このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

しっぽや(No.198~224)

学校からの帰りは、珍しく近戸と一緒になった。
「今日はバイト無いの?」
俺が聞くと
「どれだけ働かせる気だよ、今日から4日間は休み
 ちょっと、こっちの駅の方まで行きたいから一緒に良い?」
何だか伺うような視線を向けてくる。
「でさ、何つーか、その、荒木に相談というか、聞きたいことがあるというか、アドバイスあったら欲しいなって
 時間あったら、ちょっと付き合って欲しいかな、とか」
いつになく歯切れの悪い近戸の言葉に少し警戒してしまう。
「変な団体の勧誘とかじゃなければ話聞くけど
 駅前のバーガー屋とかでどう?」
周りに人がいれば強引な事はされないだろうと提案したら
「良かった、他の奴らには言っても的確な答えが期待できないかな、って思ったからさ
 猫飼ってるの、荒木だけだし」
近戸は心底ホッとした顔になった。

「何だ、相談って猫のこと?早く言ってよ
 のるのる、俺でよければ話聞くから
 子猫の里親相談はちょっと無理だけどさ
 サクサク移動しよう、あそこの店2階席なら長居出来るんだ」
俺はそう言うと先に立って白久との思い出のバーガー屋に歩き出す。
「ありがとう、ここ2日程、ちょっと煮詰まっててさ
 頭の中グシャグシャなんだ」
慌てて付いてきた近戸の目には涙が光っていた。
それだけで深刻な事態が起こっていることが伺える。
俺は殆ど小走りに近い状態で歩いていたが、早歩きの近戸に難なく追い越され、そんな場合ではないけれどリーチの差にガックリくるのだった。


店に着くとポテトと飲み物を買い込んで、俺達は2階席の角に陣取った。
飲み物を1口飲んで少し落ち着いた近戸が
「うちの猫が、2日前に脱走したんだ」
しっかりと言葉を口にする。
「脱走…」
俺の心がズキリと痛む。
完全室内飼いをしていなければ、出てこない言葉だからだ。
「5月に入って急に暑くなったろ?
 窓開けて網戸だけにしといたんだ、もちろんロック付きの網戸
 今までだってやってたことなのに、俺のバイト中、網のとこ破って出て行っちゃったんだよ
 家の者が気が付いたときには、既に網が破られてたって」
近戸は大きなため息を付いた。
『網戸を破っての脱走』
それはクロスケの状況と酷似していて、ますます俺の心が痛んでいった。
猫は時に、信じられない力を発揮する。
オジイチャンだったクロスケも網戸を外して脱走したのだ。

「何歳くらいの子?」
俺は恐る恐る聞いてみた。
「来月で17歳、けっこうオジイチャンなんだ」
近戸の言葉で俺はクロスケとの過去をフラッシュバックしてしまった。
1度探したはずの場所で、小さく、本当に小さくなってしまっていたクロスケ。
ヌイグルミみたいに軽くて、ヌイグルミみたいに動かないクロスケ。
ブカブカになっていた赤い首輪、光がない瞳。
小さな壷にチンマリとおさまってしまった遺骨。

「荒木、荒木、大丈夫か?」
焦ったような近戸の声で、俺は我に返る。
顔中に嫌な汗が浮かんでいた。
「ごめん、具合悪かったのに無理に誘って
 真っ青だよ、1人で帰れそう?」
心配顔の近戸に
「悪い、俺の前の猫の最後と重なった
 状況も年も似てる」
俺はきっぱりと告げる。
それで察しが付いたのだろう、今度は近戸が青ざめる番だった。

「駅前の商店街とかコンビニで、迷子猫のポスター貼ってもらえないかと思って作ってきたんだ
 カリカリ持ち歩いて探すつもりだから、ジップロック買ったし
 家の者も居なくなったことに気が付いてから必死で探してる
 俺、バイトがあったんで思うように探せなくてさ
 もう、手遅れかな」
語尾が震えている近戸に
「ペット探偵には頼んだの?」
俺はさりげなく聞いてみた。
「ネットで調べてみたけど、何だか胡散臭い感じがして頼まなかったんだ
 遠くには行ってないだろうし、自分たちで探せるって高(たか)を括(くく)ってた」
『ペット探偵』と言う言葉が胡散臭く感じるのは、過去の俺も同じなので近戸を責める気にはなれなかった。
本当は大学の友達には内緒にしておきたかったのだが、事は一刻を争う事態だ。

意を決して
「俺のバイト先って、ペット探偵なんだ
 気落ちしている飼い主を食い物にするような所じゃない、優秀な所員が沢山居るよ
 押し売りみたいになるの嫌だから、依頼料は俺のバイト代と差し引きしてもらう
 でも俺が勝手に依頼することは出来ない、近戸の許可と協力がないと無理なんだ
 俺を信じてうちに依頼して欲しい」
俺はそう言って頭を下げた。
遅くなればなるほど化生達が痕跡や気配を追うことは難しくなるし、事故にあうのも心配だ。
まだ知り合って1ヶ月も経ってない俺の言葉を信頼してくれるか、賭のような気持ちになっていた。

「何でそこまでして…」
戸惑う近戸に
「猫バカだからだよ」
俺は即座に答えた。
そのシンプルな答えは近戸の心に届いてくれて
「…じゃあ、お願いします」
彼は頭を下げてくれるのだった。


