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しっぽや(No.225~)

「引っ越し荷物は?もう部屋に運んじゃった?」
伊古田の足下には、大きめのボストンバッグが1個置かれているだけだった。
「これが荷物だよ、白久が部屋に置いていってくれた物は何でも使って良いって言われてるから、持ってくる物はそんなに無かったんだ
 犬だったとき、俺の物なんて何も持って無かったし
 俺が持ってたのは、あのお方からの愛だけだった」
切なげに微笑む伊古田を見て、俺も近戸も言葉を詰まらせてしまう。
「じゃ、部屋に行こう、元々白久の部屋だったから置いてある物全部把握してるんだ
 使い方とか教えてあげる」
「荷物は俺が持つよ、貸して」
俺達はこの『優しい巨人』に何かしてやりたくてたまらなくなっていた。
部屋のドアに鍵をかけ、慣れ親しんだ元白久の部屋に向かう。
そこは同じ階にあるので直ぐに到着する、超ご近所さんだ。
「同じ扉が並んでる、あ、隣は黒谷なんだ」
伊古田は物珍しそうに辺りを見渡していた。


「鍵って受け取ってる?」
引っ越したとき、俺が持ってたこの部屋の鍵はゲンさんに返している。
「うん、貰ってきた、グレート・デーンが手に入らなくてごめんって言われたよ」
伊古田が持っていた鍵には、100匹以上いる有名ダルメシアンのマスコットが付いていた。
「流石にグレート・デーンは無いか、でも伊古田とは柄が一緒だからこれでも良いね
 鍵はこの穴に差し込んで、そう、それで回してみて」
伊古田はおっかなびっくりと言った体(てい)で鍵を回している。

カチャリ

鍵の外れる小さな音がした。
「今日からここが君の居場所だよ、安心して良い場所、くつろいで良い場所だからね」
ドアを開けて中に入った俺は、そう言って伊古田を部屋に誘(いざな)った。
「僕の居場所、居て良い場所」
伊古田は不思議なものでも見るような目で室内を見ていたが、その顔に徐々に喜びの表情がわいてきた。
「三峰様や武衆の皆に守られなくても、誰にも攻撃されない場所?」
「うん、ここには君に危害を加える奴なんて居ないよ
 それに冷蔵庫に食べ物入れておけば、いつだって好きな物を食べられる
 もうお腹が空くこともない
 ベッドマットも新しいのに変えてあるから、フカフカのところで寝られるからね」
「安全な場所!好きな食べ物!乾いた寝床!」
想像が追いつかないのだろう、伊古田は忙しなく首を動かして辺りを確認していた。

「冷蔵庫のコンセントを入れて、っと
 中が冷えるまで何も入れられないんだ、夜には使えるようになるよ
 買い物の仕方はわかる?今晩、夕飯の後にコンビニにでも行ってみようか?」
「ここに来る前、波久礼と一緒にお店に入ってみたよ
 犬とか猫とか売られてた、あんなお店あるんだね
 そこで猫のおやつを買ったんだ
 その後、猫カフェってお店に行って買ってきたおやつを猫にあげるの
 皆、喜んでたよ、波久礼って人気者で優しい良い犬だね
 猫、可愛かった」
やはり、ここに来る前に猫カフェに寄ってきていたらしい。

「猫の化生は見た?」
「事務所でひろせに会ったよ、フワフワしてた
 自分で作ったお菓子をくれたんだ、凄く美味しかった
 猫は尊い存在だから守らなきゃダメだ、って波久礼が言ってたよ
 僕はしっぽやで困ってる猫を助ければ良いの?僕に出来るかな」
波久礼に余計なことを吹き込まれた彼に
「飼い主とはぐれて迷子になっている犬や猫を見つけて、家に返してあげるのが仕事だよ
 暫くは誰かと組んで仕事を覚えてね」
俺はそう教えてやった。

「コンロはここをヒネると火がつくよ、ガスも水道もゲンさんが使えるようにしといてくれたから
 これは洗濯機、全自動で汚れた服を入れておけば勝手に洗ってくれる
 干すときはこれを使ってここに吊り下げるんだ
 こっちはシャワールーム、ここからお湯が出るけど温かくなるまで少し時間がかかるかな
 湯船にお湯を溜めて浸かっても気持ちいいよ、お屋敷の温泉の小さいやつって感じ
 使ってみて分からないことがあったら、白久や黒谷に聞いて教えて貰うと良いよ」
一気に人間の部屋での暮らしを覚えきれそうにない伊古田に、俺はそう言った。
「お屋敷で色々教わってきたけど、実際に自分が使うとなると難しそう」
少し怯えた表情をする彼に
「少しずつ覚えればいいんだよ、間違ったことをしても誰も叱らないから
 あ、でも、濡れた手でコンセントを触っちゃダメだからね、危ないんだ
 コンロの火を使うときも気を付けること
 今日の夕飯は白久が作ってくれるから、手伝いがてら一緒に使ってみると良いよ」
俺の言葉に伊古田は神妙な顔で頷いていた。

「あ、だったらうちで作る?うちの方が広いし、皆で夕飯食べよう
 明戸も皆野も張り切るよ
 で、化生がご飯作ってる間、荒木は課題の続きな
 俺のPC使って良いから今日中に後1つ、終わらせような」
近戸はスパルタ家庭教師モードになっていた。



それから伊古田の少ない荷物を片付けて、白久には双子の部屋に来てもらうようメールをした。
必要な物を持ち、伊古田も連れて移動する。
双子の部屋の扉の前でちょうど大荷物を持った遠野と遭遇した。

