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しっぽや(No.85~101)

side<SIROKU>

夏のある日。
依頼のあった柴犬をあっさり確保し飼い主の元に送り届けると、私はしっぽやへ帰還する。
真夏の太陽に容赦なく照りつけられ、げんなりしてしまった。
事務所に帰ったら控え室で涼みながらアイスを食べよう、それを楽しみに流れる汗をハンカチで拭い歩いて行く。
事務所の入っているビルが見える頃、私は仲間の気配に気が付いた。
向こうも気が付いたらしく遠くから手を振っている。
私も軽く手を上げて応えた。

「俺が出てから依頼あったの?もう達成?早いじゃん」
ミニチュアダックスを抱えた空が、小走りで近づいてきた。
「いつものお得意さまでしたから」
私は苦笑して答えた。
「ああ、あの、タローの血統か」
空は納得した顔を見せた。
タローの血統とは、ゲンの実家の隣で飼われている柴犬のことで、ゲンと長瀞の縁結びをしたり、古くは新郷の飼い主の桜様を噛んだり、何気にしっぽやに縁のある犬なのだ。
もちろん1匹ではなく、何代か代替わりをしている。
今いるのは『キンタロー』で、小さな頃からペット探偵をしている化生を見ていたせいか、気ままに散歩に出ては私達に迎えに来させていた。
キンタローの親の『モモタロー』が新郷に躾(?)られたため、今はもう猫に襲いかかることはなくなっている。
猫でも捜索に行ける異色の柴犬一族であり、しっぽやの良いお得意さまになっていた。

「俺の方は、飼い主と一緒に親戚の家に来て脱走パターン
 夏休みの風物詩みたいなもんだな
 飼い主に連絡したら、事務所まで迎えに来てくれるってさ
 愛されてんなお前
 外に出るのは飼い主と一緒じゃないと、絶対ダメなんだぞ」
空に諭(さと)されて、まだ若いミニチュアダックスは尻尾を振りながらハシャいでいた。
流石に空も苦笑する。
「飼い主と出かけられたのが、嬉しくてしょうがないのですね
 私もそうですよ
 荒木と一緒にどこかに行けるのは、本当に楽しくて幸せですから」
私が笑うと、空も笑顔になる。

「もう、前の飼い主のことより、荒木の方が大事になった?」
空が静かに問いかけてきた。
「はい」
私は自信を持って頷いて
「空は?」
少しためらい気味に聞いてみる。
1年前の夏の事件では、空の存在にも随分慰められていた。
空もまた、以前の飼い主の影を心に住まわせていたのだ。
以前の飼い主と現在の飼い主、その狭間で葛藤を抱えていた仲間であった。

「俺、カズハと一緒に街を歩いてても、もうあのお方と同じくらいの年の人間が気にならなくなったよ
 そんなことより『カズハを守らなきゃ』って思いの方が強くなった
 カズハのことだけに集中できるようになったんだ
 俺はカズハの飼い犬だ、それで、カズハは唯一の俺の飼い主なんだ」
空は誇らしそうな顔で前を見つめて断言する。
「でも一緒に歩いてるとさ『昨晩のカズハ、可愛かったなー』ってぼーっとしちゃうことあるけど」
空は私を見てヘヘッと笑った。

「それは、私も同じです
 契っているときの荒木は本当に可愛らしくて、思い出すだけで鼓動が速まりますから
 私の名前を呼ぶ声の、何と甘いことか
 私を見る潤んだ瞳は、どんな宝石の輝きよりも美しいです
 新郷に甘噛みを教えてもらってから、素晴らしい反応を見せてくれますし」
「カズハだって負けないくらい可愛いんだぜ
 仰け反ったときのノドの白さ、流れる髪の美しさ、俺を撫でてくれるときの優しい指の動き
 小さく震えながらすがりついてきたりして、いや、もう、堪んないぜ」
私達はつい飼い主について熱く語り合ってしまい、ハッとして辺りを見回した。

「人の姿は、無いですね」
「事務所まで、声は届いてないだろう」
私達はそう確認して、安堵の息を吐き出した。
人のいる場所でこの話をすることは、厳禁とされていたからだ。
聞いていたのは空が抱いているミニチュアダックスだけであった。
「飼い主に、告げ口するなよ」
空が念を押すが、ダックスは不思議そうな顔で首を傾げている。
「化生しないと、この感覚はわかりませんよ」
私が微笑むと
「だな」
空も笑顔を見せた。

夏の暑さと荒木の可愛らしい思い出で、ますます体が熱くなっていた。
「猫達には少し我慢してもらって、控え室の空調の温度を下げましょうか
 それで、アイスで一息つくのはどうでしょう」
私の提案に空は顔を輝かせる。
「良いね!さすが北国の犬、話が分かる!
 氷が入ったシャリシャリするやつ食べよ、っと」
「私はあずきのアイスにします」
私達は足取りも軽くしっぽやへの階段を上っていく。

「クロがお盆休みの間、荒木がずっと泊まりに来てくれるんですよ」
「良いな~、カズハはお盆も仕事なんだって
 でも、早めの夏休みで昨日まで泊まりに来てくれてたけどね」
私達の心には、新たな飼い主が明るい光となって灯っていた。
その光は、これからさらに明るくなっていくだろう。

