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しっぽや(No.70~84)

選び終わっているシューズの清算だけ慌ただしく済ませ、俺たちはショッピングモール内の喫茶店に移動する。
なるべく目立たない隅の方の席を選び、コーヒーを3つだけ注文した。
俺は隣に座る黒谷の手を握りっぱなしだった。
この手の感触があるから、俺はこんな大胆なことができたのだ。
10年近くまともに顔を合わせていない父親は、見知らぬ人の顔だった。
両親が離婚してからアルバムを見たこともなく、俺は小さな頃の記憶を完全に封印していた。
でも去っていく後ろ姿が、俺の心の深い記憶を呼び覚ました気がしたのだ。

コーヒーが運ばれてきて暫くした後
「ごめんね、せっかくの買い物中に、ストーカーみたいなことしちゃって
 でも、ここで見かけたの、本当に偶然だったんだ」
父親がポツリと呟くその声は、とても落ち着いて聞こえる。
俺が覚えている父親の声は、母さんとヒステリックに怒鳴りあっているものばかりだ。
目の前の男の人は少し気弱そうで、妻を怒鳴り散らす人には見えなかった。

「よくわかりましたね、俺のこと
 もう10年近く会ってないのに」
俺は思い切って聞いてみる。
「去年のクリスマス前に、写真が送られてきたんだ
 『今更ですが、日野の高校入学式の写真です』って
 君と、お義母さんが写ってたよ
 『日野も来年は大学受験生です
  あの子は頭の良い子だから、合格間違いなしです
  貴方からいただいている養育費は全て貯金してあります
  おかげで、大学の入学金が払えます
  ありがとう』
 そう、手紙に書いてあってね」
そんな父親の言葉に、俺は驚いてしまう。
母さんが父親に写真を送った事どころか、養育費を受け取っていたことすら知らなかったのだ。

「誕生日のプレゼントにと思って、受験のお守りを買ってきたんだ
 このまま家のポストに入れるのも味気ないかと、可愛い袋でも買おうとここに来たら君を見かけて
 どうにも気になっちゃってさ、ごめんね」
父親は、また俺に謝った。
「よく、俺の誕生日覚えてましたね」
少し呆然とする俺に
「子供の誕生日を忘れる親はいないよ」
彼はきっぱりとそう答えた。

「日野君は、今、幸せかい?」
父親は俺と黒谷をチラチラ見ながら、躊躇いがちにそうきいてきた。
「はい」
俺が頷くと
「彼女、甲斐犬好きだったもんね
 甲斐犬と暮らせる一軒家に住みたいって言ってたのに…
 あの頃は大学出たての新入社員だったから、稼ぎがなくて」
父親は寂しそうに笑った。
その少し論点のズレた発言に、俺はこの人が何を勘違いしているのか察しが付いた。
「俺、今、ペット探偵の会社でバイトしてるんだ
 格好いいでしょ
 この人、そこの所長の影森黒谷さん
 誕生日だからボーナスに、部活で使うシューズ買ってもらったの」
俺がヘヘッと笑うと
「日野はとても良く働いてくれてます
 おかげで、大変助かっております」
黒谷はそつなく頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそ、息子がお世話になっているようで」
父親も、慌てて頭を下げだした。

そんな父親に
「母さん、今、付き合ってる人とかいないみたいだよ」
俺はこっそりと囁いてみた。
「え?」
驚いた顔で頭を上げる彼に
「今ね、すごく落ち着いてる
 前みたいに、ヒステリックに騒ぐことなくなったから」
俺はそう言って笑って見せる。
「もう、その、…君のこと『いらない』って言わなくなった?」
オズオズと聞いてくる父親の言葉で、俺の古い記憶が呼び起こされた。
『そうだ、この人が怒鳴るときは母さんが俺のこと「いらない子」だって言ったときだけだった
 自分のことを悪く言われても黙っていたのに、母さんが俺を否定するような事言うと怒って…
 この人は俺のこと、守ろうとしてくれてたんだ』
最後に家を出ていったときのやるせない背中、俺は子供心にあの背中が忘れられなかったのだ。
だからさっきこの人の背中を見て、父親のことを思い出せたのだ。

「大丈夫、あの時、母さん状態悪かったんだよ」
俺は涙を拭ってそう言った。
「うん、彼女まだ若かったし、お義母さんが居ると言っても、不安だったんだよね
 僕も若くて、仕事のことで手一杯で家のこと任せっきりだった、ごめん
 もう少し、彼女のことに気を使ってあげられてたら…」
父親も涙を拭っている。
「お守り、ちょうだい
 俺、絶対合格するから」
俺は彼に向かって手を差し出した。
「あ、うん」
彼が渡してくれた可愛らしい小袋を、俺はしっかり握りしめる。
そこからは、俺を心配してくれている温かな想いが感じられた。

喫茶店から出て別れ際に
「母さんに、手紙でも書いてあげて
 今時、文通から始めるのも古風で良いじゃん」
俺が言うと、父親は照れたように笑って頷いた。
「今日は、話が出来て良かったよ」
「うん、俺も」
まだ他人行儀な、それでもちょっと親しげな会話を交わし俺たちはそれぞれの道を歩いて行くのであった。




