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しっぽや(No.225~)

side<NOSAKA>

伊古田という恋人兼飼い犬が出来た僕は、彼とずっと一緒に居たくてたまらなかった。
しかし僕の家と伊古田の家は離れているし、僕には大学があり彼には仕事がある。
気兼ねなく会える状況ではなかった。
せめて毎週末、伊古田の部屋に泊まりに行きたかったが、母を説得できずにいた。

驚いたことに僕にはあまり関心が無いと思っていた父の方が理解を示してくれたが、母には強く出れないようであった。
「お前もついにそんな年になったか、好きな人が出来たんだろ?
 そりゃ、一緒にいる時間が欲しいよな
 ママは変なとこ鈍感でさ、俺も振り向いてもらうまで苦労したんだ 
 子育てはママに任せっきりだったから、今更口を挟みにくくて」
苦笑しながらこっそり打ち明けてくれて、僕は初めて父のことを身近に感じる事が出来た。
「一気には無理だから、徐々に何とかしていくよ
 とりあえず、成績は絶対落とさないようにする」
僕がそう答えると
「お前、良い顔になってきたな
 良い恋してるのがわかるよ
 今まで口答えしても、基本ママの顔色窺ってばっかりだったから」
そう言ってくれて、父親が僕のことをちゃんと見いてくれた事を知り、泣きそうになってしまった。
「頑張る!」
「頑張れ!」
そんな親子の会話が出来るようになったのも伊古田のおかげだ。
彼の存在は僕にいつもプラスの状況を運んでくれるのだった。



念願の伊古田の部屋に泊まれる週末。
移動する電車の中、僕はいつになく緊張していた。
『この服の組み合わせ、変じゃなかったかな
 一応お揃いシリーズだけど、発売時期が違うものだし
 お土産は近所のケーキ屋さんの焼き菓子…って、有名店の方が良かったのかも
 いや、でも、そんなのは食べ飽きてるだろうから
 そもそも甘いものじゃない方が良かったのかな』
こんな風に緊張しているのは、超有名デザイナーのイサマイズミ先生に会うからだ。
彼も化生の飼い主で、伊古田の服を用立ててくれていた人であった。


『あのね、和泉が野坂に会ってみたいって言ってるんだけど、次の週末に来てもらって良い?』
電話で伊古田にそう切り出されたときは驚いた。
『な、な、何で僕に?あんなに有名な人が
 伊古田の飼い方に至らない点があって、不快に思ってるのかな
 僕、動物を飼うの初心者だし、誰かと付き合ったこともないから相応しくないって言われるかも』
僕はパニックを起こしていた。
動揺のあまり持っていたスマホを落とさなかったことは、今考えても奇跡的だった。
『そんなこと和泉に言わせない
 野坂は僕を飼ってくれる良い飼い主だってちゃんと言うよ
 久那に怒られても野坂のためなら、僕、頑張れるから』
弱虫だった伊古田の逞しいセリフに、僕はちょっと感動してしまった。
直ぐに心が落ち着いていく。
『うん、ありがとう
 何を言われるか不安だけど、僕も伊古田が一緒なら頑張れる
 何て言われても、伊古田は僕が飼うって言うよ』

と、格好良く言い切ったものの基本ヘタレの僕は、マンションが近くなるに付け不安が増していった。
伊古田の部屋にたどり着き彼の顔を見たとたん、緊張の糸が切れて玄関先にうずくまってしまった。
「野坂、野坂大丈夫?具合悪いの?今日は会えないって和泉に連絡する?」
慌てた伊古田が僕を抱きしめて安心させるよう髪を撫でてくれる。
彼の広い胸に抱かれていると徐々に気持ちが落ち着いてきた。
「ありがとう、大丈夫、他の飼い主に会ったときはこんなに緊張しなかったんだけど
 さすがにあの人みたいに格の違う大物(おおもの)はね」
僕は甘えるように彼の胸に頬擦りする。
「?三峰様の方が大物だって、和泉はよく言ってるよ
 僕もそう思う、三峰様の方が怖いし」
不思議そうな伊古田の手を借りて立ち上がった。

「先生たちが来るまでに、お湯を沸かしておこう
 ランチ、買ってきてくれるんでしょ?スープと味噌汁、どっちが良いのかな、どっちもインスタントだけど
 お茶と紅茶はどっちにしよう、ウーロン茶の方が何にでも合うか」
「取り分け用の小皿とお箸も用意しないとね
 野坂とシェアして食べるときの必需品だもの」
僕達は先生たちが来る前に、大急ぎでささやかな食卓の準備を始めるのだった。



テーブルの準備が整い、伊古田が反応した直ぐ後にチャイムが鳴った。
化生達は気配で存在を感じることが出来るのでチャイムの意味は無いのだが、礼儀としてチャイムを鳴らしたりノックしたりしているのだ。
伊古田の後ろから僕も玄関に向かいイズミ先生を出迎える。

『本物だ…』

背は高くないが若いような老成しているような整った顔、片側だけ垂らしまとめられたさほど長くはない茶髪。
同じへアースタイルでも対になるよう逆側に白茶の長髪を垂らしている、煌びやかな顔つきの長身の彼はマネージャー兼専属モデルだ。
玄関先にはテレビや雑誌で見たことのあるイサマイズミとKUNAが颯爽と佇んでいるのだった。