荒木と過ごす2度目の夏、それは希望に満ちあふれ輝いていた。




黒谷の居ない3日間が始まった。
日野様と楽しく時を過ごしている黒谷に余計な心配をかけないよう頑張らねば、と私は気合いを入れた。
朝からしっぽやに出勤してくれている荒木も
「日野の分まで頑張るぞ!電話番とか依頼の受付なら俺でも出来るから、手が足りなくなったら白久も捜索に出てね」
私を見て笑いかけてくれる。
「頼りにしています」
荒木の気遣いが嬉しかった。

「タローさんの依頼なら、僕が出ますよ
 ラブとかゴールデンもいけるかな?
 でも、猫が嫌いな犬だったら難しいかも」
犬好きな猫のひろせもそう言ってくれた。
「黒谷には夏休みを楽しんでもらいたいですからね
 休み中に呼び出しをかける、なんて事にならないよう皆で頑張りましょう」
そんな長瀞の言葉に、事務所の化生が頷いた。
黒谷がこの場所でどれだけ皆に慕われているかわかり、私は嬉しくなる。
「今日も暑くなりそうです
 無理をせず熱中症に気を付けて、暑さ対策をしながら頑張りましょう」
私の言葉でしっぽやの業務開始となった。

業務開始、とは言っても依頼人も来なければ電話も鳴らない。
猫達は控え室でうたた寝を始めていた。
空は荒木に教わり、パソコンで過去の報告書を閲覧している。
タケぽんはアニマルコミュニケーターが執筆した自伝を読みながら、メモをとっていた。
これも将来捜索に出る所員になるタケぽんの、大事な仕事兼勉強になっているのである。
いつもの、まったりムード漂うしっぽやの光景であった。

「パソコンにデータ入ってると、便利だなー
 日付でも呼び出せるから、去年の同じ時期とすぐ比較できるのか
 名前で呼び出すと、お得意さんの今までの依頼傾向がわかるし」
空が感心したように画面を眺めている。
「これさ、しつけ教室のも作れる?
 クリームとか何度も参加してる奴は覚えてるけど、2、3ヶ月に1回来るかどうかって奴には、どこまで説明したか覚えられなくてさ
 多分、飼い主も本人(犬)も、そこんとこ曖昧になってんじゃねーかと思うし
 勉強した内容をプリントして渡すと、わかりやすいかなって」
空の提案に
「そっか、確かにその方がわかりやすいかも」
荒木も頷いていた。
「俺一人だと最初は厳しいな、実際の入力は日野が来てからやってみよう
 それまでに書類を整理しとくか
 今までのしつけ教室の書類ってどれ?」
「この中に入れてあるよ、でも日にち順にしかなってないんだ」
「俺も手伝います、取りあえず日にち別、コース別にクリップで纏めときましょうか」
私が指示しなくても、仕事をこなしてくれる皆が頼もしかった。

結局、その日は夕方に犬の捜索依頼が2件、猫が1件入っただけで、電話はしつけ教室の問い合わせがほとんどであった。
「今日はこの辺で上がりましょうか」
定時となっている時間を迎え、しっぽやの業務を終了する。
買い物をして帰るもの、そのままマンションに向かうもの、三々五々といった感じで皆が帰路に就いていく。
事務所のドアに鍵をかけると、私も荒木と共に影森マンションに帰って行った。


「お疲れさま、って、今日はあんまり依頼来なかったね」
「お盆期間中だからでしょうか」
部屋に着くと、私と荒木は麦茶で一息着いた。
「明日も頑張ろう
 こうして仕事しながら白久の部屋に泊まるって、一緒に暮らしてるみたいで楽しいかも」
荒木は私を見て嬉しそうに笑った。
「そう出来る日を、心待ちにしております」
「うん、俺も」
私達は見つめ合い、軽く唇を合わせた。

「では、夕飯を作りましょうか
 夏の定番、ゴマだれソーメンです
 すぐ茹でますから、ゆっくりしていてください」
立ち上がった私に続くよう荒木も立ち上がり
「俺も、何か手伝うよ
 作ってもらうばっかじゃ悪いし、ちょっとでも白久の側にいたいから」
はにかんだ笑顔を私に向けてくれる。
「それでは、冷蔵庫に入っているピーマンと椎茸の肉詰めを温め直してください
 今日から荒木が来てくださるので、昨日はりきって作っておいたのです」
「やったー!白久の肉詰め大好き」
瞳を輝かせる荒木はとても可愛らしく、頑張って作って良かったと誇らしい気分になった。

テーブルの上が料理で埋まっていく。
出来合いの蒸し鶏の中華サラダやシシャモフライも並んでいる。
荒木と一緒に食べると、スーパーの総菜でもごちそうに感じられた。
「一緒に住むようになったらさ、俺も夕飯作ったりするよ
 日野みたいに色々作れないから、出来合いの物を並べるだけだけど
 飼い犬の健康管理、ちゃんと出来るか不安でごめん」
荒木はソーメンを食べながら、申し訳なさそうな上目遣いで私を見ていた。
「私も、長瀞を見習って飼い主の健康管理を頑張ります
 2人で補い合っていきましょう
 でも、たまには外食も良いですよね」
「うん、ピザとかお寿司も取ろう」
荒木と将来のことを語り合えるのは、とても楽しかった。
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