◆しっぽやプチ話◆
side〈HINO〉
12月24日、仕事が休みの母さんが朝から張り切って夕飯を作ってくれた。
今年のクリスマスはいつものように『チキンをおかずにご飯』ではなく、メインはビーフシチューであった。
正直、料理は婆ちゃんが作ってくれた方が美味しいのだが、俺のために母さんが料理を作ってくれていることが照れくさくも嬉しかった。
母さんはもう、以前のようにヒステリーを起こしてわめき散らすことはなくなった。
『前に住んでたとこは、あまり土地が良くなかったの』
土地のせいだけではないと思うが、婆ちゃんが言う言葉を今の俺は素直に受け止められていた。
「わ、肉、柔らかい」
シチューに入っている大きめの肉は、とろけるような柔らかさだった。
ルーのコクが婆ちゃんが作るものより足りないが、朝からじっくり煮込んでくれたことを思うと美味しく感じられる。
去年のクリスマスは半強制で先輩の家に連れ込まれ、長時間もてあそばれていた。
それを考えると、今年のクリスマスは最高だ。
『しっぽやでのパーティーも楽しかったし、なにより黒谷と過ごせたもんな』
黒谷のことを考えて顔がゆるんでいた俺に
「ヒーちゃんの上司の黒谷さんって、格好いいわねー」
母さんがそんな言葉を話しかけた。
とたんに、俺の胸の中にモヤモヤする思いが生まれる。
それが何に対する思いか、自分でも判断が付かなかった。
「黒谷さんってね、私が子供の頃、お隣の家にいた『リュウちゃん』に似てるの」
俺の心のモヤモヤを余所に、母さんは言葉を続ける。
「リュウちゃん!やだ、確かに似てるかも」
婆ちゃんが盛大に笑い出したので、俺は呆気にとられてしまう。
「あ、リュウちゃんって、お隣で飼われてた甲斐犬なの
甲斐犬って知ってる?
黒と茶の混じった虎毛の日本犬
リュウちゃんはね、耳がピンと立ってて、目元がキリッとしてて、尻尾がくりんって曲がってて、凄く格好良かったのよ」
母さんは子供のような笑顔になった。
「うちはアパートで動物が飼えなくて寂しかったけど…
お隣さん老夫婦だったから、リュウちゃんの散歩、私がしてたんだ」
「そうそう、最初はあそこの息子さんが散歩させてたけど、転勤することになって家を出ちゃったからね
散歩のおかげで、リュウちゃん貴女にずいぶん懐いてたわね」
2人は懐かしそうに思い出話を始めた。
「よく、学校の給食のパンを残してきてリュウちゃんにあげてたわ
リュウちゃん、ちゃんとお座りが出来たのよ
格好いいだけじゃなく、頭も良かったんだから」
母さんは何だか得意げな顔になる。
「私が高校生になる前に、死んじゃったけど」
一瞬寂しそうな顔をしたものの
「だから黒谷さんを見てると、何だか食パンあげたくなっちゃうのよね」
母さんは照れくさそうに笑った。
「あら、貴女も?
私は皆野君を見てると、子供の頃飼ってた猫を思い出して煮干しあげたくなっちゃうの」
婆ちゃんもクスクス笑っている。
「食パンと煮干しって、失礼なおもてなしねぇ」
楽しそうな母さんと婆ちゃんの顔を見ると、俺も楽しくなってくる。
先ほど感じた胸のモヤモヤは消えていた。
「自分が子供の頃ペットを飼えなくて寂しかったから、子供が出来たらペットと触れ合わせて育てようと思ってたのに…
ペットどころか自分の事でいっぱいいっぱいで、ろくに遊んであげたこともなくて
不甲斐ない母親でごめんね…」
母さんが言葉を詰まらせた。
憑依されたときの自分の体が上手く動かせない感覚を、今は俺も知っている。
心にわき上がる、自分のものではない理不尽な怒りを知っている。
俺よりも長期間そんな状態だった母さんは、身も心もボロボロだったはずだ。
それでも離婚した後、仕事をして家計を支えてくれた。
「いいんだ」
俺は笑って答えてみせる。
『だって俺、今は最高の犬を飼ってるもん』
心の中でそんなセリフを付け足した。
母さんは努めて明るく
「そうそう、今年のクリスマスケーキは奮発して千両屋のフルーツタルトにしたのよ
もう、メインはフルーツ!って感じの華やかさ」
そう切り出した。
「あそこのフルーツは、本当に美味しいものね
普段食べられるお値段じゃないけど」
「クリスマスだもの、奮発しなきゃ
ヒーちゃん、半分食べて良いからね」
優しい顔で俺を見る母さんに
「凄いじゃん、楽しみ!
