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しっぽや(No.198~224)

side<AKETO>

捜索の予約があった日、いつもより早めに朝ご飯を食べて出勤することにした。
皆野も俺に付き合って早めの朝食を食べている。
それはいつもと変わらない朝の風景であった。

「お昼用に、オニギリくらい持って行った方が良いのではないですか?
 ご飯は残ってるしフリカケもあるから、すぐ作りますよ」
卵焼きを食べながら皆野が尋ねてくる。
「大丈夫だよ、何時にキリが付くかわかんないしさ
 コンビニかスーパーで適当に買って食べるって
 速攻発見してランチの時間に間に合えば、駆けつけた白久が感激して寿司でも奢ってくれそうだしな」
俺が笑うと皆野も楽しそうに微笑んでいた。
「カリカリでも食べられれば、携帯食にもってこいなんだけどなー
 空は携帯食ならパワーバーって言うの?カロリーフレンドとかクリームブランとかそんなのが良いって
 でもあれ、大きくてボソボソしてるじゃん」
俺は肩をすくめてみせる。
「犬はビスケット的なもの、好きですからね
 私もひろせが作るようなバターたっぷりのクッキーでもないと、味気なく感じますよ」
「だよなー、やっぱ皆野はわかってる」
俺達は見つめ合って笑いあう。
誰よりも近しい存在の皆野が居れば、俺の孤独は和らぐのだった。

「今回の依頼内容、けっこうシビアですね
 こんな時に捜索に出れない自分が歯がゆいです」
箸を止めて皆野は俯いてしまう。
「白久が『クロスケ殿と同じかも』って懸念してたもんな
 俺も猫だった時を思い出したよ
 ほら、隣にいた婆さん猫」
「ええ、亡くなる1週間くらい前に姿を消しましたね
 飼い主の方、とても心配してうちの家にも何度も来てました
 あのお方も飼い主と一緒に探し回ってましたっけ」
「古い時代の田舎で、猫は放し飼いだったからなー
 事故に遭う猫も多かった
 今回は室内飼いだったのに、自分で無理矢理外に出たってことは…」
俺達は黙り込んでしまう。
「本猫的には不本意だろうけど、何とか見つけて飼い主のとこに連れ帰るよ
 たとえそれが骸でも…
 荒木はそれでも見つけてくれた白久に感謝してたからさ
 さて、もう行くか
 きっと荒木と白久はもう事務所に居るんじゃないかな、寸暇を惜しんで会いたがってたみたいだし」
俺は湿っぽい話を打ち切り食器を片づけると、身支度を整えて事務所に向かうのであった。




ノックして事務所のドアを開けると、思った通り白久と荒木の姿があった。
2人は堅く抱き合って唇を合わせている。
俺は昨日の報告書を黒谷に手渡した。
「おはよう、皆野が居なくても頑張ってくるよ」
「おはよう、よろしくお願いね
 これ今回分の書類だよ、荒木の知り合いだし後日郵送でもかまわないって伝えて
 料金も荒木がバイト代との差し引きにしたいって言ってるから、報告書だけでも済むけどね
 まあ、その辺どうするかは依頼主さんと相談の上ってことで」
渡された書類を鞄にしまっていると、荒木が俺の元にやってきた。
白久との抱擁は終わったようだ。

「おはよ明戸、今日はよろしく頼む
 皆野の代わりは勤まらないと思うけど、俺も捜索手伝うから出来そうなことあったら何でも言って」
真剣な顔の荒木に
「おはよ、俺がサクッとランチ前に発見できたら駆けつけた白久に寿司を奢らせるってのどうかな
 お勧めの店あったら教えてもらえると嬉しいぜ」
俺は安心させるよう軽い感じで言ってみる。
「近戸が地元だし、良い店知ってると思うよ
 あ、近戸って今回の依頼主
 大滝 近戸(おおたき ちかと)っての、ちょっと明戸と名前被ってるかな
 猫好きの良い奴だから、きっと明戸のことも気に入ると思うんだ」
荒木の表情が少し緩んでくれた。

「皆野、大トロでも中トロでも何でも好きな物を奢りますので、よろしくお願いします」
白久が真面目な顔で告げた後
「暫くは明戸専用の布団になります
 捜索の後は、ゆっくり休んでください」
そんなことを言い出したので、黒谷が慌てて止めていた。


9時前に事務所の階段下に行くと、ナリの車はすぐにやってきた。
乗っていたふかやとすれ違うかたちで、俺と荒木が後部席に乗り込んだ。
「おはよう明戸、今日は病院に行くわけじゃないから安心して乗ってていいからね」
ナリはミラーで俺を見てクスクス笑っている。
「依頼人の家に車を置けそうなら、私も捜索に加わるよ
 人間への聞き込みとか、人出は多い方が良いかなって思ってさ
 明戸と連携を取ることは出来ないけどね」
ナリの言葉で
「やった!タケぽんより頼りになるナリが一緒だ!
 人間方面のサポート万全じゃん」
荒木のテンションが上がっていた。
「人間と一緒に捜索するなんて初めてだ、何か責任重大」
俺は苦笑するが、猫好き2人のサポートなら案外面白い展開になるんじゃないかとも思うのだった。


