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しっぽや(No.198~224)

side<AKETO>

猫だったとき、夕飯が出来るまでの時間は俺とあのお方の大事な時間だった。
お母さんにベッタリの皆野は、台所で料理中のお母さんにまとわりついている。
あのお方は茶の間でテレビを見ながら、胡座(あぐら)に収まっている俺を撫でてくれるのだ。

台所から良い匂いがしてくると『今日はサンマだ』『肉じゃがだ』『カレーだぞ、お代わりしないとな』そんな風に、今夜の献立を予想して教えてくれていた。
『早く食べるには、座ってちゃダメだ』やがてあのお方は立ち上がり、茶碗や箸を用意し始める。
「電子レンジ」なんてものがある時代では無かったので、昨日の残りのおかずは冷蔵庫からそのままちゃぶ台の上に並べていた。
お母さんが温かいおかずと味噌汁を持ってきて、ご飯を茶碗によそう。
俺と皆野のお皿には、あのお方がカリカリを入れてくれた。
お刺身や焼き魚のご相伴にあずかれることもある。
俺は『夕飯』という時間が大好きだった。



それは化生した今も変わらない。
皆野がおかずを作ってくれている間、俺はテーブルに茶碗を並べていく。
流石に残り物はレンジで温め直すが、あのお方の行動をマネしていることが楽しかった。

「あっつ!」
キッチンから皆野の悲鳴が上がり、同時に左腕が痛んだ。
「大丈夫か、皆野!」
慌てて駆けつけると皆野は左腕に流水を当てながら
「久しぶりに、やってしまいました」
そう言って苦笑していた。
今日の献立は『長瀞特製ふりかけ入りコロッケ』だ。
「揚げたてを腕に取り落としてしまいましたよ
 せめて長袖を着て調理すべきでした
 すぐに冷やしたので、大事にはならないでしょう」
何でもないことのように言っているが、腕の痛みはひいていない。
皆野が感じている痛みが、俺の中に流れてきているのだ。

「お母さんも、揚げ物作ってて火傷することあったっけな
 お揃いだ
 後は俺が揚げとくから、皆野はちゃんと手当しとけよ
 お母さんが火傷すると、あのお方が後を引き継いで揚げてたもんな
 俺は、あのお方とお揃いだ」
俺の言葉で皆野は懐かしそうな表情になる。
「お父さんが後を引き継ぐとき、必ず言いましたよね」
「「お前ほど、上手くは揚げられんがな」」
2人で同時に言葉にして、俺達は笑いあった。
それは同じ幸せを過ごしてきたからこその笑いだった。


「カズ先生に診てもらった方が良いよ、これ、明日も痛みそうだ
 黒谷に電話して、予約入れてもらいな」
新たなコロッケを油に投入しながら言うと
「やっぱり明戸にも痛みが飛んでしまってますか、捜索の連携にも支障が出そうですね
 それも併せて、黒谷に相談します」
皆野は素直に頷いた。
「皆野が暫く休むことになったとしても、このコロッケを差し入れに持ってけば、皆気にしないって
 あ、せっかくだからカズ先生のとこにも持ってこうか
 診療所の診察時間前に特別に診てもらうことになるからさ
 やっぱ、コロッケ揚げるときは大量に作るのが良いね
 良い賄賂になる」
俺が笑うと
「あのお方の天ぷらも近所に配ると、炊き込みご飯や蒸しパンになって返ってきましたっけ」
皆野もクスクス笑っていた。


俺がコロッケを揚げている間、皆野は黒谷に連絡したようだ。
「明日、朝8時に秩父診療所で診てもらえることになりました
 明日から3日、休んでも良いそうです
 明戸1人で捜索の方、大丈夫ですか?」
「大丈夫に決まってるだろ、たまには皆野はゆっくり休んでな」
最初に揚げておいたコロッケを皿に盛り、千切りキャベツを添えてメインディッシュが完成する。
インスタント味噌汁にお湯を注ぎ、ご飯をよそって、俺達は夕飯を食べ始めた。

「明日は白久布団で寝れないのが残念ですね」
皆野はため息をついている。
十分に冷やし軟膏を塗ったガーゼを包帯で巻いているが、火傷した部分が熱を持っているのが伝わってきた。
「皆野の分も、俺が白久と寝て、捜索も頑張る
 皆野は火傷を治すことを頑張ってよ
 夕飯は、俺が寿司でも買って帰るかな、たまには贅沢しよう」
俺は一応釘を刺しておく。
そうしないと1日中、常備菜や煮込み料理を作って忙しなく過ごしていそうだったからだ。

「そうですね、無理はしないように過ごします
 お昼はカップラーメンで楽をしてみようかな
 『鯛出汁』と言うのが気になって買ってみたのがありますから」
「俺もランチ用に同じ物を持って行こう、塩なしおにぎりも
 あのお方はラーメンのスープにご飯を入れて食べるのが好きだったからなー
 お母さんには『塩分と栄養が』って嘆かれてたけど」
「お父さん、美味しそうに食べるから強くは止められないんですよ」
また、会話は幸せな過去へと帰っていく。

