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◆しっぽやプチ話◆

side〈NAGATORO〉

それは、私がゲンとマンションで一緒に暮らしていた頃のことだった。

ゲンと連れだって冷たい風の吹く町中を歩いていた私は、飼い主と出かけられる喜びに少しボンヤリしていたのかもしれない。
いきなり腰に衝撃を受け、激しくよろめいてしまった。
「ナガト、大丈夫か!」
慌てたゲンが支えてくれたため、私は何とか倒れ込まずに済んでいた。
振り返ると私の腰には黄色い帽子を被り、黒いランドセルを背負った小さな男の子が必死でしがみついている。
この子が体当たりしてきたためにバランスを崩したのだ、と私はやっと気が付いた。
同じくその子供に気が付いたゲンが
「坊主、いきなり人にぶつかったら危ないじゃないか」
少し険のある声でそう注意する。
しかしその子は私の腰にしがみついたまま、何かを呟き続けていた。

「しるば、しるば…」
呟く声が涙声であることに気が付いた私とゲンは、顔を見合わせる。
「坊主、どうした?」
ゲンが先ほどよりも優しい声で、そっと私とその子を引きはがした。
「しるば、やっぱり僕のとこに帰ってきてくれたんだね
 本当に人間になれたんだ、凄いよ、しるば!」
男の子は涙に濡れる顔を輝かせて、私の事を見上げている。
『人間になれたんだ』
その一言に、私とゲンは驚きを隠せなかった。
「坊主、少し端っこで話そうか
 オジチャンが温かいモン買ってやるよ
 何が良い、ココアか?」
ゲンが子供と目線を合わせるようにしゃがみ込んで聞くと、その子はコクリと頷いた。

植え込みに座りココアを口にして少し落ち着いたらしく
「あのね、しるばが人間になれるって言ってたよ、ってパパやママに言っても信じてくれないの
 猫は人間になれないって
 でも、しるばは人間になってくれた
 僕のとこに帰ってきてくれたんだ
 死んじゃったんじゃないんだ」
男の子はキラキラした瞳で私を見ながら、嬉しそうにそんな事を語った。
私とゲンは、再び顔を見合わせる。
今の話から推測すると、この子は猫と深く意志疎通が出来るのだ。
多分『しるば』と言う死んだ飼い猫が化生のことを教えたのだろう。

「しるばは人間になる、と言ったのですか?」
私が聞くと、その子は顔をしかめた。
「人間にはならないって言ってた…
 落ち着いたらまた猫になるから、迎えに来てくれって
 落ち着いたらっていつ?どこに迎えに行くの?
 しるば、気が変わって人間になって帰ってきてくれたんでしょ?」
男の子はすがるような瞳で私を見ている。
「坊主、この人は『しるば』じゃない
 ナガトって言うんだ
 俺の大事な飼い猫だよ」
ゲンは諭すように優しく言うと、私の頭を撫でてくれた。
「ナガト?しるばじゃないの?」
また泣きそうな顔になった男の子に
「しるばは貴方に迎えに来て欲しいと言ったのでしょう?
 きっとまた会えますから、慌てず探してあげてください」
私はそう言葉をかけた。

「坊主、名前はなんてんだ
 俺は大野 原、ゲンちゃんって呼んでくれ」
ゲンが笑いながら言うとその子は
「僕、武川 丈志(たけかわ たけし)です
 小学2年生です」
膝を正してきちんとそう名乗った。
「おお、何気に『たけ』がクドい
 そっか、タケぽんか」
ゲンの言葉に
「ゲンちゃんと、ナガト」
タケぽんは私たちを指さして、ニッコリと笑った。

「丈志、お店の前で待っててって言ったでしょ?
 勝手にどこかに行っちゃダメじゃない」
人混みをかき分けるように、女の人が私たちの元にやってきた。
その女の人のお腹は大きかった。
「落ち着くまでって…下の子が産まれて落ち着くまでか」
ゲンが納得した声を出す。
「すいません、何かご迷惑を?」
女の人はそう言いながら私たちをじっと見つめ、私を見て驚いた顔になった。
「あら、貴方の髪の色、シルヴィアの毛色にそっくり
 この子、貴方について行っちゃったんじゃありません?」
女の人はクスクス笑い出した。
「シルヴィア?」
私が問うように言うと
「ごめんなさい、シルヴィアって以前うちで飼っていたチンチラシルバーなんです
 この子が生まれる前から飼ってて、この子とはとても仲が良かったの
 老衰で一昨年亡くなったんだけど、この子にはよくわからないらしくて
 人間になって会いに来てくれるって言うのよ
 貴方のこと、シルヴィアだと思ったんじゃ」
女の人は困った顔でそう答えた。

「この人は、しるばじゃなくてナガトって言うんだ
 でも僕、きっとしるばを見つけるよ」
タケぽんはヘヘッと笑いながらしっかりと言った。
その猫に対する愛は、とても好ましく感じられる。
「タケぽん、私たち、お友達になりましょう
 寂しくなったらここに電話してくださいね」
私がしっぽやの名刺に自宅の電話番号を書いて渡すと、彼は大事そうに受け取ってくれた。

手を振って去っていくタケぽんを見送りながら
「うーむ、ちっと妬けるな
 俺、ナガトから名刺貰ったことないぞ」
ゲンがスネた顔で話しかけてくる。
「あの子には『しるば』がいます
 私は、ゲンだけのものですよ」
ゲンは私の答えに満足したように
「だな」
晴れやかに笑いながら寄り添ってくれるのであった。
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