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しっぽや(No.198~224)

昼食前に目を覚ました伊古田だったが、少し話すとまた寝入ってしまった。
生前の食事は1日1回だったと言っていたので、朝飯と小昼でお腹の方は満ち足りてしまったのだろう。
化生したてで体力面より精神面で疲労していたのかもしれないし、生前の生活が寝てばかりだったので、まだ現在に対応出来ていないのも原因かもしれない。
「彼は見所がありますね」
そんな伊古田を見て、白久は昼寝指南をする気満々であった。
途方に暮れる顔をしている黒谷に
「まあ、おいおい現代の生活様式に慣れると思うから」
俺はそう声をかけて慰めた。


ミイちゃんの部屋を辞して調理場に行き、伊古田は寝てしまったことを料理番に伝えると
「了解、握り飯でも作っといてやるか、消化が良いように粥の方が良いかな」
「どっちも少しずつ作っといてやろうぜ
 と言っても、少しってどれくらいだ?握り飯5個くらい?粥は米1合?」
彼らの量の単位は大型犬のもので、伊古田にはそれでは多いように思われた。
『いや、伊古田だって超大型犬だけどさ』
俺は自分の考えにちょっと笑い
「残っても俺が居るから大丈夫だぜ」
頼もしく伝えると、料理番の2匹は納得したように頷いていた。

遊びに行くにも離れに戻るにも中途半端な時間なので、俺達は温泉で汗を流すことにした。
暑い時間に温泉を使うものは誰もいなくて、洗い場には俺達しかいなかった。
「伊古田って、何気に荒木の方に懐いてるみたいだったな
 また荒木の関係者が飼い主になるんじゃね?
 大滝兄弟のときみたく、橋渡ししてやってくれよ」
「ミイちゃんがそれらしいこと言ってた気がするけど、どうなんだろ
 黒谷が睨むから、怖くて日野に近づけなかっただけじゃない?」
「睨んでねーし、めちゃ可愛い顔で優しく伊古田を見てたじゃん
 むしろ白久の方がフテクサレた顔してたね」
「犬世界の癒し顔ナンバーワンの秋田犬に怯える要素とかゼロだし」
言い合う俺達を、飼い犬達は微笑んで見つめていた。

「伊古田が起きてご飯食べたら、身体を洗ってやろうか
 隧道で少しは見たけど、ちゃんと痣の確認しておきたいんだ
 あの痣、飼い主が出来て気持ちが癒されたら少しは減るかな
 あれが全部傷の跡って、痛々しくて
 今まであんな肌の化生、見たことないよ
 俺が知らないだけで他にもいるの?」
ポツリと聞いた荒木の言葉に黒谷も白久も顔を見合わせた。

「私は聞いたことないですね、クロは?」
「僕もないね、化生してから怪我して、その跡が残った化生はいたけど
 親鼻の指には消滅するまで傷の跡が残ってたな
 でも、本人はあの傷が飼い主との絆だって誇りに思ってたみたいだ」
首を捻っている大型犬を見て、黒谷は犬だったときに飼い主と共に斬り殺されていることを思い出した。
しかし黒谷の身体に刀傷に相当するような痣は無かった。
「そうだな、今後のこともあるかもしれないし痣の確認がてら洗ってやろう
 黒谷も白久も焼き餅焼くなよ」
俺が釘を刺すと2匹は不承不承と言った顔で頷いていた。


温泉から上がり昼食を食べた後、俺達は外に遊びに行く気になれず、あてがわれている客間でゴロゴロしていた。
俺も荒木も伊古田のことが気になっていたからだ。
伊古田が目を覚ました、とミイちゃんから連絡が来たのは2時を回った頃だった。
お腹は空いてないらしいので、早速温泉に入れてやることにした。

最初は水に入ることを怖がっていた伊古田だが、温泉のお湯が温かいと分かると目を丸くする。
聞くと生前は真冬でもホースで水をかけられていたそうだ。
「泥とかで汚れると、噛ませる犬にバイキン入ったら困るからって、2、3日に1回は水かけられてたよ
 そうしないと血がこびり付いて、毛もバリバリになっちゃうしね
 僕は毛が短いからまだマシだったのかな
 毛の長い奴は大変そうだった、でも、毛が長いと噛まれたときの怪我が深くないときもあったし、どっちもどっちなのかも
 冬に水をかけられると痛く感じるんだ、かけられた後凄く寒くなるし」
伊古田の話はどこまでも切なかった。

俺と荒木が確認すると、伊古田の身体には全身くまなく痣があった。
傷跡のように不自然な肉の盛り上がりはないが、それが全部噛まれた跡だと知っている俺達には痛々しすぎた。
「お腹にも、喉にもあるね…痛くない?」
荒木が問いかけると伊古田は不思議そうな顔で
「今はどこも痛くないよ、痛くないだけでこんなに気持ちが軽くなるんだね
 犬の時は、いつもどこか痛かった
 でも、あのお方が優しく撫でてくれると痛みが軽くなって気持ちも軽くなっていくんだ
 お腹が空いててもあのお方の優しい匂いを嗅いでると、気にならなくなったよ
 あのお方は子供だけど凄いんだ」
嬉しそうな伊古田に
「うん、凄い人だよ」
俺も荒木も頷いた。
貧しい境遇から自力で這い上がり、闘犬の保護活動に一生を捧げたことを知っている俺達にとって伊古田の飼い主は尊敬に値する人物だった。



