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しっぽや(No.32~43)

side〈KAZUHA〉

「ボディガード…ですか?」
黒谷から相談したいことがある、とメールをもらった僕はペットショップでの仕事を終えた後、しっぽや事務所に顔を出した。
相談内容は、黒谷の飼い主の日野君の事であった。
「うん、学校が始まって暫く休んでいた部活を始めたいらしいんだけど
 勘を取り戻すため自主トレをしたい、って言っててね
 夕方に公園をランニングするんだって
 努力家なんだよ、日野は」
黒谷は腕組みをして感に堪えない、と言った風情で頷いた。
「日野は見ての通り、大変可愛らしいでしょう?
 あんなに可愛らしい方が独りでランニングなんてしていたら、不埒な輩に目をつけられてしまうかもしれない
 僕が一緒に走ろうかと言ったんだけど、もっと強面の方がボディガードには向いてるって言われてさ
 そこで、見た目の厳つい空に一緒に走ってもらうのはどうか、って話になったんだ
 空には1度、日野のボディガードをしてもらってるしね」
黒谷に視線を向けられ
「ボディガード?
 俺は日野と友達の仲をエンジェルスマイルで取り持ってやっただけだけど?」
空が首を捻る。
夏休み中、空が日野君と一緒に出かけて、パンをいっぱい買ってもらった時の事を僕は思いだしていた。

「まあでもさ、俺、こっちに来るとき波久礼の兄貴に
 『お前は体力有り余ってるから、仕事の後にでも少し走っとけ』
 とか言われてたんだ
 だから、日野と一緒に走るのもいいな
 今まで暑いんで、そんな気おきなかったからさー
 俺、三峰様のとこに居た時は、山の中を1日30キロくらい鍛錬で走らされてたんだよな
 陸なんて体力バカだから、50キロは走ってたっけ
 人間の体で獣道走るのって、けっこーシンドいのな」
空は当時を思い出したのか、しみじみとそんな事を言う。
「飼い主の許可を取ってから決めた方が良いって、日野が言っててね
 それで、カズハ君に来てもらったんだ
 どうかな、少し空を貸してもらっていいかな?」
黒谷にそう問われ、僕は一瞬躊躇(ちゅうちょ)してしまった。
多分、ボディガードの相手が荒木君だったら素直に頷けたと思い、そんな自分が嫌になる。

心の闇を見せないよう、僕は努めて明るい感じで
「良いですよ、確かに日野君可愛いですからね
 独りでランニングって不用心かも
 空、一緒に走って守ってあげて」
そう返事をした。
不自然に声が固くなってしまわなかったか心配したけど、黒谷は
「そうですか、ありがとうございます
 助かりますよ」
何も気づかず朗らかな声を上げた。
しかし空は僕の態度に何か感じたらしく、そっと僕を抱きしめて
「俺は、日野よりカズハの方が可愛いと思うからな」
そう囁いてくれる。
「飼い主バカだね、空は」
僕はそう言いながらも、空の気遣いが嬉しかった。

コンコン

業務終了が近い時間のしっぽやに、ノックが響く。
黒谷が顔を輝かせたので、ノックの主が事務所に入ってくる前にその正体がわかった。
ドアを開けて入ってきたのは、制服姿の日野君だった。
「日野、今日は部活だと言っていたのに、どうしたんですか?」
黒谷がすぐに日野君に近づいた。
「今日は顔見せくらいにして、練習には参加しなかったよ
 ササミフライの新しい味が出てたから、黒谷に食べてみてもらおうと思って持ってきたんだ」
日野君が差し出した袋を受け取った黒谷は、さらに顔を輝かせる。
「わざわざ僕のために…」
「いいの、理由をつけて黒谷に会いたかっただけだから」
日野君はそう言うと、黒谷にそっとキスをした。
僕はビックリして目のやり場に困ってしまう。

「そうそう、ボディガードの件、カズハ君に了承とれましたよ
 日野の走る日に空を連れ出してください」
黒谷がそう言うと日野君は僕に向き直り
「ありがとうございます
 助かります、変なこと頼んじゃってすいません」
丁寧に頭を下げるので、慌ててしまった。
「あ、いえ、あの、空も体を動かしたがってるし、一緒に走ってあげてください
 僕は運動苦手で、一緒に走ってあげるのは無理だから」
つい、そんな自虐的な言葉が口をついて出てしまう。

「今日、これから走るか?
 日が暮れれば、暑さもちっとはマシだからよ」
空が笑顔で日野君に話しかけた。
「いや、今、ウェアとシューズ持ってないし
 って、空だって持ってないだろ?」
日野君に問われ、空はキョトントした顔になる。
「このまま走っちゃダメなの?」
これには僕も驚いた。
空は今日、スーツに革靴で出勤しているのだ。
「「ダメだよ」」
僕と日野君は、同時に否定の言葉を叫んでしまった。

