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しっぽや(No.85~101)

デザートの桃を食べながら
「ひろせのように、冷たいスイーツも作っておけば良かったですね
 彼は最近、アイスも手作りしているそうです
 ゼリーくらいなら私にも作れたのに」
私はそう気が付いて、歯がゆい思いを感じてしまった。
「でも、この桃だって美味しいよ
 俺のために美味しそうな熟れたの、選んでくれたんだよね
 リンゴ狩りの時みたいにさ」
荒木は桃を見ながら嬉しそうな顔をする。
荒木の暖かな笑顔を見るたびに
『彼が飼い主で良かった、彼を選んで、彼に選んでいただけて良かった』
私は泣きたいほどの幸福感に包まれた。


食後、勉強を始めた荒木の邪魔をしないよう、私は長瀞に借りた料理雑誌を読み始める。
肉料理特集であったが、掲載されている写真を見ていて
『そうか、桃だけではなく、桃にヨーグルトをかければカルシウムもとっていただけたのか
 荒木はカルシウムを摂取したいようだし
 背が伸びるようなメニューを色々考えなければ』
私はそう心に刻み込んだ。
荒木に何を食べていただこうかとメニューを考えるのは、とても楽しい行為であった。
ゲン様が健康に過ごせるようにと研究している長瀞の気持ちが、身近に感じられた。


「よし、今日のノルマ終わり!」
3時間ほどで、荒木が問題集から顔を上げた。
雑誌を読みながらレシピをメモしていた私も顔を上げる。
玄関先に飼い主が姿を現した飼い犬のような、嬉しさに満ちあふれた気持ちになっていた。
「親父に「ちゃんと勉強するから」って連泊許してもらったんで、さすがにこれはやっとかないとね」
荒木はヘヘッと笑って問題集を持ち上げる。
「でも、こないだ白久が家に来てくれたおかげで、親父の態度が軟化してるんだ
 今回も割とスムーズに許してくれたし『あんまり彼を待たせないよう早めに出勤しなさい』とか言われちゃった」
荒木は小首を傾げ
「待たせちゃった?」
そう言って艶やかな表情を見せた。
「待てとお預けが出来なければ、立派な飼い犬ではありません」
私が真面目に答えると
「よし」
荒木はキスをしてくれる。
私達は深い口付けを交わしあった。

「シャワー浴びて、しよっか」
「はい」
直ぐにでも繋がり合いたい欲望を抑え、私達はシャワーで昼間の汗を流す。
「またすぐ、汗かいちゃうけどね」
シャワーに打たれて悪戯っぽく笑う荒木にキスを繰り返し
「それならば、最初はここでいたしましょうか」
私は荒木自身に手を添え、優しく刺激した。
たちまち荒木の体が夏の暑さとは違う熱を帯びる。
彼は可愛らしく私にすがりつくと
「白久、今すぐ、して」
そう命令した。
「かしこまりました」
命令されるまでもなく、私も荒木と繋がりたくてたまらなくなっていた。
私達はシャワールームとベッドで想いを確かめ合う。

翌日は一緒にしっぽやに出勤できるのが嬉しくて、私達は幸せのうちに眠りにつくのであった。



黒谷の居ないしっぽや2日目

腕の中に荒木がいる状態で目覚めた私の心は、朝から軽かった。
昨晩の残りもので、ソーメンチャンプルーを作って朝ご飯にする。
そろって事務所に出勤し、事務所の掃除を始めた。
「これが、日常になる未来がくるんだね」
掃除をしながら荒木が嬉しそうに呟いた。
「はい、楽しみで仕方ありません」
「俺も」
顔を見合わせ思わず笑ってしまう。
また、幸せな1日の始まりであった。

「今日も依頼が少ないですねー」
ひろせが、しつけ教室の書類を纏めているタケぽんの隣に腰を下ろす。
「捜索に行っている空が帰ってきたら、そろそろお昼にしましょうか」
私が言うと
「俺、冷蔵庫のパンでトーストサンド作るからここで食べよう
 白久は所長代理だから、事務所に居た方が良いもんね」
荒木が張り切って答えた。
「こう暑いと、外に食べに行くのも億劫だし
 俺達は買い置きのカップ焼きそばにしようかな」
タケぽんも大きく延びをした。
そんなことを話し合っているタイミングで、空が戻ってくる。
「お昼休憩にしましょう」
私は控え室にも声をかけた。

コンコン

ノックと馴染みの気配に、私はドキリとする。
事務所のドアを開けて入ってきたのは、黒谷と日野様だった。
何か問題でも起こったのかと思ったが、2人は差し入れにパンをいっぱい買ってきてくれた。
「ちょうど良いタイミングでしたよ」
私達はありがたく、そのパンでランチをすることにした。

荒木と日野様は何事か話し込んでいる。
日野様はスッキリとした顔になっていて、去年のあの事件の時とは別人のようであった。
「日野と一緒に学校に行って、先生やお友達に挨拶してきたよ
 それで、なんだか日野のお役に立てたようなんだ」
黒谷が誇らかに報告してきた。
「良かったですね」
幸せそうな様子の黒谷にホッとする。
黒谷達はランチの後、細々した雑用を片づけて帰って行った。

その日も特に問題がなく、私と荒木は影森マンションに帰り昨日のような充実した時間を過ごすのであった。



黒谷の居ないしっぽや3日目

「何か、俺達だけでもちゃんとやってけるね」
しっぽや事務所で荒木が自信たっぷりの顔で頷いていた。
今日も依頼は少なかった。
「去年のお盆も、こんな感じでした?」
タケぽんに問われると、荒木の顔が曇る。
去年はあの事件のせいで、事務所を休みにしていたのだ。
「申し訳ありませんでした」
私は荒木を抱き寄せ、腕の中に包み込む。
荒木は甘えるように私の胸に頭を押しつけてくる。
「でも、俺の勝ちだもん」
小さく呟く荒木に
「はい、私の身も心も荒木のものです」
私はそう囁いてきつく抱きしめた。
何か感じ取ったのか、タケぽんはそれ以上言及してはこなかった。