「伊古田はもっと自信をつけた方が良い、ここで武衆相手に戦うんだ」
俺がそう言うと皆が目を見開いた。
「おい、日野、何言ってんだよ
 武衆の犬達ってミイちゃんの護衛部隊で猛者ばっかじゃん」
慌てる荒木に
「こいつはその猛者と対等に戦えるものをもっている
 ここでの戦いは即(すなわ)ち『生前自分がどれだけ飼い主に愛されていたか』だ!!」
俺は断言してみせた。
荒木の顔に理解の表情が浮かぶ。
「それに関しては、伊古田は強力なパワーを持ってるな」
うんうんと頷く荒木に
「飼い主がいる化生は『現在自分がどれだけ愛されているか』が武器だから、優勝は黒谷で決まりなんだけどな
 まあ、参加することに意義があると思って腕試ししてみるのも良いんじゃないかなってさ」
俺はニヤリと笑って言う。
「この勝負、白久が優勝するのわかりきってるから可愛そうだけど、これをきっかけに武衆の皆と話すのは良いことだと思う」
荒木も負けてはいなかった。

「えっと、皆にあのお方のことを自慢すれば良いの?
 それなら僕にも出来そう、だってあのお方は本当に凄い人だから」
伊古田の顔に初めて心からの笑みが浮かんでいた。
「黒谷、白久、最初は君たちも付いていって参戦してくると良いよ」
俺が言うと
「すまないねシロ、僕が優勝で」
「いえいえ、私の優勝は揺るぎませんから」
2匹はやる気満々の顔をしていた。
温泉から上がった犬達は、早速他の犬に勝負を挑みに去っていく。
「考えたな日野」
荒木が笑顔で放った軽いパンチを受け止めて
「まあな、俺だって新しい化生に何かしてやりたいからさ
 いつもお前に差を付けられてるの、悔しいじゃん」
俺はお返しに背中を軽く叩いてやった。
「さて、ちょっと調理場を覗きに行くとするか
 そろそろおやつだもんな」
「お前、食ってばっかじゃん、食ったものどこに消えるの?」
「頭じゃね?」
俺達は軽口を言い合いながら、歩いて行った。



夕食の時には、伊古田は他の犬達と打ち解けた雰囲気になっていた。
いきなり動かれるとまだヒキツった表情を見せるものの、怯えて隠れようとはしなくなっている。
「勝負作戦、上手くいったみたいだな」
俺も荒木も胸をなで下ろしていた。
「元来、グレート・デーンってきちんと飼われていれば、他の動物に対して友好的だから
 「優しい巨人」とはよく言ったもんだ」
「他の犬達も伊古田の過去を知って、気を使ってるみたいだね
 あんな酷い飼われ方をしてた犬って、本来なら化生しようなんて気にならないよな」
それでも人と関わる道を選んだ伊古田に皆は敬意を払っているようだった。

驚いたことに伊古田と1番話が合っているのは、海(かい)だった。
どうも、海の飼い主も子供だったらしい。
「子供だって、きちんと俺達の世話をしてくれるよな
 学校から帰ると俺のとこに飛んできてくれて、給食のパンの残りとかくれたりすんだ
 その後、友達と一緒に散歩に連れ出してくれて、休みの日にはオトーサンの船に乗せてくれてさ
 あのお方はオトーサンみたいな船乗りになりたがってた」
「キューショクの話は聞いたことがあるよ、家ではあまりご飯を食べさせてくれないから学校で食べるキューショクが楽しみなんだって
 サンポってよくわからないけど、夏には川に連れていってくれて洗ってくれるんだ
 首に縄を巻かれてたから、それを持ってるあのお方が転ばないようゆっくり歩いたよ」
「偉いなー、俺、嬉しくってどうしてもリードを引っ張りがちでさ
 何度か転ばせちゃったぜ
 でもあのお方は『これを引っ張る力がないと、網なんて引けない』って言ってた
 俺に大物いっぱい捕ってきてやるって約束してくれたんだ」
飼い主の話をしている彼らは嬉しそうで、でも寂しそうで、聞いている方が切なくなってしまう。
その切なさを振り切るように、俺はお代わりの丼を料理番に差し出すのだった。



食後に黒谷と離れに戻り
「遊びに出なかったけど、今日は何だか盛りだくさんだったね
 明日で帰っちゃうのもったいないし、伊古田が気になるよ」
ベッドに腰掛けて俺は深く息を吐いた。
「また来れば良いですし、伊古田は思ったより早くしっぽやに来れるのではないですかね
 日野のおかげで、随分皆と打ち解けましたから
 ちょうど、白久の部屋が空いてるのでそこに来させましょう」
俺の隣に座った黒谷が気遣うように話しかけてくれた。
「うん」
黒谷が隣にいてくれることが嬉しくて、俺は彼の身体にもたれかかる。
「この場所で過ごす最後の夜、まだ時間はございますよ」
「だよな、帰りの出発は明日の昼過ぎだから荷物整理は起きてからで良いし、早朝散歩よりギリギリ朝食優先して、今夜もいっぱいしよう」
俺達は見つめ合って唇を合わせる。

「飼い主自慢勝負の優勝者として、今夜も飼い主を満足させると誓います」
「楽しみ」

離れで過ごす最後の時間を、俺達は目一杯堪能するのであった。
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