのこととか色々聞いておくよ」
伊古田さんは嬉しそうに笑っていて、その顔からは凄みのある迫力は消えていた。

校門での別れ際
「じゃ、伊古田、また明日」
「うん、野坂、また明日ね」
親しげに別れる僕達を見て、何故か荒木は感謝の瞳で僕に頭を下げるのだった。




次の日の伊古田は、昨日より堅めの服装で現れた。
白いシャツに黒のネクタイ、黒のパンツ、基本は昨日と一緒なのにヤクザには見えなかった。
「昨日の服、借り物だったんだ
 裾がツンツルテンだからワザと着崩して捲ってみた、って着付けてくれた人が言ってた
 でも今日は大事な日だからって、大急ぎで服を調達してくれたんだ
 この服作ってくれた人はそれでも『丈が足りない』ってブツブツ言ってたよ
 珍しく大人な雰囲気のデザインにしたのに、うちは日本人体型専用なんだって怒られた」
服のタグをよくよく見てみたら、『II』ダブルアイのブランドだった。
僕の母親がイサマミドリ『IM』アイムの服のファンなので、その息子のイサマイズミの服も少しは知っている。

『服を作ってくれた人って、まさか本人?
 いや、縫製会社の人だよね
 今日、僕と会うためにこんな高い服用意したんだ』
そう気が付くと悪い気はしなかった。
「伊古田ってモノトーン似合うね、大人な感じ」
そう誉めると素直に破顔する。
自分の厳めしい容姿に気が付いていない、そのギャップが彼らしくて面白かった。

「野坂はその…、可愛いね、凄く凄く可愛い
 ごめん、もっとちゃんと誉めたいのに、それ以外の言葉が出てこないや」
言葉を探していたらしい伊古田は、思いつかなかったのか少しションボリしてしまう。
『可愛い』と言われるのは、正直バカにされているみたいで好きじゃなかったが、自分の容姿が『イケメン』とか『格好良い』と称し難いことはわかっていた。

「あの人達の方が可愛いと思うけど?」
伊古田と一緒に来た小柄な『日野』という荒木の友人や、昨日会った『明戸』さんにそっくりな『皆野』さんを視線で指し示す。
1人でもキラキラオーラ全開だった明戸さんは数が増えてさらにオーラが増し、芸能人の様だった。
『双子って初めて見た、一卵性だと本当にそっくりになるんだ
 入れ替わりトリックとか現実に出来るんじゃないかな
 と言うか、近戸も双子とか、あんなイケメン2人も居るなんて贅沢でズルくない?』
2組の双子を見ながら取り留めのないことを考えていたら
「え?双子や日野とは全然違うよ
 野坂の方がもっともっと可愛いくて、温かくて、頭が良くて、色々教えてくれて、優しくて、本当に凄いと思う」
伊古田はお世辞にしては大仰な言葉を並べ立てた。
あまり言葉に器用ではない伊古田の誉め言葉は、何だか心にくすぐったく響き、照れくさい気持ちにさせられた。

「伊古田ってマニアックだね」
照れ隠しにそんなことを言っても彼はよく分かっていない感じで、それでも嬉しそうに僕のことを見ていた。
昨日は隈があって睨みつけてくる怖い顔だと思っていたけど、今は伊古田の表情に喜びや優しさを見いだせた。
態度には繊細な細やかさもあるし、具合が悪くなっても言い出せない気の弱さもある。
『伊古田って、見た目で損してるよね』
自分ではどうしようもない部分で生きにくそうな伊古田に、運が悪くついてない僕は不思議な親近感を覚えるようになっていた。


「じゃ、5時にここで待ち合わせな
 来れそうになかったら黒谷のスマホに連絡してよ
 さて、食うぞ!ここの学食って今日もやってんのかな、そっちも興味あるんだよね」
日野の言葉で全員散っていく。
一緒に来たからと言って一緒に行動するわけではないようだ。
伊古田は当然のように僕の側に居て
「今日はどこに行ってみる?」
そう話しかけてきた。
「昨日、西棟の方を見たから新棟に行ってみようか」
「うん、また色々教えってね」
新棟での展示や模擬店に何があるか把握してなかったが、伊古田はその辺のことを気にせず付いてきてくれるから気が楽だ。
伊古田を従えて歩く自分の姿を想像すると昨日感じていたアニメ的と言うより警官と警察犬のような気もして
『これ、バディ系の映画みたいで格好いいんじゃない?』
と楽しくなってくるのだった。


意気込んで行った新棟には、特に目を引く展示が無く模擬店も込んでいたので早々に退散し、ゆっくり出来るカフェテリアで軽いランチを取る事にした。
サンドイッチにカフェオレ、伊古田は僕と同じ物を選び『お揃いだ』と嬉しそうだった。
「伊古田、それで足りるの?パスタとかピラフもあるよ」
「いっぱい頼んで食べきれなかったらもったいないから
 前に居たとこだと、誰かが代わりに食べてくれたけどね
 食べ物は大切にしなきゃ」
真剣な顔で言われ
「そうだね、フードロスとか話題になってるし」
そう答えるものの、伊古田のそれは意識高い系からきている発言とは違う気がしていた。

『豊かに見えても、この国にも貧困ってあるんだよね
 社会派の小説で読んだっけ
 伊古田って恵まれてない家庭の子で、田舎の施設とかで育ったのかな
 学校にちゃんと通ってない感じがする
 荒木とか職場の人はそれ知ってて、彼のことを凄く気にかけてるとか』
知り合ったばかりの人のプライベートを詮索するのは失礼だと思いつつも、僕は自分の知らない世界を生きてきたであろう伊古田のことをもっと知りたい思った。
他人のことをこんなに深く知りたいと思ったのは初めてかもしれない。

しかしそれは『彼が好きだから全てを知りたい』と言うよりは『好奇心が疼くのを止められない』と言う、自分勝手な知識欲からくる感情だった。
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