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しっぽや(No.198~224)

「ごめんね明戸、運転荒かったかな、酔っちゃった?
 スポドリ飲んで落ち着こう」
いつの間にか車外に出ていた俺にナリが近づき、その場から引き離した。
「あの人に飼って欲しいと思った?」
小声でそっと聞かれた俺は泣きながら頷いた。
「落ち着いて、私も荒木もいるから協力できるよ
 こんな状態の明戸に頼むのは酷かもだけど、取り敢えず今は居なくなった猫の捜索に集中しよう
 あの人の役に立ちたいでしょ」
ナリに優しく頭を撫でられ、俺は何度も何度も頷いた。
「こんな感情、自分にはもう起こらないと思ってた
 ビックリしちゃって、ごめん
 うん、そうだ、あの人の役に立たなきゃ、俺、頑張らなきゃ」
俺は頬を叩いて気合いを入れる。
あの人に良く思われたい自分がいた。

「ごめんごめん、あんまり車慣れしてない人だからさ
 ちょっと休めば、すぐ本調子に戻るって
 何しろうちのエースだからね、すっごい優秀なんだよ
 あ、猫の写真あったら見せてあげて
 うわ、本当に股と脇の下に白い毛がある
 名前は?パンツ?ちょっと大声で呼びにくいな」
「いや、普段は白パンって呼んでるよ
 無難な感じだと白タンとかシロシロ」
「黒猫なのにシロ…」
荒木は依頼人と話しながらも俺のことを気にしてくれているのか、チラチラとこちらを見ていた。
荒木にも今の俺の状態はお見通しのようだった。

「さ、ご挨拶して、良い印象持ってもらわないとね
 私も庭に車を置かせてもらえるか聞かなくちゃ」
ナリに促され、俺はその人の元に近付いていった。
近くで見ると背が高くて優しそうで格好良くて、今まで会ったどの人間よりも完璧だ。
「大丈夫ですか?すいません、無理言っちゃって」
胸に染みるような声で話しかけてくれる。
「こちらこそすいません、お役に立てるよう頑張ります
 絶対俺が見つけてみせますから!
 あっと、俺、影森 明戸(かげもり あけと)って言います
 名刺、名刺どこに入れたっけ、ああ、書類も渡さなきゃ」
俺はパニックになってしまうが、彼はせかさずに待っていてくれた。
名刺を受け取って
「明戸さん、ですか
 俺、大滝 近戸って言います、『戸』がお揃いだ
 名前に『戸』の字が入ってるって珍しいですよね
 『斗』とか『人』なんかが一般的で
 名字が『近戸』だと思われることもしょっちゅうです」
彼は朗らかに笑う。
俺はうっとりとその声を聞いていたが、彼が言っていた『お揃い』という言葉がとても嬉しかった。

「良かったら名字じゃなく『近戸』って呼んでください
 その方がしっくりくる」
そう言われ
「あの、じゃあ俺も『明戸』って呼んでください
 『影森』って言うのは所員に共通の名前として使ってるんです」
俺も慌ててそう言った。
「探偵ネームみたいなもんだよ」
荒木が言い添えてくれると
「何か秘匿性があって格好いいですね」
近戸が笑ってくれた。

「明戸、これが近戸ん家の猫だって名前はパンツと言うか白パン
 ほら、股と脇の下だけ白毛だろ、白黒猫と言えなくもない?
 追えそう?」
荒木がスマホの写真を見せてくる。
それは年齢の割には毛艶が良く愛されている自信に輝く瞳を持った黒猫だった。
写真からでも飼い主に対する愛が感じられる。
そして、猫に対する近戸の愛も感じられた。
彼らの絆に嫉妬を感じてしまうが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
俺は写真に手を触れる。
家にも写真と同じ気配が色濃く残っていた。
ここはどんな形であれ、この猫が帰る場所だった。


俺は息を吸って気持ちを切り替える。
「それでは、この家を起点に捜索を開始します」
いつものように宣言し猫の痕跡を探そうとしたが、側にいる近戸のことが気になって集中できなかった。
「少し一緒に歩こう」
気が散っている俺に気が付いている荒木が、腕をとって歩き出した。
「そうだ、私も捜索に加わろうと思うので車を庭に置かせてもらって良いですか」
後ろからナリが話しかけている声が聞こえ、近戸がこちらに向ける視線が途切れた。
俺は思わず息を吐いてしまう。

「明戸、近戸とは知り合ってまだ日が浅いけど、凄くいいやつなんだ
 イケメンだし背も高いし勉強も運動も出来るのに驕るどころか、こんなの大したことじゃないって謙虚でさ
 嫌みじゃなく、本当にそう思ってるみたいなんだよ
 俺には完璧に見えるのに、自分に自信がない感じ?
 今回のことも、自分が初期の段階で探し回れなかったの凄く気にしちゃててさ
 猫を発見できたらいくらでも手伝うから、まず、白パンのこと見つけてやって欲しい
 明戸がサクッと発見したら、あいつ、感激するよ
 一緒に打ち上げしような」
荒木の言葉に、俺は頷いた。
「もし、発見したのが骸だったら、きっと近戸は俺を許さない
 そうならないよう頑張る」
自分の言葉に震えるような思いで、俺は今までにない集中を始めるのだった。


