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しっぽや(No.32~43)

「黒谷が他の化生より年輩に見えるのは、俺のせいなんです
 過去世で俺が『年輩に見える化生が必要だ』って言ったから
 思いつきで、軽い気持ちで言ったのに、黒谷はその命令に従って容姿を変えるなんて離れ業をやってのけて
 俺なんかの命令に従って、ずっと独りで俺を待っててくれて…
 そんな黒谷に、世間の変な目を向けさせたくない」
日野君の目には、涙が光っていた。
気が付くと、僕の中にあった日野君へのわだかまりは消えていた。

彼は化生の飼い主だ。
化生を飼う責任を、僕より重く受け止めている。
「大丈夫ですよ、ゲンさんが言ってました
 化生は動物が好きではない人が見ても、あまり特異な存在に映らないって
 僕も、あんなに格好良くて可愛い空と一緒に歩いてても、特に注目を集めたことはありません
 でも最初は、空がタレント事務所にスカウトされたらどうしようと、ヤキモキしてましたよ」
苦笑混じりに言った僕の言葉に、日野君は笑顔を向けてきた。
「空が可愛いって…
 化生の飼い主って、親バカばっかですね」
僕はその言葉に
「ですね」
笑いながら相槌を打つのであった。

「カズハ、お待たせ
 ちゃんと買い物できたぜ、領収書も貰ってきた」
空が得意そうな顔で僕たちのところにやってくる。
店から出たことを知らせなくても僕の気配を辿って、迷うことなく真っ直ぐに僕の元に来てくれた。
「お疲れさま、これ、日野君から
 僕はもう飲んだから、残りを全部飲んで良いよ」
僕がアイスカフェオレの缶を渡すと、空は美味しそうに一気に飲み干した。
「でさ、日野、いつランニングに付き合えば良いんだ?」
カラになった缶をゴミ箱に捨て、空が笑顔で日野君に質問する。
「んー、そうだなー、明後日の夕方とか大丈夫?
 うちから少し行ったとこにランニングコースのある公園があるんだ
 1周すると2キロでわかりやすくて便利でさ
 まずは慣らしで10キロくらい走ってみようかな、って思ってるんだけど」
少し考え込みながら日野君がそう答えた。
それから僕を見て
「良かったら、カズハさんも一緒にどうですか?」
そう聞いてきた。
「ええ?無理だよ、僕は10キロどころか1キロだって走りきる自信、無いもの」
僕は慌てて情けない否定の言葉を口にする。
体を動かすのは大の苦手で、学生時代、体育の授業のマラソンで完走できたためしがない。

「走るのがダメなら、荷物の番をしててもらえると助かります
 それと、タイム計ってもらえると嬉しいな
 公式なものじゃないから、だいたいのタイムで良いので
 あ、でも、待ってるだけって退屈か」
考え込む日野君に
「それくらいなら、僕にも出来ますよ
 待ってる間は、スマホでもいじってれば退屈しませんから
 ペット自慢の写真を見てるだけでも、気が付くと2時間くらい経っちゃうからね」
僕は照れ笑いを浮かべ、そんな答えをする。
僕にでも出来そうなことがあるのが、嬉しかった。
「え、カズハも来てくれるの?」
僕の言葉に空が顔を輝かせる。
「じゃあ、俺、頑張って走る!俺の勇姿、見てて!」
鼻息も荒い空に
「ちょ、俺、犬と同じスピードでなんて走れないよ
 ペースメーカー役もして欲しいんだから、俺が走れる一定のスピードで走ってもらわないと」
日野君が慌てた声を上げた。
「空、日野君の言う通りに走ってあげて
 ボディガード役なんだから、離れちゃダメだよ」
僕が注意すると、空は神妙な顔で頷いた。



約束の日、少し早めにしっぽや業務を終えた空と一緒に、日野君に指定された駅に移動する。
僕は普通にシャツとGパンだったけど、空はジャージに着替えていた。
「自分でジャージって言っといて何だけど…
 空、ヤンキーに見えるかも
 そのうちちゃんとしたランウェア買いに行こうな」
迎えにきた日野君は、空を見て少し苦笑気味の笑顔を見せた。
「そうかな、精悍なスポーツマンにみえるけど」
僕の言葉に、日野君は曖昧な顔で笑う。

駅から件の公園までは、徒歩20分かかる。
移動する道すがら、日野君から何をすれば良いのか説明を受けた。
「前も言ったけど、空にはペースメーカーもして欲しいんだ
 犬だから、出来るんじゃないかなと思ってさ
 一定の時間で1周して欲しい
 最初だし、1周10分前後にしとこうか
 カズハさんは荷物番しながら、これでタイム計ってください
 ここを押すとスタート、ここを押すとストップ、リセットはここです」
日野君に渡されたストップウォッチを、僕は試しに操作してみる。

「荷物の中には飲み物とお菓子、小銭が入ってます
 持って走るのは邪魔だったから、見ててもらえると助かりますよ
 たいしたもんじゃないし、置きっぱなしにしといても良かったんだけどさ
 盗られても惜しくないとは言え、走った後すぐ飲み物飲みたいから
 ランニング後のお楽しみで、カステラも持ってきたしね
 空とカズハさんの分もあるよ」
日野君はエヘヘッと無邪気に笑い
「カステラ!時代劇の黄金色のお菓子!」
空も満面の笑みを見せた。


