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しっぽや(No.85~101)

日曜日、私達は揃って秩父診療所に遊びに行った。
「今日は懐かしい顔がいるんですよ
 彼が誰か、分かりますか」
私は秩父先生に問いかけてみた。
親鼻は彼の正体にすぐ気が付いて、嬉しそうな笑顔を向けている。
「え?懐かしい化生?誰だろう?
 僕も知ってる犬?彼って、犬だよね?
 でも何か、髪の色と言うか毛色に覚えがあるような…」
秩父先生は暫く彼を見つめて首を捻っていたが
「あれ?もしかして…、ジョン?」
半信半疑、と言った顔で呟いた。

「正解!覚えててくれて嬉しいよ、秩父先生」
ジョンが人懐こい笑顔を向けると
「ジョン!貴方と岩さんのおかげで私は秩父先生と巡り会えました
 何とお礼を言えばいいのか
 ろくにご恩返しも出来ずに、すみませんでした」
親鼻は感極まって、ジョンに抱きついた。
「良いんだよ、俺とあのお方、あの後場所替えして遠くに行っちゃったし
 飼い主と一緒、幸せそうだね」
ジョンは眩しそうに親鼻を見る。
「はい!毎日とても、とても幸せです
 貴方と岩さんのことを忘れたことはありません」
「俺以外に、あのお方のことを覚えていてくれる犬がいるのは嬉しいよ」
ジョンの言葉に、親鼻と秩父先生がハッとした顔になった。

「あー、岩さんは、その…?」
秩父先生が語尾を濁して問いかけると
「俺の方が先に死んじゃったんで、あのお方がその後どうなったか知らないんです
 秩父先生、あのお方の『住所』ってやつ知りませんか?
 人間はハガキで季節の挨拶、とかしてるんでしょ?
 あのお方から連絡が来たことはありませんか?
 今からでも俺、あのお方の元に行ってお役に立ちたいんです!」
ジョンは真剣な顔で逆に問い返した。

「そうか…岩さんからハガキを貰ったことはないんだ
 保険証がない状態で診察してたから、住所的なことは全く分からないよ
 オリンピックの前辺りから見かけないな、とは思ってたけど
 場所替えしてたんだね
 そう言えば、岩さんの仕事仲間らしき人たちも全然来なくなっちゃってたな
 役に立てなくてごめん」
秩父先生は申し訳なさそうな顔になる。
「そう…ですか…」
ジョンはガックリとうなだれた。

「岩さん、言葉のイントネーションに特徴なかったから、この近郊の人なのかと思ってたんだ
 でも、出身地隠したくてあえて標準語でしゃべる人も多いからね
 実家に帰っているのか、まだ日雇いを続けているのか、見当も付かないな
 でも、日雇い暮らしは年齢的にキツくなってきてると思うよ」
秩父先生の言葉に、この国で人を1人捜し出すのは雲を掴むような話だと思い知らされた。
「復員兵だって話は、それとなく聞いたことがあったな
 地獄を見てきた、自分は獄卒の鬼より酷い人間だって
 だから、家族の元に帰る資格がないってさ」
「岩さんはあの戦争を、生きて戻ってこられたのですね」
黒谷の瞳が、悲哀を帯びたものになる。

「移動しながら野宿して、あのお方が夜中にうなされて何度も起きるのを見ていたよ
 『戦争』って何のことだかわかんないけど、あのお方は戦争はもう絶対にやっちゃダメなんだって言ってた」
悲しそうなジョンに
「ああ、人間同士が争うのは空しいものだ」
黒谷が断言した。

「ジョンはこれから、しっぽやで働くのかな」
秩父先生に聞かれ
「しっぽや?」
ジョンは首を傾げた。
「僕達がやってる、何でも屋さ
 最近は工事の仕事が減ってるし、僕達に出来そうなお手伝いをしてお金を貰ってるんだ
 迷子猫を探し出す長瀞が稼ぎ頭(がしら)かな」
黒谷はクスクスと笑う。
「俺、工事の仕事やってみたい!
 あのお方がどんな仕事をしていたか、興味があるんだ
 それに同じ仕事をしていれば、あのお方の役に立てるかもしれないし」
ジョンが顔を輝かせたので
「では決まりですね、何でも屋しっぽやへようこそ
 岩さんの情報を得られるよう、工事の方々にも聞いてみましょう」
私はそう言って彼に手を差し伸べた。
ジョンはその手をガッシリとつかみ
「改めてよろしく、俺頑張るよ!」
この日初めて、晴れやかな笑顔をみせた。

「僕も患者さんにそれとなく聞いたりしてみるね
 さて、新郷お待ちかねのおやつにしようか
 今日は新入りも連れてくる、なんて言ってたから奮発して、ケーキの他にシュークリームも用意してみたんだ
 皆で食べよう」
「では、紅茶を淹れてきます」
秩父先生と親鼻がおやつの準備を始めると
「やったーシュークリーム!クリームがトロッと出てくるんだぜ
 上の方はボコボコしてるけど、まん丸い甘いお菓子だ
 岩さんに会えるまで、暫くはお前一人で満月独り占めだな」
新郷がジョンの肩を叩く。

「早く、上弦に戻れるようになりたいよ」
ジョンの切ない呟きが、飼い主を求める私達の心に痛いほど突き刺さった。

こうして、私達に懐かしい新しい仲間が加わったのであった。
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