俺達が新たな飼い主を得ることに熱心でないのは、魂の片割れが側に居るせいだ。
けれどもこの幸せを手放してまで、新たな道に進む気にはどうしてもなれないのだった。




翌日は朝ご飯を食べると、俺達は別行動になった。
しっぽやの休みも殆ど2人一緒に取っていたので、1人で出勤するのは少し緊張してしまう。
しかし事務所の控え室で事情を知った皆に囲まれ声をかけられて、いつもの調子が戻ってきた。
「皆野は大丈夫ですか?皆野でもうっかりすることって、あるんですねえ」
「手当が早ければ、痕は残らないと思います
 私もすぐカズ先生に診てもらったおかげで、キレイに治りました」
「おかずの差し入れを持って行った方が良いですか?
 それとも夕飯を私の部屋に食べに来ますか?」
「皆野の分も、俺、捜索頑張るよ!今日の捜索件数No.1は俺かも」
「僕も、猫の捜索に出るからね」
皆に気にかけてもらえることが、皆野が側にいない寂しさを埋めるように感じられ嬉しかった。

「大丈夫、本人は平気だって言ってるし、上手く連携とれとれなさそうだから大事をとって休むって感じだよ
 俺1人だって猫捜索No.1の座は守ってみせるって
 今日の夕飯は豪勢に寿司を買う予定なんだ、長瀞の手料理はまたの機会に堪能させてよ
 皆野の分まで白久と寝なきゃいけないし、今日は忙しいぞ」
俺の言葉で皆が笑う。
特別なことは何も起こらない、皆野が居ないという以外はいつものしっぽやで過ごす1日と変わらない時間が過ぎていった。


お昼を食べて暫く過ぎた頃、猫の依頼が1件入る。
午前中は子猫の依頼ばかりで俺も長瀞も出そびれていたため、次こそはと言う思いがあった。
「11歳の短毛白黒猫
 今の飼い主さんの家には来たばかりなんだって、だから土地勘ないかもね
 前の飼い主さんは高齢の方で、亡くなってしまったらしいよ」
暗い声で言う黒谷の言葉に
「白黒短毛なら俺の分野だ、俺が出る」
俺はそう宣言する。
長瀞も頷いて
「補佐が必要なようなら、すぐに呼んでください」
真剣な声で言ってくれた。
高齢の飼い主に先立たれた悲しみを、彼も知っているからだ。
あのお方は『高齢』という感じではなかったが『定年退職』していたので、やはり俺も心穏やかではいられない依頼だった。


依頼主の家に出向き、詳しい話を聞いて俺は捜索を開始する。
元の家に戻ろうとしているのではないかと当たりをつけ気配を辿ってみるが、今の家にはほとんど気配が残っておらず掴み所がなかった。
『前の飼い主と暮らしていた場所が、この猫にとっての居場所なんだ
 …俺と一緒か』
本音を言えば、俺にとっても今の生はあのお方との暮らしの合間に見ている夢に過ぎない気がしていた。
あのお方もお母さんもまだ生きていて、暖かな縁側でみーにゃんとくっついて寝ているだけ。
起きた後『不思議な夢を見たよ』なんて言い合いながら身繕いをして、外に見回りに行こうか茶の間のあのお方の元に行こうか贅沢な悩み事をするのだ。
あの場所こそが、俺の本当の居場所なのだった。

暗くなっていく思考をかき消すよう、俺は頭を振って気持ちを切り替える。
皆野が居ないせいか、思いが捜索対象に引きずられてしまっていたようだ。
しかしそのことが幸いしたのか『帰りたい』という微かな思考の糸を掴むことが出来た。
元の家から新しい家は電車で何駅も離れている。
完全室内飼いだった猫には土地勘がないはずなのに、それでも的確に元の家に近付いているのはそれだけ『帰りたい』という思いが強いのだろう。
全身の感覚を頼りに、幸せの場所に帰ろうとしていた。
俺はその微かな思いを手放さないようにしながら、目標に向かい進んでいった。


夕方の町は人が大勢居る。
学校が終わった子供や若者の姿が目立ち、夕飯の買い物に急ぐ人がスーパーや商店を賑わせていた。
交通量も増えてきたのは懸念材料だったが、目標の歩みは遅くなっていた。
やがて疲れ果てたように気配は止まる。
今が追いつけるチャンスだと、俺は小走りで進んでいった。


外階段が付いている2階建てのアパート、その階段の下に猫がうずくまっている。
俺よりも白毛が勝るハチワレ猫、依頼のあった猫に間違いなかった。
『帰ろう、飼い主が心配しているよ』
俺の言葉は、その猫の心に届かない。
『俺にも帰りたい場所がある、でももう帰れないんだ
 君には新しい居場所がある、送ってあげるからおいで』
安心させるようそう語りかけているとき、階段脇のドアが開き住人が出てきた。
「やだ、猫、ここペット禁止なのに」
若い女の人が眉をしかめてジロリと俺達を睨んでいる。
「すいません、迷子の猫を連れ戻すよう依頼された者です」
俺は名刺を差し出したが、彼女は胡散臭そうな目を俺に向けていた。
「汚いから早く連れてって」
冷たく言い放つとドアを閉められた。

後に残された俺達は人間からの悪意が突き刺さり、惨めな気持ちになっていた。
俺は持ってきていたキャリーに猫を入れ、依頼主の家に向かう。
ケージの中の猫からは何の反応も返ってはこなかった。
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