荒木は持っていた鞄から地図を取り出した。
「俺が白久とクロスケを探してたとき、地図に色々書き込みしてたんだ
 あのときの白久、スマホとか持ってなかったし、良い地図アプリもなかったからさ
 今回も使えるかなって思って持ってきた
 リアルタイムで情報共有出来ないけど、通話すれば済むことだし
 こんなの必要なくて、明戸が直ぐに見つけちゃうかもしれないけどね」
荒木は地図を指し示し
「ここが近戸ん家、こっちに大きい道路があってそっちには行ってないと思うから、俺はこの辺で聞き込みしてみようかなって思ってる
 ナリがいてくれるなら、道路側はナリにお願いした方が良さそう
 明戸は、地図を見ただけじゃ気配とか痕跡とか掴めないよね
 現地で感じたままに行動して欲しいんだ」
そう指示をする。
「そうだな、確かに大きい道路は避けると思う
 もし、家よりも静かな場所を求めているならね」
俺の言葉で2人は全てを察したようだ。

「やっぱり、そう思う?」
辛そうな顔で聞いてくる荒木に
「猫だったとき、そうやって消えた婆さんを知ってる
 しっぽやで捜索してても、たまにあるケースだよ」
俺はきっぱりと答える。
『俺ならば生きた状態で発見できる』とは限らないと、暗に釘を刺したようなものだった。
「もちろん、最善は尽くす
 ただ、どんな結果でも、その猫の意志を尊重してくれるとありがたいけどな
 静かなところで逝くのは、最後の望みなんだ
 俺としては叶えてやりたい」
俺が言うと荒木の目に涙が光る。
暫く黙っていたが
「うん…それでも、猫には不本意かも知れないけど、骸だけでも…発見…して欲しい…」
絞り出すような荒木の言葉に、俺は軽く頷いて答えた。


暫く車内は無言だった。
窓の外を風景が過ぎ去っていく。
猫だったときに車に乗せられたことは何度もあったが、ケージに入れられていたのでなにが何だか分からなかった。
自分がすごいスピードで移動している事にも気が付いていなかった。
『この唸る鉄の箱が、俺をあのお方の家に連れて行ってくれたんだよな』
ふいにそのことに気が付いた。
そう思うと病院に連れて行く悪魔の箱とばかり思っていた車が、ほんの少し怖くなくなった。
運転しているのはナリだし隣に座っているのは荒木で、どちらも猫の味方の人間、俺に危害を加えない安全な場所だ。

車内は温かく、走っている振動が心地よく感じるようになっていた。
心なしか良い香りもしている気がした。
『ふかやが言ってた車の芳香剤ってやつ?それとも外の空気が入ってきてるのかな、この辺って自然が多いのかもな』
俺はキョロキョロと辺りを見回し
「この町、空気美味しいね
 山に近かったあのお方の家みたいだ」
そういう俺に、荒木もナリも訝しげな顔を向けていた。

「いや、国道走ってて空気悪いから、窓、きっちり閉めてるんだけど」
「ナリ、エアコンにアロマとか垂らしてる?俺には感じられないや」
「動物の送迎にも使うかもしれないから、芳香剤の類(たぐい)は全く使ってないよ」
人間たちは首を捻っている。
「そうなの?何か良い匂いがするんだ、何だろう
 焼き魚とかチーズとか、食べ物じゃないんだよなー」
良い匂いは強くなっていくようだ。
「匂い…確かソシオもそんな事を言ってたけど…まさか…?」
ミラーの中のナリの瞳が射るように俺を見ていた。

ナリの視線を深く考える前に車内に音楽が流れる。
「っと、近戸から電話だ、ナリ、そろそろだよね」
気が付くと車は住宅街を走っている。
「もしもし、おはよ、もう近くまで来てると思う
 派手なピンクの壁の家を通り過ぎたとこ
 あ、そうそう、左手に青い屋根の家がある
 わかった、直ぐ着く」
電話を切った荒木が
「ナリ、2個目の角を左折して
 その正面が近戸の家なんだ、外で待ってるって」
ナリに指示を出す。
俺は遠くに荒木の声を聞きながら、圧倒的な光の奔流を目撃していた。

先ほどまで感じていた良い匂いが霞むほどの光。
目が痛くなる物ではない、優しく俺を包み込んでくれる暖かで優しい煌めく光。

『俺は、猫にドッグフードをあげていたのか』
『おまえの名前は「あーにゃん」だな』
『あーにゃん』

あのお方に再び会えたような慕わしく愛おしく嬉しく楽しく、弾けるような喜びをもたらす光。
光の奔流で何も見えなかった。

俺は涙を流して光を凝視していた。
「明戸、もしかして」
そう声をかけてきたのは荒木なのかナリなのか、今の俺には分からなかった。
光の中から出てきた人影が
「おはようございます、今日は遠いところ、わざわざお越しくださってありがとうございました
 よろしくお願いします」
そう声をかけてくる。
その声のあまりの優しさに、俺は何も答えることが出来なかった。

『この人の側に居たい、共にありたい』

ただその想いだけが体中を支配するのであった。
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