公園は広くて緑が多く、季節が良ければ散歩するのに良さそうな場所だった。
ランニングコースの案内板も出ている。
日が暮れて薄暗くなってきているが電灯がそこかしこに設置されているので、走るのに支障は無さそうであった。
コースの側に設置されているベンチに日野君が荷物を置いた。
「カズハさんはここで待っててください」
そう言って、ストレッチを始めた。
空にも指導してくれている。
辺りを見回すと、僕たちの他にもチラホラと走っている人達がいた。
「ランニングって、今、人気あるみたいですよね」
『走る』という行為が苦手な僕には、信じられないブームだった。
「一人で黙々と出来ますからね
 タイムを気にしなければ、途中で歩いたってかまわないんだし
 ここの公園だと、森林浴気分も味わえますよ
 坂道無いから、年輩の方もけっこー走ってるな
 あ、ほらほら、犬と一緒に走ってる人もいる
 あれ、羨ましいと思ってたんだ」
日野君の指さす方を見ると、きれいな毛並みのゴールデンレトリーバーが飼い主と思われる男性と一緒に楽しそうに走っていた。
確かに、僕もそれを見て羨ましくなってしまった。
『子供の頃、僕の隣にはあんな風に、いつもエレノアが居てくれた…』
つい、以前の飼い犬の事を考えてしまい、僕は慌てて頭を振ってその考えを追い出した。
「じゃ、そろそろ行きます」
日野君の言葉にハッとして、僕はストップウォッチを操作する。
日野君と空の姿がどんどん遠ざかって行くのを見るのは、思った以上に寂しいものだった。

最初の1周目は2人の姿を見逃すまいと、目を凝らしてずっとコースを凝視してしまう。
2人の姿が見えてきて僕の前を通り過ぎたとき、ストップウォッチを止める。
2人は手を振りながら、また遠ざかっていった。
タイムを手帳に記入すると、僕は小さくため息をついた。
『これ、高校生の時、僕が1キロ走った時のタイムとあまり変わらない…』
このコースは1周2キロと言っていた。
彼らは僕の2倍のスピードで走っているのだ。
『犬と一緒にランニングなんて、僕には無理だな』
僕は寂しい思いで、そんな事を考えた。

ボンヤリとコースに視線を向けると、また犬と一緒に走ってる人が見えた。
今度は女性と柴犬で、柴犬は口に水が入ったペットボトルをくわえている。
誇らかに走るその姿は、とても微笑ましかった。
『あれ運ぶの、自分の仕事だと思ってるのかな
 やることがある犬って、目の輝きが違うな』
そんな風にコースを見ていたら、また、空と日野君の姿が見えてくる。
空は何だか生き生きとして見えた。
2人が通り過ぎストップウォッチを止めると、先ほどとほとんど同じタイムだった。
『空、ちゃんとペースメーカー出来てるんだ』
楽しそうに走る空と日野君が羨ましいくせに、一方でエレノアを懐かしむ自分に嫌気がさしてしまった。


4周目に消えていく2人を見送った後、スマホでニュースをチェックしていたので、僕は自分に近づいてくる人影に気が付くのが遅れてしまった。
何だか柄の悪そうな3人の男達で、若そうに見えるけど顎ヒゲがまばらに生えていたので、年齢不祥な感じだった。
「お兄さん、ヒマそうじゃん」
彼らは僕を取り囲むように近寄ってきた。
「大事そうに持ってる鞄、なーにが入ってんのかなー」
ヘラヘラと笑いながら僕の持っていた鞄に視線を落とす。
「あ、いえ、その、たいした物じゃ…」
僕は怖くて、上手く言葉が出なかった。
ランニングをしている人が通りかかるが、チラリとこちらを見て、かかわり合いになるのを危惧するよう、そのまま走り去って行く。
「たいしたもんじゃねーなら、別にいらなくね?
 でも、俺らには、大事なものかもしんねーなー」
「そうだよ、ちょっと見てやるから、貸してみろって」
彼らは腕を伸ばして、僕から鞄を取り上げようとする。
この中には、空と日野君が楽しみにしているカステラが入っているのだ。
絶対に渡す訳にはいかなかった。
「で、でも、これ、大事な預かり物だから…」
渡さない決心をするものの、恐怖のあまり語尾は震え、足が竦んでしまう。
「えー?さっき、たいしたもんじゃないって言ってたじゃん」
「やっぱ、良いもん入ってんだ」
僕のうかつな一言で、男達の目つきが変わった。

子供の頃、いじめっ子に囲まれた時のことがフラッシュバックする。
そんな時、いつだってエレノアが助けてくれた。
日頃温和しい彼女が、吠え狂っていじめっ子を蹴散らしてくれた。
今、僕の側に彼女は居てくれない。
今、僕の側に居てくれるのは…

「くぅ…」
涙声で小さく名前を呼ぶが、空が走り去ってからまだ5分も経っていない。
戻ってくるまでに、もう暫くかかるだろう。
ギュッと目をツブった瞬間
「カズハッ!」
空の声が聞こえ、僕と男達の間に誰かが割り込んできた気配がする。
信じられない思いで目を開けると、そこには僕を守るように男達に立ち向かう、頼もしい空の背中が見えた。
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