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しっぽや(No.70~84)

食べ終わった食器を流しに置くと、スポイトや小皿、牛乳を持ってチビの様子を見に行った。
段ボールハウスの上からのぞき込む俺を確認したチビのテンションが上がる。
『にーにー、にーにー、ママちょーらいママー!』
「ママじゃなくて、『まんま』だよ
 ママは、どこにいるかわからないだろ」
少し切ない思いで話しかけながら、俺はチビを抱き上げると膝に抱えて座り込んだ。
小皿に牛乳を出しスポイトで吸うと、俺はチビの口元に持っていってやる。
チビは積極的にスポイトから牛乳を吸っていた。
明らかにさっきより体力が戻ってきているようで、俺はホッとした。

「そうだ、カリカリも食べてみるか?
 もう歯が生えてるんだから、ミルク以外も口に出来るよな」
そう気が付いた俺は、カズハに貰ったカリカリをお湯でフヤカしてみることにする。
ミルクを入れていた小皿を洗うとカリカリをスプーン1杯入れ、そこにお湯を足す。
しばらく置いておくと、離乳食が出来上がった。
「ほら、ちーちー美味しそうだろ
 兄ちゃんが作ったんだぞ」
俺的にはちっとも美味しそうには見えなかったが、そう言ってチビの気を引いた。
チビ的にも同じ思いなのか、小皿を置いてやっても恐る恐るのぞき込むだけだった。

「まだ、皿から食べられないかな」
俺は離乳食を指ですくうと、チビの口になすりつけてみた。
ミルクの時と同じパターンで、最初は嫌がっていたが舐め取るうちに美味しいものだと気が付いて
『にーにー、まんー、まんちょーらい』
もっと欲しいとねだり始めた。
「お皿から食べられるか?ほら、ここにあるぞ」
指先でチビを小皿の離乳食に誘導すると、たどたどしい感じで自分で舐め取っている。
まだこぼしてしまう方が多いくらいだったが、その力強い食欲は俺が子猫だった頃より遙かに勝っていた。

あらかた食べ終わると、チビは一丁前に身繕いを始める。
「偉いな、自分で出来るんだ」
俺がそう誉めると、チビは得意そうな顔を見せた。
「夜になったら、ちーちーのこと欲しいって言う人が来てくれるからな
 それまで休んでるんだぞ
 サトシの知り合いだから、きっと良い人だ
 絶対、幸せになれるよ」
俺はチビを段ボールハウスに戻して、そう話しかける。
チビは俺の言っていることを首を傾げて聞いていたが、すぐに丸くなって寝てしまった。

「さて、そろそろルーを入れようかな」
俺は煮込んでいた肉と野菜の入った鍋の火を止め、市販のカレールーを投入する。
「2種類のルーを混ぜると、味に奥行きが出る
 で、チャツネの代わりにマーマレードをちょっとだけ入れよっと」
俺は前に長瀞に教わった通り、カレーを作っていった。
ルーが溶けきったことを確認すると、火を付けてもう少しだけ煮込んで完成させた。
「サトシが帰ってくるまでに、味が馴染むはず
 食べる前に温め直して、あ、サラダも作らなきゃ
 サトシ、カレーの時はご飯お代わりするから、多めに炊いておこう」
俺はゆっくりとサトシのためにご飯を作れることが、楽しかった。
『これも、チビのおかげだな』
俺はチビのことが可愛くなってきて、今夜のお別れが寂しく思えてくるのであった。


サトシが帰ってくるまで、チビは寝たり起きたりを繰り返し、俺はそれに付き合ってミルクや離乳食を食べさせていた。
チビは俺にすっかり懐いて
「にぃにぃ」
甘えた声で話しかけてくる。
ソファーで寝る俺の腹の上で、チビは自分の尻尾を追いかけてクルクル回っていた。


ピンポーン

8時過ぎに、家のチャイムが鳴る。
音に驚いて固まるチビを段ボールハウスに戻すと、俺は玄関に向かう。
サトシともう1人、知らない人間の気配がした。
「羽生、ただいま」
ドアを開けると笑顔のサトシに続き
「どうも、初めまして、田中と言います」
サトシより年輩の眼鏡をかけた優しそうなおじさんが入ってくる。
「初めまして、羽生です
 どうぞ、お上がりください」
良い人そうで俺はホッとしながら、そう促した。

リビングにお客を通すと、段ボールハウスからは緊張した気配が伝わってきた。
チビは人間の気配に警戒しているようであった。
「見ても良いかい?」
田中さんが段ボールハウスをのぞき込むと、チビはシャーっと威嚇の声を上げた。
しかし田中さんはものともせず
「可愛いなあ、少し元気になったみたいだね
 また家に移動するから疲れちゃうだろうけど、勘弁してな」
ニコニコしながらチビに話しかけてくれた。
俺はそれで、この人が良い人だと確信する。
チビはきっと可愛がってもらえるだろうと、胸をなで下ろした。

「あの、夕飯にカレー作ってあるんです
 食べていかれますか?」
俺の問いに
「ありがとう、でも、早くこの子を家に連れていきたいから
 子供たちも楽しみにしてるんだ」
田中さんは照れ臭そうに笑った。
その笑顔に、俺はますますこの人が気に入るのであった。


