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しっぽや(No.32~43)

「あの『羽生』って、中川先生の飼い猫なんだって?
 すげー、美少年だよな
 学校にバレたら問題になりそう」
日野が事務所のドアを見ながら話しかけてくる。
「まあな、前はもう少し可愛い感じの美少年だったのに、最近迫力でてきたよ
 つーかさ、あいつ、俺よりチビだったのに…
 いつの間にか、俺よりデカくなってんの
 子猫の成長には驚かされるぜ」
俺は唇を噛みしめた。
「まあ、でも、お前がいるからここでの1番のチビ、俺じゃないもんな」
俺はニヤリと笑って日野を見る。
「何だと、成長期の1cm舐めるな
 食いまくって、すぐにお前なんて追い越してやるからな!」
日野が憮然とした顔で言い返してきた。
日野と久しぶりにいつものやりとりが出来る状況が、嬉しかった。

もう1件の子猫を探しに行っていた双子の化生が戻ってきて、控え室に消えていく。
しつけ教室を終えた空が帰ってきても、黒谷は戻ってこなかった。
書類を作成し終わった長瀞が
「私が受付をしていますので、白久はお昼に行ってください
 日野様も一緒に行かれてもよろしいですよ」
そう提案してくれる。
「黒谷を待ってるよ
 連絡もないし、何かあったのかな…」
日野が不安げな顔になる。
「黒谷、スマホ持ってるんだろ?かけてみれば?」
俺の言葉に
「でも、捜索中だったら悪いし、出れないかも」
日野は戸惑った顔で答えた。
そんな時、事務所の電話が鳴り、室内の者は一瞬ビクリとしてしまった。

「ペット探偵しっぽやです」
白久が直ぐに受話器を取り上げる。
「ああ、クロ、遅いからどうしたのかと
 …はい、……、それは…、大変そうですね
 それでは、そうします」
黒谷と話す白久を、日野が凝視していた。
受話器を置いた白久に
「黒谷、どうしたの?トラブル?」
日野が詰め寄った。
「いえ、依頼のあった甲斐犬は発見できて無事に確保したらしいのですが
 その方、猫が好きではないらしく、事務所に連れてこれないのです
 それで、直接依頼主の所に送りに行って書類も作成してくるとか
 日野様は先にお昼を食べに行ってください、とのことです
 私達と一緒に参りましょうか
 お腹が空いたでしょう」
白久が微笑みかけると、日野はブンブンと首を振った。
「ここで黒谷を待ってる、だって黒谷は何十年も俺を待っててくれたから
 荒木、お前達先に行ってこいよ
 ついでに、買い物してくれば?」
日野に笑顔を向けられ、俺と白久は顔を見合わせたが
「うん、わかった」
素直にその言葉に従うことにした。

いつものファミレスに向かいながら
「あの食い意地の張った日野が、メシより黒谷を優先した…」
俺は少し呆然と呟いた。
「クロは愛されているのですね」
白久がホッとした顔を見せる。
「俺だって、同じ状況になったら白久のこと待ってるから」
俺は慌てて言い添えた言葉に
「はい」
白久は嬉しそうに微笑んだ。


ランチの後、俺たちは学校最寄り駅に行ってみることにした。
「揚げ物にしても、少し目先が変わった物があれば目新しいかな」
俺は自分で料理をするという事は、頭にまったくなかった。
夏休みとは言え平日の昼過ぎなので、お店に他のお客さんは居ない。
俺たちはゆっくりと品定めすることが出来た。
「へー、ここ、ササミ系の揚げ物豊富だね
 シソ、梅、チーズ、カレー、バジルなんかもあるんだ
 そういや、いつもの肉屋は鶏肉って唐揚げしかないからなー
 あ、軟骨揚げもある、これは珍しいかも」
店頭のケースを見渡しながら俺は目移りしてしまう。
その半分が揚げ物で占められていた。
「さすが、体育会系男子御用達の品ぞろえ
 うーん、でも、メンチはいつもの店のが美味しそう」
あれこれ悩む俺の横で
「おや、この店は新鮮なササミがありますね
 これなら半生でも食べられそうですよ」
白久がそんな事を言っている。
「え?鶏肉を生で?」
ビックリする俺に
「ササミを表面が白くなる程度に湯通しして、スライスして醤油で食べると美味しいのです
 昔は店頭で鳥を絞める肉屋もあったので、新鮮な物が手に入るとそうやって食べていました
 そういえば今はスーパーで食材をまとめ買いするから、久しく食べていませんでしたね」
白久が微笑んで教えてくれる。

「それ、食べてみたい!
 作るのに時間かかる?今日のミッション、それにしよう」
俺の言葉に
「はい、おまかせください
 長瀞に刺身の切り方を教わったので、以前よりキレイにスライス出来ると思います
 湯通しするだけなので、時間はそれほどかかりませんよ」
白久は誇らかに答えてくれた。