「今日のお昼はどうしましょうか」
すかさず、ひろせが話題を変えてくれる。
「昨日食べそびれた冷蔵庫の食パン、そろそろ食べちゃった方が良いと思うんだ
 こっち来るときコンビニサラダとハムとポテサラ買ってきたから、トーストサンド作るよ」
「そう思って、僕は桃のジャムを持ってきました
 痛んだ桃が投げ売り状態だったので、作ってみたんです」
「先輩、ひろせのジャムはそんなに甘くないから、アイスやヨーグルトにのせても美味しいんです
 店で売ってる物より果物の味がしっかり感じられますよ」
私達が和気藹々(わきあいあい)とランチについて語り合っていると、急に部屋の中が暗くなってきた。

「え?何?」
荒木が慌てて窓に近寄り
「凄い雲が来てる!これ、ゲリラ豪雨になるよ」
振り返って焦った顔を見せた。
黒雲はあっという間に広がり、大粒の雨が降り出した。
すぐに、バケツをひっくり返したような土砂降りになる。
「うわ、シャワーみたい」
タケぽんが窓の外を見て目を丸くした。
激しい光が走り、轟音と地響きが続いた。
「ヒッ」
ひろせがタケぽんすがりつく。
彼は守るようにひろせを抱きしめた。
荒木は私を安心させるよう、手を握ってくれた。
その温もりに、雷に対する恐怖が和らいでいく。
克服したと思っていても、やはりあの轟音を聞くと足が竦んでしまう。
「俺がいるから」
そう言ってくれる飼い主の存在が頼もしかった。

「これ、止んだら忙しくなるんじゃねーの?」
控え室から顔をしかめた空が出てくる。
「黒谷の旦那は流石に呼び出すの忍びないけど、新郷の兄貴がヒマなら応援頼む?
 あそこ、お盆は休みじゃん
 ジョンの兄貴はどうかな、犬の応援は多いに越したこと無いぜ」
珍しく真面目な顔を見せる空に
「僕も、犬の捜索に回ります」
タケぽんの腕の中からひろせが断言した。


雨は1時間ほどで嘘のように上がり、暑い日差しが戻ってくる。
しかしそれは嵐の前の静けさに感じられ、私達は新郷とジョンに連絡をし固唾を呑んでそれからの時間を過ごしていた。

ピリリリリリリリ

静寂を破るよう、電話が鳴る。
「はい、ペット探偵しっぽやです
 はい、はい、ミックス犬ですね、雷に驚いて、はい」
早速、犬の捜索依頼が入ってきた。
「俺が出るよ」
空がメモを持って、事務所から飛び出した。
うまい具合に連絡の付いた新郷が事務所に来る頃に、2件目の捜索依頼が飛び込んできた。
「ナイスタイミング、柴犬の依頼だな、お安いご用だ」
新郷が出て暫くすると、ゴールデンの捜索依頼が入ってくる。
「その方なら時々公園でお会いするので、僕が出てみます」
ひろせが事務所を出ていった。

電話は鳴り止まず、直ぐに次の依頼が入ってきた。
また、柴犬の捜索依頼であった。
「私が出ます
 ジョンも来てくれるし、そろそろ空が戻ってくるかもしれません
 荒木、後をお願いしますね」
私が頼むと、荒木は真剣な顔で頷いてくれた。
私は依頼メモを持つと、依頼人の家に向かっていった。

ゲリラ豪雨の範囲は狭い。
散歩に出るような時間ではないし、この辺一帯からの捜索依頼が終われば一段落付けるだろう。
私はそう考えていた。
運良く1時間ほどで依頼のあった犬を見つけ飼い主の元に送り届けると、私は足早に事務所に戻った。
しかし事務所に化生の姿はなく
「何か、夏の風物詩とお盆が重なったって空が言ってたよ」
困惑した顔の荒木とタケぽんが私を迎えてくれた。
「お寺やお墓の側で逃げ出したケースが続いてるんだ」
そんな報告を聞いている間にも、電話が鳴りだした。
今度はミニチュアダックスの依頼であった。
「行ってきます」
私は再び捜索に出る。


結局その日は化生総動員で捜索に当たるほどの依頼が来て、業務終了時刻には皆クタクタになってしまった。

荒木とタケぽんがトーストサンドを作ってくれていたので、捜索の合間にそれを食べるのがやっとだった。
「これくらいしか手伝えなくてごめん」
荒木は申し訳なさそうな顔を見せたが
「荒木お手製のサンドでやる気が出ました」
私がそう言うとホッとした顔になってくれた。

「今日は疲れたでしょ?ファミレスでご飯食べて帰ろっか
 帰ったら疲れがとれるよう、シャンプーしてマッサージしてあげる
 こないだ犬のマッサージの本、買ってみたんだ」
「それは、楽しみです」
帰り道、荒木のありがたい提案に今日の疲れが吹き飛ぶ気がした。

「でも、荒木に触られているとしたくなってしまいそうです」
私が耳元で囁くと
「ベッドでもサービスできるよう、頑張ってみる」
荒木は恥ずかしそうに小声で答えてくれた。

私達は帰ってからの幸せな時間を思い、手を繋いでファミレスに向かう。

荒木と一緒ならどんな困難にも立ち向かっていけると、私は胸を熱くしながら確信するのであった。
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