でもその前に、シチューお代わり!」
俺は空になった皿を差し出した。
「沢山作ったから、いっぱい食べてね」
嬉しそうな母さんの顔を見て、俺は初めて『この人の子供に生まれて良かった』と思うのであった。
12月24日、仕事が休みの母さんが朝から張り切って夕飯を作ってくれた。
今年のクリスマスはいつものように『チキンをおかずにご飯』ではなく、メインはビーフシチューであった。
正直、料理は婆ちゃんが作ってくれた方が美味しいのだが、俺のために母さんが料理を作ってくれていることが照れくさくも嬉しかった。
母さんはもう、以前のようにヒステリーを起こしてわめき散らすことはなくなった。
『前に住んでたとこは、あまり土地が良くなかったの』
土地のせいだけではないと思うが、婆ちゃんが言う言葉を今の俺は素直に受け止められていた。
「わ、肉、柔らかい」
シチューに入っている大きめの肉は、とろけるような柔らかさだった。
ルーのコクが婆ちゃんが作るものより足りないが、朝からじっくり煮込んでくれたことを思うと美味しく感じられる。
去年のクリスマスは半強制で先輩の家に連れ込まれ、長時間もてあそばれていた。
それを考えると、今年のクリスマスは最高だ。
『しっぽやでのパーティーも楽しかったし、なにより黒谷と過ごせたもんな』
黒谷のことを考えて顔がゆるんでいた俺に
「ヒーちゃんの上司の黒谷さんって、格好いいわねー」
母さんがそんな言葉を話しかけた。
とたんに、俺の胸の中にモヤモヤする思いが生まれる。
それが何に対する思いか、自分でも判断が付かなかった。
「黒谷さんってね、私が子供の頃、お隣の家にいた『リュウちゃん』に似てるの」
俺の心のモヤモヤを余所に、母さんは言葉を続ける。
「リュウちゃん!やだ、確かに似てるかも」
婆ちゃんが盛大に笑い出したので、俺は呆気にとられてしまう。
「あ、リュウちゃんって、お隣で飼われてた甲斐犬なの
甲斐犬って知ってる?
黒と茶の混じった虎毛の日本犬
リュウちゃんはね、耳がピンと立ってて、目元がキリッとしてて、尻尾がくりんって曲がってて、凄く格好良かったのよ」
母さんは子供のような笑顔になった。
「うちはアパートで動物が飼えなくて寂しかったけど…
お隣さん老夫婦だったから、リュウちゃんの散歩、私がしてたんだ」
「そうそう、最初はあそこの息子さんが散歩させてたけど、転勤することになって家を出ちゃったからね
散歩のおかげで、リュウちゃん貴女にずいぶん懐いてたわね」
2人は懐かしそうに思い出話を始めた。
「よく、学校の給食のパンを残してきてリュウちゃんにあげてたわ
リュウちゃん、ちゃんとお座りが出来たのよ
格好いいだけじゃなく、頭も良かったんだから」
母さんは何だか得意げな顔になる。
「私が高校生になる前に、死んじゃったけど」
一瞬寂しそうな顔をしたものの
「だから黒谷さんを見てると、何だか食パンあげたくなっちゃうのよね」
母さんは照れくさそうに笑った。
「あら、貴女も?
私は皆野君を見てると、子供の頃飼ってた猫を思い出して煮干しあげたくなっちゃうの」
婆ちゃんもクスクス笑っている。
「食パンと煮干しって、失礼なおもてなしねぇ」
楽しそうな母さんと婆ちゃんの顔を見ると、俺も楽しくなってくる。
先ほど感じた胸のモヤモヤは消えていた。
「自分が子供の頃ペットを飼えなくて寂しかったから、子供が出来たらペットと触れ合わせて育てようと思ってたのに…
ペットどころか自分の事でいっぱいいっぱいで、ろくに遊んであげたこともなくて
不甲斐ない母親でごめんね…」
母さんが言葉を詰まらせた。
憑依されたときの自分の体が上手く動かせない感覚を、今は俺も知っている。
心にわき上がる、自分のものではない理不尽な怒りを知っている。
俺よりも長期間そんな状態だった母さんは、身も心もボロボロだったはずだ。
それでも離婚した後、仕事をして家計を支えてくれた。
「いいんだ」
俺は笑って答えてみせる。
『だって俺、今は最高の犬を飼ってるもん』
心の中でそんなセリフを付け足した。
母さんは努めて明るく
「そうそう、今年のクリスマスケーキは奮発して千両屋のフルーツタルトにしたのよ
もう、メインはフルーツ!って感じの華やかさ」
そう切り出した。
「あそこのフルーツは、本当に美味しいものね
普段食べられるお値段じゃないけど」
「クリスマスだもの、奮発しなきゃ
ヒーちゃん、半分食べて良いからね」
優しい顔で俺を見る母さんに
「凄いじゃん、楽しみ!
でもその前に、シチューお代わり!」
俺は空になった皿を差し出した。
「沢山作ったから、いっぱい食べてね」
嬉しそうな母さんの顔を見て、俺は初めて『この人の子供に生まれて良かった』と思うのであった。