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しっぽや(No.198~224)

「午後からペットショップの方で配達があるから、まだかかるなら帰りは送ってあげられないけど大丈夫?」
心配そうにナリが聞いてくる。
「あ、じゃあ、俺がもうちょっと残るよ
 帰りは事務所まで一緒に帰ろう、ここまでの乗り換えとか覚えた方が後々良さそうじゃん
 そうだ、これを機に乗り換え案内の使い方マスターしよう」
荒木がそう誘ってくれた。
「ありがと、助かる」
白久と一緒にランチが出来なかったのに、一生懸命俺のフォローをしてくれようとする荒木の言葉がありがたかった。

「ダメだよ」
そんな俺達に、近戸が否定の言葉をきっぱりと告げた。
近戸に否定されただけで俺の全身から力が抜けていき、心に鋭い痛みが走る。
「荒木は午後からでも講義出ろよ
 一応、用意はしてきてあるんだろ?
 ありがたいけど、これ以上白パンのためにサボらせたくないし
 この後、バイクで送ってやるからさ
 バイクなら学校まで20分かからないんだ
 で、その、明戸は、もう少し俺と一緒に探してもらっていいかな?
 やっぱり、プロと一緒に探した方がこっちも安心するというか、あの、他に依頼が入ってなければ、ってことで」
荒木に言うより遠慮がちな感じで、それでも近戸が俺を頼って話しかけてきてくれた。
たちまち、俺の身体に力が戻り心が軽くなっていく。

「わかった、そうさせてもらう
 明戸のことよろしくな、駅まで送って、乗り換え案内の使い方教えてやってよ」
荒木は嬉しそうに頷いている。
「え?近戸、バイク乗るんだ
 いつ免許取ったの?何に乗ってる?
 私もバイク乗りなんだよね」
別方向からナリが食いついてきた。
「免許は去年取ったけど、まだ、自分のバイク持ってなくて
 オヤジの借りて乗ってるよ
 バイクは自分で買いたいんで、今、絶賛バイト中
 やっぱ、最初のバイクはちょっと良いの欲しいなって思ってるから」
「わかる!そのうちカスタムしたくなるし、メンテもあるし、周辺アイテムも欲しくなるから、お金は貯めといた方がいいよ」
近戸がナリと盛り上がり始めた。
「やった、もう少し近戸と一緒に居られるじゃん
 ソシオとふかやがバイク乗り飼い主を持つ先輩だから、今度色々聞くと良いかもよ?
 タンデムする機会があるかもしれないもんな」
荒木が小声で話しかけてくる。
その目は優しく笑っていた。
「うん、そうしてみようかな」
飼い主の好きなものや好きなことを一緒に楽しんでみたい、あのお方を真似て自分の猫生を綴っていた俺は、久しぶりにその感覚を味わうのだった。


店を出ると近戸の家に戻り、ナリは車で帰っていった。
近戸は荒木を大学まで送りに行っている。
30分くらいで戻ってくるらしいので、俺は庭や家の近所を探ってみることにした。
『家や家族に執着が残ってるから、最後の場所として家を選びそうなのにな
 家に人が居ないタイミングなんていくらでもあるし、静かに逝きたければそれを狙えばいい
 現に今だって、家には誰も居ないって近戸が言ってた』
最後の時が身近に迫った猫の思考は、俺には読み切れなかった。
『長瀞なら、猫の時の最後は寿命だったから俺よりわかるかな
 明日は皆野とじゃなく、長瀞と来た方が良いんじゃないか』
俺は未練たらしくそんなことを考えていた。
この期(ご)に及んで、俺はまだ皆野を近戸に会わせなくて良さそうな理由を探していた。
『長瀞ならゲンがいるから、絶対近戸に惹かれないし』
ついに、思考に本音が出てしまった。

「はあ…」
俺は自分の浅ましさに盛大なため息を付いてしまう。
『長瀞とじゃうまく連携挟み撃ちが出来ないだろ、俺
 まあ今の精神状況で、皆野と上手く挟み撃ちできるかと言えばビミョーだけど
 まてよ、長瀞が近戸に惹かれなくても近戸が長瀞を気に入る可能性もあるじゃん
 長瀞が白パンを説得して直ぐに探し出したら、感謝して好きになっちゃうかも』
俺の思考は行ったり来たり、明かりを求めて闇の中をグルグル回る羽虫のようだった。

「あ…」
そんな中、光の訪れが感じられた。
『近戸が帰ってきた!』
俺が家の前に戻って行くと、ちょうど角から近戸の乗ったバイクが曲がってくるところだった。
仕事から帰ってくるあのお方を迎えるような心躍る高揚を、俺は化生してから初めて感じていた。
「待たせてごめん」
メットを取った近戸が笑顔で話しかけてくれる。
それだけで俺の心は温かな光で満たされ、先ほどの闇は払拭されていった。

バイクを置きに行った近戸が戻ってきて俺と並ぶ。
「どの辺探したらいいかな、白パンは完全室内飼いだから土地勘とかないし、お気に入りの場所も外には無いと思うんだけどさ
 明戸なら猫を探すポイント、みたいなの押さえてるかなって思って
 一緒に探して良い?俺が居ると邪魔?」
「そんなことない、この後もずっと近戸と一緒にいたい!」
俺は思わず本音を力説してしまっていた。