「トノ?何でいるんだ?今日はバイト入ってたろ」
驚く近戸に
「今朝、新入りの子にシフト変更して欲しいって言われたんだよ
 今日明日休みになるから、来てたんだ
 その旨連絡入れといたけど見てない?」
遠野も驚いた顔を向けてきた。
「あー、何かバタバタしててスマホチェックしてなかった」
近戸は慌ててスマホを取り出して確認する。
「皆野に頼まれてた買い物してきたところ、今日は新人が来るんだって?
 皆野、美味しい物食べさせたいって張り切ってたよ
 君がそうなのかな?大きいね、バスケの選手みたい
 俺は皆野の飼い主の大滝 遠野だよ、チカとは双子なんだ」
「僕、グレート・デーンの伊古田って言います
 よろしくです」
伊古田はペコリと頭を下げた。
「立ち話も何だし、入って」
遠野がドアを開けて誘ってくれる。
「お邪魔します」
俺達はゾロゾロと室内に入っていった。


「助かったよ、トノも荒木の課題手伝ってやって
 こいつ、資料揃えてやれば後は早いから」
近戸に言われて
「良いよ、引っ越しの時お世話になったもんな
 俺は何を集めればいい?」
遠野は快諾してくれる。
「お手数おかけします」
俺は恥ずかしいやら頼もしいやら、複雑な心境だった。

程なく、帰ってきた双子猫と白久は伊古田を伴い夕飯の準備に取りかかる。
その間俺は課題を進める事が出来たので、当初の予定通り終わらせる事が出来ていた。


お客がいるからと皆野が張り切ったので、夕飯が出来上がったのは9時頃だった。
「僕でも手伝えたんだよ、これ僕が巻いたの
 後、これも切ったんだ
 こんなにちゃんと料理したの初めて」
伊古田は嬉しそうに説明している。
「ありがとう、美味しそうだね
 白久もありがとう、この生春巻き、エビたっぶりで見た目にもキレイだよ」
「伊古田、初めて作ったのに凄いね
 これは明戸が焼いてくれたんだろう?焦げ目が凄く美味しそうについてる」
自分の化生も誉めておかないと後で拗ねてしまいそうだったから、俺達は料理を味わいながら感想を伝え和やかに食事を進めていった。

俺の向かいにはそっくりな顔の人間と猫が2組並んでいる。
「伊古田、近戸と遠野、そっくりだけど区別付く?」
思わず聞いてみると
「うん、気配が違うから
 でも、武衆の犬達は気配が違うけど夜中とかに急に出会うと、一瞬誰だか分からなくなるんだ
 お屋敷で雑魚寝してると、ちょっと混乱する、海と陸とか似てるから
 荒木と近戸は暖かいから間違えないよ
 日野や遠野とは違う暖かさだね」
伊古田の言葉に俺はドキリトする。

『俺と近戸にだけ感じる暖かさ
 ソシオはモッチーと会う前、ナリとふかやの匂いに反応していたって聞いたぞ
 2人に残るモッチーの気配に反応したんだってナリは分析してた
 羽生も、俺の制服から中川先生の気配を嗅ぎ取ってたっけ
 明戸は俺からは何も感じ取らず、近戸の家に近づくにつれて反応してたな
 飼って欲しい人の気配の気付き方は化生それぞれなんだ
 俺と近戸にだけ反応するってことは、もしかしたら大学間系の共通の知り合いが本星?』
そう当たりを付けた俺は
「近戸、うちの冷蔵庫で水出しのアイスコーヒー作ってるんだ
 もう飲めると思うから取りに行きたいんで、付き合ってよ」
近戸に相談したくてそう誘い出す。
「荒木、私が取りに参りますよ」
立ち上がろうとする白久を制し
「白久は捜索で疲れてるから座ってて、近戸お願い」
意味ありげな視線で見つめると近戸は直ぐに察してくれてた。
「モッチーが惹いた豆で作ったんだよね、興味あるな
 明戸、ちょっと行ってくるよ」
俺と近戸は自然な感じを装いながらも素早く部屋を後にした。

「荒木、どうした?伊古田のことか?」
近戸の問いかけに頷いて、俺はさっき考えていたことを伝える。
「飼って欲しい人の気配か
 俺と荒木だけに感じる暖かさってのは、確かにそれっぽいな」
「誰の事だろう、羽生は俺の担任じゃなかった中川先生の気配に気が付いてたよ
 同じ校舎内にいるだけで知り合いでも何でもなかったら、見当も付かないか」
それに気が付くと、とたんに飼い主探しが難問に思えてきた。
「いや、俺と荒木、共通のゼミを取ってる知り合いに絞れると思う
 もしくは学食で会う奴かな
 俺達が一緒に行動してるときに会う人間が当たりだろう」
「なら、少しは絞り込めるか
 でも伊古田に会わせるきっかけがないよ、近戸と明戸は白パンが引き合わせてくれたから会えたんだ
 そんな奇跡、また起こるかな」
俺達は頭を抱えてしまう。

「何とか理由を付けて、伊古田を大学に連れて行こう
 自分で探してもらった方が早い、結局羽生も自分で中川先生を見つけたんだし」
「2人でフォローすれば構内での行動は何とかなるだろう、ただ、何度も使える手じゃないから短期決戦で行くしかないな」
俺達はそう決意する。


こうして『伊古田を大学に連れて行こうプロジェクト』が始動するのだった。
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