見送った父親の背中が記憶の中のものよりシャンとしている気がして、俺は何だかホッとしてしまう。
「連絡先、聞かなくて良かったのですか?」
黒谷が優しく問いかける。
「多分、今聞いとかなくても、すぐにわかるんじゃないかな」
俺には、そんな予感がしていた。
「まだウェアを買っていませんが、店に戻りますか」
「うーん、他の買い物は明日でいいや
 それよりも、今日はずっと黒谷とイチャイチャしてたい」
俺は舌を出して笑うと、黒谷の腕に抱きついた。
「はい、それでは影森マンションに帰りましょう」
俺には今、安心できる居場所がある。
どこにも逃げ場が無かった頃とは違うのだと、俺はまた幸せを噛みしめた。

「あ、でもせっかくだから、エコバッグ使う黒谷が見たいな」
そんな俺のリクエストで、俺たちは食品売場に寄ってパンや総菜を買い込んだ。
大きなエコバッグを肩に掛けて颯爽と歩く黒谷は、所帯じみていると言うよりは『賢いワンコ』に見える。
俺は盛大にペット自慢をしながら、影森マンションに帰って行くのであった。


黒谷の部屋に帰り着き、荷物を置くと俺はクッションに座り込んだ。
少し体が震えている。
それで、自分がいかに緊張していたのかがわかった。
「黒谷、父さんのこと見つけてくれて、ありがとう
 俺だけだったら絶対に気が付けなかったし、面と向かって話なんか出来なかった」
自分の肩を抱くようにうずくまる俺を、黒谷は優しく包み込んでくれる。
「あの人から、日野に対する心配の感情が感じられました
 なのに声をかけてくる訳でもなく、後をつけてくるので誰なのだろうと
 お父様だったのですね」
黒谷は労るように髪を撫でてくれた。

「俺、ずっと父親のこと考えないようにしてた
 俺を残して自分だけ去っていった、勝手な人だって思おうとしてた
 あの人が俺に優しくしてくれた記憶に、自分からフタをしてたんだ」
父親から手渡されたお守りは、小さい頃好きだった絵本のキャラクターが描かれた袋に入れられていた。
「あの絵本、俺に読んでくれてたの父さんだったのか…
 ずっと、婆ちゃんに読んでもらったって記憶をすり替えてた」
堪えきれず、俺は黒谷の腕の中で嗚咽をもらしてしまった。
父親のことを忘れてしまおうとした罪悪感、父親に愛されていたという安堵感、家族の仲を引き裂いた存在への怒り、ゴチャゴチャとした感情が入り交じり涙が止まらなくなった。
黒谷はそんな俺の感情を全て包み込んで、強く抱きしめてくれる。
その力強さが嬉しくて頼もしくて、俺はまた泣いてしまうのであった。

涙と一緒に色んな感情を解放し、次第に心が穏やかになっていく。
それでもまだ黒谷の腕に抱かれている事が心地よくて、俺は彼に抱きついた。
「やっぱり、黒谷を飼ってから良いことばっかりだ
 俺のラッキードッグだね」
その胸に頬ずりし、逞しい胸にシャツの上からキスをする。
「格好良くて頼りになる、最高の飼い犬だよ」
「辛いことがあってもそれを乗り越える強さを持った日野も、最高の飼い主です」
黒谷は泣きすぎて痛む俺の目元に、そっとキスをしてくれた。
その優しい唇の感触が気持ち良く、うっとりしてしまう。

「黒谷、愛してる」
「僕も、愛してます」
俺たちは愛を囁きながら唇を重ね合った。
黒谷の手が、制服のボタンを外していく。
素肌に触れるその手の熱が、彼の存在の全てが愛おしい。
彼の手に胸の突起を刺激されると、重ねた唇から声がもれ体がビクリと反応してしまった。
俺の手が黒谷の頬に触れ、そのまま柔らかな髪をなで上げると彼の息も荒くなる。
俺たちはベッドに移動する時間すら惜しみ、お互いに対する熱い思いを確かめ合うように、その場で繋がりあった。
俺を貫く熱の確かな存在感に、体中が満たされていく。
想いを解放しあった後も、俺たちはピッタリと寄り添いお互いを感じあっていた。

「お体、痛くないですか」
黒谷が少し心配そうに、そう聞いてくれた。
「ううん平気、でもベッドでもしたいな」
俺が舌を出すと
「かしこまりました」
彼は壊れ物を扱うように、俺をそっとベッドに運んでくれる。
そして、体中に優しく舌を這わせ愛してくれた。
激しい快感の中さらに何度も繋がりあった俺たちは、満たされた濃密な時を過ごした。


「17歳最後の夜も、こうやって抱いててくれる?」
俺の甘えた問いかけに
「もちろんです
 18歳最初の朝も、共に在りましょう」
黒谷は頷いてくれた。
俺はその答に大いに満足する。

「じゃあ、シャワー浴びて、ご飯食べようか」
俺が笑うと
「そうですね、買ってきた惣菜を温め直しましょう」
黒谷は微笑んでベッドから起き上がった。

まだ1日残っている17歳という時間、これから始まる18歳という時間、黒谷と一緒ならどんな事にも立ち向かえる気がして俺は晴れやかな気持ちになるのであった。
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