俺は直ぐにスマホを取り出して、しっぽや事務所に電話する。
まだ営業時間中だけど、今からここまで来て貰うには事務所の場所は遠すぎた。
『はい、ペット探偵しっぽやです』
直ぐに黒谷の声が聞こえてきた。
「黒谷、急ぎの依頼をしたいんだ、明日の朝一で猫来れる?」
焦りまくっていたため主語が大幅に抜けてしまう。
『猫?誰が適任そう?』
俺の声が緊迫していたからだろう、黒谷は直ぐに応じてくれる。
「えっと、黒猫、だよね?」
最後の問いかけは近戸への確認だ。
近戸は頷くが
「黒猫だけど、股のとこと脇の下が白い」
近戸は通話の邪魔にならないよう小声で答えた。
「エンジェルヘアーがある黒猫だって
 黒猫だと羽生だけど、その子オジイチャンなんだよね
 若い猫より、年齢的には長瀞さんの方が有利かも
 長毛?」
近戸は無言で首を振る。
「波久礼なら万能なんだけど、それは最終手段だ」
『荒木、波久礼は本当に勘弁して、今の時期シャレにならない』
黒谷が情けない声を出した。

「じゃあ、今回1番頼りになるのは双子かな
 挟み撃ちにしてサクッと保護してもらえると助かる
 ちょっと遠い場所だから、エースを半日以上拘束することになっちゃうけど
 双子を朝からこっちに寄越して
 えっと、住所は」
察しの良い近戸は、直ぐにボールペンを取り出すとノートを破いて住所を書き始めてくれた。
『荒木、双子は暫く1人なんだ』
「え?」
黒谷の言っていることが、焦っている俺にはよく分からなかった。
『皆野が昨晩コロッケ揚げてて火傷してさ、今朝、カズ先生に診てもらったんだ
 本人は大したこと無いって言ってるけど、痛みで気が散って明戸と連携出来ないみたい
 3日ほど休んでもらうことにしたよ』
それは痛い情報だったが、明戸だけでも優秀な所員であることにはかわりない。

「じゃあ、明戸を寄越してもらえる?
 ナリが車を出してくれれば電車より早く来れるから、ちょっとナリにも連絡してみるね
 ごめん、また掛け直す、明戸のスケジュール押さえといて」
俺は一旦通話を切った。

「何か、大事にってごめんな
 俺、明日は午前中学校休んで、その、ペット探偵さんの対応するよ」
恐縮する近戸に
「俺も休む、明戸と一緒に近戸の家に移動して捜索手伝うよ
 俺がどこまで手伝えるか微妙だけど」
俺はそう宣言する。
近戸の猫を発見できたところで、クロスケは還ってこない。
それでもクロスケに対してしてやれなかった事を、俺はやりたかったのだ。
「そんな、悪いって」
「これは俺の勝手な感傷に基づいた行動なんだ
 全くの自己満足でしかない、だから、手伝わせて」
俺は頭を下げる。
「GWでだいぶ稼いだし、料金は俺がちゃんと払うよ
 よろしくお願いします」
近戸も頭を下げてくれた。

「料金のことは後で大丈夫、うちってそんなに高くないし
 取り敢えず、足を確保できるかちょっと確認してみる
 やり取りに時間かかってごめん、これも明日、スムーズに動くためなんだ」
戸惑う近戸を後目(しりめ)に、俺はナリに電話する。
配達中かもと思ったが、運のいいことに直ぐに電話に出てくれた。

「ナリ、明日の朝車出せる?俺と明戸の足になって欲しいんだ
 帰りは自分たちで何とかするから、行きだけでも頼めない?
 場所は…」
俺はノートの切れ端に書かれた住所を読み上げる。
「ああ、うん、そう、俺の行ってる大学から徒歩40分
 俺の友達の家の猫が脱走しちゃってさ、ちょっとヤバい状態かもしれないから急いでるんだ
 本当?助かる!俺と明戸で朝から事務所の階段下で待ってるよ
 9時ね、了解!黒谷に連絡しとく」
ナリとの通話を終え、再度事務所に電話をかける。

「黒谷、ナリが送ってくれるって
 9時に事務所の階段下に集合って明戸に伝えて
 えっと、17歳のオジイチャン黒猫、網戸を破って2日前に脱走
 詳しくはこっちに来たとき依頼人が話してくれるよ
 俺の友達で、俺も一緒に捜索手伝うから
 え?白久が話したい?」
電話の相手が黒谷から白久に変わった。

『荒木、クロスケ殿の時と同じ状況なのですね』
真剣な白久の声を聞いて俺の緊張が解けていく。
「そうなんだ、早く見つけてあげたくて…俺、もうあんな…、もう…」
言葉が詰まってそれ以上声が出なかった。
『私に出来ることがありそうなら、お呼びください
 直ぐに駆けつけます』
白久の言葉に思わず涙がこぼれてしまった。
あのとき、白久が側に居てくれなかったら俺は確実に壊れていた。
今だって白久に抱きしめて安心させてもらいたかった。
「明日の朝、事務所に行くからちょっとだけ会おう」
『もちろんです』
白久からの力強い返事に安堵して、俺は通話を終えることが出来た。

「荒木、知り合って間もない俺のこと『友達』って言ってくれてありがとな
 ちょっと感動した」
通話中の俺を見ていた近戸は今日初めて、心からの笑みを見せてくれた。
「いや、何か、1人で盛り上がっちゃってかえってごめん
 猫捜索のエキスパート押さえたけど、後は時間との戦いだからまだ油断は禁物だ
 明日に備えて今日は早く寝るよ、近戸もちゃんと寝ろよ」
俺の言葉に彼は素直に頷いた。

『今度は、不幸な結果で終わらせたくない、終わらせない!』
俺は帰りの電車の中で、そう闘志を燃やすのであった。
2/57ページ
スキ