買い物を終え事務所に戻っても、黒谷はまだ帰っていなかった。
「ごめん、何か買ってきてやれば良かったな」
俺が焦って言うと
「長瀞さんが、おにぎり作ってきてくれたから大丈夫
 特製ふりかけにぎり、美味かった」
日野は満足そうに答えた。
「一度に5個も召し上がられて…頼もしい胃袋です」
長瀞さんが感心したように頷いた。
「黒谷がお腹空かせてるだろうから、戻ったらすぐランチに行って良い?」
所長机のイスに座った白久に、日野はそんな事を聞いている。
「おにぎり5個食った後に、まだランチ食うつもりかよ」
俺は呆れた声をあげてしまう。
「いや、5個ならおやつみたいなもんだろ?」
逆に日野に問われ、俺は絶句する。
『体育会系男子の胃袋、恐るべし…』


黒谷が戻ってきたのは夕方だった。
憔悴しきった顔をしている。
「空並のバカ犬だったよ…
 まだ1歳と若いからしかたないにしても、僕と同じ甲斐犬とは思えない
 これなら、老齢なレトリバー系の方の方がよっぽど…」
グッタリと所長机のイスに座った黒谷を
「お疲れさま、偉かったね」
日野はそう言って抱きしめ、優しく頭を撫でた。
黒谷はすぐにうっとりとした顔になる。
「クロ、ご飯を食べに行って、今日はそのまま上がってください
 買い物もあるでしょう」
黒谷は白久の言葉に何か言おうとしたが
「行こう黒谷、お腹空いたでしょ」
日野がそれを遮った。
「かしこまりました
 じゃあシロ、後はよろしく頼むね」
黒谷は日野の命令に素直に従い、2人は事務所を出て行く。
2人を見送った後、白久と長瀞さんはクスクスと笑いながら
「クロ、日野様の命令は素直に聞きますね」
「黒谷は何だかんだ言いながら、面倒事は自分で引き受けてしまうから
 少し休んだ方が良いのですよ」
そんな言葉を言っていた。


その後、特に依頼は無く業務終了時刻を迎える。
後片づけをして買ってきた荷物を持つと、俺たちは歓迎会会場であるゲンさんの部屋に向かった。
「長瀞にはキッチンを貸してもらえるよう頼んであります
 荒木は揚げ物を温め直していただけますか」
白久の言葉に
「わかった、さすがに冷めてるからトースター借りるよ」
俺は頷いた。
『日野達、あんまり時間無さそうだったけど、買い物できたかな』
俺は少し心配になっていた。


ゲンさんの部屋に着くと、既に中川先生と羽生の姿があった。
テーブルの上に飲み物を広げている。
「あれ、先生達、今回も飲み物だったんだ」
俺が声をかけると
「酒買えるの、俺かゲンさんしかいないからな」
先生は苦笑する。
「俺たちのミッションは、『季節感』!
 夏はラムネ?ビー玉が入ってるガラスの瓶のやつ、探してきたんだよ
 後、季節限定のペットボトルと、俺は高原牧場ミルク
 『高原牧場』って、夏っぽい響きだってサトシが教えてくれたから
 で、夏はやっぱりビールなんだって
 高原牧場のビールも買ってきたの」
羽生が得意げな顔で説明を始めた。

その後、空とカズハさんも姿を見せた。
「俺たちのミッションは『モドキ』!」
空は胸を張って言った後
「モドキって、何だかよくわかんないけど
 知ってる?」
空は首を捻って俺を見た。
そう言われても、俺にはサッパリわからない。
自分に振られたミッションじゃなくて良かったと、心の底から思ってしまった。
カズハさんを見ると
「僕にも、何が何だか…取りあえず色々用意してみたけど
 少しキッチンお借りしますね」
そう苦笑している。
俺も温め直す物があるので、一緒にキッチンに向かった。

トースターに揚げ物を入れると、俺はカズハさんの様子を見に行った。
カズハさんはタッパーからキュウリを取り出していた。
「これ、ズッキーニですよ
 スライスして塩水に漬けてきたのです
 この上に魚卵をのせてカナッペにしようと思って」
俺の視線に気が付いたカズハさんが説明してくれる。
「あれ、その卵って、キャビアってやつじゃない?
 すごく高いんじゃないの?」
焦る俺に
「僕たちのミッションは『モドキ』
 これはキャビアの代用品『ランプフィッシュ』の卵です
 本物のキャビアは『チョウザメ』の卵なんです
 値段は10倍くらい違うかも
 ついでにこのイクラはマスのもので、鮭よりは安いんですよ」
カズハさんは教えてくれた。
「んで、このカニはカマボコ
 最近のカニカマはよくできてんなー」
空がサラダの上にカニカマを千切ってのせていた。

「あと、ガンモドキを焼きたいので、荒木君の温めが終わったらトースターを使わせてください
 ガンモドキって、雁(がん)の肉の代用品なんですって」
微笑むカズハさんに
「『モドキ』って、偽物ってことか」
俺は感心してしまう。
「カズハ様、ヘルシーな食材の数々、ありがとうございます」
ゲンさんにどうにかして野菜を食べさせたい長瀞さんが、深々と頭を下げていた。
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