「そっか、空はランウェア持ってないか
 せめてジャージかなんか持ってない?
 シューズはスニーカーでも大丈夫だよ」
日野君に聞かれても、空は首を傾げている。
日野君に困った顔を向けられ
「スニーカーはあるけど、空のクローゼットの中には運動着に出来そうな物は無いかも…」
僕は小さな声で、そう告げた。
「じゃ、経費で落としてあげるから買ってきて
 今すぐ
 空は今日はもう上がって良いよ
 この時間だし、依頼はこないだろ」
黒谷がきっぱりと口にしても
「何、買えば良いの…?」
空は困惑した顔を僕に向けている。
「この辺、衣類の量販店あったよね
 本格的にランニングするんじゃないし、ジャージで十分だから一緒に買いに行こうか」
日野君はそう言った後、僕を見て
「良かったらカズハさんも一緒に来てください
 空に似合う色を選んであげて」
ニッコリ笑った。


その後、僕たちはしっぽや事務所を後にして連れだってお店に移動した。
「おっと、秋の大感謝セールなんてやってる
 良いタイミングだったね」
日野君が弾んだ声を上げる。
セール中のせいか、店内は閉店が近い時間であるのに込み合っていた。
急いで空に似合いそうな紺色のジャージを選ぶ。
「シモムラ安心価格、上下セット1980円
 さらに、レジにて2割引きだって!
 良い買い物できたな
 空、精算してきて、領収書もらえよ」
日野君がテキパキと空に命令する。
空は素直にレジ待ちの列の最後尾についた。
「俺たちは外で待ってましょう」
日野君に言われ、僕たちは混雑している店内を後にした。

「付き合わせちゃってすいません
 飲み物くらい奢りますよ、何が良いですか?」
日野君は笑顔で聞いてくれるけど、僕は年下の子に奢ってもらうことに抵抗を感じていた。
「いや、いいですよ、そんな」
あわあわと首を振る僕に
「それくらいは、させてください
 無理なお願いしたのはこっちなんだから」
日野君は笑顔を崩さなかった。
「あの、じゃあ、アイスカフェオレを」
後から空にも分けるつもりで、僕はそう答える。
日野君は近くにあった自販機からアイスカフェオレを買って、僕に手渡してくれた。
自分用にはコーラを買って、すぐに飲み始める。
「暑いと炭酸が美味しくて」
日野君は僕を見て、可愛い顔で無邪気に笑った。
しかし、急に真顔になり
「やっぱり、警戒しますよね、俺のこと」
ポツリとそんな事を言う。
僕は心を見透かされたようで、ドキリとした。

「自分が化生の飼い主にとって危惧すべき存在である事は、わかってます
 俺だって自分じゃなくて他の奴が憑依されやすい体質だ、なんてわかったら良い気持ちしないし、黒谷には近づけたくない
 いつ、『あのお方』ってやつに憑依されて自分の化生を盗られるかわかったもんじゃないからさ」
日野君は顔を歪めて言い放った。
日野君と白久の騒動は空に聞いて知っている。
その時、僕と空は自分たちの心の中の暗い陰に気が付いてしまったのだ。
空は以前の飼い主が今も生きているんじゃないかと、心の片隅で期待していた。
しかし僕は、空の記憶の転写を見ている。
あの人は、確実に死んでいた。
だからこそ、日野君に憑依して空の前に現れるんじゃないか、と危惧しているのだ。
正直、空と日野君を2人っきりにさせたくなかった。

「カズハさんも、俺が憑依されやすい事を心配するんじゃないかと思いました
 だから、ボディガードの件はカズハさんの了承を得てからじゃないと、話を進めないつもりだったんです
 でも今は俺、ミイちゃんに貰った数珠のおかげで変なもの見えませんから
 もう、あんな事にはならないと思います
 荒木と白久には、本当に悪いことをした…」
悲しそうな日野君の言葉が、胸に突き刺さる。
日野君も苦しかったんだと僕はこの時、初めて気が付いた。

「あの、聞いても良い?
 どうして黒谷じゃなく、空をボディガードに選んだの?
 ランニングなら黒谷と一緒にすれば良いのに」
僕が戸惑いがちに尋ねると、日野君はばつの悪そうな顔になる。
「それは…、空の顔が怖いから…
 ちょっと脅してもらいたい奴らがいたんです
 迫力ある人に協力して欲しかったんです」
日野君の返事は、思いもよらないものであった。
「え?空はあんなに可愛いのに?
 朗らかだし、人間を脅すなんて出来ないよ?」
本気で驚く僕に、日野君は困った笑顔を向ける。

「あー、まあ、空は付き合ってみれば愛嬌のある奴だけど
 その、ぱっと見はかなりの迫力かと…
 実際、うまいことあいつら脅してくれたし」
日野君はモゴモゴと呟いた。
「黒谷とは一緒に走りたかったけど、荒木が…」
俯いた日野君は、中々次の言葉を言い出さなかった。
「荒木君がどうかしたの?」
そっと続きを促すと
「だって、荒木が
 俺と黒谷が並んでると、黒谷が犯罪者に間違われるって言うんです」
かなり言いにくそうに、日野君が答えた。
それを聞いて、失礼ながら僕は納得してしまった。
日野君は中学生に見える幼い顔立ちで、確かに三十代半ばに見える黒谷と並ぶと兄弟や親子には見えないだろう。
下品な妄想を働かせれば、援交しているように見えなくもない。
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