「あ、いや、あの、俺だけより、聞いたことのある近戸の声がしてた方が白パンも安心すると思うからさ
 飼い主の声がわからなくなるほどパニクってたら別だけど、そんな感じはしないんだ」
慌てて弁解じみた言葉を口にする俺に
「プロの言葉を信じるよ」
近戸は笑顔を向けてくれる。
「それじゃ、プロの先生、どっちに行きましょうか」
親しみを感じさせる、ちょっとフザケたような彼の言い方がとても嬉しかった。


それから俺達は、家の周辺をあちこち歩き回って白パンを捜索する。
先ほどまでたまに感じ取れていたその気配が、今は全く感じられなくなっていた。
『飼い主と俺が一緒にいるところを見たくないのかな』
白パンには悪いけど、俺は近戸と一緒にいるこの時間がとても楽しいものに感じる自分を抑えることが出来なかった。
『これって、皆がよく言ってる「でーと」ってやつだ』
笑いそうになる顔を必死に押し隠し、澄ました表情を作るのは至難の業だった。

「やっぱ、この辺には居そうにないかな」
近戸が心配そうな顔で尋ねてくる。
「そんなことは無いと思う
 基本、猫は遠出しないからね
 繁殖期の若い雄猫は別として、知らない場所にはあまり行きたがらないんだ
 外飼いの猫だって安全が確認できている自分のテリトリー内を巡回して、お気に入りの場所で昼寝するのが好きだし
 子猫は何かに気を取られて、うんと移動しちゃうことがあるかな」
「だよね、白パンは若くないから俺も近所で発見できるって思ってたんだ」
ため息を付く近戸を安心させるよう
「でも、事故にあってる感じじゃないよ
 そんな痕跡が近所にないのは、さっき荒木と確かめた
 保健所とかゴミ回収場にも猫の死体は持ち込まれてないって」
俺はそう言って微笑んだ。
「不満があって姿を隠してるのかも
 フード変えたり、部屋の模様替えしたりした?」
「特に変わったことはしてないけど…俺が大学行き始めたから?
 でももう1ヶ月近く前のことだもんな、今更か」
近戸は首をひねっていた。


コンビニの近くに来ると
「そうだ、喉乾いてない?ずっと歩き回ってるし、水分補給した方がいいよね
 奢るよ、ちょっと買ってくる」
そう言って近戸は店に入り、直ぐに2本のペットボトルを持って戻ってきた。
1本を俺に手渡してくれる。
「水分補給には、やっぱこれが1番
 高校の部活ん時、これとレモン水にはお世話になったよ」
近戸がくれたスポーツドリンクは、心まで潤わせてくれるような美味しさだった。

「ペット探偵って、1日中こうやって歩き回ってるの?
 目的地がないから終わりが見えなくて大変だ
 真夏とか、水分と塩分、持ち歩いてちゃんと補給してね」
俺の体調を気遣う言葉に嬉しくなってしまう。
「うん、ごめんね、時間がかかって
 いつもはもっと早く発見できるから、そーゆーの持ち歩く頭がなかった
 ありがとう、これ凄く美味しい」
俺が笑うと、近戸も笑い返してくれた。


夕方まで探したものの結局発見することは出来ず、近戸が駅まで送ってくれて乗り換え方をメモしてくれた。
「明日もよろしくお願いします」
頭を下げる近戸に
「明日は2人体制だから、発見できると思う」
俺はそう答えながらも、皆野と2人で近戸の前に立つことを恐れていた。
近戸との2人での捜索があまりにも楽しくて、どんどん彼に惹かれていく自分の心を止めることは出来なかった。


事務所に帰り黒谷に顛末を報告する。
「明日は、皆野と一緒に出るよ
 火傷の痛みはずいぶん治まってると思うしね」
本当は1人で行きたかったが、白パンの安否を考えると我が儘を言える状況ではなかった。




翌日もナリの車で近戸の家まで移動する。
「近戸って好青年だよねー、自分で稼いでバイクに貢ぐ
 彼がバイク買ったらツーリング誘ってみようかな、私の友達と直ぐに打ち解けると思うよ」
ナリは近戸のことを気に入っていて、ベタ誉めだった。
皆野はよく分かっていないので
「そうなんですか」
そんな無難な感じの相槌を打っていた。
皆野の隣に座っている俺の心臓は早鐘を打っている。
『どうか皆野が近戸に惹かれませんように』
心が繋がりあっている皆野にバレないよう祈るのは、大変だった。

そんな俺の努力は徒労に終わる。
近戸の心地よい気配に気が付く俺と同時に
「何だろう、この辺って空気が良いのかな
 山の側だった生前の家と同じ、爽やかで澄んだ空気がする」
皆野が嬉しそうに当たりを見渡し始めた。
事態を察したナリが戸惑いと気遣わしげな視線を俺に向けるのが分かったが、俺は皆野と一緒にいるのは限界だった。
「ごめん、ナリ、ちょっと止めてもらって良い?
 昨日、あそこで白パンの気配を捕らえたんだ
 先に確認しに行ってくる
 皆野、詳しい話しは近戸から聞いといて」
俺はそういうとシートベルトを外し、止められた車から飛び出した。
「え?ちょっと、明戸?」
戸惑った皆野の声が聞こえても、それを無視して駆けて行った。


俺の愛しい半身に、呪いの言葉を吐いてしまう前にこの場から逃げ出したかった。
近戸に優しくされる皆野を見たくなかった。
心の中で醜い怪物が吠え狂っている俺を、近戸に見せたくなかった。

『俺も皆野も、どちらも近戸に選ばれなければいい』

そんな覚悟はおためごかしだ。

俺は、俺だけを近戸に選んで欲しい、俺だけが近戸の飼い猫になれればそれで良いと、はっきり気が付いたのであった。
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