「久しぶりに潜ってみる、荒木、俺の身体見てて」
いつもは皆野と連携しながら表面を撫でるだけの猫の無意識の海。
長瀞のように1人で深く潜って手がかりを掴み次第、直ぐに浮上するのは本来至難の業なのだ。
他の猫と上手くつき合える長瀞だからこそ出来ることであった。

俺は電柱の陰で息を整える。
猫の気配は覚えているし、最近ここを通った感触があるのにそれをきちんと捕まえられない。
いつもとは違うことを試してみないと埒(らち)があかないと感じていた。


年輩の猫達が集う無意識の海、若い猫のようなさざめきはほとんど無く、自分の思考や温かな日の光に没頭している。

『呼べるのか』
『呼ばぬのか』
『必要か』
『不要か』

相反する思い、揺らめきはそんな微かな物しか感じられない。
『飼い主を呼びたいけど、昼寝の邪魔をされたくないのか?』
俺にはその真の意味が掴みきれなかった。

『泣かれるな』
『壊れるやもしれぬ、それは困る』

更に深く潜ると、ますます揺らぎの意味は不明になっていく。
俺は以前に長瀞が『年輩の猫の思惑は、私たちには理解し難いものかもしれない』と言っていたことを思い出して暗澹たる気分になっていた。


結局収穫の無いまま意識を浮上させる。
頭を一振りし無意識の海で吸い込んだ揺らぎを吐き出すように息をつく。
「何か分かった?」
期待顔の荒木に俺は空しく首を振った。
「この辺を通ってはいるみたいなんだ、大きな道路の方には行ってないと思う
 地道にこの辺を歩き回って気配の尻尾を掴むしかなさそうだ」
「そっか、相手も移動してるし今日でもう3日目だもんな
 俺と一緒じゃない方が良い?近戸と一緒の方がやる気出るのかな」
荒木は気を利かせてくれるが、俺は近戸と2人っきりで捜索できる気がまったくしなかった。
「いや、ナリとの連絡とか頼む」
「了解」
俺と荒木はまた歩き始めた。


何度か件(くだん)の猫の気配を感じたものの、それを確定する事が出来ないもどかしい時間が過ぎていく。
『何でだ?向こうは俺に気が付いてるみたいなのに
 こんな時、皆野と挟み撃ちに出来れば』
俺はそこまで考えてギクリとする。
『俺に気が付いてる…?探し回っていることに気が付いてるんだ
 だから姿を隠している、姿を現す気が無いんだ!
 ヤバいヤバいヤバい、終焉の場所を求めてるのかも
 ダメだよ、だって近戸が悲しむ、俺のこと嫌いになるよ』
来るときに思っていた『老猫の最後の望みを叶えたい』という俺の希望は、近戸の前にモロくも崩れ去っていた。
今の俺にとっては近戸の望みが、最優先事項だった。

「荒木、ヤバいかも、こいつワザと隠れてるっぽい
 皆野と挟み撃ちにする以前の問題だ、きっと2人でも探しきれない」
俺は早々に敗北宣言をする。
「クロスケの時と一緒か」
覚えがあるためか荒木は悔しそうな顔になる。
「一旦、近戸の家に集合して今後のことを話し合おうか
 近戸に説明するの難しいけど、いたずらに追いかけ回して白パンの体力消耗させたくないから」
荒木はそう言ってスマホを取り出すと、ナリと近戸に連絡し始めた。

ぼんやりと荒木を見つめる俺をからかうように、気配の尻尾が触れていく。
『呼ブカ?来ルノカ?』
老猫の無意識の海で聞いたような言葉を投げかけられた。
『誰をどこに呼ぶんだよ!呼ばれてるのはお前だ
 お前が近戸に呼ばれてるんだよ、求められてるんだよ
 俺じゃないんだよ、チクショー』
カッとなった俺は、捜索対象に喧嘩腰になってしまった。
近戸に求められている猫に嫉妬を感じていたのも、憤りの原因だった。

『オ前ハ1人デハナカロウ
 ちかノ元二呼ブカ?共二来ルカ?』
その気配に、俺は冷水を浴びせかけられたようにゾッとした。

『オ前ハ1人デハナカロウ』

近戸に会って舞い上がっていて思いもしなかった。
俺は1人でなない、俺には魂の片割れの皆野がいる。
皆野が近戸に会ったらどうなるのか。
きっと皆野も近戸に飼ってもらいたいと感じるに違いない。
料理が上手で優しくて気が利いていて皆に好かれている皆野。
近戸もきっと皆野の方が美しく可愛い猫だと思うだろう。
皆野に近戸を盗られてしまう。
そう考えただけで身を焦がすほどの嫉妬を感じた。

生まれたときから共にある存在、大切な魂の片割れ、俺の愛しい家族、何よりも大事な皆野のことを俺は初めて
『居なければよかったのに』
と思ってしまった。
それは俺の中に巣くっている真っ黒い醜い怪物に気付いた瞬間だった。
その怪物を殺してしまいたかったが
「明日、皆野と一緒に出直した方が良さそうだ
 何とかして挟み撃ちできないか、1回だけ試させて欲しい」
俺が殺したのは自分の心だった。

『俺も皆野も失敗すれば、どちらも選ばれない
 どちらも幸せにはなれない』

そんな暗い思いに支配された俺は、夜の闇に放り出された小さな子猫のような孤独を感じるのであった。
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