「初めまして、久那の飼い主の石間 和泉です
 和泉、とは呼びにくいだろうからイズミ先生とでも呼んでください」
「若い子に和泉のこと呼び捨てにする度胸はないでしょ」
モデルのKUNAが愛おしげにイズミ先生に頬を寄せているのを見て
「野坂は礼儀正しいから大人を呼び捨てにはしないんだよ」
対抗するように伊古田が僕を抱き寄せた。
そんな僕達を見てイズミ先生は楽しそうに笑い
「良いね、懐かれてる、伊古田のこと大事にしてるからだ
 君は良い飼い主だよ、もっとも、今までに嫌な飼い主なんて見たこと無いけどさ
 彼らは本質をきちんと見極めて飼い主を選んでるんだろうね」
親しげにそう言って握手を求めて手を差し出してきた。

「あ、あの、野坂 始です、伊古田の飼い主です」
僕は慌てて差し出された手を握り返した。
「えと、僕は今まで動物とか飼ったことなくて、誰かと付き合ったこともなくて、至らない点ばかりだと思いますが
 でも、それでも、伊古田のこと幸せにしたいです!」
パニクった僕は聞かれてもいないことをまくし立ててしまった。
きょとんとした顔だったイズミ先生は直ぐに相好を崩し
「良いね、新鮮な反応!俺のファンだって言ってたモッチーだって、ここまで緊張してなかった
 そのシャツ、お揃いシリーズだね、お買い上げありがとう」
初見の取り澄ました表情は消え去り、面白そうにゲラゲラ笑っている。
「な、伊古田、だから和泉は凄いって言っただろう?」
KUNAに言われても、伊古田は不満そうな顔をしていた。

「さ、ランチ食べよう、お腹空いちゃったよ
 本当はノリ弁食べたかったんだけど、さすがに最初だからね
 成金らしくデパ地下でいろいろ買ってきた
 久しぶりに目に付いた食べたい物爆買いして、楽しかったー
 余ったってしっぽやに持ってけば、あっという間になくなるから惜しくないし」
「このところ忙しかったから、それくらいの気晴らしは許されるよ」
よく見ればKUNAの足下には大きな紙袋が大量に置いてあった。
それを僕と伊古田も手伝って部屋に運ぶ。
袋の中身は和洋中取り混ぜた総菜が20パック近く入っていて、テーブルに一気にのせきれなかった。


「飲み物は何にしましょう、インスタントのスープしかないですけど」
僕が聞くと
「肝臓のためにこれにするよ、よかったら君らもどうぞ」
イズミ先生はコンビニのビニール袋からカップのシジミの味噌汁を取り出した。
「これ、身だけじゃなく貝殻ごとシジミが入ってるの画期的だよね
 煮なくても、お湯で殻が開くのも凄い」
イズミ先生は僕の緊張をほぐすためか、たわいのない話をふってくれる。
「シジミとか身体に良さそうなもの入ってると、つい選んじゃいますね」
「緑黄色野菜とかリコピンとかな、名前が可愛くて今はイヌリンがお気に入りだ」
あれだけ緊張していたのに、人見知りの僕が今ではとても自然に話すことが出来て自分自身に少し驚いていた。

イズミ先生の飼い犬の久那はコリーで、昔映画でブレイクした犬種らしい。
僕がそのことを知らないと言うと
「くっ、これがジェネレーションギャップか
 俺も世代じゃなかったけど、名犬ラッシーと刑事犬カールの名前くらいは知ってたのに
 ベンジーとかリーチンチンとか
 チョビはカズハに教えてもらった口だけど
 まあ、ダブルベリーが来るまで、動物に特に興味のある家庭じゃなかったもんな」
イズミ先生は少し遠い目をして言っていた。

「で、今回野坂に会いたかったのは、伊古田の服や今後についてなんだ
 この体型だから市販品で合うのないだろ?」
急に話題をふられ焦りながらも僕は頷いた。
「白久とかなら市販品でも十分みたいですが
 伊古田、白久より20cm近く大きいけど、ウエストは細いから
 イズミ先生に用立てていただいて助かってます
 業務中も不審者や筋者っぽく見えないので
 でも、もう少し太った方が良いと思うから、ウエストは合わなくなってくるかも
 他のグレート・デーンの写真とか見ても、スリムな犬種だけど伊古田は明らかに痩せすぎだと思うんです」
「だよな、それを見越してすぐ直せる仕立てにはしてある
 今まで飼ったことなくても、今はちゃんと犬のこと勉強してるんだな
 誰でも最初は初心者だ、それで良い
 俺も最初は知らないことばかりだったよ」
イズミ先生は優しく笑っていた。

「で、だ、伊古田のこの恵まれた体型を生かしてモデルを頼みたくてさ
 とは言えモデルウォークは無理だから、舞台のオブジェ的要員として立っててもらいたいんだ
 立ってるだけと言っても、ちゃんとポーズは取ってもらう
 その辺はみっちり練習しないといけないが、どうかな?」
イズミ先生は伺うように僕を見た。
僕は困って伊古田を見るが、伊古田は話の流れがわかっていないのだろう、きょとんとした顔をしていた。
ここは僕の決断次第、ということだ。

いきなり重大な選択を迫られ僕は内心激しく動揺していたが、それでも心は決まっていた。
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