「まだ下手くそだけど、お皿からミルクも離乳食も食べられます
 ご飯はカリカリをフヤカすか、様子を見てそのままあげても大丈夫かも
 ミルクは子猫用の物をあげてください
 今、生後2ヶ月なるかならないか、くらいかな
 野良だったから回虫やコクシジウムがいるかもしれないので、病院で検便してください
 血液検査は生後半年を過ぎてからした方が良いですよ
 母猫からの免疫が切れると、病気の反応が変わってくることがあるから」
俺はカズハに教わってきたことを、一生懸命説明する。
田中さんは俺の説明を、真剣に聞いてくれた。

「猫、飼ったことありますか?」
俺は一番気になっていたことを聞いてみた。
「子供の時に飼っていたことがあるよ
 昔の事だから、今の人には乱暴な飼い方だったかも
 でも、16歳まで生きてくれたんだ
 僕が大学に入学出来たことを見届けてから、旅立ってくれたよ」
そう言う田中さんの目は、少し潤んでいた。

『ちーちー、大丈夫だよ、おいで
 この人ならちゃんと可愛がってくれる』
『にーにー』
怯えるチビに安心するよう想念を送り、俺は田中さんが持ってきたケージにその小さな体を入れる。
想念を送ってなだめても
「にぃにぃ、にぃにぃ」
チビは必死で俺を呼んでいた。
「慣れるまで、暫く夜に泣くと思います
 うるさいだろうけど、我慢してください」
「うん、こんなに小さいのに親と離ればなれじゃ不安だものね
 早く僕たちが新しい家族なんだ、って思ってもらえるよう可愛がるよ」
頼もしい田中さんの言葉に、俺は安堵する。
カリカリのサンプルやスポイトをビニール袋に入れ、それも一緒に手渡した。

「じゃあ、駅まで送ってくるよ」
「うん、帰ってくるまでにご飯の準備しておく」
玄関先でサトシとそんな会話を交わし
『ちーちー、大丈夫、幸せになれるよ』
もう一度、チビに想念を送る。
『にーにー』
不安そうな思いを残し、チビは去っていった。
「さて、カレーを温め直してサラダ作ろう」
俺は気を取り直してキッチンに向かう。
段ボールハウスからチビの気配が消えたことが、いやに寂しく感じられた。


サトシは40分くらいで帰ってきた。
「今日はサトシの好きなゴロゴロ野菜のカレーだよ
 チビがいるから、しっぽやは休みにしてもらったの
 昼に作ったから、味が馴染んでると思うな」
俺はサトシにカレーを手渡しながらそう伝える。
「美味しそうだね、いつもありがとう羽生
 仕事、休ませちゃって悪かったね
 でも、あの子は寂しくなくて良かったかな」
サトシは優しい顔で笑ってくれた。

「うん、美味い!野菜に味がしっかり染みてるよ
 お肉も柔らかい」
「今日は、お肉特売だったんだよ」
サトシに誉められて、俺は嬉しくなった。

「いきなり、子猫を連れて来ちゃってごめんね
 あの子の泣き声聞いてたら、ハニーのこと思い出しちゃって」
食事の最中に、サトシがぽつりと呟いた。
「ハニー、体は小さかったけど俺が拾った時、あの子より大きかったんじゃないか
 噛まれなかったし、俺が無知で気が付かなかっただけで、歯が生え揃ってたんだろ?
 もう離乳してたんだよな
 なのに俺、牛乳しかあげてなくて…
 全然、栄養足りてなかった」
悔しそうなサトシに俺は笑いかける。
「ううん、俺、サトシに拾ってもらえなかったら、もっと早くに死んでた
 サトシがくれた牛乳はすごくすごく美味しくて、サトシが話しかけてくれる言葉はすごくすごく嬉しかったの
 俺、本当にサトシのこと好きだったんだよ
 もちろん、今だって大好き」
俺の言葉で、サトシの顔が明るくなった。
「俺も、羽生のこと大好きだよ
 愛してる」
サトシの言葉が、優しく俺を包み込む。
「うん、俺も愛してる」
愛を交わす言葉が心地良かった。

「羽生、昨夜は新しいパジャマ着てたね
 とても似合ってたよ
 羽生は可愛いから、何を着ても似合うね」
サトシが気付いてくれていたことが嬉しくて、俺は幸せな気分になる。
サトシはいつだって、俺のことを見ていてくれるのだ。
「あのね、サトシに誉めてもらいたくて選んだの
 それで、サトシがそれを脱がせてみたいって思ってくれたら、もっと良いかなって」
俺は伺うようにサトシに視線を送ってみた。
サトシは少し赤くなっていたが
「そうだね、脱がせてみたいな
 昨夜はあの子のことで、それどころじゃなかったから
 今夜はゆっくりと2人の時間を楽しもう」
そう言って、そっと俺の手を握ってくれた。
「じゃあ、俺が後片づけしてるうちにシャワー使って
 俺も終わったらすぐにシャワー浴びてあのパジャマに着替えるから」
「ああ、ベッドで待ってるよ」


リビングの隅に置いてある空の段ボールハウスに感じる寂しさを振り切るように、俺はこれからサトシと過ごす甘い時間に思いを馳せるのであった。
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